晴れ。秋日和。
春日武彦「問題は、躁なんです 正常と異常のあいだ」を読む。
「うつ」を「心の風邪」だとするなら「躁」は「心の脱臼」だという。
「神経症」を治そうとした岸田秀と同様の「匂い」を感じさせる著者の作品。
「普通の人々」からすればほぼ「意味不明」な事件も
「躁」という切り口から見れば納得できるところもあるのだと。
ただし「躁」の病例は「うつ」ほど多くないので
あまり採り上げられることがないのがポイントのよう。
「誇大妄想」がとめどもなく広がっていく様子に
むしろ痛々しさを感じる「文学体質」がなかなか。
「濃淡」を失った世界はむしろ
シンプルすぎるがゆえにその背後の「絶望」を思わせるということ。
「代表例」として出てくるのは有吉佐和子や中島らもや幸田文ら。
そういえば先日北杜夫もこの世からいなくなった。
自分の半分くらいの年齢の女性をストーカーした挙句
残した日記が波紋を呼んだりした「暴走老人」も登場する。
大雑把にまとめてしまうと
現代はサブタイトルにあるように「正常と異常のあいだ」が微妙なことになっているらしい。
ちょいと引用されていた吉行淳之介に引っかければ
まさに「日々すれすれ」。
経済的には「豊か」でも人々が感じる「幸福度」の薄いわが国の状況をあらためて思い出す。
地下鉄の広告で「胃痛を感じるくらいがんばる自分が好きだったりする」という内容の
一種異様なコピーも見かけたことだし。
わが国ではなぜ「安楽」に暮らせないのか。
そのことを真剣に考えた方がいい。
春日武彦「問題は、躁なんです 正常と異常のあいだ」を読む。
「うつ」を「心の風邪」だとするなら「躁」は「心の脱臼」だという。
「神経症」を治そうとした岸田秀と同様の「匂い」を感じさせる著者の作品。
「普通の人々」からすればほぼ「意味不明」な事件も
「躁」という切り口から見れば納得できるところもあるのだと。
ただし「躁」の病例は「うつ」ほど多くないので
あまり採り上げられることがないのがポイントのよう。
「誇大妄想」がとめどもなく広がっていく様子に
むしろ痛々しさを感じる「文学体質」がなかなか。
「濃淡」を失った世界はむしろ
シンプルすぎるがゆえにその背後の「絶望」を思わせるということ。
「代表例」として出てくるのは有吉佐和子や中島らもや幸田文ら。
そういえば先日北杜夫もこの世からいなくなった。
自分の半分くらいの年齢の女性をストーカーした挙句
残した日記が波紋を呼んだりした「暴走老人」も登場する。
大雑把にまとめてしまうと
現代はサブタイトルにあるように「正常と異常のあいだ」が微妙なことになっているらしい。
ちょいと引用されていた吉行淳之介に引っかければ
まさに「日々すれすれ」。
経済的には「豊か」でも人々が感じる「幸福度」の薄いわが国の状況をあらためて思い出す。
地下鉄の広告で「胃痛を感じるくらいがんばる自分が好きだったりする」という内容の
一種異様なコピーも見かけたことだし。
わが国ではなぜ「安楽」に暮らせないのか。
そのことを真剣に考えた方がいい。