POWERFUL MOMが行く!
多忙な中でも,美味しい物を食べ歩き,料理を工夫し,旅行を楽しむ私の日常を綴ります。
 





 出血熱(viral hemorrhagic fevers、VHFs)というウイルス感染症があります。一般的に、感染すると、高熱を出す、白血球が減少する、出血しやすくなるなどの症状を伴い、死に至ることも多い感染症です。エボラ出血熱、マールブルグ熱(ミドリザル出血熱)、クリミア・コンゴ出血熱(致死率20%前後)、ラッサ熱(致死率2%ほど)などがあります。エボラ出血熱(Ebola hemorrhagic fever)は、感染したときの致死率が50%以上といわれ、非常に高いようです。患者の血液、体液などが感染源となります。

(参考) 「デング熱のウイルスは、日本のヒトスジシマカに常在するようになってしまうのでしょうか。」(2014年9月1日)

 デング出血熱(dengue hemorrhagic fever、DHF)も出血熱の一つで、口や目、鼻などの粘膜から大量に出血したり、また血管壁から血漿が透過し過ぎるようになって循環血漿量が低下して、ショック(hypovolemic shock)を引き起こすことになります。デング熱(多量の出血を起こさないデングウイルス感染症)は、1年間に約1億人が発症し、デング出血熱はその200分の1ほどの約50万人がを発症するようです。

 デング出血熱は、出血に対し適切な治療がなされないと死亡することから、循環血漿量の減少を補液(食塩水にカリウムやカルシウムなどを加えた血液代用液であるリンゲル液など)で補うことになります。的確な治療が受けられるか否かで致死率に差が生まれ、国によって、0.0数%から1%ほどの幅があります。

 デング熱や重症型のデング出血熱は、主にネッタイシマカによって媒介されるデングウイルスの感染症です。日本には、熱帯に分布するネッタイシマカ(背中に2本の縞がある)は生息していないのですが、日本にも生息するヒトスジシマカによってもデングウイルスが媒介されることから、第二次世界大戦中、戦地から持ち帰ったウイルスがヒトスジシマカによって媒介され、西日本で流行しおよそ20万人が発病したことがあるようです。



 デング熱は約3年周期で流行することが知られています。1998年の大流行から今年(2010年)は12年目(3×4=12)にあたります。中央アメリカ中部にある「ホンジュラス共和国」では、デング熱が流行しています。外務省の 海外安全ホームページ の「感染症スポット情報」の項です。頻繁に更新を行い警告を発しています。

 「在ホンジュラス日本国大使館からの報告によると、ホンジュラス保健省は2010年第24週までに、デング熱感染者数は12,385人(うちデング出血熱475人)、そのうち死亡者数は13人確認されており、昨年同時期と比較してデング熱感染者は約3.7倍、デング出血熱感染者は約10倍の発生数である旨発表しています。また、6月22日付でホンジュラス政府は国家緊急事態宣言を発令し、国民に対し、デング熱の予防と蚊の駆除、蚊の撲滅のための手引きの配布などの対策を講じています。」

 「輸入感染症」という言葉があります。輸入感染症は、その国には存在しない(または稀な)感染症で、海外旅行者が渡航先で感染し、自国に帰国するときに持ちこまれたものをいいます。海外渡航先での食べ物や水、または蚊に刺されたことなどが原因で発症します。国立感染症研究所感染症情報センター は、輸入感染症を旅行者感染症として、コクシジオイデス症、コレラ、細菌性赤痢、腸チフス・パラチフス、デング熱、ヒストプラスマ症、ブルセラ症、マラリア、ラッサ熱を例示しています。

 輸入感染症の1つであるデング熱がインドネシアのバリ島から帰った人に発症する例が増えているそうです。東京都、千葉県、群馬県、長野県、京都府、岡山県、鳥取県、徳島県、愛知県などで報告されています。日本国内でのデング熱とデング出血熱の発生は、2007年…89例、2008年…104例、2009年…92例あったのですが、今年2010年は6月6日までにすでに50例になっているそうです(追記:7月15日まででは64例)。2010年では、バリを訪れた日本人観光客は、毎月20,000人ほどです。前年2009年と比較すると、20%ほど減少しています。旅行者数の減少と感染者数の増加があるのですから、デング熱に罹患するリスクが高まっています。

 デング熱の潜伏期間は4日から7日ほど(そのため、滞在期間の短い感染者は日本で発病する)で、悪寒を伴って急に高熱を出すことで発症し、頭痛、筋肉痛、関節痛が現れます。3日ほどで一度解熱する(この頃から、胸部に麻疹(はしか)に感染したときのような発疹が出現し、四肢、顔面へ広がり、四肢に痒みを伴う)が、また高熱を出し、2日ほどでまた解熱して快復するという経過を辿ることが多いようです。食欲不振、腹痛、便秘を伴うこともあるそうです。重症型のデング出血熱でなければ、致死率は非常に低く、一度感染すれば抗体を獲得し、その型(デング熱を起こすデングウイルスにはD1からD4まで4つの型がある)には2度と感染しないといいます。

 現在のところ、デング熱のワクチンはないので、予防は蚊に刺されるのを防ぐことです。黄熱、デング熱などの熱帯病を媒介する「ネッタイシマカ(yellow fever mosquito)」は、日中活動し、活動範囲は人家周辺に限られ、室内にも潜みます。人家周辺の水たまりで発生し、人の衣服について建物内に侵入するなどしますから、ホテル内やレストラン内で蚊に刺されることが充分にあり得、2007年に私たちがバリ島を旅行したときは、暑いのを我慢して長袖、長ズボンを着用し、子どもには帽子を被らせ、露出している部分などには防虫スプレーを使い、また室内では現地で購入した蚊取り線香を(日本の製品では弱くて効かないといわれている)焚き、対策を講じていました。

 私たちは子連れ旅行ですから、子どもが感染すると危険が高くなるデング熱には神経を使っていました。楽しい旅にするためには、リスクを最小にする対策を講じておく必要がありますね。

(追記)感染症スポット情報( デング熱の流行)…フィリピン、2010/07/23発出
 在フィリピン日本国大使館からの情報によると、フィリピン保健省は、2010年1月から6月26日までのフィリピン国内全体のデング熱の感染者数が25,283人(うち死亡者190人)確認されており,昨年同時期の感染者と比較して40%増加している旨公表しています。また,各地で集団発生が確認されているダバオ・デル・スール州ディゴス市においては,感染者253人(うち死亡者10人)が確認された状況を受け,市が災害宣言を発出しています。

(追記)感染症スポット情報( デング熱の流行)…ブラジル、2010/07/16発出
 在ブラジル日本国大使館からの情報によると、ブラジル保健省は、2010年1月以降第17週までのブラジル国内全体のデング熱の感染者数が737,756人(うち死亡者321人)確認されている旨公表しています。ブラジル国内全体の感染状況は昨年同時期と比べて2.2倍以上増加しています。

(追記‐2014年8月27日) 2014年8月27日(水)配信の時事通信の記事からです。

 厚生労働省は8月27日、埼玉県に住む日本人の10代女性が国内でデング熱に感染したと発表した。国内感染が確認されたのは約70年ぶり。女性は入院中だが、容体は安定しているという。

 厚生労働省によると、旅行者が海外でデング熱に感染し、帰国後に発症する例は年約200件報告されているが、国内での感染は1945年以来、確認されていなかった。

 女性は東京都内の学校に在学中で、8月20日に約40度の高熱を出し、さいたま市内の医療機関に入院。検査でデング熱の感染が判明した。海外への渡航歴はなく、帰国した旅行者から国内の蚊を媒介して感染したとみられる。

 厚生労働省は都道府県などに、感染の疑われる症例があった場合には速やかに報告するよう要請した。


 デングウイルスには感染しても症状の出ない(不顕性感染)ことが多く、その人たちはキャリアーとなります。2013年のネイチャー(Nature)という雑誌に掲載された論文によると、2010年、デングウイルスに感染し発症した人は9,600万人で、感染したが発症しなかった人は2億9,400万人と推定される、といいます。デングウイルスに感染しても、4人に1人しか発症しないことになります。

 日本でもデング熱のウイルスを持った蚊が常在するようになってしまうのでしょうか。

 台湾では、南部の高雄市などで、デング熱(中国語では、音訳して「登革熱(denggere、1-2-4声)」)が流行しているようです。2014年8月26日配信の中央社の記事からです。

 疾管署公布今年至今本土登革熱病例984例,上週新増226例本土病例,副署長周志浩説,這是自2003年来単週最高,創11年新高。(台湾の衛生福利部疾病管制署は、今年のこれまでの国内でのデング熱感染例が984例となり、また、8月19日から25日までの1週間での国内での感染例は226例に及んだと発表した。1週間の記録としては2003年以来で最多となり、11年ぶりの高水準になったと副所長周志浩氏は語った)

 高雄市で220例あり、苓雅区74例,小港区40例,鳳山区34例,前鎮区32例,三民区23例,大寮区、鼓山区及旗山区各3例,仁武区2例,大樹区、左營区、前金区、楠梓区、旗津区及鹽埕区各1例だったようです。

 国内で感染し発症した984例の他に、海外で感染し国内で発症した例は129例あったようです。

 他説、境外移入病例感染来源分別為印尼49例,馬来西亜39例,菲律賓20例,新加坡7例,泰国4例,諾魯及緬甸各2例,柬埔寨、法属玻里尼西亜、沙烏地阿拉伯、印度、中国大陸及吐瓦魯各1例。(感染した場所は、インドネシアで49例、マレーシア39例、フィリピン20例、シンガポール7例、タイ4例、ナウル、ミャンマーがそれぞれ2例、カンボジア、フランス領ポリネシア、サウジアラビア、インド、中国、ツバルがそれぞれ1例だったと周氏は語った。)(追記の終わり)

                 (この項 健人のパパ)

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 バリのアロマ・トークというエステ・サロンで腸内洗浄を受けるときにいただいた「ジャムー」というものを自分なりに工夫して作ってみました。

 材料は、正椰糖(GULA MALACCA,パーム・シュガー)とタマリンド(ASAM JAWA,TAMARIND)。

(ここに写真)

 正椰糖は、黒砂糖の塊に似ていますが、黒砂糖ほどの強い甘みがなく、それでいて黒砂糖のような複雑な味。甘みに苦手な夫も「これはいいね。」

 タマリンドは、見た目は杏(あんず)の干したもの。私は酸っぱいものは苦手なので、夫に試食させたところ、「これもおいしいね。そうだな、、、梅干の酸味を弱くしたようなものと言ったら良いかな。今度のKLでは、たくさん買ったら良いかもね。」

 この2つをお湯で溶いたものが、私がアロマ・トークで飲んだものに近そう。

(ここに写真)

 夫と上の息子の感想。「好きかも知れない、この味。」

 ジャムーは、ESTE-EMJE Ginsengというものを自家製で作るのにも挑戦。材料は、牛乳、卵、蜂蜜、生姜、朝鮮人参。

(ここに写真)

 朝鮮人参は手元にはなかったので、コンデンス・ミルク、卵の黄身、生姜、蜂蜜。似たような味にはなりました。でも、朝鮮人参は入れていないので、健康飲料のジャムーとは言えなさそう。「画竜点睛を欠く」と言ったところでしょうか。

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 バリ旅行中、数日前から我が子健人の調子が下降気味です。蒸し暑さに体調を崩しているようです。部屋はエアコンが効いて涼しいのに一歩外に出ると、灼熱の太陽。子供ならずとも参りそう。

 ジンバランやクタに宿泊しているときは食欲が落ちている程度でしたが、ウブドに入って下痢。これって「バリ腹?」。光文社の知恵の森文庫、「バリ島バリバリ」というイラストが多用されている本にすっかりハマって、本をボロボロにするほどに読み返していた息子が暢気に言っています。

 私は、悪化した場合の対応を考えて、HISのウブド・インフォメーション・センターに行って、情報収集。日本語の非常に流暢な窓口の人に親切な対応を受けました。HISを利用した旅行ではないことを告げてもです。

 病気によっては車で40分くらいのデンパサールで治療を受けた方がよいこと、ウブド地域にも病院はあるが日本語が通じないところがあること、旅行保険に対応できないところもあること、などを教えてもらいました。

 「ウブドならどこがよいだろうか?」の質問に対して、「ウブド・クリニック(Ubud Clinic)もいいのではないか。」との答え。

 帰ってしばらく様子を見ていましたが、熱がかなり高くなりました。見た目にも具合が悪そうです。医者に連れて行くことになり、宿泊ホテルの従業員に連れて行ってもらうことになりました。子供の調子が悪いことは告げてあり、心配もしてくれていましたので、早速出発。



 診察結果は、ウイルス感染が起因の急性扁桃腺炎(Acute Tonsilitis)。抗生物質と解熱剤、そして咽喉の腫れをひかせるためのトローチをもらいました。下痢は、この扁桃腺炎の影響であり、1度の下痢では下痢止めは処方しない方がよいのではないかということになりました。(上の写真は、Dr. Susila Adnyanaと健人)

 カード付帯の旅行者保険を利用するには、「診断書(Medical Report,doctor's report)」と「領収書(Receipt)」が必要です。医療費は、カードで支払い、「レシート」と「メディカル・リポート」を受け取りました。

 保険金請求手続きは、本日、引き受け保険会社の損保ジャパンに電話。送付してくる「保険金請求書」、医師から受け取った「診断書」・「領収書」、病院にかかった者のパスポートの「顔写真のページ」と「今回の旅行の出入国の記録のあるページ」のコピー、カード名義人と病院にかかった者の関係を証明する書類(例えば「住民票」)を返送することになります。

 詳しくは、このページを参照にして下さい。

 しかし、我が子健人は病気にかかりやすい。保育園の時は、「小学生になれば、丈夫になるだろう。」と願い、小学2年生の今は、「3年になれば、、、」と願っています。きょうもこのときと同じような症状で学校を休んでいます。

                         (この項 健人のパパ)

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 プムチュタン家を語るには「ププタン(puputan)」という語を知らなければならない。多くのサイトでは、この語は「終焉(ending)」を指すとある。私の持っている辞書は、インドネシア語に非常に近いマレー語の辞書であり、「ふいご(bellows)」の意味しか確認できなかった(“puput”は、「笛」、“berpuput”は、「吹く」)。ここでは、検証なしに「ププタン」が「終焉」、「玉砕」、「集団自決(mass suicide)」の意味だとしておこう。

 今からちょうど100年前の1906年に「ププタン・バドゥン(Puputan Badung)」(「バドゥン王国での集団自決」)が起こった。この「ププタン」はバリの幾つもあった王家の一種の美学になっていたためなのか、1908年にクルンクン(Klungkung)王国でも起こったのである(「ププタン・クルンクン(Puputan Klungkung)」)。

 この「ププタン」がどのように行われたかを、平凡社刊、ミゲル・コバルビアス(Miguel Covarrubias)著、関本紀美子訳「バリ島(Island of Bali)」(原著1936年刊)から引用してみよう。

 「1904年5月にボルネオから来た中国人所有の小さな蒸気船スリ・クマラがバリの南海岸サヌールで座礁し、積荷を略奪された。船主たちはオランダ政府に責任があるとして、銀貨で3,000ドルの損害の補償と賊の処罰を要求した。」

 世界史でいう「植民地時代」ある。この賠償金をバドゥン王国に負わせようとオランダは交渉に臨んだが、

 「1906年秋、バドゥンのラジャ(Raja、王)が要求に応じることを最終的に拒絶すると、9月15日、大規模な軍隊がバドゥンの首都デン・パサル(Den Pasar)からわずか3マイルのサヌール(Sanur)に上陸した。」

 「9月20日の朝早く、海軍はデン・パサルを砲撃した。宮殿や王族たちの家々に砲弾が落ち、燃え上がった。そのため市民は町から逃げ出し、あとに取り残されたのはラジャとわずか2,000人ほどだった。」

 王国の人々にとっては、税を払う相手が変わる程度の出来事であり、巻き込まれることを恐れていち早く避難したのだそうである。王が名誉を守るためにただひとつ残された道は威厳のある死に方をすることだった。

 「その時が来ると、ラジャも王の高臣たちも将軍も親類縁者も、男女を問わず最上の衣装をつけ、最上の金のクリス(kris、短剣)を差して、用意を整えた。女たちは男たちにもまして熱心であった。男の服を着、短い自の腰布を脚のあいだに通し、宝石を身につけ、髪をはどいて垂らしていた。そして、敵が近づいたときに使いやすいよう槍を半分にしたものやクリスを手にした。」

 「朝の九時、まるでおとぎのくにのような行列が宮殿を出た。先頭に立つのは王の地位を示す金の傘をさしかけられて家来の肩に乗り、道の前方をきっとにらみつけ、右の手にはダイヤモンドをはめこんだ金のクリスを握りしめたラジャであった。もの言わぬ男たちと恍惚とした女たちが続き、少年たちまでが槍とクリスで武装して行列に加わった。」

 「(オランダ兵との)距離が100フィートに締まり、70フィートになると、クリスと槍を振りかざして兵士たちのもとにわっと突進した。兵士たちが一斉に砲火を浴びせ、何人かが倒れた。その中にラジャもいた。逆上した男女は攻撃を続け、兵士たちは殺されまいと発砲し続けるほかなかった。」

 「一人の男が倒れた人たちの間を歩いて、クリスで負傷者の止めをさしてまわった。その男が撃ち倒された。するとすぐにほかの男が同じことを始めた。その男も撃たれると、老女がクリスを手に、この血なまぐさい仕事を続けるのだった。ラジャの妃たちはラジャの遺体にかぶさるようにして自害したが、ラジャの遺体の上にはすでに、体をひきずって王のもとまでたどりつき、果てた王族男女の遺体が覆いかぶさっていた。」

 これが「ププタン(玉砕)」であった。立風書房刊、中田ゆう子著の「魅せられて、バリ島」から続けて引用してみよう。

 「(この)『死の行進』で王家が全滅。しかし、おびただしい死体の下敷きになっていたのが幸いして、ただひとり生き残った4歳の幼い王子が奇跡的に救出された。この王子が、イダ・チョコルダ・ヌラッ・グディ・ペメチュタン(Ida Cokorde Ngurah Gede Pemecutan)という長い名前の、このホテルの経営者で、マース兄弟姉妹のお父さんその人だった。」

 「命をとりとめた王子はその後、近県の王家で育てられて成人した。王家復興は当然悲願だったはず。でも、王子の初婚は41歳だった。それに第一夫人から第三夫人まで子供に恵まれず、第四夫人に初めて男の子が生まれたとき、王子は44歳になっていた。」

 妻「あみ」も「魅せられて、バリ島」を読み終えて、デン・パサールの王宮前広場であるププタン広場(Puputan Square)に行って見たいと言う。旅は、その地域の歴史を知ることでもある。  (この項 健人のパパ)

 この「虐殺」が西洋社会の知れるところになるとオランダに非難が集中し、植民地政策としてバリの文化を極力尊重しなければならなくなった。歴史の皮肉であるが、それが今もバリには「伝統と文化」が西欧化されずに残っている大きな要因なのだそうである。

バリ情報 その5」へ

 この次のテーマは、オランダとインドネシアと日本の関係を調べてみたいところである。それは、昭和天皇がオランダで生卵をぶつけられたことに象徴されている。
 
               (この項 健人のパパ)

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 立風書房刊、中田ゆう子著の「魅せられて、バリ島」を読み終えた。1998年発行で既に絶版になっている。ゆっくりと時を刻んでいるバリ島ではこの本の内容に古さは感じない。

 バリ島についての旅行記は、これで2冊めになる。前に読んだのは、廣田緑著「バリ島遊学記」。この2冊に共通するのは、バリ人との交流を描いていること。人と深く交際することは、喜びもあるが悲しみもまた否応なく経験しなければならない。日本人との交際でもトラブルは経験し克服しなければならないのに、大きく異なる文化を体現するバリ人と深く交流するのである。

 この本の登場人物の一人、マースという25歳の女性が呟く。「それでも、日本には自由があるでしょう。私は私のカーストに合った人でなければデートも結婚もできないのよ。自由なヨーコがうらやましい。」そう、我々は選択の幅が大きく与えられた現代日本に住んでいるのである。この意味では、日本人に生まれたことに感謝。

 では、バリのカースト制度について、この本から引用しておこう。「彼の説明によると、バリのカーストとはこうだ。最上位がブラーフマナといって僧侶の階級、バリの人口の6パーセント。名前の前には称号のイダが付く。次がクシャトゥリアで王族、12パーセント前後。称号はアナ・アグンかチョコルダ。ホテルのペメチュタン家はこのカーストに位置しているのだという。パーセンテージからしてたいそうな、しかも上位のカーストに位置していることになる。次がウエシア、バリの人口の大半を占める平民で称号はない。インドのカーストのような最下位のシュードラはバリにはないという。最高位の僧侶を除いて職業の制限はないのだけれど、結婚は厳しく制限されているという。」

 「上位のカーストの男性の場合、結婚相手が下位のカーストであっても問題はない。しかし上位のカーストの女性は、同等のカーストもしくはさらに上位のカーストに嫁ぐのだと言う。」

 『「それじゃ、外国人(の男性)と結婚した場合は?」 「簡単だよ、お前は出て行け!それで終わりさ」』

 旅行は、その地域の文化を知ること。その地域の人の生きざまを少し覗かしてもらうこと。自分の人生を豊かにするために、お邪魔しま~す。

               (この項 健人のパパ)

 プムチュタン・パレス・ホテル(Pemecutan Palace Hotel)は、タムリン通り(Jl.M.H.Thamrin)とハサヌディン通り(Jl.Hasanudin)が交差するところにある。しかし、時は移ろう。8年は長かったのだろう。悲しみは、バリ人の知るところである。

King of Badung on trial for murdering his cousin with his royal sword. King Gede Manik argued the murder was a case of self-defense.

Finally, it was proven in court that it was self-defense. One year verdict was because the incident caused one person died, and the cause of this had never been proven.

The legal process is now continued to the higher court. Cokorde was not detained, he has been staying in a Puri which is a branch of Pemecutan since December 2003.

Anak Agung Ngurah Manik Parasaraは、活動を再開している。

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 バリのある宿泊施設の女性とメールのやり取りをしています。この女性の方が大変誠実な方です。そのやり取りから、皆さんにも役に立つものをいくつか紹介しております。

問い) スミニャックにはセンスのよいお店が多いらしいので、ウブドから行きたいのですが、プラマ社のシャトルバスは子連れでも乗れますか?

答え) プラマ社のシャトルバスは、一人3万ルピアで、子供も同料金となります。2,3時間に1本の割合でクタ―ウブド間(サヌール経由)を走っておりますが、クーラーもなく、車体もかなり古いので、車が弱い方にはおすすめできません。
この方はとても誠実な方で、数日後、実際に乗って調べて下さいました。)プラマのシャトルバスは、先日クタに行く際に、試しに利用したのですが、かなり車体が古く、クーラーもなかったので、お子様には、ちょっと辛いかもしれません。私の子は、汗だくで、ぐったりとしておりました。

問い) いろいろ夫と協議してみたのですが、ウブドとクタの移動を繰り返すと子供の負担になるという結論になりました。(この方には大変申し訳なかったのですが)5日間の宿泊予定を後半3日にしてください。前半にクタに宿泊したいと思います。ウブドでは、スミニャックなどには出掛けないことにしようと思います。クタでお勧めの宿(衛生的であれば高級である必要はありません。)を教えて下さい。

答え)  (宿泊予定日数を減らしたいという申し出に対してもこのような返事をもらいました。)クタのお勧めのホテルですが、当バンガローにお泊りのお客様がよくご利用になるのは、クタ・ビーチ辺りですと、ハードロック・ホテルの隣にあるハリス・クタ・ホテル、クタ・ビーチ中ほどにあるグランド・イスタナ・ラマ・ホテルの他、レギャンにあるオール・シーズン・リゾート・レギャン・バリ(All season resort legian bali)もよく利用されております。大型ホテルですので、客室数もたくさんありますが、予約で込み合ってきておりますので、お早めにお部屋の確保をなさってください。

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 バリのある宿泊施設の女性とメールのやり取りをしています。この女性の方が大変対応の良い方で、過去に宿泊された方々の間でも評判が高い。そのやり取りから、皆さんにも役に立つものをいくつか紹介しております。

問い) 私も息子も肌が柔らかいので、虫に刺されやすい体質です。日本の虫除け等では効きにくいとの情報があり、不安になりました。バリで長期滞在するので、蚊に刺されないようにするアドバイスがいただけますか?

答え) 虫対策についてですが、私も蚊に刺されやすく、刺されると赤く腫れて、最後は、痕が残ってしまう体質なので、色々、気をつけております。

バリにも、虫除けが売っておりますが、日本では許されていない成分が入っていたりして、心配なので、日本から持っていった虫除けスプレーを使用しております。ただ、飛行機への缶スプレーの持込が禁止されているかもしれませんので、手で伸ばすタイプのジェル状のタイプをお勧めします。

日本の虫除けを使っていますが、効きにくいという事はあまり感じたことはありません。ただし、足の指とか、塗り忘れた場所を刺されることもありますので、しっかりとまんべんなく塗った方がいいかとは思います。

しかし、毎日、薬を塗るのは肌にも負担をかけそうだし、虫除けも大量にいるので、なるべく、お風呂に入った後は、外にはでないようにしています。

問い) 私たちは、旅先で地元のスーパーなどに行き、その地元独特の物を見て回るのが好きなのですが、ウブドにお勧めのスーパーはありますか?

答え) ウブドにあるスーパーは2、3店しかありませんが、一番のおすすめは、デルタ・デワタ・スーパーです。当バンガローの無料送迎範囲ですので、是非、お出かけください。

と言っても、日本のようなきれいなスーパーではなく、生鮮食品はちょっと買うのをためらわれるかもしれませんが、雑貨類など品揃えは、ウブド内では一番です。ちょうど雨季で、果物の種類がたくさん出回っている時期ですので、朝早めに起きて、ウブド市場に行くのもお勧めです。


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 バリの現地の情報でセントロというデパートがオープンしたというので調べて見ました。場所は、Jl.Kartika Plaza (Mal Discovery),Kuta (クタ地区)カルティカプラザモール内、ホテル・ディスカバリーの隣だそうです。海も見えるそうです。ぜひ行きたいのでどこからアクセスするかこれから検討するところです。

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 最近、バリ旅行の下調べで、ある宿泊施設の女性とメールのやり取りをしています。この女性の方が大変対応の良い方で、とても感謝しております。そのやり取りから、皆さんにも役に立つものをいくつか紹介してみましょう。

問い) バリでは、海で泳ぐよりもプールの方がよいのでしょうか。

答え) バリは、遠浅のビーチがあまりなく、クタ・ビーチもサーフィンで有名なように、波が高めの日が多いのです。

 海の色も、それほどきれいではないので、(北部、東部のビーチに行けばきれいですが、)子供さんを遊ばせるのでしたら、プールの方が良いかも知れません。クタのカルティカ通りにある、ディスカバリー・ショッピング・モールの前に、ウォーター・ボム・パークというプール施設があって、子供用のプール、スライダーなどもあり、お勧めです。

問い) 私は旅行に出ると、その地域の生活を知るために、地元のデパートやスーパーマーケットには必ず行くのですが、クタのマタハリデパートは、どうでしょうか?

答え) クタのマタハリも良いですが、さきほどのディスカバリー・ショッピング・モールの中にセントロという新しいデパートが入っており、まだ新しいこともありきれいですので、もし宜しければ、行ってみてください。

問い) スミニャックにはセンスのよいお店が多いらしく、行ってみたいのですが、プラマ社のシャトルバスは、子連れでも乗れますか?

答え) プラマ社のシャトルバスは、1人3万ルピア(約400円)で、子供も同料金となります。

 2,3時間に1本の割合でクタ-ウブド間(サヌール経由)を走っておりますが、クーラーもなく、車体もかなり古いので、車が弱い方にはおすすめできません。また、クタ発は、18時頃が最終便となります。

 ウブドは、メーター・タクシーが走っておりませんが、もし夕方以降もクタにいらっしゃるなら、行きは、シャトルバス、帰りは、クタでメーター・タクシーを拾うという手もあります。

 メーター・タクシーは、遠方の場合、メーターの1.3倍を支払うシステムになっておりますが、大体、クタからウブドまでは、20万ルピア(約2,600円)で帰って来られます。タクシーなら、少々遅くなってもウブドまで帰って来られますので、安心です。

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 マレーシア・フリークの妻「あみ」に付き合って旅行することで、イスラム教徒を肌でいくらかは理解していた。インドネシアは、マレーシアと同じくイスラム教国であると知っていたので、「暑いのに肌をみせられないので、バリは行く場所によっては(着る物が)大変だよ。」と言ったら、「あら、なに言ってんのよ。バリはヒンズー教よ。」

 無知であった。

 インドネシアは、およそ2億3千万人という人口の90%近くがイスラム教徒(muslim)であるが、「信教の自由」が保証されており、国教は存在しない。



 なぜなのか。ある書物ではこんな解説をしている。

 14世紀にイスラム教がインドネシアに伝わったときには、すでに政治・文化の中心地ジャワ島には土着の信仰が存在し、その信仰と混合することでイスラム教が受容された。穏健なスンニ派が多く、さらに都市を中心とした敬虔なイスラム教徒より、農村部に住むやや信仰心の緩いイスラム教徒の方が人口的にかなり多い。さらに、現在で300万人ほどの人口を擁するバリ島には、イスラム教は根づかず、ヒンドゥー教が信仰されているので、民族の団結、国家の統一を最優先させるなら「信教の自由」を保障する必要がある。

 私が考えるに、土着の信仰とはアニミズムであり、アニミズムとは死霊崇拝・精霊崇拝・自然崇拝であろう。これは多神教では容認されるが、イスラム教のような一神教においてどのように整合性を保とうとするのであろうか。偶像崇拝を厳格に禁じるイスラム教にどう混合したのであろうか。

 そんなことはどうでもいい、のかも知れない。行き先はバリである。ヒンドゥー教の信仰されている地域である。というと、ここにもインドのように殉死妻(sati、sutee、夫が死ぬと妻も一緒に死ぬことを強制される)という習慣(悪習)があるのか。

 脱線していってしまった。次回は、ランダ(Rangda)とバロン(Barong)に触れてみよう。

 ちなみに、ヒンズー教ではお寺を見物するには、女性は「サルン(kain sarung)」という腰布を巻かないといけないようです。

     (話の発展に整合性が取れなくなっている「健人のパパ」記す)

Muslims pray five times a day, facing Mecca. Those times are: (1) between first light and sunrise, (2) after the sun has passed the middle of the sky, (3) between mid-afternoon and sunset, (4) between sunset and last light of day, and (5) between darkness and dawn. The sign on the ceiling told us which way to bow. “Qiblat” means “direction of prayer.”

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