退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「『ジェンダー』を巡る過去と再びの『観察者の倫理』あるいは『人品』」について

2018-04-13 02:18:31 | Weblog
『晴れ。やや風が吹く。

若桑みどり・加藤秀一・皆川満寿美・赤石千衣子編著
「『ジェンダー』の危機を超える!」を読む。

本書は12年前の作品だけれど「歴史を振り返るため」に敢えて。
その内容が面白いかと言われると微妙。

この時期から「インチキ保守」がその活動を活発にしたことを確認。
「日本会議」に関する記述もあるのにふむふむ。』でまた寝る。

晴れ。夜に少しだけ冷える感じ。

「完訳ファーブル昆虫記7」を途中まで読む。

実は「6」はまだ読み終わっていず。
図書館への返し遅れで連続して借りられなかったせい。

長いシリーズものを読むとこういうこともあるということで。

それにしてもファーブルの情熱の凄さには恐れ入るのみ。
後世を生きる者としてこと「観察」に関してはここまでのレベルでと思わされる。

すべてを「単純化」する脳は「いかにもな物語」を好むものの
彼の姿勢にはあくまでそれを拒絶する「観察者の倫理」がある。

なるほど「セカイ系」は当時から存在したということか。
「自分の都合で世界を見ることの危うさ」を忘れずにいたいもの。

さて。

TVの巷では「モリカケ」ばかり。
「アベちゃんの友だち関係」のどうしようもなさを訴えていて。

「記録」があるのに「記憶」によって「過去の事実」を否定できる姿に驚く。
「往生際の悪さ」は「天下一品」ということらしい。

ただし。

それらを「追い詰める側」に彼らを超える「倫理」があるのかといえば虚しく。
「相手の弱味に付け込むこと」など誰にでもできるのだから。

あまり「正義」に乗っかりすぎると痛い目を見るのでご注意を。
むしろ彼らに代わって「権力を握った時」に何ができるのかが肝心。

野党には是非とも「統治能力」に関する研鑚を積んでいただきたいもの。
何しろ実際に権力を握るまでは「勉強し放題」なのだから。

それとは別に。

女性記者に「冗談のつもり」でセクハラをし続けるオヤジよ。
「自分の趣味の在り様」は別にしてかくも「現実」がわからないのは相当なこと。

それが「財務省の事務次官」だというのだからいやはや。
彼の「その他の能力」がいかに高かろうがここまでくると何ともはや。

「縛る」のが好きであること自体は大いに結構。
相手が本気で嫌がっていることを認識できず止められないのが問題なだけ。

この事実から明らかになるのは「圧倒的なコミュニケーション能力の無さ」。
「下ネタの扱い」に関する勘違いがあった模様。

城山三郎の著書のタイトルを思い出そう。
曰く「粗にして野だが卑ではない」。

残念ながら「アベちゃん関係の人物たち」は
「卑にして怯かつ品がない」。
コメント
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