POWERFUL MOMが行く!
多忙な中でも,美味しい物を食べ歩き,料理を工夫し,旅行を楽しむ私の日常を綴ります。
 





 サイゴン(ホーチミン市)での宿泊ホテル「ボンセン・ホテル・アネックス」からサイゴン川へは歩いてすぐなので、サイゴン川のナイト・クルーズに参加しました。昼のサイゴン川は、実は2005年のときも今回も見たことがないのですが(夫は朝の散歩のときに見に行ったようです。)、ナイト・クルーズ(ディナー・クルーズ)は2度目です。前回は、そのとき勤めていた会社の上司とでした。今回は夫と子供とで、随分と気持ちが楽でした。

(参考) 「サイゴン川のディナークルーズ



 夜の6時20分頃、「ホテル・マジェスティック」近くの船着場に着くと、電飾で煌々としたレストラン船が数隻係留されています。その中で一際大きいのが、ベンゲー号で、お魚の形をしています。乗船券がいるわけではないので、自由に乗り込みます。乗船料は取られるのですが、食事料金に加算されます。



 最初「一路發号」に足を向けたのですが、客の入りが少なく、女性の呼び込みが立っていました。経験的に、客の多い「レストラン」は美味しい。これは「レストラン船」にも言えるでしょう。で、呼び込みがいなくても客足のあるベンゲー号にしました。



 ベンゲー号の最上階です。テーブルがずらっと並んでいます。川に面したテーブルから埋まっていきます。



 出航してしばらくすると、楽器演奏が始まりました。日本の曲も多く演奏されました。日本人客が多く乗るのでしょう。確かに日本人のツアー客がガイドらしき人に先導されてテーブルについていました。



 食事は何をとるか迷ったのですが、鍋物にすれば温かいものが必ず食べられるということでご覧のものを注文しました。



 リバー・クルーズなのですが、特に面白いものが見られるわけではありません。シンガポールや香港のナイト・クルーズとは大いに異なります。川沿いに殆ど何もないのです。遠くにホテルなどの明かりが見える程度。食事を楽しむことしかないようです。でも、船に乗りながらのオープンエアでの食事で、まあ満足かな。

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 サイゴン(ホーチミン市)の宿泊ホテルは、ハイバーチュン通りに面しているボンセン・ホテル・アネックス(このサイトはBGMが入るので、アクティブXの実行が要求されます)です。サイゴン川に近く、サイゴン川ナイト・クルーズに参加するにも歩いて行けます。私たちが参加したのは「ベンゲー号」ナイト・クルーズでしたが、早めに着いたので、川に面したテーブルでした。遅く来ると中央のテーブルになってしまいます。日本人のツアー客が現れたときは出航間際でしたので、中央のテーブルでした。



(参考) サイゴン川のディナー・クルーズ

 この周辺には、ホテルがたくさんあります。例えば、「ホテル・マジェスティック」(歴史のある有名なホテルです。1925年開業)、「シェラトン・サイゴン・ホテル・アンド・タワーズ」(最近開業した新しいホテルです。2003年開業)、「ルネッサンス・リバーサイド・ホテル・サイゴン」(2000年開業)などがあります。格落ちしますが、「ボンセン・ホテル・サイゴン」(このサイトはBGMが入るので、アクティブXの実行が要求されます)、「ボンセン・ホテル・アネックス」、「バクダン・ホテル」などもあります。



 ドンユー通りに面した「シェラトン・サイゴン・ホテル・アンド・タワーズ」の前には、タクシーがほとんどいつも停まっていますので、移動で必要なときは、ボンセン・ホテル・アネックスから歩いて向かいました。走っているタクシーを拾うより楽です。



 「シェラトン・サイゴン・ホテル・アンド・タワーズ」のすぐの脇に、「ボンセン・ホテル」がドンコイ通りに面してあります。



 「ホテル・マジェスティック」のサイゴン川に面した部屋に泊まってみたいとは思うのですが、宿泊費が高いのと「トンドゥックタン通り」がトレーラー・トラックが多く通る煩瑣な通りなので排気ガスや騒音を心配して、躊躇しています。このホテルがサイゴン川ナイト・クルーズには、一番便利でしょうね。船の乗り場が目の前です。



(info) 旅webでの「ホテル・マジェスティック」(HOTEL MAJESTIC)の情報

(info) HotelClubでの「シェラトン・サイゴン・ホテル&タワーズ」(SHERATON SAIGON HOTEL AND TOWERS)の情報

(info) AppleWorldでの「ルネッサンス・リバーサイド・ホテル・サイゴン」(RENAISSANCE RIVERSIDE HOTEL SAIGON)の情報

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 サイゴン(ホーチミン市)の宿泊ホテルは、ボンセンホテルアネックス(このサイトはBGMが入るので、アクティブXの実行が要求されます)です。ハイバーチュン通りに面していて「ドンコイ通り」や「グエンフエ通り」は徒歩圏です。隣にはベーカリー「パタシュー(Pat'a Chou)」が、さらにその隣には麺の店「フォー24」があり、軽い食事には便利です。
 
(info) AppleWorldでの「ボンセンホテルアネックス」(BONG SEN HOTEL ANNEX)の情報。



 しかし、ベトナムのミニホテルは間口が狭く奥行きが深い土地に建っていますから、部屋を広くとることは難しいようです。広くとろうとすると部屋も間口が狭く奥行きを深くせざるを得ません。このホテルの私たちが泊まった部屋(908号室)も狭かった。ベッドが2つくっついて並んでいるので、一つのベッドのように使えたのが多少の救いでした。川の字になって寝たのですが、間で寝ていた我が子健人の寝相が悪く、もう少しお金を出して広いベッド・広い部屋にすべきだったのかなとそのときは思いました。
 


 バスタブです。浴室自体が狭いので、部屋のベッド同様、壁に背をつけても全景が撮れないと夫が呟いていました。



 洗面台です。



 8階に昼食会場があり、エレベーターを利用しなくても部屋(9階)から階段で行けました。



 宿泊客が同時に押し寄せたら、多分全員は椅子に座れないでしょうね。もちろん、私たちが宿泊していた3日間でそんなことは起こりませんでしたけれどね。いつも3~4組程度、ゆっくりと食事ができました。



 夫はサラダがあるので、この少ない品数でも文句は言いません。いいわね~ それで満足できるのだから、、、



 「粥」は、殆どのホテルで出てきます。ベトナム人に粥を食べる習慣があるのでしょうか、日本人客や中国人客のためでしょうか。「白粥」でした。



 パンはホテルの朝食で必須ですが、ベトナムはフランス文化の影響を受けていますからパンのクオリティが高い。ここのパンもそこそこのもの。



 メインの肉や野菜の料理は4品で貧弱なもの。まあ、そんなに高い宿泊料(1泊5,300円ほど、2007年12月)を払ってはいないので期待するのはいけないのでしょうね。



 でも、朝食で品数は期待できませんが、オムレツや目玉焼きはカウンターで注文すると作ってもらえます。また、連泊の宿泊客が飽きないように、炒め物や麺類、スープは日替わりで、努力が伺われました。立地とコストパフォーマンスを考えるとお奨めできるホテルです。

(info) 旅webでのボン セン アネックス(BONG SEN HOTEL ANNEX)の情報。

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 ベトナムの食文化の中心に「めん」があります。日本に「うどん」、「そば」、「ラーメン」などがあるように、ベトナムには「フォー()」、「ブン()」、「ミー()」、「ミエン()」などがあります。しかし、そこには大きな違いがあります。日本の「めん」は、「小麦」で作るのが主なのに対して、ベトナムの「めん」は、「米」で作るのが主です。

 観光客に人気があるのは、「フォー」です。「うどん」のような食べ物です。丼に米で作っためんを入れ、牛や鶏や豚で取ったスープを注ぎます。このスープは魚醤(ヌック・マム)や香辛料が加えられて味を整えてあります。皿に盛った香菜、もやし、ライム、調味料などと一緒に出されます。丼に香菜を入れ、唐辛子の輪切りしたものを少し浮かべ、唐辛子味噌を好みに応じて溶かし込み、ライムを搾ります。一連の行事と言えるでしょう。そして、レンゲの上に香菜を敷き、めんを載せ、もやしを添えて口に運びます。

 丼を持ち上げることはやめましょう。多くの国で器を持ち上げて食べることはテーブル・マナーに反するとされています。韓国でも中国でもそしてベトナムでも。ヨーロッパでスープ皿を持ち上げて飲むようなものです。レンゲを活用しましょう。日本で、ラーメンのめんをレンゲにのせて食べるのは、ちょっと変な気もしますが(特に男性がすると、例えば、「王理恵」さんに気をつかって「本田昌毅」医師が音も立てずに食べると)、「郷に入っては、郷に従え。」ですね。

 で、行って来ました、フォーの店「フォー24」に。ベトナムで最初に訪れたのはサイゴン(ホーチミン市)です。そこでの宿泊ホテルは「ボン・セン・アネックス」。その2軒隣に(1軒隣は「パタシュー」というパン屋)ありました。なんとも便利なロケーション。



 「フォー24」のフォーは、洗練されたお味です。2005年のベトナム縦断旅行ではフォーを食べ歩きましたが、それを思い出すとこんな評価ができます。強烈な個性はありませんが、おいしいです。スープがバランスよく味付けされていています。この味付けに不満を抱く人もいそうですが、まずいとは言わないでしょう。



 まず、フォーの基本「フォー・ガー」をとってみました。「ガー」は、鶏がらでスープを取り、鶏肉を入れたもの。さっぱりした味を好む夫の希望です。野菜もたっぷり盛ってあります。
 


 私は、「フォー・ボー」のちょっと変り種。「ボー」は、牛骨でスープをとり、牛肉を半生か中茹でで入れたもの。これはそれにモツを加えてあります。
 


 最後に「パパイヤ・シェイク」、「ココナツ・ジュース」、「チェー」をとって、ご馳走さま。
 


 「ボンセンアネックスホテル」は、なんとも美味しい通りにあります。お隣の「パタシュー(Pat'a Chou)」でも、お昼ご飯として「パイ」と「サンドイッチ(バッゲットに具を挟んだもの)」 を持ち帰りでいただきました。



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 こんな話を日本人女性店員から聞きました。サイゴン(ホーチミン市)のベトナム雑貨を扱うお店に入ったときです。

「最近、日本人のお客さん、めっきり減って、困っているんです。いつまで勤めていられるか、、、」
「そういえば、歩いている日本人見かけないわね。日本語が聞こえてこないもの。」

 この店の日本人客が少なくなっているのでも、ベトナム雑貨を買い求める日本人客が減っているのでもなさそうです。私は2005年にもベトナムに来ているのですが、そのときに比べて街中やホテルなどで日本人を見かけることが少なかった。ベトナムを訪れる日本人観光客自体が減り始めているのだと思います。それを反映して、日本人に人気のあったサイゴンの旅行社「シンカフェ」からは日本人スタッフがいなくなったようだし、日本語のリーフレットもいまでは置いてありません。「シンカフェ」のサイトも“Japanese”をクリックしても“Under Construction”で表示されません。



夫「いや、ワイシャツを着た日本人はよく見かけたよ。」
私「ビジネスで来ているんじゃない。」
夫「そんな感じだね。」

 夫がダラットのホテルのブッフェ会場となったレストランで朝食をとっていて、中国系アメリカ人の女性に話しかけられたときの会話です。



女性「ビジネスですか。」
夫「いや、休暇です。」
「韓国の方ですか。」
「いや、日本です。」
「日本は、ベトナムへの投資額で2番目ですよ。」
「へえ、そうなんですか。1番目は、どこの国です?」
「うーん。台湾でしょう。」

 真偽のほどはわかりませんが、少なくとも日本はベトナムに多額の投資をしていると見られていることは確かなようです。それで、ビジネスマンらしき日本人を夫は多く見かけたのでしょうね。

 体内時計が日本時間のままで、迷惑にもとても早起きをしてガサゴソ動き廻り、朝早く散歩に出かけていた夫だからこそ出向(?)、出張(?)のサラリーマンに出会えたのかも知れません。ベトナムと日本との時差は2時間。夫がいつも起きる6時半は、ベトナムでは4時半。まだ夜が明けていません。それに夫が寝る9時から10時はベトナムでは7時から8時でまだ宵の口。それなのに「眠い。ホテルに帰りたい。」子供の健人の方が元気(私に似て夜型)。これでいくと、日本に帰り着くくらいに体内時計がベトナム時間になって、朝起きられなくなるかもね。やれやれ。

 話を元に戻します。ベトナムに来る前に、ベトナムに関する本を図書館から借りて片端から読んだのですが、その出版年は2000~2005年のものが圧倒的に多く、この頃にベトナムのブームがあったように思います。私が行った2005年は、そのブーム終焉の年だったのでしょうか。

 時流に乗らない私は、ブームが去ってもまたベトナムに行くぞ! その前に夫を説得しなければ、、、

 ベトナムは、バンコクと違ってまだ物価が安いわよ。本格的な成長期に入る前のいまがチャンスよ。

(日本人出国統計-ツーリズム・マーケティング研究所が「ベトナム政府観光局 居住地基準・入国者数推計値」から作成したもの)



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 ハノイ滞在2日め、午前10時10分前、レセプションからの早口の電話。どうもドライバーが来て待っているらしい。きょうはハイヤーをチャーターして、観光スポットを巡る予定です。

 階下に下りていくと、サングラスをかけた50歳代の男性がいます。レセプションの女性の話では、英語が話せないドライバーなのだそうです。つまり、ベトナム語しか話せない。

女性(心配そうに)「どうしましょう。」
私「大丈夫ですよ。行ってもらう所のリストを書いておきました。」

 夫に昨夜作ってもらった、ベトナム語で書いた行き先リストを女性に渡します。その中に、ベトナム語のわからない大型スーパー“METRO”と大型デパート“BIG C”が入っていました。

夫(女性に)「この2つをベトナム語で説明してあげて下さい。」
女性「これでわかりますよ。」(一応、ドライバーには説明する。)

 ガイド本の中には、地図にベトナム語を併記していないものがあります。指差して、その所在場所を示したいのですが、日本語のみの表記では役に立ちません。それにベトナム人は地図の読み方がことによると下手。ベトナム語を併記してもらいたいものです。

 説明が済むとさっそくスタート。まずは、チュア・チャン・クオック(鎮国寺)です。西湖(Hồ Tây)のほとりに湖に突き出してあります。



ドライバー(指差して)“Chùa Trấn Quốc
夫(頷いて)「チュア・チャン・クウォック」

 ドライバーは、寺に渡る橋の手前に車を停めて、私たちを待っていてくれます。鎮国寺は、べトナム最古の寺と言われ、西暦500年代に建てられたもので、紅河(Sông Hồng)から、この西湖の小島に移築されています。そして、民俗学博物館。ベトナムの少数民族のことがよくわかります。



 次は“METRO”という大型スーパーマーケットです。ハノイ西部の新興住宅地域、カウザイ区(Cầu Giấy)にあるスーパーで、市中心部から車で30分ほどかかります。スーパーは、その地域の人たちがどのような日常生活を送っているかが、食生活から覗くことができて面白い。



 入口のドアを入るとゲートがあって、“METRO CARD”がないと入れないと言われました。会員制なのでしょうか。「そのカードは、どうすれば入手できるの?」「パスポートはないですか。」「持ってきていないの。」「なら、このカードに住所と名前を書いて下さい。」というわけで入れました。

 なんとも面倒なこと。実は、その前に手荷物は預けなければなりません。預けてロッカーの鍵を受け取り、ゲートをくぐり、棚をいろいろと見て廻ります。大型の液晶テレビが陳列してあります。0が多くて一体いくらなのかわかりません。70円が10,000ドンの国です。夫に尋ねると、「8万円くらいかな。」日本でのそのサイズの値段がわからないので、高いのか安いのかわかりません。「テレビ離れ」が進んでいる我が家では、テレビを買い換えようという話はないのです。だから、詳しくありません。地上波のアナログ放送が終了すれば、テレビは止めようとさえ言っています。家族全員、ネット族?

 スーパーの中はごった返しています。歩くのもままならないほど。カートがあちこちで渋滞を引き起こしています。これから推測するに安いのかも知れません。レジには長蛇の列。レジは10台ほどあるのですがそれでも長蛇の列。べトナム・コーヒーを1度カートの中に入れたのですが、この長い列を見て挫折。買わずに出ることにしました。すると、出口にまたまた長蛇の列。係員2人がレシートと品物を一つ一つチェックして人を通しているのです。何これ、ここまで人を信用しないの。ここべトナムは、共産主義の国であることを思い出しました。なんという非効率! 手に何も持っていないことをアピールして、列を無視して外に出ました。私はそんなに暇じゃないのよ、観光で。



 次は、カウザイ区にある大型デパート“BIG C”。ここもIDカードのようなものを要求されるのかと思ったのですが、日本にあるような普通のデパートでした。地方にあるようなデパートです。ショッピング・モールのようなレイアウトです。1階にはブランド・ショップ、2階にもショップが多数。



 ぶらぶら歩くうちに、こぎれいなタイ料理のレストランがありました。「お昼にしようか。」ということで入りました。お値段は、かなり高め。富裕層向けのメニューでしょうか。でも、料理は美味しかった。レストランはかなり混んでいました。あちこちからベトナム語の会話が聞こえましたから、ベトナムの富裕層が来ているのでしょうか。共産主義の国に富裕層、共産主義とは何なのでしょうね。

 べトナム・コーヒーと蓮の実を油で揚げたものを購入し、次に向かいます。次は、文廟(Văn Miếu)。夫にリスト作りを頼んだので、こっそりと入れられていました。文廟(孔子廟とも)は、孔子を祭るために建立されたもので、この境内にべトナム最初の大学が開設されたのだそうです。夫は入場料を5,000ドン払い、健人と一緒に亀の上に乗った石碑を見に行きました。石碑には科挙の合格者の名前が刻まれているのだそうです。私は入口の石に腰掛けて次に何を食べようかと研究。タイ料理よりべトナム料理を食べたいのでね。



 次に向かったのは、統一公園。ここも入場料を払って、入場。ただ、うろうろして公園の中にある大きな湖を見てきました。ここも夫の仕業。

 つぎ、ハノイ大教会。そして、西湖府。ここで、タニシ料理を食べてみたかったのですが、「いまは要らない。」という2人の意見で食べ損ねました。ね、べトナム料理を食べることに少し協力して。

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 「株式会社メディアポルタ」発行の「歩くシリーズ」の1冊「歩くバンコク」という旅行ガイドに次のような記述があります。

 「会おうと思って会える詐欺師は世界でも珍しいはず。王宮前広場周辺をガイドブックを手に歩いていて、ニコヤカに話しかけてくるタイ人がいたらご注意を。観光案内にかこつけてクズ宝石店・ダメテーラー・インチキ観光船に誘おうとします。」

 ベトナムからのバンコク再入国3日め。きょうは「チャイナ・タウン」見学です。前日にチャイナタウンに来る予定だったのですが、バイヨーク・スカイ・ホテルの周辺で拾おうとしたタクシーにすべて乗車拒否をされ、行かれませんでした。時間は午後の4時30分頃。多分混雑する方向であり、混雑する時間帯だったのでしょう。タクシースタンドにいた人たちがかなりの数、乗車拒否をされていましたから、タクシー・ドライバーが混雑する地域に行くのを嫌がっていたのでしょう。殆どのドライバーとは話も交わさず、首を大きく振られましたが、少しは話に応じたドライバーとの会話。

夫「チャイナ・タウンに行きたいんだが、、、」
ドライバー「ん~。行くよ。200ドルだったらね。」
夫「200バーツで行くと言ってるよ。」
私「200バーツ?」
夫「200ドルと言うのは冗談だろ。確認するけど。」
私「200バーツだって高いわよ。ダメ、ダメ。ここからだと、60バーツくらいよ。メーター使わず、ボルつもりよ。」

 「ダメだね。誰も行きたがらないよ。メーターだと商売にならないんだろう。多分恐ろしく混むんだろうね。彼らも生活がかかっているからね。あす朝、混まない時間帯にしようよ。」という夫の言葉で、きょうになりました。

 高さ21mの大ブランコ台「サオ・チン・チャー」がある「ワット・スタット」にまず行きたいという夫の意見で、宿泊ホテルの近く「エンポリウム」の前でタクシーを拾い、向かいました。見終わったら、歩いてチャイナ・タウンに行く心積もりなんだそうです。午前の10時頃。この時間帯は、道路状況もよく、乗車拒否に遭うこともなく、100バーツほどで目的地に着きました。夫が通りを渡って、ワット・スタットの向かいから写真を撮っていると、誰かに話しかけられています。黒のポロシャツを着た人と通りを渡ってきます。



道を渡る前。
黒のポロシャツの男「きょうはワット・スタットには入れませんよ。入れるのは、タイ人だけです。」
夫「わかっています。国王のお姉さんが亡くなったんですよね。」
男「ええ、喪に服するために、みな黒い衣装を着ているんです。だから、外国人は入れません。」

道を渡って。
男「きょう、この寺院に入れるのはタイ人だけです。」
私「ええ、知っています。」
男「オンアーン運河からこちら側は、きょうは外国人は入れません。」
私「ええ。」
男「きょう、行くのなら、(夫の持っていた地図に下線を引きながら)こことこことここなら午前中無料で入れます。」
夫「いや、きょう行きたいのはチャイナ・タウンだから、、、」
男「チャイナ・タウンは、午前中は面白くないですよ。行くなら、夕方がいいよ。」
私「いえ、いいんですよ。見るだけだし、マーケットに行きたいだけだから。」
男「午前中はマーケットは開いてないよ。」
夫「そうなんですか。」
男「このあたりはトクトクで回るといいよ。あそこにトクトクが見えるよね。黄色のナンバープレートだよね。あれは政府の公認なんだよね。白いナンバープレートのやつには乗らない方がいいよ。公認されていないやつだからね。」
夫「黄色いのが政府公認で、白いのが違法なやつか、、、」
男「きょうなら、あのトクトクは1時間で20バーツだよ。1人20バーツ、2人で40バーツ。子供はただですよ。」

 黒のポロシャツの男は、やにわに手を挙げて、トクトク(トゥクトゥク)を呼びます。トクトク(トゥクトゥク)はこちらの様子を見ていたのでしょうか。すばやくやってきました。数秒の早業。

 慌てたのは夫。予想もしていなかった展開なのでしょう。「いいや、きょうは歩いて、チャイナ・タウンに行くんだから、トクトクはいらない。」「・・・」「とにかく、いらない。」 足早に、その場を後にします。振り返りもせず。

「知らなかったの。あれが有名な王宮周辺に出る詐欺師よ。偽ガイド! 旅行者を食い物にしているの。宝石店に連れて行かれて、ひどい宝石を売りつけられるそうよ。ガイド本、読んでなかった。」
「いや、読んでなかった。」
「お父さん、典型的な日本人の顔をしているから、カモだと思ったのね。」
「善良そうな顔つきはタイ人にもわかるのさ。」
「騙されやすい顔ってことね。何で連れてきたの。」
「勝手についてきたんだよ。親切なタイ人だと、途中まで思っていた。」
「葱しょったカモね。」
「いや、誘われても断ればいいのだから。」
「カメラを持っていれば、絶対旅行者だから、狙われるのよ。」
「でも、そんなことで写真も撮れないのじゃ困るんじゃないかな。断ればいいのさ。」
「そうだけどね。」

 健人はビビッていました。「お父さん、写真撮るのやめてよ。」「やめないよ。ぼくたちは観光客なんだよ。写真を撮らないでどうする。」「こわいよ。」「断れば、いいのさ。暴力を振るうことはないんだから、断ればいいのさ。曖昧な態度をとるから、つけ込まれるんだから、ノーとはっきり言えばいいんだよ。」「・・・」「いいかい。ノーとはっきり言うのさ。」

 しばらくして、夫の言葉。

 「いい経験をしたね。こういうことがあるから、旅は面白いんだよ。個人旅行の醍醐味かな。ツアーじゃ、ツア・コンに守られているからね、こういう経験はできないさ。」

 おいおい。子供が怯えているというのに、何でも喜ぶんだから。

(追記) 2015年5月22日配信のGlobal News Asiaの記事からです。

 2015年5月21日、タイ観光警察はバンコクの観光名所ワット・プラケオやワットポーなどで、きょうは閉まっているなどとウソを言って、他の宝石店やレストランなどに連れて行き、バックマージンを得ていた三輪タクシー運転手ら22人を逮捕したと発表した。
 カオサン通りや王宮広場近くから、エメラルド寺院(ワット・プラケオ)やワット・ポーなどに行こうとトゥクトゥクと呼ばれる三輪タクシーなどに乗り込むと「きょうはクローズだから、行っても入れない。代わりに良い場所知ってる」などと、言葉巧みにレストランや宝石店などに連れて行くという、詐欺まがいの行為は、かなり昔から有名だった。
 しかし、度々摘発されても数百から1000バーツ(約4000円)程度の罰金を支払って、また元の場所に戻るというイタチごっこが続いている。こうした行為は、おそらくすでに半世紀近くも、繰り返されているのではないだろうか。タクシーのメーター不使用やボッタクリなども同様だが、被害者の事後報告でも、免許取消しなどの厳罰となるような法整備をするか、こうした行為が無くなるまで、徹底した街頭での取り締りが必要だろう。
 今回、観光警察は22人をグループとして一斉摘発したようだが、これまでと同じように、罰金だけ徴収して放免という事であれば、明日からもまた同じ事が、同じ場所で繰り返されるだろう。


(追記の終わり)

2008年01月02日配信のAFPの記事からです。

 タイ王室は1月2日、プミポン・アドゥンヤデート(Bhumibol Adulyadej)国王の実姉であるガラヤニ・ワッタナー(Galyani Vadhana)王女が同日午前2時54分(日本時間午前4時54分)、腹部のがんのためバンコク(Bangkok)市内の病院で死去したと発表した。84歳だった。
 ガラヤニ王女は、昨年6月からバンコク市内のシリラート病院(Siriraj Hospital)に入院し治療を続けており、プミポン国王はほぼ毎日病院を訪れていた。国王は 100日間の服喪期間を宣言し、王族や王室関係者に対し、その間喪に服するよう求めた。




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 大阪大学教授であり、ベトナミスト・クラブ代表の冨田健次氏の著作「ベトナム語 はじめの一歩まえ」の記述によると、「ベトナムの精神的バックボーンは、儒教(nho giáo)・仏教(phật giáo)・道教(đạo giáo)の三教(tam giáo)であり」、「中国文化の影響を強く受けているベトナムですから、同じ文化圏に属する朝鮮・韓国や日本と共通点が多い」。

 しかし、「この三教以外に、19世紀から「天主教」つまりキリスト教(cơ đốc giáo)が加わることになります」。「フランスによる植民地化がもたらしたものですが、ベトナム人にとって、新たな心の拠りどころになりました」。「南部を中心に300~400万人の信者を擁しています」。(ベトナムの総人口は、約8,400万人(2006年統計)ですから、キリスト教信者の人口比率は4%前後になります。ベトナム国民の80%超が仏教徒であることから、少数派ではあります。しかし、1億2700万人(2006年)の人口のおよそ200万人がキリスト教信者の日本と較べれば、その比率は多い。)(ここまで、健人のパパの注)



 行ってきました。ハノイ滞在2日め、ハイヤーをチャーターして、1日8時間の自分で組む市内ツアーです。旅行社の方には、ガイドをつけるように再三アドバイスを受けたのですが、観光スポットの情報はガイド本で充分に得ているので、ドライバーのみにしました。コストは35ドル(参考までに、ガイド付きにすると70ドルになります)。その中に、ハノイ大教会(Nhà Thờ Lớn,nhà thờ St. Joseph)を加えていました。)

 キリスト教信者(カトリック)は、人口比では少ないのですが、「ミサ(聖書の朗読と説教、祈りに、聖体の典礼と会食が組み合わされている儀式)」を歩いて見に行ったとき(前日はハイヤーで、今度は宿泊ホテルの「ハノイ・パラダイス・ホテル」から徒歩で)は、信者が教会内に入りきれず、教会前の広場に溢れ、教会の壁に臨時に設置されたモニターの大画面に映し出される司祭(カトリックはこう呼びます。プロテスタントは「牧師」)の「説教」を聴き入っていました。



 このハノイ大教会の右脇の通りに、スケッチ・トラベルの「アオザイ・ツアー・デスク」があります。そこの日本語を話すベトナム人女性に尋ねてみました。

「美味しいベトナム料理を食べたいんだけど、お勧めのところあります?」
「そうですね。例えば、「クアン・アン・ゴーン(Quán Ăn Ngon)」がお勧めですね。」
「「クアン・アン・ゴーン」ですね。ここから歩いてどのくらいですか。」
「歩くと20分くらいかかりますよ。」
「どう行けばいいですか。」
「ここにネームカードがありますから、タクシーのドライバーに渡していただければ、行ってくれますよ。」

(健人のパパの注)クアン・アン・ゴーン(Quán Ăn Ngon)は、「美食の館」といった意味でしょうか。(注終わり)



 歩いて行きました、通りの名前と番地(18 Phan Bội Châu)を頼りに。ベトナムの住所はわかりやすい。看板などに通りの名前と番地が書かれています。それを追っていけば、迷うことはありません。使われている文字もアルファベットに近いもの。

 タイでは、あのタイ文字に大いに悩まされましたが、ここベトナムではそれがありません。タイもアルファベットを採用してくれれば(少なくとも表示のすべてにアルファベットを併記してくれれば)大いに助かるのですが、ひらがな・カタカナ・漢字という3種類の文字を持つ日本人ですから、わが身に置き換えれば、そんなこと絶対に言えません。この文字は大事にしたいものです。夫に、一度挫折したタイ文字をまた勉強してもらうしかありませんね。



 人気のあるお店なのでしょう。まだお昼にならないというのに混雑しています。夫は混雑を嫌うのですが(行列に並ぶのが気の短い夫には合わない)、「大衆は過たない」ので、混雑する店ほど美味しいのです。



 調理場が店の内壁に沿って並んでおり、調理の様子を眺めることができます。しかし、シンガポールの「ホーカー・センター」やマレーシアの「フード・コート」とは異なり、並んだ調理場にそれぞれ注文するのではなく、案内されたテーブルに座って、メニューを見て注文することになります。



 アオザイ・ツアー・デスクの女性の「お勧め」は確かに美味しかった。値段は屋台よりやや高めですが、味は好みです。この店はサイゴン(ホーチミン市)にもあり、行きたいと思っていたのですが果たせませんでした。場所は異なっていましたが望みが叶って、大満足。今後、ベトナムに来ることがあったら、また、必ず来るぞ~。いろいろ食べて味を盗まなきゃ。

 ね、お父さん。「もう、来ない。」なんて言わないで、また、きっと来ようよ。まだまだ、ベトナム、調べ足りないでしょ。見足りないでしょ。勉強したベトナム語、あまり通じなかったので、満足してないでしょ。今度来れば、通じるかもよ。

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 サイゴン(ホーチミン市)での宿泊ホテルは、「ボン・セン・アネックス」。そのホテルから歩いていけるところに「チャン・フン・ダオ像」があります。メリン広場がロータリーに中心にあり、そこに立っています。それを見に行くと言って、夫はひとりで出かけていきました。



(健人のパパの注)
 チャン・フン・ダオ(Trần Hưng Đạo、陳興道(功績を讃えて与えられた称号)、本名は陳国峻(Trần Quốc Tuấn))は、ベトナムの英雄です。1257年にモンゴル軍(Mông Cổ)が侵攻してきたとき、将軍としてベトナム軍(陳朝、Nhà Trần)を率いて、これを撃破しました。さらに、1282年のモンゴル軍(元朝、Nhà Nguyên)の侵攻に際しても、総司令官としてゲリラ戦を指導し、1288年モンゴル軍を撤退に追い込みました。

 元軍の侵攻と聞けば、私たち日本人は、「元寇(中国の呼称、「元軍侵日戦争」)」を思い出しますね。1274年の文永の役(中国の呼称、「第一次入侵」)、1281年の弘安の役(中国の呼称、「第二次入侵」)で元軍の侵攻を撃退していますから、同時代のことです。

 このベトナムの国民的英雄の像が、このロータリーの中心に立っているのです。
(注の終わり)



 しばらくして、夫が帰ってきました。

「どうだった。」
「私は日本人に見えるのかな。」
「見えるわよ。」
「韓国人や中国人には見えないのかな。」
「どうして?」
「いや、ホテルを出て、通りを渡ろうとしたら、道端のおじさんに「アジノモト」って呼びかけられたんだよ。」
「へ?」
「「ホンダ」や「ヤマハ」ならバイクのメーカーだから、わかるけどね。「味の素」ってのは、ベトナムでよく使われているのかな。」
「まだベトナムの食べ物をあまり口にしていないけど、バンコクやバリの経験から言えば、東南アジアではよく使われていると思うわよ。」
「そうなのかな。」
「化学調味料を使えば、安く味付けできるからよ。私は絶対に使わないけどね。」
「私もいやだな。あの舌に残る後味が好きじゃない。」
「私は口に含んだらすぐにわかるの。あなたは食べ終わってから、「これちょっと味が変!」だわよね。」
「「アジノモト」って言われるのは光栄じゃないな。」

 日本のイメージは、「アジノモト」なのでしょうか。その製品名で日本のイメージが決まるのは、ちょっと悲しいものがあります。日本文化を評価した呼称なら、まだしもです。

 でも、「マンガ」、「アニメ」、「オタク」と呼ばれたりしたら、これもどうかな。ロンリー・プラネット社の発行するガイド・ブック“JAPAN”を読んでみると、日本における危険という記事の中で、混雑した列車に乗るときは用心することとあります。その中で、“chikan”という単語が出てきます。被害にあったら、“Chikan!”と大きく叫びなさいと書いてあります。これは古い版からそうです。このイメージも悲しいです。

 どんなイメージならうれしいかな。その翌朝、健人を連れて3人で出かけました。通りを渡ろうとすると、背後から「おはよう。アジノモト!」

 出た!「アジノモト」おじさん。おじさん、何の仕事をしているの。いつもそこにいるの。声をかけるのは、日本人に対する親しみの情なの。微笑み返して、その場を去りました。

(追記) ハノイでも、「アジノモト」と声をかけられました。誰からかはわかりませんでしたが、ここでも「日本人」=「アジノモト」ですか。

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 バンコクの公共交通機関BTSのスクムビット線のプロムポン駅の脇に「エンポリアム」というデパートがあります。日本で言うと新宿の「伊勢丹」に感じが似ています。いま、バンコクにはこのようなデパートやモールがあちこちにあります。例えば、サイアム駅の「パラゴン」やチットロム駅の「セントラル・ワールド」(2006年7月にオープン)などです。



 そのエンポリアムが私たちの宿泊ホテル「ホープランド・サービス・アパートメント」から徒歩で数分なので、夕食に出かけて行きました。5階の“FOOD COURT”で何を食べるか見て回ったのですが、屋台巡りをベトナムでしてきた私たちにはかなり高く感じます。それでも、日本の半分から3分の2くらいですが。120バーツ(およそ420円)で、グリーンカレーを注文してみました。辛いけれども、それなりにいけます。いろいろ食べ歩き、その後、日本語の書籍を扱っている「東京堂」に寄りました。特に目的はなかったのですが、本屋と見れば足が向いてしまう夫について入ってしまったのです。



 そこで、「バンコク・バス・マップ」という日本語の本を見つけたので、バンコク市内をバスで移動することが容易にできるのではないかと夫に相談すると、
「日本のスイカやパスモのようなものはバンコクにはないはずだよ。シンガポールや香港にはあるけどね。バスの中で切符をいちいち買うのでは大変だよ。やめた方がいい。」
「ほんとにそうなの。BTSには一日券があるじゃない。バスにはないのかしら。」
「ないと思うよ。調べたことはないけど、装置を各バスにつけるには費用もかかるし、まだバンコクはそこまではいってないんじゃない。」

 そこで、書店員に日本語で尋ねてみました。通じない。日本語の書籍を扱う書店でもダメなんですね。そのとき、日本語で「何かお困りですか。」との日本語。きれいな女性を連れた日本人の20歳代後半の男性が声をかけてくれました。昔旅行社に勤めていて、40~50か国も訪れたことがあり、いまはここバンコクに暮らしているとのこと。バスに関しては、夫の言うようにバスにはプリペードカードはないとのこと。話がいろいろと発展しました。



「バンコクにどのくらいお住まいなんですか。」
「一年になります。」
「私は2年前と去年も来たのですが、なんか物の値段が上がってますね。」
「ええ、バンコクの物価は上がっていますね。物によっては、東京を越えているのもあるんじゃないですか。」
「ホテルの予約をしようとして、ホテルの値段がかなり上がっているのに気がついたんですよ。」
「そうでしょうね。」
「ベトナムから来たんです。日本からバンコクに入り、ベトナムに行って来ました。バンコクでは最初ナナにあるホテルにしたんです。」
「ナナという地域は怪しげですね。」
「そう感じましたね。このあたりとは、ぜんぜん違いますね。」
「ええ。」

 バンコクのお勧めスポット、美味しいお店、バンコクを拠点として足を延ばすと面白い地域(ラオスが面白いとのこと)、、、

 連れの清楚な美人が気になっていたのですが、いずれ結婚する予定の女性だと紹介されました。アメリカの大学に留学したこともある才媛。きれいな日本語を話すので、日本人かと思っていたのですが、タイ人女性でした。育ちのよさを感じさせる雰囲気を持った女性でした。日本人も国境を意識せずに活躍する時代。あちこちで、出生国の異なる伴侶を持った日本人にお会いします。夫の教え子もドイツでポーランド人女性と結婚し、研究生活を続けていると聞きます。経済のグローバル化とともに、人間の交流も当然グローバル化していくのでしょうね。

 お二人とは私のサイトを通して、メール交換をするということになりました。お二人の将来が幸多きものであることを願っています。

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