ジョヴァンニ・バリオーネ(Giovanni Baglione、1566年~1643年)は、カラヴァッジョ(Michelangelo Merisi da Caravaggio、1571年~1610年)と同年代に活躍した画家で5歳年長でした。ローマにあって、カラヴァッジョの敵対者となり、カラヴァッジョを「名誉毀損」で告訴までしましたが、カラヴァッジョの最初の伝記を残したのも彼でした。カラヴァッジョは、自画像を残していませんが、バリオーネは,カラヴァッジョが鏡に映した自分自身をモデルに、「病めるバッカス(Bacchio malato)」(67cm×53cm、ボルゲーゼ美術館)の絵を描いたと述べています(“Le vite de’pittori, scultori et architetti dal pontificato di Gregorio Ⅷ del 1572 in fino a’tempi di papa Urbano Ⅷ nel 1642”)。
ドイツのベルリンには、「ベルリン美術館 (Staatliche Museen zu Berlin)」という美術館・博物館群があります。プロイセン王家の歴代のコレクションを基礎としています。そのベルリン美術館を構成する美術館の一つに「絵画館(Gemäldegalerie)」がありますが、ルネサンス芸術の区画には、カラヴァッジョの「勝ち誇るアモール(愛の勝利、Amor Vincit Omnia)」が、ジョヴァンニ・バリオーネの「聖なる愛と世俗的な愛(聖愛と俗愛、Amor sacro e Amor profano)」と並べられて展示されています。
ヴィチェンツォの10歳年上の兄であったベネデット・ジュスティニアーニ枢機卿(Benedetto Giustiniani、1554年~1621年)」は、すでに著名であったジョヴァンニ・バリオーネに、この絵に対抗する絵画の制作を依頼します。バリオーネの「聖愛と俗愛」は、カラヴァッジョの「勝ち誇るアモール」を完全に意識しており、敬虔なカトリックであったといわれるバリオーネは、素行のよくないカラヴァッジョを非難するように、ルシファー(Lucifer、サタン、悪魔)とキューピッド(俗愛)との間に割って入り、カラヴァッジョの描いたアモールにそっくりなキューピッドを攻撃する構図となっています。身に付けている鎧もカラヴァッジョの描いたものとそっくりです。しかし、この絵はベルリン美術館にあるものとは異なります。ローマのバルベリーニ宮殿の「国立古典美術館(Galleria Nazionale d'Arte Antica di Palazzo Barberini)」にあるものです。
コーヒー(coffee、caffè、カッフェ)は、コーヒーノキ(pianta del caffè)の種子(コーヒー豆)を焙煎し、挽いた粉末からカフェインなどを含む成分を抽出し、湯または水の中へ溶解させた飲料です。コーヒー豆の原産地は、アフリカの東北部、現在のエチオピアだといわれています。アラブ人が、アビシニア高原から持ち帰ったことから飲用習慣が世界中に広がることになります。
カプレーゼというのは、トマトとモッツァレラチーズのサラダをいいます。私はこれを注文しました。パン生地の間に挟まれています。“Caprese”とは、「カプリ島民の」という意味で、もともとはこのあたりの郷土料理であったようです。カプリ島 (Isola di Capri) は、ナポリの南約30kmにあります。今回のイタリア旅行は、北イタリアが中心で南イタリアには行きません。でも、いずれは行きたいですね。
「スパゲティ・アッラ・プッタネスカ (Spaghetti alla Puttanesca)」は、アンチョビなど小魚(その代わりに今回は飯蛸)に、トマトソース(Salsa Pomodoro、サルサ・ポモドーロ)、ケイパー(cappero、カッペーロ、カッペーロの実をワインビネガーと塩で漬け込んだもの)、オリーブ、赤唐辛子、黒胡椒などで味付けしてあります。
愛光学園は、ドミニコ会を設立母体とし、カトリック精神に基づいて「愛(Amor)と光(Lumen)の使徒」たる「世界的教養人」を育成することを目標としている学校なのだそうです。キリスト教において、禁欲的な信仰生活に入った人がイエス・キリストの精神にならって祈りと労働のうちに共同生活をおくる施設を修道院(Monastery、Abbey)といいますが、その修道院を運営する修道会の一つに「ドミニコ会(Ordo Praedicatorum、Ordine dei Frati Predicatori)があります。
ローマに移されても、異端審問はなかなか行われませんでした。ブルーノが自説を撤回することを望んでいたのです。獄中で7年を過ごした後、異端審問が行われます。イエズス会の司祭で、ローマ・カトリック教会の枢機卿であった「ロベルト・フランチェスコ・ロモロ・ベラルミーノ(Roberto Francesco Romolo Bellarmino)」は、ブルーノが唱える説の撤廃を求めます。
ブルーノはこれを拒絶します。異端判決が下り、火あぶりの刑となります。異端審問の場で、ブルーノは「判決を聞く私よりも判決を下すお前たちの方が(恐怖に)震えているじゃないのか」と言ったといわれています。映画「カラヴァッジョ 天才画家の光と影」の中では、この出来事を1シーンで描きます。「カンポ・デイ・フィオーリ広場(Piazza Campo dei Fiori)」に引き出され棒に縛り付けられたブルーノに、ベラルミーノはその説の撤回を迫ります。これに対し、ブルーノは、毅然と撤回を拒絶し、“Forse tremate più voi nel pronunciare questa sentenza che io nell'ascoltarla.”と言います。ブルーノの周りに積み上げられた薪に火が放たれます。
長靴の形をしたイタリア半島のふくらはぎのあたりに「ロレート (Loreto) 」という町があります。フィレンツェのあるトスカーナ州のほぼ東、アドリア海にほど近いマルケ州アンコーナ県の町です。この町には、「聖なる家(La Santa Casa、サンタ・カーザ)」があります。「聖なる家」は聖母マリアが生まれ育ち、天使ガブリエルから受胎を告知されたときに住んでいた家であり、幼少のイエスと暮らした家とされます。
ナザレにあった「聖なる家」は、イスラム教徒から難を逃れるために天使が運んだといわれています。各地を転々とし、最後にロレートに落ち着きます。ロレートは聖地を訪れる巡礼者の目的地の一つとなります。カラヴァッジョの描く「ロレートの聖母子(Madonna di Loreto)」(1604年頃の作品)は、巡礼者の親子を温かく迎えています。
イタリア語“Campo”は「野原」、“Fiore”は「花」(男性名詞、複数形がfiori)の意味で、“dei”は「de(~の~)+i(男性複数名詞の定冠詞)」です。つまり、カンポ・デイ・フィオーリ(Campo dei Fiori)は、「花の咲く野原」の意味になります。この場所には処刑場がありました。皮肉ですね。人々の心を救うはずのキリスト教が人々を抑圧する道具となったことと重なります。
1520年にルネサンスの巨匠のラファエロ(ラファエロ・サンツィオ・ダ・ウルビーノ、Raffaello Sanzio da Urbino)が37歳で早世します。ローマの衰退が始まっていました。1527年に「ローマ劫略(Sacco di Roma、サッコ・ディ・ローマ)」が起こります。神聖ローマ帝国のカール5世の率いるドイツ軍がローマに侵略し、略奪と破壊の限りを尽くすのです。この頃、イタリアを巡って、ハプスブルク家(神聖ローマ帝国・スペイン)とヴァロワ家(フランス)が抗争を繰り広げていました。
反宗教改革が始まっていました。カトリック「派」は、活動の場をヨーロッパの外に見出します。日本に1549年、イエズス会(1534年、騎士であったイグナチオ・デ・ロヨラらが創設)のフランシスコ・ザビエル(Francisco de Xavier)が布教にやって来たのもその脈落で理解されます。1542年、教皇パウルス3世によってローマに「異端審問所」が設けられます。ドミニコ会の修道士で哲学者で、コペルニクスの地動説を擁護したことで有名な「ジョルダーノ・ブルーノ(Giordano Bruno)」は、1600年2月17日、ローマ市内のカンポ・デイ・フィオーリ広場(Piazza Campo dei Fiori、「花の野」の意)に引き出されて、火あぶりの刑に処されます。それは、まさに410年前のきょうでした。
ローマは活気を取り戻します。破壊されていた宗教施設は建て直されていきます。偶像崇拝とプロテスタント「派」が非難するテーマを持った絵画や彫刻が数多く制作されます。権力も富もあった教皇や枢機卿といったパトロン(芸術家の庇護者)が芸術家を育てていきます。「聖マタイの召命」(サン・ルイージ・デイ・フランチェージ聖堂)、「聖ペテロの逆さ磔」(サンタ・マリア・デル・ポポロ教会)などの作品を残したカラヴァッジオのパトロンであった「フランチェスコ・マリア・ボルボーネ・デル・モンテ(Francesco Maria Borbone Del Monte、1549年~1627年)」は、ローマ・カトリック教会の枢機卿でした。
「カラヴァッジョ:先進の画家 ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(Michelangelo Merisi da Caravaggio pictor praestantissimus)」(1987)などの著作のある、美術史家「マウリツィオ・マリーニ(Maurizio Marini)」らが監修し、上質の美術映画に仕上がった「カラヴァッジョ 天才画家の光と影」を妻と一緒に「銀座テアトルシネマ 」に見に行ってきました。
礁溪の「山泉大飯店(Sun Spring Resort)」の副総理で支配人のジェシーさんに「國立傳統藝術中心はとても面白いですよ」と勧められ、前回の台湾旅行(2008年10月)では行こうとしてみたのですが、時間切れで行くことができませんでした。今回の台湾旅行ではジェシーさんのオフのときにその案内でようやく見学することができました。Thank you very much for your kindness, Jessie. We had a very good time in Jiaosi, Yilan and Luodon.
ペラミビルは、2009年10月23日にアメリカにおいて「緊急使用許可、Emergency Use Authorization、EUA)」という処置が行われ、緊急使用が必要な新型インフルエンザ感染の疑われる入院患者で、点滴静注が適切であると考えられる場合に限定して投与されていました。ペラミビル(製品名:RAPIACTA for Intravenous Drip Infusion、ラピアクタ)は、新型インフルエンザに感染して重症化した山口県の患者にも投与されたのですが、間に合わなかったのかその効果を発揮しなかったようです。
「山泉大飯店」での2日めにジェシーさんが「宜蘭(イーラン、Yilan、ぎらん)」に美味しいお店があるので案内してあげると言ってくれました。宜蘭駅から徒歩10分ほどのところにの宜蘭初の総合ショッピングモール「蘭城新月広場(LUNA PLAZA)」があります。その6階から11階はホテル(「蘭城晶英酒店(SILKS PLACE YILAN、シルクスブレイスイーラン)」)で、5階までは大型スーパーとデパートが入店しています。大型スーパーとは、「カルフール(Carrefour、家樂福)」です。