退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「最後の昭和幻想を維持するのがマスコミであることあるいは圧倒的に重要なのは『緊張感』であること」について

2018-04-10 03:06:05 | Weblog
くもりときどき晴れ。だったはず。

林香里・谷岡理香編「テレビ報道職のワーク・ライフ・アンバランス」を読む。

マスコミには「ブルジョワ」が勤めていることをあらためて。
ごく少数の「まとも」を除けば「昭和幻想」にどっぷりという感じ。

いたずらに「戦場ジャーナリスト」や「フリー」を持ち上げて
自らの「いい加減さ」をむしろ「正当化」するのが微妙。

この姿はいわゆる「サラリーマン」。
もちろん新聞もテレビも「企業」ではあり。

今どきの「平均的な人間」からすると
高い給料をもらって「いい気なもの」だと思われても仕方がないかも。

なるほどだからこそ「現実」がマスメディアでは浮き彫りにならず。
「OJT=現場に慣れること」によって「価値観」が作られる仕組み。

ダメだこりゃ。
「自分の置かれた環境」に何の疑いも持たないのが「普通」になるのももっとも。

常に「忙しいだけの現在」が優先されていれば
「『ライン=主流』からはずれる」以外に何事かに気付きようもなく。

そうして「確保」される「生活」が「豊か」なのかどうか。
なるほど「劣化」するわけだと思うのみ。

「ジャーナリストの基本」は「ハイエナであることの自覚」からぐらいに思わないと。
その上で「何を伝えるのか」ということ。

わが国には残念ながら「ジャーナリストになるための学校」がほぼなく。
きちんとした「養成機関」が必要だと思うことしきり。

そうでなければ「インチキ評論家」と同様。
ただそれだけのことだったり。

「特オチ=他社の記事に抜かれること」に異常なまでにこだわるのも問題。
21世紀になっても「護送船団方式」が維持されているのはこの業界だけ。

「記者会見」という名の「談合」もいつまで続くことやら。
「記者クラブ」以外に質問できない「インチキ」を何とも思わない鈍感さよ。

女性記者にヤニ下がって「情報」を小出しにする政治家その他のどうしようもなさ。
それが「圧倒的な女性差別の裏返し」であることに気付きもせず。

繰り返すが「ヒドさもヒドし」。
われわれを取り巻く「情報環境」が基本的に「うんこ」であることを忘れずに。

だからこそ「信頼できる存在に関する判断」が重要になり。
「同じ情報源」であっても常に信用できるとは限らず。

さらには。

それらを咀嚼する「能力」が「受け手」にも問われ。
「フェイク・ニュース」に踊らされることのないように。

「ポジション・トーク」をするだけの輩を見分ける力を持ちたいもの。
あるいは「わかりやすさ」で扇動する者たちについても。

ここでも大切なのは「緊張感」。
「いい加減なことを言ったり書いたりしたら許さん」という「目の存在」。

それがないとあらゆるものは「緩むのみ」。
安倍政権に限らず。

「きちんとしたものを作ること」への「あすなろな意志」。
どうやらそのあたりに「まとも」はありそう。
コメント
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