POWERFUL MOMが行く!
多忙な中でも,美味しい物を食べ歩き,料理を工夫し,旅行を楽しむ私の日常を綴ります。
 





 「担」(旧字は「擔」、dan 4声)には、「天秤棒で担ぐように作られた商売道具、商品、荷物」という意味があります。170年ほど前、担々麺を創始した四川の男は、食材と調理道具などを両天秤にして、天秤棒を担ぎ、路上を移動しながら、注文があればその場で調理をして売り歩いたといいます。江戸の街を歩き売りしていた「棒手振」(ぼてふり)と形態は同じものです。四川の人々はこれを「擔擔麵(繁体字、dandanmian 4-軽-4声、担担面)」と呼びました。

 台湾にも中国大陸と同じように「担担面(担々麺、タンタンミェン)」はあります。ただし、その名は担々麺ではなく、「擔仔麵(担仔麺、タンツーメン、タンツゥミェン、danzimian 4-軽-4声)」といいます。台湾では、天秤棒を指すのに、「擔仔」という言葉を用いるのです(中国大陸の四川では、「担担儿(タンタル、tantar 4-1声))」。

 担仔麺は海に面した台南が発祥で、漁民は台風がよく来る時期には漁には行けないので、副業として、天秤棒を担いで担仔麺を売り歩いたといいます。台南の担仔麺は、四川の担担面とは異なり、辛くはありません。具に豚のそぼろ肉を用いて、小振りの器に入れて出されるのは同じなのにです。味に対する好みが反映されているのでしょうか。

 台南の観光スポットに「赤崁樓」(赤嵌楼、chikanlou 4-3-2声)」があります。17世紀中ごろ(日本では、江戸時代)、台湾南部はオランダ人によって統治されていました。中国大陸から移り住んだ漢人は農業を営んでいましたが、重税に不満を抱き、蜂起することになります(「郭懐一事件」)。当時の移住漢人の4分の1ほども加わったというこの農民蜂起は、農民側の武器が鎌などに過ぎなかったことで、やがて鎮圧されますが、事件の再発を恐れたオランダ人は水源を持ち、食料を備蓄した城砦を築きます。それが「赤嵌楼(チーカンロウ)」です。

 中西区にある「赤崁楼」は、民族路二段にという大きな通りに面していますが、その近く、すこし東に行ったところの「台南市民族路二段180号」に「赤崁擔仔麵(Chi-kan Peddler's Noodle)」という担仔麺などの「小吃(シャオチー、小皿料理)」を提供するお店があります(營業時間:中午11點~晩上12點)。

 このお店のオーナー「曾鳳玉(Ceng Fengyu、2-4-4声)」は、台湾のテレビにもよく取り上げられた「立志伝の人(苦労と努力を重ねて志を遂げ、成功した人)」です。



 賭場を開いている家に生まれた彼女は、家を嫌い、放浪の少女時代を送ります。やがて、実家が台南担仔麺の店をやっている男性と結婚し、店を手伝い始めます。しかし、夫と姑は「六合彩」や「大家楽」と呼ばれる数字当ての違法博打に熱中し、多額の借金を作ります(而當時風行全台的六合彩、大家樂,卻粉碎了一個女人對美滿家庭的信念。)。

 彼女は子供が小さいために家を出ることもできずに夫の博打の借金を肩代わりすることになり、道端で担仔麺の屋台を始めます。売上はすぐに借金取りに取られてしまう毎日だったようです。子供が大きくなると、離婚して子供を連れて家を出ます。しかし、手元にはお金は一銭もありませんでした。自分の店を持つためには、お金が必要でしたが、信用を失墜した前夫との関係で彼女を信用してお金を貸す者はいませんでした。

 彼女は、大きな賭けに出ます。リスクを承知でヤミ金融からお金を借り、担仔麺などを出すお店を開店させます。台湾の人たちの抱いていた「担仔麺は屋台の食べ物」というイメージを払拭するために、店舗をしゃれた空間にします。レトロな空間に小学校の古い木の机と椅子を並べます(而今,老厝漆上了朱紅大牆,陳舊洗石子牆面爬滿蔓生植物,石柱下大石臼長滿圓潤的銅錢草,悠悠懷念老歌在骨董收音機旁播放,老吊燈暈黄燈光隨著陳韻流瀉至騎樓,直至毎一位過路人心頭。)。

 店舗は「赤嵌楼」に向かう観光客が行き交う通りに面していたこと、欧米人にも受け入れられる雰囲気を持ったデザインであったこと、小学5年生までしか学校に通ったことのない彼女であったが、外国人観光客に対応するために英語や日本語を学び始めたこと、もちろん上手に作った肉そぼろののった担仔麺がとてもおいしかったことなどで、商売に成功します。



 「聯合報」(2011年9月2日)の記事には次のようにあります。「阿里山公路嘉義縣中埔郷路段旁,最近新開一家大餐廳「赤崁擔仔麵」,毎天中午都有許多遊覽車停靠,大多數是陸客團,不只是當地觀光業者,不少民衆也納悶,台南小吃的擔仔麵怎會到嘉義開店,「赤崁擔仔麵」正是台南兩家本店以外,第一家外縣市分店。

 赤崁擔仔麵は、現在、3店あって、「總店」(台南市民族路二段180號 赤嵌樓旁)、「永華店」(台南市安平區永華路二段240號 台南市政府旁)、「嘉義店」(嘉義縣中埔郷金蘭村24-58號)です。話しが長くなりましたので、続きはまた。

              (この項 健人のパパ)

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 いざ合戦、いえ違います。敵味方の判別のつきにくい夜に合戦が行なわれることは、夜襲以外にはありえません。夜襲では旗印は立てないもの。実は、これは、台湾の台南市の海安路と和緯路の交差点付近の空き地に木曜日、土曜日、日曜日の夜になると屋台がひしめく「花園夜市」です。



 「夜市(よいち、イェーシー、yeshi、1-1声)」は、夕方から真夜中にかけて営業する屋台や露店が集まったもので、日用品や飲食のサービスを提供しています。道の両側であったり、空き地の中であったりします。日本で言うならば、大きな行事のある日に出店するたこ焼き、焼きそば、綿菓子、磯辺焼、おもちゃなどの屋台が夜、日常的に出ているようなものです。熱帯や亜熱帯地域では、昼間の暑さを避け、比較的快適な夜に外出する人が多いため、夜市がよく見られます。

 台湾のテレビ局が2008年に夜市の人気投票を行なったところ、1位に輝いたのが「台南花園夜市」だったそうです。2位が「台中逢甲夜市」、3位が「台北士林夜市」で、以下「台北師大夜市」、「基隆廟口夜市」、「高雄六合夜市」、「宜蘭羅東夜市」、「豊原廟東夜市」、「台北通化夜市」、「台北萬華夜市」と続きます。

 夜市の好きな私たちは、この中のいくつかには出かけていってます。6位の「高雄六合夜市」は『「台湾へ再び」-「高雄」は「六合夜市」かな? 』で記事を書き、7位の「宜蘭羅東夜市」は『「台湾へ再び」-「羅東」で、「羅東夜市」を覗いてみた。』、3位の「台北士林夜市」は『「台湾へ再び」-「士林夜市」を覗いてみたい。』と『「台湾へ再び」-「士林夜市」を覗いてみたい。2』、9位の「台北通化夜市」は『 「台湾へ再び」-夫に、「臭豆腐」を食べさせてみようかな。』で記事を書いています。

 台南の夜市は、「花園夜市」、「武聖夜市」、「大東夜市」、「小北成功夜市」などとありますが、台南の夜市で気をつけなければならないことは、夜になればいつでも開かれている、というわけではないことです。屋台がショバ代を払って巡って歩いているのです。例えば、月曜日は大東夜市、火曜日は小北成功夜市、水曜日は武聖夜市、木曜日は花園夜市、、、といったようにです。花園夜市は、木曜日、土 曜日、日曜日にしか開かれず、これ以外の曜日に行っても、空き地が広がるだけということになります。

 開催日が重複することもあり、火曜日と金曜日は大東夜市と小北成功夜市がともに開かれ、土曜日は花園夜市と武聖夜市がともに開かれます。私たちはホテルのレセプションで「きょうはどこの夜市が開かれるの?」と毎日確認です。屋台のオーナーも人気の落ちた夜市には店を出さなくなりますから、消滅する夜市も出てきます。レセプションでこんな会話がありました。

私「開元夜市はここから歩いて行ける?」
係「?」
妻「通じていないみたい。漢字で書いて見せたら。」
漢字で書いて見せるが、
係「?」
やり取りを聞いていた台湾人の宿泊客も参加して
客「?」
係「花園夜市ならやっていますよ。」
妻「花園夜市は明日行きたいの。きょうは開元夜市がいい。」
係「こんな夜市は知らない。」
客「私も知らない。」

 2009年1月20日に書かれた台湾人のblog(部落格)に「台南開元夜市【三、六】開元路崑山中學校對面」(「三」とは「星期三」の略で、水曜日のこと)という記述のあることから、「存在するが、地元の人には夜市だとは認識されていない」、「存在したが、いまは消滅してしまった」といった可能性があります。



 台南の夜市はいずれも容易にアクセスできるところにはなく、タクシーを使うことになります。宿泊ホテルは、台南駅の東にあり、花園夜市は駅の西の方にあるので、ホテルの前ではタクシーを拾わず、地下通路を通って西口(前站)へ移動し、駅前でタクシーを拾いました。いつもタクシーが行列をなして、客待ちをしています。

私「我想去花園夜市。」
運転手「(頷く)」
私「多少銭?」
運転手「一百一。」

 花園夜市からの帰りも夜市の入り口で客待ちをするタクシーを拾って台南駅まで帰った来ましたが、メーターで110元(1台湾元=2.7円換算で、270円)。往復で、台南駅からは、600円ほどで行けるようです。



 台湾旅行で夜市に通い始めた頃は、見るものすべて珍しく、いろいろと口にしたのですが、いまではほとんどのものの味を知ってしまったので、何を食べるかに日常の好みが入ってしまいます。油を多く使ったものには手が出ません。例えば、日本の焼きそばや炒飯に似たようなものは選ばなくなってしまいました。また、見るからに甘そうなものにも関心が向かず、そうすると、意外と選べるものが少ないのです。

 健人の撮影した映像

 少ない選択肢の中から選んだものもいざ食べてみると、MSG(化学調味料)の味が強く、がっかりすることが多々。夜市の食べ物はいろいろと種類が食べられるように一椀や一皿が少なめです。夕食にと考えると夜市の食べ物は市中の食べ物と比べてそれほど安くはありません。



 花園夜市で手を出したのは、日本では普通には食べられない鴨肉の入った麺「鴨肉焿」。「焿(敢えて読むなら「コウ」でしょうか。geng、1声)」とは、とろみをつけたスープのこと。普段、外食をすることが少なく、また、MSGの使われている食品を極力避ける食生活をしている私たちはMSGの味に敏感です。これは外れでした。妻も息子「健人」も一口食べて、「もういらない」と言い、「物を食べ残すことのできない世代」である私が食べきることになりました。MSGを多く使った食べ物を食べてもお腹を壊すことはないですからね。



「あら、舌を壊すわよ。」(妻)

 妻「あみ」は、一口食べてMSGの味がわかる敏感な舌をしています。私は食べ終わった後の「後味」の悪さでMSGを感じる鈍感な舌をしています。鈍感でも感じるところが厄介なところ。我が子「健人」は妻の舌に近づいていっています。



 口直しをしないと耐えられないと言って2人は、「愛玉(アイユィ)」を買うことに意見が一致したようです。「愛玉冰(アイユィピン)」は、クワ科イチジク属のつる性植物「愛玉子(中国語:アイユィツ、台湾語:オーギョーチ)」の果実から作られる硬いゼリーのデザートです。しかし、愛玉を作るのには大変な手間がかかるのだそうで、実のところ、今ではほとんどが寒天で代用されているようです。愛玉自体には味がなく、砂糖で味付けしレモン汁をかけたり、甘い緑豆スープに加えたりして、食べることになります。

私「あそこにあるよ。」
妻「ダメよ、あそこは。人が並んでないでしょう。むこうに行列を作っている店があったの。そこまで行くわよ。」
私「一回りしたときにそこまでチェック済みでしたか。」
妻「当たり前よ。」
私「・・・」

                 (この項 健人のパパ)

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 「台南駅(台南火車站)」の前に南北に走る「北門路」があります。その道路を北に進む(台南駅西口(前站)を背にして右方向)と数分で左手に「台南公園(2001年に「中山公園」から改称)」が見えてきます。

 台南公園(公園路と公園南路の交差点から)

 台南公園は広大な公園であり、およそ15ヘクタールという広さは16ヘクタールの広さを持つ「日比谷公園」に匹敵します。北門路と「公園南路」の交差点で左折し、公園南路を数分西に進むと、南北に走る「公園路」との交差点にやってきます。

 台南公園(北門路から)

 台南公園の公園路を挟んだ向かいには、兵工廠の跡地が未開発のままに広がっています。そこに台南を目指した長距離バスが次々とやって来て、乗客を降ろしていきます。その乗客を目当てに、タクシーが客待ちをしています。台南のタクシーは安い。100元も出せば(1台湾元=2.7円換算で、270円)、台南駅周辺のホテルには連れて行ってくれます。しかし、歩くことで街を知り、旅を楽しもうという主義の私たちは、宿泊ホテルまで徒歩です。着替えやパソコンの詰まった重いバッグをガラガラと引きずり、日も暮れた公園路を南下していきます。トホホ、、、

 日中の長距離バスの降車場

 台中駅前を15時35分に出た「長距離バス(國道客運)」の、車体が緑色の「Ubus(統聯客運)」は、高速道路「国道1号(國道一號)」を南下し、途中「新営(新營)」と「麻豆」のインターチェンジで一度降り、客を乗降させて、台南へとやって来ました。台南公園の向かい、兵工廠の跡地にバスが到着したのは、18時55分。3時間20分かかったことになります。台中-台南間の平均所要時間は、2時間30分ほどとUbusのサイトにはあったのですが(本路線全程行車時間平均為2小時30分)、この時間帯は道路が混むのでしょうか、1時間ほども余分にかかってしまいました。
 
 「台湾高鉄」を使えば、「桃園駅」から「台南駅」までは、1時間20分ほどで、1,200元(約3,200円)ほど。Ubusでは、420元(約1,100円、桃園空港-台中間240元、台中-台南間180元)になります。所要時間は、5~6時間。「旅」には多少の困難がつきものと考え、観光スポットなどの「点」を楽しむというより、移動も含めて、「面」で楽しもうという私たちは、異端なのでしょうか。

 公園路に面したバス停「台湾公園」

 長距離バスの降車場「兵工廠」には、台南の観光スポットを巡る観光客向け路線バス「台湾好行巴士」の始発停留所「台南公園」があります(路線バスは、9番と18番)。バスの運行時間内に到着したのなら、このバスを利用することもできます。料金は18元(約50円)の一律です。

 台南駅の「南站」にやって来た台湾好行巴士

 台湾好行巴士は、2路線あって、「安平線」は、臺南公園⇔興濟宮/大觀音亭⇔火車站⇔縣知事官邸⇔東門圓環⇔延平郡王祠⇔法華寺⇔誠品書局⇔文化中心⇔巴克禮公園⇔台糖長榮酒店⇔竹溪寺⇔體育公園(五妃廟)⇔大南門城⇔孔廟⇔山林事務所⇔鄭氏家廟⇔天壇⇔赤崁樓⇔水仙宮⇔神農街⇔中正商圈⇔大億麗緻酒店/新光三越⇔ 水萍塭公園⇔市政中心⇔億載金城⇔林默娘公園⇔安平港濱歷史公園⇔原住民文化會館⇔運河博物館⇔延平街⇔安平蚵灰窯文化館⇔安平古堡⇔記洋行/安平樹屋⇔古運河⇔觀光魚市場⇔觀夕平台と巡ります。

 運行時間は、平日(月曜日~金曜日)は、「台南公園」発の時間で、9:00、10:00、11:00、12:00、13:00、14:00、15:00、16:00、17:00、18:00と9時から18時まで、1時間ごとに10本出ています。帰りは、「安平観夕平台」発で、上記の時間に1時間15分を加えた、10:15、11:15、12:15、13:15、14:15、15:15、16:15、17:15、18:15、19:15です。休日は、8時30分から19時まで30分ごとの22本となり、帰りは1時間30分を加えた時間になります。



 このバスの切符は台湾鉄道の台南駅のロータリーを挟んだ向かいにある「高雄客運南站服務台」で購入するか、バスの車内でバスの運転手から購入しなさいと案内しています。(臺南火車站前公車候車亭之高雄客運南站服務台購買,或於公車上向司機購買。

 もう1線は、「台江線」で、臺南公園⇔興濟宮/大觀音亭⇔火車站⇔香格里拉飯店⇔勝利路(小西門)⇔成功大學⇔臺南公園⇔火車站⇔新光三越⇔吳園⇔大遠百⇔赤崁樓⇔水仙宮⇔接官亭⇔望月橋⇔安平蚵灰窯文化館⇔安平古堡⇔記洋行/安平樹屋⇔古運河⇔四草大橋東⇔四草大橋西⇔四草生態文化園區⇔鹽田生態文化村⇔鹿耳門天后宮⇔鹿耳門聖母廟⇔龍山村⇔臺灣鹽博物館⇔七股鹽山と巡ります。



 行き当たりばったりで(臨機応変に?)行動する私たちは、台南に夜遅く着くことも想定して、長距離バスの着く「兵工廠」から遠くない、公園路に面した「首相大飯店」を台南での初日の宿泊ホテルにしておきました。それでも、疲れたな、バス旅は。

                      (この項 健人のパパ) 

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 いま、「台南」に来ています。台南は11月でも暑い。長袖のシャツを着て、街中を歩き回ると1日で汗臭くなってしまいます。人に不快感を与えるので、毎日着替えなくてはなりません。しかし、旅先ではこれが難しい。持ち運ぶ衣類は少ない方がいいと考え、下着類は4日分持ってきたのですが、シャツは2枚。これは、危ない綱渡り、現地でもう1枚買わなくてはならなくなるのでしょうか。

 宿泊しているのは、「シャングリ・ラ ファーイースタンプラザホテル 台南(Shangri-La's Far Eastern Plaza Hotel, Tainan、台湾台南市东区大学路西段89号)」。「台南駅(台南火車站)」の東口(後站、西口とは地下通路で連絡している)を出たところのすぐにあります。このホテルからすぐ近くの「育楽街」に「DIY自助洗衣店」というコイン・ランドリーがあるようなので、近々、調べに行くことにしています。あれば、いいな。

 あ、つまらない話しでしたね。さて、きょうは桃園空港から台南に長距離バスでやって来た話しをします。以前、「「台南へ」 - 台湾桃園国際空港から台南へバスで行く方法はあるの?」という記事で書いたように、「桃園国際空港臺灣桃園國際機場)」から直接台南にバスで行く方法はありません。一度台中でバスを乗り換えなくてはなりません。

 長距離バスの「桃園機場站」

 バス乗り場の「第一航站(1623)」

 南北に長い台湾を北から「基隆」→「台北」→「新竹」→「台中」→「台南」→「高雄」などの主要都市を連絡して高速道路が走っています。この総延長370kmほどの高速道路は「国道1号(國道一號、中山高速公路、南北高速公路)」と呼ばれます。この高速道路を長距離バスはひたすら南下して行きます。台北からは直接台南に入ることはできるのですが、需要の問題なのでしょうか、桃園国際空港からはバスの乗り換えになります。

 乗り継ぎのバス停である「統聯客運朝馬站」

 国道1号と12号の交差するところに台中のインターチェンジがあり、そこに乗り換えのバス停があります。「朝馬ターミナル(朝馬轉運站)」です。朝馬ターミナルと「台中駅(台南火車站)」は6kmほど離れており、台中駅に向かうこの道路は非常に混みます。私たちは台中で昼食と考えていたので、この混雑した道路に入ってしまいました。桃園国際空港のバス停を11時10分に出たのですが、台中駅に着いたのが13時40分。所要時間2時間30分ほどですが、朝馬ターミナルで下車すれば、20分ほどのロスはありませんでした。

 長距離バスの終点降車停留所の「台中車站」

 台中駅周辺では、昼食をとり、健人の希望する「電子街」に行くことになりました。電子街は予定していなかったのですが、14時40分発台南行きの「統聯客運(Ubus)」のバスは、2席しか座席が空いていないということで、我々3人は次の15時35分のバスにしか座席が取れませんでした。台中発台南行きの長距離バスの利用客は多いのですね。そこで1時間空いた時間を利用して、台中駅から徒歩数分の電子街の見物になったのです。



 その前に、昼食の話しをしますが、台中駅の近くには「建國市場」があります。非常に広大で、見てまわる時間もないので、中には踏み込まず、入口の「阿鄉雞腿排骨便當店(台中市建國路226號)」で、いろいろと注文をして見ました。タラのフライはさっぱりしていておいしかった。「排骨」は地元の人たちに人気なようなのですが、私たちにはMSG(化学調味料)の味が気になります。衣の味が特徴的でMSGが入っていなければ、おいしいと言えたのですが、、、





 ここまで書いてきて、隣で覗き込んでいた我が子「健人」が言いました。

「お父さん、電子街の記事は書かないで。僕が書くから。」
「そう、では書かないから、必ずブログに書いてね。」
「うん。」



 台中駅前では、「建国路」と「中正路」が交差していますが、その交差点の角に「Ubus(統聯客運)」の「台南」行きのバス乗り場があります。バスは時刻表通りに出発しました。

 まとまりのない文章になりましたので、長距離バスでの台南到着は次回の記事で書くことにします。

                  (この項 健人のパパ)

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 「アッシジ(Assisi)」にある「サン・フランチェスコ大聖堂(Basilica di San Francesco)」の美術修復主任の「セルジオ・フセッティ氏(Sergio Fusetti)」は、ジョットの描いた連作壁画の中の1枚に秘かに「悪魔」が描かれているのを確認したといいます。

 サン・フランチェスコ大聖堂は、「アッシジのフランチェスコ(Francesco d'Assisi)」の功績を称えるために建設されたもので、1226年10月3日にフランチェスコが亡くなると、その2年後の1228年には、ローマ教皇「グレゴリウス9世(Papa Gregorius IX、在位:1227年~1241年)」によって、すでに建築が始まり、1253年に一応の完成をみたようです。
 
 大聖堂は、上堂部分はゴシック様式、下堂の部分はロマネスク様式で築かれ、上堂内部はルネサンス初期の画家「ジョット(Giotto)」による「聖フランチェスコの生涯」が、28場面のフレスコ画で描かれています。ジョットがこの作品を描いたのは、1296年から1298年にかけてといわれています。



 ジョットのフレスコ画は、上堂の入り口を入って、右奥から始まります。大聖堂の「身廊(nave、サン・フランチェスコ大聖堂は「単廊式」で、側廊を持たない)」は、4つの交差ヴォールトからなります。そのため、左右それぞれ4面の壁があり、それぞれの面に3場面が描かれます。第1場面から第12場面までが、入り口から見て右の壁に、第17場面から第28場面までが左の壁になり、第13場面から第16場面までの4場面は、入り口の壁に描かれています。
 


 「悪魔」が描かれているとされる第20場面は、左の壁にあり、上の画像で言うならば、左手前の場面になります。悪魔が描かれているのではないかと言い出したのは、美術史家の「キアーラ・フルゴーニ氏(Chiara Frugone)」で、雲の中に埋め込むように、「鷲鼻(hooked nose)」で「黒みを帯びた角(dark horns)」を持ち、「意味ありげな笑みを浮かべた(sly smile)」悪魔の横顔があると主張しています。




 第20場面には、フランチェスコが昇天する場面が描かれています。「小さき兄弟の修道会」(Ordo fraterorum minororum)を創立したフランチェスコは死期が迫っているのを知ると、弟子の修道士たちにポルツィウンコラに自分を運ばせます。1226年10月3日、ポルツィウンコラの裏の「トランジト礼拝堂(Cappella del Transito)」でフランチェスコは亡くなります。



 上堂部分の連作フレスコ画は高いところに掲げられているので、サン・フランチェスコ大聖堂に赴いても、ジョットが「悪魔」を描き込んだかどうかは知ることができません。さて、みなさん。第20場面の上部部分の雲を拡大しましたので、円内に「悪魔」が描き込まれているか確認してみてください。

(この項 健人のパパ)

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