退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「ほぼ20年ごとに繰り返す『祭り』あるいは『妄想』」について7

2018-04-17 02:12:09 | Weblog
晴れ。おだやか。

柴那典「初音ミクはなぜ世界を変えたのか?」をそれと知らず再読。

最初の「サマー・オブ・ラブ」は1967年に始まり二度目のそれは80年代後半のイギリスで。
三度目のそれが07年からの「初音ミク」を巡るあれこれだと。

シンセサイザーの進化の中で「歌声」だけが取り残され。
わが国ではフォーク・クルセイダーズの「帰ってきたヨッパライ」が嚆矢。

その後に2年前に亡くなった冨田勲が大活躍。
ドビュッシー「月の光」など。

80年代後半はレイブが盛んに。
「TRF」が「TETSUYA RAVE FACTORY」の頭文字であることをあらためて。

ヒップホップやアシッド系については全くの門外漢。
なぜか映画「8マイル」(’02)は監督がカーティス・ハンソンだから観ていて。

「窓・ベッドルームの女」(’87)「ゆりかごを揺らす手」(’92)
「激流」(’94)「L.A.コンフィデンシャル」(’97)などが懐かしい。

いや映画の話ではなく。

「ボーカロイド」という形を借りた「N次創作」からやがて「オリジナル」も生まれ。
「楽しいからやる」という「場所」が大いに盛り上がり。

今をときめく米津玄師もここから。
近田春夫は文春のコラムで「手堅い作風」であることを指摘していたけれど。

「束の間の楽園」は姿を消しても「地下水脈」でつながっている模様。
この種の「マグマ」はもっと各地であってもいいものであることは確か。

テクノロジーと音楽の関係も興味深い作品。
「21世紀少年少女たち」のさらなる活躍を期待したいところ。

さて。

深夜「牧師のストーカー」に関するニュースを見る。

「その相手は神じゃないのか」と思わず笑ってしまい。
「人の複雑さ」をあらためて思った次第。

もっとも「彼女が女神なんだ」と言われればそれまで。
何を見出すかはその人次第なわけで。

「一方的になる」のは「自分だけの妄想」を膨らませる一方だから。
目の前にいる相手の「具体性」は置き去りに。

男子にありがちなこの種の「勘違い」は
例えば「教育」によってなくせるものなのかどうか。

残念ながらそれがどうやら「無理筋」らしいことは
周囲を見渡せばわかるような。

いずれ「妄想」なら「他人を納得させる」ぐらいのパワーがないと。
その時初めて「妄想」は「妄想」でなくなる。

「妄想であることを忘れさせる」と言った方が適切か。
「相手を酔わせる」ことができればいい。

などと戯言を思っていたら眠くなったので寝る。
コメント
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