POWERFUL MOMが行く!
多忙な中でも,美味しい物を食べ歩き,料理を工夫し,旅行を楽しむ私の日常を綴ります。
 





 妻「あみ」と我が子「健人」を追って、フィレンツェにやって来ました。成田空港を14時40分発のKLMのKL862便(機材はボーイング747‐400)に乗って、11時間45分後、時差-8時間で18時25分にアムステルダムのスキポール空港に到着です。時差を無視するならば、なんと3時間45分後です。ヨーロッパは近いですね。それは違うか!


 
 KLMのサイトでインターネットチェックインをしておきました。先行した妻たちの手続きでは「ボーディングパス」までプリントアウトできたのですが、私の場合は出来ませんでした。成田空港の「バゲージ・ドロップオフ・ポイント」でもアムステルダムまでのボーディングパスしか発券されず、「アムステルダムからフィレンツェまでのボーディングパスはスキポールで手続きをして下さい。」とのこと。なぜなのでしょう? 乗り継ぎ(transfer)の手続きをT-6というカウンターで済ませ(このTはtransferのTなのでしょうね)、ようやくアムステルダムからフィレンツェまでのメリディアーナ航空のKL3136便のボーディングパスを手に入れ、ゲートCへ。

 妻には「空港は広いから迷子にならないでよ。」と言われていましたが、乗り継ぎまで1時間15分もあります。余裕で移動していたのですが、たしかに広い。ゲートCはEU内の発着便に使われていますから、ゲートCにアクセスするにはEUへの入国手続きが必要になります。妻には「入国手続きは抗議したくなるほど厳格でボディ・チェックまでされるわよ。」と警告されていましたが、すんなりと通過。たしかに、ブーツを脱がされ、ボディ・チェックを受けている女性を見かけました。なぜなのでしょう。女性が警戒されているような雰囲気でした。イスラムの過激派が女性を使って、テロを計画しているという情報があるのでしょうか。



 スキポール空港は広いので、柱などに自分の位置が確認できるように案内が表示されています。それを見て、移動です。メリディアーナ航空(Meridiana)のフィレンツェ便はC-9から出発するようです。ここまで書いたところ、私がブログの原稿を書いているのを横から覗き込みながら読んでいた健人が尋ねてきました。
「メリディアーナってコードシェア便?」
「知らない。コードシェアであるかないかはたいしたことではないよ。」
 
 そこに妻が話に加わってきて、
「あら、コードシェア便でないとマイルが貰えないのよ。」
「へえ、そうなんだ。」
「私たちがローマに入ったときの飛行機はKLMだったからフライト・マイルが付いたはずよ。」



 健人が意見を述べて、
「調べようよ。」
「お父さんは興味がないから、パソコンを代わるから自分で調べなよ。」
というわけで、健人が調べた結果では、メリディアーナのマイレージサービスは「Hi-Fly」。しかし、e-チケットに乗っている便名はメリディアーナのIG3136便ではなく、KL3136便。付くのではないかという結論でした。

 今回のイタリア旅行は航空券を購入したので別として、私たちの毎年恒例の旅行は、マイレージを貯めて獲得した無料航空券で行っています。旅行好きの妻にとって、マイルが付くかどうかは重大事なのです。話はあらぬ方向に逸れてしまいました。元に戻します。




 C-9の近くにやって来たところ、パソコンが数台置いてあるコーナーがあり、有料ですがインターネットができるようです。クレジットカードを通すことで、例えば15分間3ユーロで利用することができます。ちょっと興味があったのですが、日本語のフォントが入っていなければ、する意味がないので諦めました。いずれ機会があれば、利用してみたいとは思っています。



 アムステルダムからフィレンツェまでは時差なしの1時間50分。寝ている間に着いてしまいました。“TAXI⇒”という表示にしたがって、スーツケースを引いていくと、空港ビルの右手の側面にタクシー乗り場。タクシーが数多く客待ちをしています。しかし、タクシーの運転手はたむろしてはいたのですが、話に夢中らしく、直ぐには声をかけてはきません。客の獲得にあくせくとはしていません。地方空港はこんなものなのでしょうか。自分から運転手に話しかけようとしたところ、ようやく1人の運転手がにっこりと話しかけてきました。「ヴォーレイ アンダーレ ディ クウィ」と覚え立てのイタリア語を話しながら、滞在ホテルの住所を見せます。「スィ」という返事で乗り込みます。タクシーのメータには定額料金の20.00ユーロと荷物代の1.00ユーロと表示されます。

 タクシーは直ぐに直線道路に入るとすいすいと走ります。カーナビにホテル名が入力されたようです。市内に入って、サンタ・マリア・ノヴェッラ駅を過ぎた頃から、タクシーの運転手はその指示に従って、狭い一方通行の路地を右に左へと曲がって進みます。「共和国広場」を過ぎたまではわかったのですが、あとはどこの通りを通っているのかがわからないうちに、車は止まり、「ヴィア・ピエトラピアーナ ディチオット」と言いながら着いたよ、という仕草。

 車の前には「カクテルバー&レストラン プラッツ」という店が見えるだけ。怪訝そうにしている私の表情を読み取ったのでしょう。通りの名称の書いてある建物のプレートと「18」と番地表示されている別のプレートを指差します。たしかにバウチャーに書かれている住所に間違いありません。20ユーロを2枚渡すと、ディエチ・ユーロと10ユーロ札、チンクウェ・ユーロと5ユーロ札、クワットロ・ユーロと2ユーロ硬貨を2枚渡されました。



 正しく丁寧に渡された釣りを受け取り、次の心配です。目的のホテル、正しくはアパートメントを探さなければなりません。それは「パラッツィオ・デイ・チョンピ」。「18」との表示のある壁の脇のドアの開いている中を覗くとさらに中に鍵のかかったガラス張りのドアがあり、その奥で妻がこちらを見ています。その脇には健人の姿。あとで説明を聞くと、このアパートメント、夜9時頃を過ぎるとレセプションの人は帰宅してしまうそうで、外部から人が入ることはできないそうです(キーを持っていればそれで開けることはできる)。それを心配した2人が私の到着時間を予想して迎えに出ていたそうです。

 長い旅の末、ようやく妻と子に合流できました。ホッとしたのもつかの間、2人から今まであった出来事を集中的に報告され、旅の疲れ以上に私に疲労が襲ってきました。いやはや、、、

              (健人のパパ)

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 2月22日から香港→ハノイ→ホーチミン→カンボジア→バンコク→ヨルダン→エジプト→イスラエル→ヨルダン→バンコク→帰国と、大学のゼミのベトナム旅行に参加した後に中近東に行って3月24日に帰国したばかりの上の息子「優也」を今度は留守番に残し、ローマからフィレンツェに移動した妻「あみ」と下の息子「健人」を追って、いよいよフィレンツェに向かいます。小さなスーツケースを入れ子にしたために収納力が3分の2程度になったスーツケースに妻の要求する(1)米5合、(2)味噌大匙5杯以上(タッパーに詰めるだけ詰めました)、(3)カップヌードル5個、(4)ダシや醤油、(5)調味料、(6)梅干し、(7)粉せっけん、(8)オレンジの絞り器、、、を詰めて、その隙間に着替えを押し込み、、、私は運び屋か! スーツケースが大きく膨れています。重いなぁ~

 私が向かうフィレンツェの玄関「アメリゴ・ヴェスプッチ空港(ペレトーラ空港、Peretola Airport, Florence Airport、Aeroporto di Firenze、Amerigo Vespucci Airport)」へは日本からの直行便はなく、イタリアのローマまたはミラノで国内線に乗り継ぐ必要があります。しかし、私はオランダのアムステルダム、スキポール空港でイタリアの航空会社「メリディアナ(Meridiana)」に乗り換えて、1時間50分でフィレンツェです。日本からは乗り継ぎ時間を含めて、14時間50分です。長いなぁ~

 空港から市内へ入るには、タクシーという手段とシャトルバスという手段があります。到着ホール出口を出て、建物に沿って右手に歩いていくと、タクシー、シャトルバスの乗り場があります。シャトルバスの乗り場は、タクシー乗り場より、建物から少し離れているようです。Vola In Busと書かれた青色のバスの運賃は片道4.5ユーロで、切符は車内で購入できるそうです。この空港からフィレンツェの中心までは、バスで約30分、タクシーで約20分ほどです。空港からは近いなぁ~

 コストの面からはバスがいいのですが、空港への到着時間が予定では、21時30分。バスの出発時間まで1時間弱待たなければなりません。さらに、バスの到着するフィレンツェ中央駅(サンタ・マリア・ノベッラ駅)横のSITA社のバスターミナル(AUTOSTAZIONE SITA)から宿泊ホテルへの交通手段をどうするかの不安もあります。中央駅から宿泊ホテルまでは、ほぼ東に直線距離で1.6kmほどあります。タクシーが駅にいなければ、「へ」の字を描くように歩いていかなければなりません(ナツィオナーレ通りを北東方向に進み(5分ほど)、右折してグエルファ通りに入り、アルファーニ通り、ピラストリ通りと直進して15分ほど歩く。)。初めての街を深夜に大きなバッグを引いてうろうろとはしたくありません。夜は怖いなぁ~

空港発のバス時刻
 06:00 06:30 07:00 07:30 08:00 08:30 09:00 09:30 10:00 10:30 11:00 11:30 12:00 12:30 13:00 13:30 14:00 14:30
 15:00 15:30 16:00 16:30 17:00 17:30 18:00 18:30 19:00 19:30 20:00 20:30 21:30 21:30 22:30 22:30 23:30 23:30

 やはり、空港からホテルへのアクセスは、タクシーがいいのでしょう。タクシー料金は深夜料金となるので、23.30+荷物代1+追加料金2.70=27ユーロかかるようです。では、行ってまいります。イタリアは遠いなぁ~



              (この項 健人のパパ)

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(第1信)

 今日は、バチカン市国に行きました。規模の割には、2人とも感動する絵画がなく、健人は、サン・ルイージの力強いカラヴァッジョの絵を最初に見たので物足りないと言うのです。システィーナ礼拝堂の「最後の審判」は、暗く見にくいうえに、写真も撮れません。法王の権力の誇示のために、苦しい税や激務をさせられた当時の民衆の生活が思い浮かんでしまいました。

 今まで「食」は大きなハズレはありません。ただし、ジェラートの「ジョリッティ」はかなりはずれです。有名な割にはおいしくありません。甘すぎました。

(健人のパパの注) via Uffici del Vicario, 40 Romaにある“Giolitti(ジョリッティ)”は、コロンナ広場より西に徒歩3分ほど、パンテオン宮殿からは北に徒歩3分ほどのところにある「ジェラテリア(gelateria、ジェラート店)」の老舗で、ローマで最も古く(1900年創業)、最も有名なお店の一つです。ロンドン、パリ、アムステルダムなどのヨーロッパの都市で食べた(安価な)アイスクリームについて個人的な感想を言えば、たしかに甘すぎます。1つ食べ切る前に飽きてしまいます。甘さが控えめな日本のアイスクリームの味に慣れてしまっているせいでしょうか。これはバンコク、シンガポール、クアラルンプールなどのアジアの都市でも同じで、甘過ぎます。日本人の舌が世界標準ではないのです。(注の終わり)

 持って来て欲しいものは、
(1) レモンかオレンジの絞り器(オレンジが安くておいしいので、絞りたい)
(2) カップ麺(脂肪が多い食事ばかりになりがちです)
(3) お米を5合
(4) ダシに使う煮干の粉
(5) 梅干
(6) 味噌
 お父さんが合流するフィレンツェでは、自炊することにします。

(第2信)

 粉石鹸を持参して下さい。2人とも疲れていますが、元気です。ボルゲーゼに行きました。

(第3信)

 カラヴァッジョやラファエロなどは、現在東京の美術館などに貸し出しされている物もあり、健人は「残念だ」とくやしがっていました。館内は明るく、絵が見やすいように配置されていました。健人は、今カラヴァッジョに最大の関心があるそうで、とても喜んでいました。

 帰りは、園内を周遊している116番のバスに乗り、途中、同じ116番の待っていたバスに乗り換えたので、バルベリーニ駅に出ました。ここの周辺は、高級ホテルやブランドショップが軒を並べていて、ハイソな街のようです。

 ここで嫌な思いをしました。「イル・ヴィネート」という店で、「アペリティーボ」をやっているというので、料金を確認して入りました。「スプレムータ・アランチャ」は大人も子供も12ユーロです。そのオレンジジュースは絞りたてではありませんでした。オードブルも乾いていたので、交換するように言いました。「グリルします」と言うものの散々待っても来る様子はありません。

(健人のパパの注) バルベリーニ駅近く、via Vittorio Veneto,6に「エノテカ(enoteca、ワイン屋)」に分類される「イル・ヴィネート(Il Vineto)」はあります。イタリアではオレンジジュースのことを「スプレムータ・ディ・アランチャ」と言います。 「スプレムータ(spremuta、生ジュース)」という女性名詞は、「スプレーメレ(spremere)」という動詞(「(液体を)絞り出す」)から派生しており、レモンジュースは、「スプレムータ・ディ・リモーネ」といいます。(注の終わり)

 担当者のおじさんは1人は外でおしゃべり、1人は2階に行ったきり。そこで新しく来たボーイに「これは、オーダーしたものと違う。チケッティも待っても来ない。オーダーは、キャンセル。お支払いはしないからね」とお店を後にしました。

(健人のパパの注) 「アペリティーボ(aperitivo)」とは、イタリア語で「食前酒(フランス語のアペリティフ(Apéritif))」のことを指しますが、イタリアでは、ドリンクを1杯頼むと店のカウンターなどに並ぶ「「チケッティ(cichetti、おつまみ)」を自由に食べることのできるシステムも指します。(注の終わり)

 私のこのお店の印象は、英語もイタリア語も出来ないと日本人をばかにしているようにしか思えません。簡単な日本語を話せるので、長年日本人にぼったくりを繰り返して来た店だと思いました。

 このお店、「歩くローマ」に掲載されています。それにしてもフェアではない。ローマの有名レストランでぼったくりに遭ったという記事がありましたが、こんな時、「ノー」と言える日本人でありたいもの。料金の確認はやはり自己責任とも思えるのでしっかりしなければ!

(第4信)

 ローマのテルミニ駅の自動販売機でフィレンツェへの切符を購入する時に、危うくジプシー(※と思われる集団)に取り囲まれそうになりました。子連れの6~7人位のグループです。昨日も健人にジプシーの集団について言い聞かせておきました。私がクレジットカードで切符を購入しようとしたら、後ろで観察されていて、健人に「後ろにいるから逃げよう」と言われ、切符を購入するのを断念しました。

 フィレンツェでも同様にジプシーの集団がいるそうです。ズボンのポケット、ウエストポーチなどもよく狙われるそうです。最近は、きれいな恰好をしている女の子もいて気が付きにくいとツアー客を引率していた添乗員の人からも聞きました。(かわいい女の子に弱いお父さんは、財布をすられそうだから心配だというのは、健人の弁です。)今までで一番治安が悪い国だというのが私たちの感想です。バスや地下鉄などで人をみたら泥棒かスリと思い、注意をした方がいいくらいです。

 私たちは比較的安全なアジアでの旅行に慣れすぎていたようです。アジアでと違うのは、乗り物がいつも混雑していて車内で持ち物を狙われやすい。常に緊張を強いられるのでかなり疲れます。ホッとするのは、ホテルの部屋にいる時と教会で歌を聞く時くらいです。列車での移動は諦め、フィレンツェへはバスで移動するつもりです。くれぐれも気をつけて下さい。

 今回のイタリアは、「自分は大丈夫」と思わず、貴重品は腹巻のような物に入れてきた方がいいと思います。いつものように後ろポケットに財布を入れておくなんてもってのほかです。是非、成田で腰に巻く貴重品入れを購入して下さい。

 特にスキポールの空港は、検査が厳しく下から上まで同性の手でからだ全体を触られます。バックに財布を入れておいて盗られたら大変です。荷物だけ先に運ばれてしまうこともありました。検査官は、財布の中身を抜いてお金まで調べるという執拗さです。今までとは、検査の厳しさも格段に違います。抗議したくなるほどです。

 ローマの空港では、荷物が出て来るターミナルによって出口が違います。日本人なので勘違いされ、アリタリアのターミナルに連れて行かれ、再入場させられました。

 空港でのタクシーについて、万一乗るようなことがあれば、注意が必要です。かなり巧妙で白タクかどうか見分けがつきにくいです。私たちの場合は、T1に間違って出たときにタクシーがたくさん待っていることに気づきました。正しい出口のT3にはタクシーが一台もいなかったので、T1に戻る方法を取り、白タクに声をかけられても不安はありませんでした。

 ターミナルの違う出口に出ると元に戻ってしまって大変な大回りをするかも知れないので気をつけて下さい。健人はシステムがなってないと怒ってました。オランダのスキポール空港でトランジットの際にEUに入国したことになるので、イタリアでは入国カードの記入は必要ありません。

 美術館ではバッグなどの荷物を預ける必要があるので、カメラを抜き取られないように、ロックを用意してきた方が良いと思います。持ってきた小さなスーツケースは、もうぼろぼろなので、入れ子にして小さなスーツケースを持って来てくれたらうれしいです。大変な思いをしながら観光を続けていますが、すっかりイタリア人に溶け込んでいます。健人は、次回またローマにお父さんとも来たいそうです。しっかり2人で働いて近いうちに実現させましょう。今日もカラヴァッジョの絵を教会で見て感激していました。




 お父さんと感性が同じなのでしょう。カラヴァッジョの宗教画をとても気に入ってます。お父さんが合流するのを楽しみに待っています。

(健人のパパの注) 「サン・ルイージ・デイ・フランチェージ教会(La chiesa di San Luigi dei Francesi、The Church of St. Louis of the French)」にあるカラヴァッジオ(Caravaggio、カラヴァッジョ)の作品は、「聖マタイの召命(Vocazione di san Matteo、The Calling of St. Matthew)」、「聖マタイと天使(San Matteo e l'angelo、The Inspiration of St. Matthew)」、「 聖マタイの殉教(Martirio di San Matteo、The Martyrdom of St. Matthew)」です。

 教会内の「コンタレッリ礼拝堂」には聖マタイ連作画があります。そのひとつが「聖マタイと天使」。突然に出現した天使に、筆ペンを持ったマタイは驚愕しています。天使は福音書に書かれるべき事柄を指示しているのでしょうか。マタイ(San Matteo apostolo ed evangelista、Matthew the Evangelist)は、新約聖書の福音書に登場する人物で、イエスの十二使徒の1人でした。「マタイによる福音書」によればローマ帝国の徴税人でしたが、イエスの召命に応えて弟子の1人になったとされます。「マタイによる福音書」を記したと伝えられ、老衰により亡くなったとも、9月21日に殉教した(ローマ・カトリック教会、11月10日とするのは東方正教会)とも言われています。(注の終わり)

 ローマは道に迷ってもそこに世界遺産や教会があり、見たいと思っていたものが偶然に見られたりします。感動的な絵がたくさん見られます。没後400年のカラヴァッジョの絵に健人が嵌り、その意外な反応にびっくりしています。パンテオン、トレヴィの泉、スペイン広場など映画「ローマの休日」のシーンに登場する観光スポットはほとんど見て回りました。健人は、カメラで撮影するのが趣味なので、20日からすでに800枚くらい写真を撮っている気がします。

(第5信)

 健人は風邪、私は皮膚のアレルギーで病院に行くかもしれません。滞在ホテルにスペインの学生の滞在が相次ぎ、騒がしく、睡眠不足です。
(追記) 今イタリアではスペインの学生をよく見ますが、ほとんどがマナーがわるいです。
<例1>ホテルで深夜になったのにさわいでいて眠れない
<例2>美術館などで絵に近づきすぎたり、後ろに人がいるのに足を後ろに向けて動かしたり
などです。これではスペインはどうなってしまうのでしょうか

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 先日、大宮の「アルシェクリニック」に子宮癌・乳癌検診に行って来ました。私の友人は乳癌にかかったのに、末期癌の状態になるまで治療を受けず、一昨年亡くなってしまいました。会社の健康診断で乳癌の疑いを告げられたのに放置していたのです。積極的な生き方をしていた人なのに「新興宗教」に救いを求めていたようです。

 彼女は、ある青年に奇跡が起きて癌が治ったと書いてある新聞をいつも大切に持っていました。病床に見舞ったときに、故郷を一緒に訪ねるお手伝いをする約束をしたのですが、病状の進行が速く、実現しませんでした。悲しいことに宗教は病気を治してはくれなかったのです。

 人生を奪ってしまう「癌」と闘うには、「早期発見・早期治療」です。1人でも多くの人が、定期健診を受けて、早期発見で治療が開始できるように願っています。日常に追われて忙しい毎日ですが、「家族」のためにも「自分自身」のためにも、検診を続けていきたいと思います。

 検診では、「末益 公人」先生という乳腺の専門医とお話をして来ました。マンモと触診をしていただきましたが、マンモでは、5ミリ、エコーでは、2ミリの癌がわかるということです。ということは、来年の検診は、エコーにした方がよいのかもしれません。

 超音波検診(エコー)の利点は、若い女性の場合に発揮されるようです。それは、乳腺が白く映るため石灰化と判別がしにくい「マンモ」と異なり、乳腺の発達している若い女性でも石灰化と乳腺の区別がつき、しこりを発見できることです。エコーの欠点は、超早期発見により100%に近い乳癌治療が期待できる「マンモ」と比べて、超早期の石灰化が見つけにくいことにあるようです。

 マンモ(マンモグラフィー)は、乳癌を診断する方法の一つで、乳腺・乳房のレントゲン撮影です。乳房を挟みながら圧迫して、上下方向から1枚、左右方向から1枚、両方の乳房を撮影する場合は合計4枚撮影します。これが痛い。乳房を圧迫しながら薄く均等に広げることで、少ないレントゲンの量で乳房の中をより鮮明に見ることができるのだそうですが、痛いものは痛い。

 マンモグラフィでは、「読影医」が写真の中から乳癌のしこりを探します。しこりが見えなかったとしても、乳腺の歪みや小さな石灰化から乳癌が早期発見できることがあるそうです。黒白のレントゲン写真からこれらを発見する「読影」はかなり難しい特殊な技術であるようです。

 そこで、自己発見の方法についてお聞きしたところ、素人にはなかなか見つけにくいのだそうです。癌が大きくなればわかるそうですが、それでは手遅れになってしまいます。毎年、検診を受けることで、早期発見に繋がるというお話でした。マンモの撮影にかかる時間は5分程度なので、痛みに耐えるのも仕方ないと諦めて通い続けます。今年の乳癌検診の結果は、「シロ」。少なくとも、いまは乳癌になってはいません。

 少し前に乳房にしこりがある感じがして心配になったことがあり、夫にしこりを確認してもらったのですが、「小さなものはプロでも見逃すことがあるそうじゃないか。素人の私にしこりなのかどうかは判断できないね。これだけは専門家のお世話にならなくっちゃ。」と言われてしまいました。確かにそうです。

 私の場合、2人の息子を母乳で育てました。そこで、「母乳で育てた人は乳癌にかかりにくいと聞いたことがあるのですが、、、」とお尋ねしたところ、「乳腺が発達しているので、やはり注意をした方がいい」というお話でした。乳癌と関係はありませんが、乳児に母乳を与えなくする「断乳」の時に、無理に止めず、自然にまかせて断乳をした(「卒乳」)ということもお話をしたのですが、それが最近では子供の発育にとって良い方法だと考えらるようになっているそうです。

 日本において、乳癌に次いで罹患率の高い女性の癌は、「子宮頸癌」です。子宮頸癌は、子宮の入り口付近の「子宮頸部」に起る癌で、20歳~30歳代においては、最も高い発症率の癌のようです。「ヒトパピローマウイルス(HPV)」の感染によって起ることが多いようで、ウイルス感染症ですから、「ワクチン」の接種で予防することができます。

 「子宮頚癌」のワクチンができたということなので調べたところ、このページがみつかりましたので、紹介しておきます。ワクチンの接種にどの程度の費用がかかるのか、ある病院のHPで調べたところ、3回の接種で51,000円かかるようです、海外では、国の補助金が出ているところもあるようです。少子化がこれ以上進む前に、女性の健康面でのサポートを国にも検討していただきたいものです。

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 イタリア語“maniera”(マニエラ)は、「手法、様式」を意味します。それに由来する言葉に「マニエリスム (Manierismo、Mannerism) 」があります。ミケランジェロ(Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni、1475年~1564年)の壁画「最後の審判」(バチカン市国のシスティーナ礼拝堂、Cappella Sistina)に見られるような、曲がりくねり、引き伸ばされた人体表現を用いる絵画表現です。美術史の区分としては、盛期ルネサンス→マニエリスム→バロックという順になります。

 盛期ルネッサンスをミケランジェロに代表させると、16世紀中頃になり、マニエリスムをエル・グレコ(El Greco、1541年~1614年)に代表させると、17世紀初めに、バロックをベラスケス(Diego Rodríguez de Silva y Velázquez、1599年~1660年)に代表させると、17世紀中頃になります。絵画表現は連続的に変化するもので、同じ画家の作品でもマニエリスム的表現であったり、バロック的表現であったりします。



 エル・グレコ(El Greco、Dominikos Theotokopoulos、ドメニコス・テオトコプーロス、1541年~1614年)が描いた「聖衣剥奪(Expolio)」(画布に油彩、285cm×173cm、トレド大聖堂)は、磔刑にかけられるイエスからローマ兵士が衣類を剥ぎ取ろうとしている場面が描かれています。人体比率がデフォルメされており、頭の大きさがかなり小さく、人物の表情がやや大げさに描写されます。これがマニエリスムの大きな特徴であるといえます。しかし、場面はドラマティックに描かれます。



 大原美術館にあるエル・グレコの「受胎告知」に描かれる人物は、「わたせせいぞう」の描くイラストの中の人物のようです。カラヴァッジョが描く宗教画はドラマティックですが、デフォルメが小さくなり、写実的です。「マニエリズム(mannerism)」は「マンネリズム(mannerism)」の語源になったとも言われ、複雑な構図やデフォルメされた形態などはやがて共感を得られなくなっていきます。バロックという芸術表現は装飾過剰ですが、デフォルメは小さい。

 後世の美術史家によって「バロック」という表現形式の初期の画家の1人に分類されるカラヴァッジョは、宗教画において、動的で劇的な作品を多く描きます。人物は光豊かな自然の中に配置されることはなく、優秀な照明係によってライトがあてられた舞台上に配置されます。私たちはその舞台を見ている観客です。絵画の中の人物は動くはずもありませんが、彼らの心の動きを感じられるのがカラヴァッジョの作品です。絵画ではなく舞台を私たちは見ているのです。

 カラヴァッジョ(Michelangelo Merisi da Caravaggio、ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ、1571年9~1610年)は、その生き方でも演劇的でした。幼くして当時流行したペスト(黒死病)で父と祖父を亡くします。絵に才能のあったカラヴァッジョは、画家として生計を立てるためにミラノからローマへと出てきます。やがて、その実力が認められ絵画制作の注文が殺到するようになります。しかし、生来の無軌道ぶりで数々の事件を起こし、ローマから逃げ出します。



 カラヴァッジョより6歳年下の「マリオ・ミンニーティ(Mario Minniti、1577年~1640年)」は、シチリア出身の画家で、ローマ時代にカラヴァッジョを「カヴァリエール・ダルピーノ(Cavalier d'Arpino、Giuseppe Cesari、1568年~1640年)」の工房に紹介しています。カラヴァッジョとは親しい友人になり、時々カラヴァッジョ作品の中にモデルとしても登場するほどです。カラヴァッジョがローマで決闘で殺人を犯し、逃避行で各地を転々とした時に、シチリアでは彼を頼っています。いま上映中の「カラヴァッジョ 天才画家の光と影」にはこの経緯が描かれています。



 1608年、シチリア島のシラクサに逃れてきたカラヴァッジョは、マリオ・ミンニーティの紹介で、シラクサのサンタ・ルチア聖堂の祭壇画「サンタ・ルチアの埋葬(聖ルチアの埋葬、Seppellimento di santa Lucia)」の仕事を依頼されます。

 イタリア半島は長靴の形をしており、そのつま先の西に浮かぶシチリア島をまさに蹴ろうとしています。蹴られそうになっているシチリア島は地中海最大の島で、イタリア共和国の特別自治州、シチリア州(Regione Siciliana)の島です。その東岸部南寄りに、シラクーザ県 (Provincia di Siracusa) があり、県都はシラクーザ(Siracusa、シラクサ)です。カラヴァッジョの描く「サンタ・ルチアの埋葬」は、現在、サンタ・ルチア・アッラ・バディア教会(Chiesa di Santa Lucia alla Badia)の中央祭壇の上に飾られています。

 シラクサのルチアは、裕福でしたが信仰心の篤いキリスト教徒でした。母親の病気を神の力により奇跡的に治癒されたルチアは、感謝の証しとして、財産を貧しい人々に惜しみなく施し、イエスへの愛を実践しました。自分のものになるはずだった財産が激減したことに激怒した婚約者は、当局に彼女がキリスト教徒であることを告げてしまいます。裁判にかけられても、ルチアは頑として改宗を拒否しました。数々の拷問を受けますが、それでも改宗することはなく、最後には短剣で喉を貫かれて殉教したと言われます。

 カラヴァッジョの描くルチアは、中央に横たわります。喉には切り傷があります。司祭が見下ろしています。埋葬するのでしょうか、手前には墓掘り人夫たちが描かれます。これを描くことで動きが生まれます。カタコンベとみられる石窟を背景に埋葬は行われようとしています。




 マリオ・ミンニーティも「聖女ルチア」を描きます。ルチアの喉に剣が振り下ろされようとしています。カラヴァッジョ風の明暗を強調した表現です。しかし、いま一つ写実性にかけるような気がします。

 守護聖人(patron saint、patrono)は、キリスト教(カトリック教会)でよく見られる信仰の一つで、特定の国や地域、特定の職業などをそれにゆかりのある聖人が守っていてくれるとする信仰です。シラクサの守護聖人は「聖ルチア」になります。「聖ルチア」は、ナポリの船乗りたちの守護聖人でもあり、拷問で両目をえぐり出されても物を見ることができたとされることから、視覚障害者の守護聖人でもあります。絵画や像では、聖ルチアはしばしば皿の上に自分の眼球を載せた姿で描かれます。

 12月13日に行われる聖ルチア祭 (Sancta Lucia)は、キリスト教の聖人「ルチア」を祝う行事ですが、スウェーデンでその日に食べられるサフラン入りのロールパン「ルッセカット(Lussekatt、12月初日より大空の旅を始める女神フレイヤ(Lusseとも呼ばれる)が乗る車を引く猫(Katt)に由来しているらしい)」は2つ並んだ眼球のようにも見えます。



(参考) アヤメ科の多年草にクロッカス(花サフラン、春咲き品種)やサフラン(薬用サフラン、秋咲き品種)があります。柱頭が3つに分かれて長く突出した雌蕊(めしべ)を乾燥させたものが、薬(蕃紅花、西紅花)や染料となります。このサフランを色付けに用いたパンに「ルッセカット(Lussekatt、Lussekatter、Leissi Katter、saffron bun)」があります。

 ルッセカットは、毎年12月13日にスウェーデンでおこなわれる「聖ルチア祭(feast of St. Lucy、feast of St. Lucia、Saint Lucy's Day、Saint Lucia's Day、Lucias festdag(スウェーデン語))」の食べものの一つです。ルッセカット(Lussekatt)は、スウェーデン語で「ルチアさんのねこ(katt)」という響きがあり(“Lussekatter” meaning “Lucia cats” in Swedish)、S字状をしているパンの丸まった部分が猫の尻尾のように見えるという意見もあれば、パンにのせられた2つの干しブドウやアカスグリの実が猫の目に見えるなどの意見もあります(shape of cat with currant eyes)。

 聖ルチア祭(聖女ルシアの祭り)はスウェーデンでは、「光の女王」に選ばれた美しい少女が光の王冠を付けて白い服を着て先頭に立ち、それに他の少女たちが従って行進をする、ということが行われます。ルシア(ルチア)という語は、ラテン語の光を意味する“lux”(ルクス)に由来するのだそうです(Ordet‘lucia' kommer från latinets lux, vilket betyder ljus.)。(参考の終わり)

             (この項 健人のパパ)

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