退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「あらためての『世界の複雑さ』あるいは『土壌の貧しさ』とそれを強いる『原因』が重要であること」について

2018-04-28 02:28:03 | Weblog
くもり。おだやか。

「完訳ファーブル昆虫記 8」読了。

繰り返すがついつい読み進めてしまう内容。
「虫たちの世界」を知ると「人間の世界」もわかりやすくなるかも。

「本能の凄さ」とそれゆえのあまりの「愚鈍さ」が同時にあること。
「世界の複雑さ」をあらためて。

「本能」が壊れないと「知恵」は生まれないらしい。
「環境の苛酷さ」が「本能」を壊したのかどうかは不明だけれど。

さて。

「文字」は「本当のこと」を記録するために生まれたはず。
その一方でそこに「込められた意味」についてはさまざまな解釈が可能になり。

「バッカだなあ」「アホちゃうか」。
これらを文字通りに受け取らないコミュニケーションのかたちがあり。

もっともその「プラットフォーム」を共有しないことには成立せず。
ただ単に「否定された」と思う受け手もなくはなく。

それ以前に気になることについて。

至近距離で会話していながら「相手の話を聞いてない」人々が増えたような。
要は「キャッチボール」が出来にくくなっている模様。

「脳内ひきこもり」がなぜかくも増えたのか。
「幼児期のコミュニケーションの歴史」がそうさせているのかもなどと。

詳細は不明なのでそれぞれに「解説」をよろしく。
どういった「理論」が説得力を持つのだろう。

「相手を受け止められない」のは「余裕」がないからだとすると
「あまりに苛酷な環境」のなせる業だということにもなり。

そうした「環境」を生み出した「原因」を探り
「土壌改善」から始める必要がありそうな。

あくまで比喩にすぎないけれど「貧しい土壌」から「いいもの」は生まれない。
「安楽な生活」を確保することがその「基本」だと思われるのだが如何。
コメント
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