POWERFUL MOMが行く!
多忙な中でも,美味しい物を食べ歩き,料理を工夫し,旅行を楽しむ私の日常を綴ります。
 



今日は、下の息子を連れて、初めて本格的なコンサートに行って来ました。友達から「健人君と一緒にどうぞ。」とチケットを2枚贈って頂いたのです。

先日、旭山動物園の旅の帰りに乗ったフェリーでコンサートは、聴いたよと健人は言ってましたが、上の息子と違い、猛獣使いの気分で出掛けて来ました。とにかくじっとしてはいられない子です。それに、おしゃべり かつ 飽きっぽい。コンサート会場でおしゃべりされても、歩き回られても他の人に迷惑をかけます。

夫も「大丈夫かな。」と心配したそうです。

しかし、意外だったのは、じっと座って聞き入ってたこと。小学校で音楽の時間に聴いた曲があったそうで、楽しかったようです。我が子に対する心配も消え、周りの子の躾の悪さが気になったほどです。

鮫島有美子さんのトークは、わかりやすく、演奏も素晴らしかった。上の息子とは、5歳位からクラシック・コンサートに一緒によく出掛けていましたが、おとなしく聴くか、気持ちよく寝てしまうタイプで楽でした。

我が子二人は、無口とおしゃべりとタイプが違うため、心配しましたが、取り越し苦労でした。これなら、下の子ともクラシック・コンサートが楽しめそうです。



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先日の孫社長の発表の後で、パンフレットを見て研究したという夫に聞いてみた。

「新宿の某デパートの電気店で説明を受けたんだけど、いいことしか言わないのよ。」「生命保険の規約や約款のように、デメリットは小さく書いてあるじゃないかしらね。」

夫から返って来た答えは、「通話無料は、1日中じゃなくて、有料の時間帯もある」、「他の会社の携帯との通話は、割高になる」、「メールもすべてが無料じゃない」、「だから、我が家の場合、現在のK社より有利に感じない」と解説。

その後、ヤフーのニュースを見たら、夫の言う事に納得する記事を見つけました。ソフトバンクの新料金プランは、“予想外”に複雑。携帯に詳しくない私にも、とても参考になりました。

「会社は利益をあげなきゃいけないわけだから、どこかで辻褄を合わせるわけだよ。」
「なるほど」



(追記) 健人のパパ
横長の画面にして、Yahoo!の検索が安価な定額でできるようになれば、すぐにでも家族5台すべて変えるんだが。孫さん、それはいつですか。 

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3連休を利用して、快速と各停車、夜行バスを使い、飛び回るのが私流の旅になりつつあります。

くいしんぼうの親子は、名物の「白えび丼」を食べるため、富山に立ち寄ることにしました。科学館巡りなどをしながら、金沢近江町市場にたどり着き、金沢野菜や新鮮な魚介類などいろいろ見て歩きました。

車で来ればたくさん買えるのに、ましてや子連れでは諦めるしかありません。あんこうや甘えびなど欲しいものばかりでした。そこで、甘えびは、ホテルで食べさせようと、パック入り醤油と一緒に買いました。

海鮮丼やお刺身の写真が並ぶ食堂の看板を見て、魚が大好物のわが子は、甘えびを買ったのに、「今晩は、かにとお刺身をたっぷり食べたい。」

市場見学の後、近江町市場食堂に入りました。我が子は、目をきらきらさせ、おいしいおいしいと、たっぷりな新鮮なお刺身定食をたいらげました。

「僕、あのね、かにを食べたことないの。」

おいおい、健人よ。今まで食べさせていた蟹は、幻か夢だったの。

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Yahoo!ニュースでこんな記事を読んだ。

「少子化対策の一環として導入された幼児教育への補助は、幼稚園に通園する児童の保護者負担を軽減するのが目的であるが、幼児教育に対する補助金の投入額と出生率に関する全国調査によると、両者の間にはほとんど相関関係がないことが判明した。」

財務省の発表で、その意図と真偽のほどは別として、これで出生率が上がると考える方がおかしい。家庭が子供を持たないのは、子供を幼稚園に通園させる負担が大変だからではない。

少子化を本格的に食い止めようとするなら、共働きの夫婦に子供をもうけても、二人とも働き続けられる環境を整備してやることが必要である。それは子供が精神的にある程度成熟する小学校卒業までサポートすることである。一つに、学童保育の充実である。地域社会がそれを担うという方法もあるだろう。例えば、自治会の会館に学童保育のシステムを取り入れたなら、用地買収や会館の建設・増築費用を一部援助するという方法も考えられるだろう。

少子化をこのまま放っておくと、年金制度も破綻する。労働力不足も深刻化する。年齢構成の逆ピラミッドは、社会の活力を、そして日本の国力を奪う深刻な問題なのである。

少子化対策で、薄く広くお金をばら撒くという発想は、税金の無駄遣いもはなはだしい。安心して子供を産み育てられるように社会がサポートするシステムの確立が急務である。そのシステムの確立が先行投資になっても、将来的には十分ペイできるはずである。

(この項 健人のパパ)

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こんな記事があった。

「文部科学省が、「英語を使える日本人」を教育目標の一つとして掲げ、「小学校からの英語授業」も検討が進んでいる今、児童の英語教育熱は大いに高まっている。いったい何歳から英語を習わせればいいのか、、、」

どうしてこうも的外れな議論をするのだろう。子供たち(特に中学生)に欠けているのは、発信能力の欠如なのである。小学生は低学年なら、活発な発信能力を持っている。それが学年が進むにつれて落ちていく。日本の社会では、目立つことはマイナスなのである。それを子供たちが成長するにつれて気づき始めるのである。

「小学校からの英語授業」は、小学生の低学年では効果があるであろう。しかし、多分中学生ぐらいになると、寡黙になり、結局聞くだけの授業になり果てていく。

人の多様性を認め合う授業をしないと無理なのである。茶髪を異端と考える教育者にそれが出来ようはずがない。

(この項 健人のパパ)

(追記) 均質であることを求める日本人社会。日本人全体の英語力の向上は望むべくもない。英語力は、その必要のある少数の人間たちがエリート教育で獲得する、という残念な結果を予告せざるを得ない。

(追記) 誤解がある。英語がしゃべれることが何か優れたことと思われている節がある。そうではない。英語を使って何かが出来なくてはならないのである。だから、「語学学校」に通ったところで、その人物は社会的には使い物にならない。何かの技術を身につけて初めて使い物になるのである。英語力は、「目的」ではなく「手段」である。

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次のような記事がありました。

「秋田市の大学で、茶髪を止めたら褒賞金(1万円)を出すという制度を決めたが、「髪を染めている学生に恩恵があって、まじめな学生にないのはおかしい」などの批判的な意見で取りやめた。」

いつも思うことですが、この茶髪を差別する風潮は何とかならないのでしょうか。私の上の息子は、生まれつき「茶髪で、天然パーマ」です。進学校に通っていたときに、彼は茶髪を黒髪に染め、ストレートパーマをかけていました。

学校側が強制したのでしょうか。私は抗議しようとも考えたのですが、息子は語らず、それを望まないようなので取りやめました。

日本人は、黒くてストレートな髪であるべきである、という意識でもあるのでしょうか。学生が「髪を染めること、パーマをかけること」を禁じるのならば、そこにある程度の合理性はあります。でも、違うのです。髪を染めてでも、黒くしろ! パーマをかけてでも、直毛にしろ!と言っているのです。

「英語」を小学校教育に取り込んでも、日本人の意識が、「国際化」することはないでしょう。日本人自体の「多様性」を学校が認めようとしないのですから。

(この項 健人のパパ)

(追記) 組織に規律が必要なことは当然認めます。高校生にも、精神的に十分には発達していないのですから、「高校卒業」という資格を与えるために規律は必要でしょう。

精神的に発達したと考えられる大学生には、どのような意味で、「茶髪、ピアスの禁止」などをするのでしょう。単位を取れないような生活態度の学生は、落第・退学させればいいのです。「大学卒業」という資格は、その知識にあるのでしょう。

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妻「あみ」が注文した鍋が宅配便で届きました。送り状の品物欄には、「行平鍋」の文字。

え! 「雪平鍋」じゃないの。アルミ鍋の打ち出し模様が雪のように見えるから、「雪・平鍋」だと思っていました。 店頭に並んでいるのは、取っ手がついていて、注ぎ口(つぎぐち)があるアルミ製の鍋。お粥を作るときに使っていました。

ところが送られてきたものは、ご覧のようなもの。



アルミ製で取っ手があり、注ぎ口があるけれど、テフロン加工で真っ黒。その名も「雪平鍋」ではなく、「行平鍋」。そこで、初めて「ゆきひらなべ」とは何か調べてみました。

平安時代初期の歌人、六歌仙の一人であった「在原業平」の兄「行平(ゆきひら)」が、須磨で海女に潮を汲ませて塩を焼いた故事に基づくのだそうです。つまり、「行平・鍋」。それに、「行平鍋」とは、本来、粥などを煮るのに用いる、取っ手がついていて、「蓋」と注ぎ口のある「陶器」製の平鍋だそうな。

言葉一つ使うのも、注意が必要ですね。宅配便を受け取ったとき、「何、この人、字も知らないの。」と思った私は、深く反省です。

(この項 健人のパパ)

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母が亡くなって数年になる。昨日までの旅行は、母と初めて母娘旅行をした思い出の金沢。

不思議なことに、まだ幼かった健人に、おばあちゃんの記憶があるらしい。旅の途中で「昔ね、おかあさんは、母娘で金沢に来たんだよ」と話して聞かせた。

健人が「僕の誕生日とおばちゃんが死んだ日は近いんだよね」と言い出した。子供の誕生日、母危篤の知らせで病院に泊り込むような日々。留守宅を夫に任せたり、上の息子に下の息子の面倒をみさせたり、夫と何度も日大病院のICUを行ったり来たりした日。

健人の誕生日と母の命日が同じだったらつらいねと夫と話した日々。あっという間に年月が過ぎ去り、今回は、子供と金沢を訪ねた。言葉で伝えきれない思い出がある街。上の息子は、十分おばちゃんの思い出があるのですが、下の息子には、わずかな思い出のみ。

子供たちは、これからどのように家族の思い出をとらえていくのでしょう。

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PLCが普及し、電気機器がアドレスを持つようになれば、こんな情景もあるのではないでしょうか。

離れて住む義理の母親(機械にはとても疎い)からの電話(携帯電話から)
「あみさん。これから家に帰るんだけど。エアコン入れておいてくれる。」
「わかりました。居間のエアコンでいいんですね。」
パソコンに向かい、母親の家のエアコンに「運転」の指令を出す。
数十分後、居間の灯りが点けられたことをパソコンが教える。
パソコンのカメラに向かって、話しかける。
「おかあさん。お帰りなさい。きょうの歌謡ショー、どうでした。」
「よかったわよ。氷川きよしにサインしてもらったのよ。ほら。」
「あら。そのまま、持ってて下さいね。いま、ズームしますからね。」
「すごいでしょう。本物よ。」
「よかったですね~」
、、、

PLCでなくても、可能な情景ですが、簡易にできるということかな。機器をアウトレット(コンセント)に差し込めば、プラグ&プレイで作動できるようにできるのですから。  (この項 健人のパパ)

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PLC(Power Line Communication、電力線搬送通信、高速電力線通信)という技術がある。ADSLが電話線に信号を乗せる技術と言うならば、PLCは、電線(電力線)に信号を乗せる技術と言えるだろ。

別の言い方をすれば、有線LANのケーブルを家庭内の電線で代用する、ということだろうか。

しかし、この技術は我が家のネット環境を変えることはないであろう。我が家は有線LANのケーブルが壁や天井裏を通り、各部屋に張り巡らしてはあるが、機器が安価になったことでいまでは4台のパソコンが無線LANになっている。

いまさらPLCの恩恵を受けることは何もないのである。PLCの子モデムが各種電気機器に内蔵され、パソコンでコントロールできる時代になっても、我が家の電気機器は長生きである。新しい技術の取り入れられていない電気機器が生き延びていく。

そもそも、我が家は殆どの部屋にエアコンがあるが何年もエアコンカバーがかかったままである。室温を調整するよりも自分の体温を調整する、という生活スタイルである。電気釜はあるがそれを使わず、妻「あみ」はガスコンロの上に釜を置いてご飯を炊いている。その方が美味しいのよ、と言う。HDレコーダはあるが、我が子健人が見るのは、GYAO。オンデマンドといっていいもの。

近代生活の中の原始生活?  (この項 健人のパパ)

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