退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「放蕩息子の義務」について

2011-10-04 02:58:14 | Weblog
晴れ。夜風が冷たい。

東浩紀編「思想地図β」を流し読む。

北田暁大との議論が面白い。
「ショッピングモール」の正負を互いに主張しつつ。

「郊外」の在り方に関して
ブレーキとアクセルの「踏み加減」がなかなか。

「中年の独身者」と「家族持ち」という「対立軸」も見える。
もちろん「みんなの要求を満たす仕組み」など出来るはずはない前提で。

それとは別に「情報処理」の進歩によって
今まで説明しきれなかったものがそうでなくなる「可能性」についてもあれこれ。

カオス理論以降の「発展」なども。
「フラクタル」や「マンデルブロー」という名前が出てくるアニメはちょいと覗いたけれど。

先日図書館で見た「存在論的、郵便的―ジャック・デリダについて」の著者の写真はいかにも「切れ者」。
その後家族も出来て体重が増えた「変化」はベトナムから帰った開高健を思わせる。

外見の変化と内面の変化は対応するものらしい。
著者が見た「リアル」がそうさせたのだという点では「同じ」なのかもしれないなどと。

今年の正月に出た本書はすぐに三刷になっている模様。
できれば読者層の分析を望みたいところ。

おそらくは「多様」なことは想像がつくし
それを目指した著者にとっては「手ごたえ」のある結果だろう。

さて。

そこで「面白いのか」と尋ねられたら微妙。
もっとも「雑誌」にはひとつふたつ興味深いものがあれば十分。

もちろんこちらの「アンテナ」次第だから
受け止められるかぎりのものは受け止めるのが「誠実」。

繰り返すが「白黒」ハッキリつけずに
「宙ぶらりん」でいられる「体力」があるかどうかが肝心なはず。

いずれ「放蕩息子」ならば
存分に暴れ回るのがむしろ「義務」だと解釈しておく。
コメント
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