退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「すれすれを生み出す環境」について

2011-10-29 02:55:19 | Weblog
晴れ。秋日和。

春日武彦「問題は、躁なんです 正常と異常のあいだ」を読む。

「うつ」を「心の風邪」だとするなら「躁」は「心の脱臼」だという。
「神経症」を治そうとした岸田秀と同様の「匂い」を感じさせる著者の作品。

「普通の人々」からすればほぼ「意味不明」な事件も
「躁」という切り口から見れば納得できるところもあるのだと。

ただし「躁」の病例は「うつ」ほど多くないので
あまり採り上げられることがないのがポイントのよう。

「誇大妄想」がとめどもなく広がっていく様子に
むしろ痛々しさを感じる「文学体質」がなかなか。

「濃淡」を失った世界はむしろ
シンプルすぎるがゆえにその背後の「絶望」を思わせるということ。

「代表例」として出てくるのは有吉佐和子や中島らもや幸田文ら。
そういえば先日北杜夫もこの世からいなくなった。

自分の半分くらいの年齢の女性をストーカーした挙句
残した日記が波紋を呼んだりした「暴走老人」も登場する。

大雑把にまとめてしまうと
現代はサブタイトルにあるように「正常と異常のあいだ」が微妙なことになっているらしい。

ちょいと引用されていた吉行淳之介に引っかければ
まさに「日々すれすれ」。

経済的には「豊か」でも人々が感じる「幸福度」の薄いわが国の状況をあらためて思い出す。

地下鉄の広告で「胃痛を感じるくらいがんばる自分が好きだったりする」という内容の
一種異様なコピーも見かけたことだし。

わが国ではなぜ「安楽」に暮らせないのか。
そのことを真剣に考えた方がいい。
コメント
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