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 2011年7月31日配信の「新京報」の記事は、2005年4月25日にJR西日本の福知山線で起き、107名が死亡した列車脱線事故を取り扱うことで、2011年7月23日に起き、40名が死亡した中国高速鉄道列車脱線事故をめぐる中国の鉄道省の対応の非人間性を浮き上がらせようとするものです。

 2011年7月30日配信の「読売新聞」の記事 によると、「高速鉄道事故が発生して1週間となる7月30日、中国当局は報道規制の強化に乗り出した」とあります。共産党中央宣伝部の「メディアの独自報道が鉄道省批判にとどまらず、政権批判まで拡大することを警戒した措置」なのだそうで、その具体例として、被害者家族から取材し数ページにわたり高速鉄道事故の特集を掲載する予定だった「新京報」は紙面の大幅差し替えを命じられたようです。

 翌7月31日配信の「新京報」の記事は、その「報道規制」に対する抵抗であり、外国(日本)の事故を扱ってはいますが、暗に自国(中国)の事故対応を批判しているのです。そのタイトルは「捜救三天三夜、追責六年未止」。「捜索救出活動は三日三晩続けられ、責任追及は六年経った今でも続けられている」という意味でしょう。



 温州市で起こった中国高速鉄道列車脱線事故では、鉄道当局は救援活動もそこそこに運行の再開を急ぎ、さらに再発防止を目的とした原因追求のために現場保存をするという意識はなく、事故車両を解体し、土中に埋めました。この行動を記録した映像は世界中へと配信されました。救出活動が打ち切られた後の7月24日夕刻、2歳の女児が車両から救助されたのですが、そのことが信じられません。車内の捜索が充分に行われていなかったことになるからです。

 新京報は、JR西日本の福知山線での列車脱線事故では、「事発後,捜救人員従三号車廂開始依序将車廂切開救出里面受困的乗客,在24小時不停休的搶救之下,捜救工作于3天後的4月28日下午宣告結束.」と述べ、4月25日午前9時20分頃に発生した事故の救助作業は徹夜で続けられ、終了したのは事故発生から3日後の4月28日午後だったことに言及し、暗に中国での事故の早期打ち切りを批判しています。

 また、新京報は、「“我們対這起車禍的反応是,第一,救援;第二,検査現場;第三,調査原因;第四,提出対策.”」という言葉を紹介し、日本では、救援活動、現場検証、原因調査、再発防止策の提出というふうに行われるということを強調し、現場保存が行われず、現場検証が行われなかったことも暗に批判しています。

 さらに、新京報は、「事故発生後,福知山線整整停運了55天。在当時,停運一天就会給西日本鉄道公司帯来三千万日元的損失,但闖下弥天大禍的西日本鉄道絶不敢談一個“銭”字.」と述べ、1日につき3000万円の損失を蒙りながらも運転再開まで55日をかけて安全を確保し(被害者遺族の感情も考慮し)た日本を引き合いに出して、暗に利益優先主義で、2日後には運転を再開した高速鉄道を批判しています。

 中国のメディアにおける「新京報」の勇気を賞賛するのですが、高速鉄道事故をめぐる鉄道省の対応を批判した「中国中央テレビ(CCTV)」の報道番組担当プロデューサー「王青雷」氏が停職処分を受けたと聞くと、「新京報」の編集担当者の今後が心配になります。

(追記 「一味的限制和封鎖,求得的是表面的平静,醞釀的却是更大的危機.(ひたすら情報を規制したり封鎖することで得られるものは表面的な平穏でしかない。かえって、より大きな危機を密かに作り出してしまう)」、「真実的声音,是一個逐漸成熟的中国最需要的国家気質.(真実の声こそが中国がゆっくりと成熟するのにもっとも必要な要素である)」と「新浪微博」に2011年8月1日に投稿していた中国国営中央テレビ(CCTV)のプロデューサー(制片人)「王青雷」氏は7月27日付けで停職処分にされていたそうです。

 王青雷氏は、自分が担当する「24時間(24小时)」というニュース番組で、7月23日には、高速鉄道の事故を報じた際、中国鉄道省が事態の収拾を急いだことに疑問を投げかけ、7月26日には、高速鉄道の安全性について当局側が「問題ない」としたことに対して、疑念を抱く番組内容を編成していました。

 急速に、中国側から、高速鉄道列車追突事故に関する報道が減ったのは、このようなことが背後で進行していたからなのでしょう。)

                 (この項 健人のパパ)

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 2010年8月24日午後9時36分、乗客91人、乗員5人を乗せて中国の黒竜江省でハルビンから伊春(いしゅん)に向かった河南航空(現 鯤鵬航空(こんぽうこうくう))の旅客機(エンブラエル E190)は、濃霧に包まれ視界が200メートル足らずしかない林都空港に着陸を試み、墜落。死者42人、負傷者54人を出しました。

 中国では、「国内航空運送事業者の賠償責任限度額規定」で、航空機事故の賠償額は最高40万元と定められていますが、河南航空有限公司はこの旅客機墜落事故の犠牲者に対し、一人あたり96万元の賠償金を支払ったそうです。これは日本円に換算すると、ほぼ1200万円に相当することになります。

 林都空港は山間部に位置し、地形や気候などの要因から、離着陸の難しさが指摘されており、濃霧の発生などで、特に夜間は離着陸には危険を伴うと言われていたそうです。中国南方航空は、伊春空港では原則、夜間の運航をしないとリスク管理を行なっていたそうです。

 それから11か月経った、2011年7月23日午後8時34分頃、乗客558名を乗せた北京市北京南駅発の福州駅行きの中国高速鉄道の列車(CRH2E)が落雷によるトラブルで運行司令室から「車両走行の停止」の指令を受けて停車していた列車に時速120km近くで激突し、先頭車両の4両が高さが20メートルほどある高架橋から転落。死者40人、負傷者200人以上を出しました。

 多数の犠牲者を出した高速鉄道事故といえば、13年前の鉄道事故が思い出されます。

 1998年6月3日午前11時頃、ドイツのニューザクセン州エシェデ村で、14両編成、乗客約300人を乗せたドイツ鉄道の高速列車「インターシティ・エクスプレス(ICE)」が時速200kmで走行中、機関車に連結していた1両めの客車の車輪が破損。それを引き金として後続する車両とともに脱線転覆、一部の車両が道路橋脚に激突。死者101名、負傷者200名を出しました。

 多数の犠牲者を出した鉄道事故を中国に限定すれば、2008年4月28日午前4時38分に、山東省淄博(しはく)市王村駅付近で起きた列車衝突事故があります。北京発四方行きの列車が速度超過で脱線し上り線を塞いだところに、煙台発徐州行きの列車が衝突したものです。72名が死亡し、400名以上が負傷しました。

 このときに列車運行の総責任者としての責任を問われ降格をされて左遷されていた「安路生」(上海鉄道大学卒)という人物が今回の温州市で起きた高速鉄道事故の管理責任を問われて更迭された上海鉄路局の局長の後任に任命されたそうです。事故から3年ほどしか経たずに注目を浴びる役職に就くというのは、1度の事故で埋もれさせたくないほどに優秀であるか、ほかに事故処理に手腕を発揮できる優秀な人物がいないか、上からの覚えが目出度いか、、、

 山東省列車衝突事故では、事故から3年経っても負傷者への賠償問題は進展していないのだそうです。死亡者への賠償金が20万元(約240万円)であり、負傷者への賠償金はそれを上回ることはなく、後遺症を負った被害者は治療費用が賠償金を大きく上回り、経済的に追い詰められているのだそうです。

 この山東省の事故の死亡者の40%ほど、負傷者の20%ほどが任意保険に加入しており、死亡者に支払われた保険の最高金額は50万元だったようです。中国を旅行するときは、確実に旅行者保険(海外旅行保険)などの「短期保険」にも加入しておくことが必須のようです。例えば、傷害死亡・後遺障害の最高額を5,000万円、治療費用の最高額を2,000万円、行き先を「中国」とし、期間を1週間とすると、3,000円ほどの出費になります。

 温州市の高速鉄道事故では、真相究明や責任追及を強く求める遺族に対し、事態の早期沈静化を図ろうとする思惑から、当初遺族に対する賠償金の基準額を50万元としていたものを91万5000元(約1100万円)へと大幅に増額したようです。

 いままで、ある程度の時間が経過すると、当局批判をする者たちへ「沈黙」を強要する中国社会にあって、今回はメディアもまだ沈黙を始めていません(追記 7月30日配信の読売新聞の記事によると、中国当局は報道規制の強化に乗り出したようです。タブロイド紙「新京報」が7月30日付の紙面の大幅差し替えを命じられ、新華社通信の記事だけを掲載することになったほか、中国共産主義青年団(共青団)の機関紙「中国青年報」も事故絡みの記事を一切掲載しなかったそうです。他の有力全国紙も新華社の記事だけを載せ、事故の情報は突如途絶えたようです)。2007年に運行が始まり、わずか4年で総延長が1万キロにも達した高速鉄道網の建設で、安全性が置き去りにされたのではないかとの疑念はすでに大衆が共有していたものであったのです。そういうことからは、今回の高速鉄道列車追突事故は、「予告」されていたのです。

(参考) 「中国の高速鉄道列車事故 - 中国のメディアは権力にやがて屈服するのか。

 中国の高速鉄道にも、列車同士が一定距離以上に近づくと強制的に減速させ、停止させる自動列車制御装置が装備されているのだそうです。当然といえば当然なのですが、報道によると、落雷によりシステムが作動しなくなったので、その自動制御装置を解除して、運行していたのだそうです。

 システムの復旧までは、列車を走行させないか、少なくとも通常の走行速度よりは格段にスピードを落として走行させるべきをそうはしなかったことが信じられません。

 「安全」という意識が希薄なのでしょうか。

(追記 中国国営の新華社通信によると、列車追突の主因である「自動列車制御装置が機能しなかった」原因について鉄道省幹部が言及したそうです。それを時系列で並べてみると、
(1)落雷の影響で温州南駅の信号設備が故障した。
→(2)やがて追突されることになる先行列車は正常運転をしていたが、信号設備の故障で、その列車に搭載された機器が正しい運行情報を受信できなくなった。
→(3)正しい運行情報を受信できなくなった列車は事故現場の約2km手前でいったん停車した。
→(4)やがて、(運行管理の担当者の指令に従って列車運行を自動から手動に切り替えたであろう)この列車は時速約20kmで徐行運転を再開した。
→(5)運行管理センターのデータ収集システムのプログラムに設計上の重大な欠陥があったために、やがて追突することになる後続列車に赤信号を発信すべきところ、青信号を発信した。
→(6)低速で走行していた先行列車に後方から通常速度で運転していた後続列車が追突した。)

(疑問 「フェイルセーフ(fail safe、システムには必ず故障が発生するということを前提にし、故障が発生した場合に常に安全側に作動する工夫を施すこと)」の設計になっていなかったのはこれだけなのだろうか。先行するはずの列車が後続するはずの列車に追突をしたことに対する説明がないのはなぜか。これで幕引きとなってしまうのでしょうか。)

(参考) 「中国の高速鉄道列車事故 - 信号システム以外に潜む、安全を脅かすもの。

 2001年3月18日午前0時46分、台湾第3 (馬鞍山) 原子力発電所の1号機で、送電線からの電源が同時に喪失し、更に緊急用ディーゼル発電機がうまく作動しないという事態が発生し、「発電所外および内の全ての電源を喪失」するという事態が起きます。前日17日の高圧線の故障が原因で運転停止中だったため、外部への放射能漏れはなく、周辺住民および環境への影響はなかったといいます。

 原子力発電所を運用するには、最悪は炉心溶融を引き起こす「電源喪失」に対して幾重にも安全対策を講じておかなければならないのですが、その対策を十分に講じなかったことで引き起こされた「福島第1原子力発電所」の放射性物質の漏洩事故を起こした日本が、「安全性よりも経済性を優先させた」と、日本が技術供与した高速鉄道の列車を走らせている中国を非難できないことが残念でなりません。

(参考) 「中国の高速鉄道列車事故を考える。命の値段は中国では安いのか

(参考) 「中国の高速鉄道列車事故 - 予告されていた大惨事を起こした責任は

               (この項 健人のパパ)

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 中国の浙江省温州市で起きた高速鉄道の列車追突事故について、上海鉄道局は2011年7月28日に信号装置の設計上の「深刻な欠陥」によって引き起こされたとする見解を示し、また、深刻な欠陥があったと指摘される信号設備を設計した「北京全路通信信号研究設計院有限公司」は同日、責任を認めて謝罪したという報道があります。

 しかし、本来のダイヤは追突した列車が追突された列車より先行することとなっており、先行する列車が後続するはずの列車に追突したという報道が事実なら、列車運行の制御システムに重大な欠陥があった可能性があります。「高速鉄道」は車両設備のみならず地上設備なども含めて一体で運行の安全を保証する総合システムです。

 落雷後に「赤」に変わるはずだった信号が、誤って「青」のままになっており、鉄道員がそれに気付かなかったことが事故の原因だったと上海の鉄道局は報告しているようですが、「信号装置」という限定的なものに原因を押し付け、また「鉄道員」という個人にも責任を押し付け、強引に幕引きを図ろうとしているようにみえます。

 追突した車両は、川崎重工業が車両技術を供与しているそうで、川崎重工業の大橋忠晴会長は7月26日、落雷が原因との報道に対し、「各車両に避雷針は付いている」、「車両に問題があったとは考えにくい」と述べたそうです。また、追突された列車の運転士は「走行するべきだったが、停車しろと指示された」と証言していたことが7月27日、分かったのだそうです。車両には問題がなかったことがわかります。

 ここで、運行指令室で列車の停止の指令を出した担当者に責任を転嫁して幕引きをしたとすれば、それも強引です。「ヒューマン・エラー」をゼロに抑えることはできません。その可能性を考慮に入れてシステムは構築されるべきです。前方の列車が停止しているのならば、その後方の列車にも停車が指示されるべきです。

 また、何らかのシステムのトラブルで前方の一定区間に列車がいないことを確認できないときは、後方の列車には停車が指示されるべき(信号が「赤」)であり、また後方の列車の運転手が「ヒューマン・エラー」を起こす可能性もあるので、確実に作動する「自動列車停止装置(ATS、Automatic Train Stop)」も必須でしょう。

(参考) 「中国の高速鉄道列車事故を考える。命の値段は中国では安いのか

 今回の列車追突事故の死亡者には50万元が支払われることになるようですが、高速鉄道のチケットは比較的高額であり、ある調査では「1年間にどれくらい高速鉄道を利用しますか」との質問に対して、「5回以上」と回答した人の割合は、「月収3000元以下」の層では15%ほどだったのに対し、「月収9000元(およそ日本円で11万円)以上」の層では44%近くになったといいます。経済的にゆとりのある人たちの高速鉄道の利用頻度は高いのです。

 賠償金の50万元を月収9000元で割れば、55か月にしかなりません。働き手を失った生活のレベルが高い被害者家族は、5年も経たないうちに生活苦に陥ることになります。2010年8月24日に、黒龍江省の伊春市林都空港で起きた旅客機墜落事故の被害者に対しては、一人当たり96万元の賠償金が支給されたといいます。この額まで今回の事故の賠償金が増額される可能性もありますが、この額でも106か月分、おおよそ9年分です。月収がもっと多い家族にとってはほんの数年分にしかならないでしょう。

 事故の2日後には事故区間での列車運行は再開されました。列車の乗車率は事故前と比べて大きく減ってはいないといいます。中国では経済活動に必要なので、そんな安全性に疑問がある列車でも乗り続けなくてはいけないのでしょうか。中国では、人々は日本人と比べて大きなリスクを負いながら生活しているようです。「食品」に、「バス」に、「高速鉄道」に、、、と毎日ロシアン・ルーレットの拳銃の引き金を引きながら。

(参考) 「中国の高速鉄道列車事故 - 中国では安全に対する考え方が違うのか

                  (この項 健人のパパ)

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 中華人民共和国の人口はおよそ13億4千7百万人だといいます。もちろん、世界で最も人口の多い国です(2位は12億1千万人のインド)。家族にはかけがえのない「命」であっても、これだけの人口を擁していると、国家からはその命を軽んじられることもあるのでしょうか、鉄道事故に対する賠償を定めた「鉄路旅客意外傷害強制保険条例」では、鉄路運輸企業の賠償責任の限度額は、15万元と定められているののだそうです。

 15万元は、現在(2011年7月26日)の為替レートから言うと、180万円にしかなりません。2011年7月23日、20時30分頃、中華人民共和国(中国)の浙江省温州で、北京発福建省福州行きの高速鉄道列車が、落雷で停まっていた(追記 時事通信によると、運行指令室からの指示によって停車していたのであって、電力供給は正常であったという)浙江省杭州発福州行きの高速鉄道列車に追突(時速118kmという高速で)、死者39名(後に40名に)という大惨事が起りました。今回の大事故では賠償額が50万元という報道がありますが、それでも600万円です。

 この金額は、中国の物価水準では、例えば働き手を失って残された家族がある程度長期にわたって生活苦に陥らないで済む金額なのでしょうか(追記 毎日新聞によると、中国都市部の市民の平均年収が約2万元であることから、その25倍)。日本の物価水準では、つましい暮らしをしたとしても2年も経たないうちに、生活苦に追い込まれてしまう金額です。幸い、日本人の乗客はこの列車事故の死亡者の中にはいなかったようですが、人の活動がグローバル化する中で、日本人が事故に巻き込まれる可能性は、少しも低くはありません。死亡者の中にはアメリカ人が2人、イタリア人女性が1人いたようです。

 残念ながら、この事故は予告されていたと言います。2010年4月6日のイギリスの経済紙「フィナンシャル・タイムズ(Financial Times)」で、JR東海の葛西敬之(かさいよしゆき)会長が東京特派員とのインタビューで、中国の高速鉄道について「安全を軽視」などと述べていました。会長は「日本では乗客が1人負傷したり死亡したりすれば、そのコストは途方もなく高く付く。それは深刻な事態になる。しかし、中国では毎年1万人の乗客が死ぬ可能性があるのに、誰も騒ぎ立てない「お国柄」である。それが中国と日本の相違点だ。“The difference between China and Japan is that in Japan, if one passenger is injured or killed, the cost is prohibitively high. It's very serious. But China is a country where 10,000 passengers could die every year and no one would make a fuss.”」

 これに続けて、葛西氏は「中国は日本のデザインに基づく列車を25%速い速度で走らせている。中国の鉄道省は我々と同じレベルで安全性に注意を払っているとは思えない」との見解を述べているのだそうです。

 この大事故が起る以前に「落雷」による列車の停止がすでに何件かあったといいます。列車に落雷対策が標準で施されていないということが考えられます。落雷による「サージ電流」を「アース」へ流す対応を車両にしておくのは、常識でしょうし、車両以外でも架線設備、ATSや信号システム、電源設備にも落雷対策、例えば、設備の周囲に避雷針を設置しておく、電源は非常電源を用意しておくなどの対策が必須でしょう。落雷に対して脆弱であるシステムで高速鉄道を走らせるのは恐ろしすぎます。

 仮に列車が落雷で停止したとしても、その列車の後方の一定区間に後続列車を入れないというシステムが構築されていれば、列車が追突するということはありえません。

 中国鉄道省の技術主任によれば、高速鉄道の走行中にトラブルが発生した場合、「自動停止システムが必ず始動する」のだそうですが、そうはならなかったのは、「落雷」という日常起りうる現象を考慮に入れた設計にはなっていなかったのでしょうか。
 
 7月24日配信の時事通信の記事によると、「追突した列車は時刻表の上では、衝突された列車よりも前に温州を通過するはずだった。順序が入れ替わっ」ていたといいます。信じられないようなことが既に起っていたのです。中国高速鉄道の列車運行・安全管理システムはどうなっているのでしょう。システムが重大な欠陥を抱えているとしたら、次の大惨事も予告されていることになります。

 中国の高速鉄道列車は、システムの改善のために運行を休止するということもなく、すでに運行を再開して走り始めています。中国の高速鉄道の安全性を強調し、高速鉄道の海外輸出を促進するという政治的意図があるのではないかと言われています。政治的で無謀な決断のつけは庶民の犠牲となって現れます。この惨事によって、亡くなられた方々に深い哀悼の意を表します。負傷された方々に心からお見舞い申し上げます。

(追記)こんな「予告」もあります。中国の鉄道省の高速鉄道網の建設で負った債務は巨額で、数十年は黒字化しない。鉄道建設のコストを抑えるため、安全性を犠牲にして、レールを敷設している。そのため、劣化によってレールの直線性が数年内に保てなくなる。そうなれば、高速走行は危険を招くことになる。それに気付くのは2度目の大惨事が起ってからなのでしょうか。

 実は中国ではこの高速鉄道列車追突事故の死者数を上回る大惨事が追突事故の前日に起きています。2011年7月22日早朝4時ごろ、北京から広州、珠海を結ぶ「京珠高速道路」で、47人の乗客が乗っていた長距離寝台バス(定員は35名)が走行中に突然炎上したといいます。47人中41人が死亡したそうです。出火の原因は、違法に車内に持ち込まれた易燃性の化学製品で、炎上事故に関わったとみられる6人(生存者)が拘束されているのだそうです。中国では、知識のない者が毒物を農薬として使用したり、危険物を車内に持ち込んだりして、死亡事故に発展することがあります。

 そういう行為に対する対策はなされているのでしょうか。対策のなされないまま、犠牲者を出し続けていくのでしょうか、「命」のコストが安いから、、、鉄道省の関係者からは、事故の規模からすれば、バス事故より死亡者数が少なかったではないか、だから安全と言っていい、という声が聞こえてきそうです。非常に残念です。

(参考) 「中国の高速鉄道列車事故 - 予告されていた大惨事を起こした責任は

(参考) 「中国の高速鉄道列車事故 - 中国では安全に対する考え方が違うのか

                (健人のパパ)

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 2011年7月21日配信の「聯合ニュース」によると、韓国の格安航空会社(LCC、Low Cost Carrier)である「済州航空제주항공(濟州航空)」(2006年6月に国内線を就航)は、2009年3月に国際線に進出し、その27か月後の2011年7月21日に国際線の累積搭乗客数が100万人を超えたと発表しました。

 日本路線では、仁川~大阪、仁川~北九州が運航しており、国際線の搭乗客数は日本路線が64.3%を占めるのだそうです(東南アジア路線(仁川-バンコク間、仁川-マニラ間、釜山-セブ間)が28.8%、香港路線(仁川-香港間)が6.9%)。27か月で64万人ほどが日韓間を済州航空(チェジュ航空)で往来したことになります。

 韓国の格安航空会社には「エアプサン (Air Busan、에어부산) 」もあります。同じ「聯合ニュース」が2011年7月25日に配信した記事によると、エアプサンの搭乗者数が500万人を突破したといいます。2008年10月に釜山-金浦間で就航を開始したエアプサンは、32か月で累積搭乗客数(国内線と国際線の合計)が500万人を突破(就航1,000日という最短期間で韓国国内航空会社にあって500万搭乗記録を達成)したことになります。7月25日午前出発の釜山-成田線に搭乗した500万人目の乗客には国際線航空券が贈呈されたそうです。エアプサンは、8月20日までホームページを通じて、「500万搭乗客達成記念キャンペーン」を行っています。

 最近、韓国に出かけましたが、2度とも利用したのはエアプサンでした。かなり昔、1995年にソウルに行き、1996年にはソウル→プサン→福岡→プサン→キョンジュ→プサンと巡りました。このときに利用したのは「大韓航空」でした。それから、10年以上韓国へ行くことはなかったのですが、LCCの誕生で国内旅行よりもコストを抑えて旅行できる韓国は旅好きの私に大変魅力的なものとなっていました。

 2010年11月にひとりでプサンへ行きました。このときは関東に住む私は仕事を終えて夜行バスで大阪に移動し、関西国際空港からプサンへ。帰りも関空から夜行バスで戻り、そのまま仕事へ。プサンに手軽に格安で行ける関西の方がうらやましいと思いました。エアプサンは、このときは「成田-釜山線」が就航していなかったのです。2011年6月、成田-釜山線の就航を知って、早速利用しました。

(参考)「LCC(格安航空会社)の「エアプサン(Air Busan)」で釜山の旅へ

 個人旅行で行く「韓国旅行」が手軽に格安になったので、今度は家族で11月に、またプサン(釜山)に行こうと計画中です。利用する航空会社はエアプサンがいいと夫にも話しているところ。LCCは料金設定が同一路線でも予約を取る時期(早めに予約すると安いことがある)、乗る便(同じ日でも乗る時間帯によって料金が異なることがあるし、同じ週でも乗る曜日によって料金が異なることがある)、キャンペーン料金などでいろいろなので、格安な料金でフライトが出来ればうれしいのですが、、、

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 私たちは、電池や「電線路」から電気のエネルギーを取り出し、いろいろなエネルギーに変換して、活用しています。発電所で発電された電気は、電線路を通って電気の使用場所まで送り届けられています。電線路のうち、変電所から電気を使用する家庭や企業までを「配電線」といい、それ以外の(例えば、発電所から変電所までの)電線路は「送電線」と言います。

 発電所から送電線と配電線を流れて、私たちの家庭にやってきた「電気」は、「コンセント(アウトレット)」に電気器具の「プラグ」を差し込んで取り出します。取り出した電気は、例えば、モーター(電動機)で運動エネルギーに変換します。洗濯機がそうですね。洗濯槽の底の「パルセータ」という回転翼をモーターで回転させ、水流を作り出して、衣類同士や洗濯槽との摩擦を利用して、衣類の汚れを洗剤の力も借りて落とします。

 家庭の「照明」は電気エネルギーを「光エネルギー」に、「電子レンジ」は電気エネルギーを「電磁エネルギー」に、「音楽プレーヤー」につながる「イヤフォン」や「スピーカー」は電気エネルギーを運動エネルギーに変換するものです。

 私たちは学校で「電気」のことを学びます。電気は「電荷(でんか)」というものを持った粒子(荷電粒子(かでんりゅうし)、「電子」など)が導線上などを移動する現象です。この荷電粒子がある面を単位時間(1秒)に通過する量のことを「電流」といいます。電流の大きさは、「アンペア」で表され、単位記号は“A”です。



 1Aでは、1秒間に約6.24×1018個(624京個)の荷電粒子が導線の断面を通過していきます(正しくは、電子そのものが移動するというより、バトンリレーのバトンが移動する)。「京(けい)」とは、「兆(ちょう)」の一万倍です。2012年の運用開始時に演算速度が毎秒1京回に達する予定の「次世代スーパーコンピュータ」の名前が「京」ですよね。理化学研究所次世代スーパーコンピュータ開発実施本部が開発主体となって、総事業費約1120億円が投じられることになっているそうです。

 IBMが開発中で、アメリカ合衆国の「ローレンス・リバモア国立研究所」に設置されている「アイビーエム・セコイア(IBM Sequoia)」も、2012年に稼動予定で、演算速度が毎秒2京回(性能目標)です。

 話を元に戻します。荷電粒子は位置エネルギーを持って移動しています。荷電粒子が通過するところにその持っている位置エネルギーを奪うものがあることがあります。そこを通過すると荷電粒子はその位置エネルギーを減少させられてしまいます。荷電粒子の位置エネルギーを減少させるものを「(電気)抵抗」といいます。荷電粒子から奪ったエネルギーを熱エネルギーに変換するものが例えば「電熱線」であり、光エネルギーに変換するものが例えば「電球」です。



 電流を水の流れにたとえてみます。電源の位置から水が流れ出します。赤い線が水流です。高低差がつけてあります。抵抗に差し掛かって坂を流れ下ります。ここで位置エネルギーを幾分か失います。流れは水平に戻り、また次の抵抗という坂で流れ下ります。ここでも位置エネルギーを失います。流れが電源に戻ってきたところで、「揚水ポンプ」の働きを持った電源に元の高い位置に上げてもらい、また位置エネルギーを獲得します。

 この荷電粒子が持っている位置エネルギーの差を「電位差」といい、「電圧」ともいいます。電圧の大きさは「ボルト」で表され、単位記号は“V”です。世界で初めての化学電池(ボルタの電池)を考案したイタリアの物理学者「ヴォルタ(Volta)」にちなんで、電圧の単位は「ボルト」です。電流の単位「アンペア」は、フランスの物理学者「アンペール(Ampère)」にちなんでいます。



 上の図のような回路を用意します。抵抗を変えずに、電源の電圧を変えて、電流の大きさの変化を記録します。電流の大きさは「電流計」で計ります。その結果、例えば、上の表のようになったとします。



 横軸に電圧の大きさ(V)、縦軸に電流の大きさ(A)をとったグラフにおのおのの点、(V,A)=(1.0, 0.05),(2.0, 0.10),,,を打っていきます。



 各点を結ぶと原点を通る直線となります。ここで、電圧を E または V とし、電流を I とします。“E”としたのは、英語で「電圧」は“electric tension”(エレクトリック・テンション。「電位差」なら“electric potential difference”)と言うことからその頭文字をとっているからです。単位記号を使えば、“V”です。電流を“I”とするのは、「電流の大きさ(電流の強さ)」を“intensity of electric current”と言うことからです。

 電圧の大きさは電流の大きさに比例しています。比例定数を“k”とおけば、E =k I、または、V =k Iと表すことができます(電流の大きさは電圧の大きさに比例するとも言えることから、I=k E(I=k V)と表すこともできますが、そうはここではしません。→「コンダクタンス」)。この比例定数“k”を「(電気)抵抗」と言い、英語では“(electrical) resistance”になることから、“R”という記号を用います。単位記号は“Ω”(「オーム」と読む。ギリシャ文字のオメガの大文字)です。



 この電圧(EまたはV)、電流(I)、抵抗(R)の関係を表すE=RI(V=IR)は、ドイツの物理学者「オーム(Ohm)」が発見したことから「オームの法則」と呼ばれます。これを単位記号で書き表すと、V=AΩ(ボルト・イコール・アンペア・オーム)となります(式を立てるときは、単位記号を使ってはいけないのですが、実際に値を代入するときには、この式の方が便利)。



 このオームの法則を使って、上の問題を解いてみましょう。電圧の大きさと電流の大きさから抵抗の大きさを求める問題です。表の中の対応する値、(V,A)=(2.0, 0.10) をV=AΩの代入すると、抵抗の値が20Ωと求められます。上下に値が入りますから、分子を分母で割ることになります。電流の大きさと抵抗の大きさが入るときは、左右に値が入りますから、掛けます。「積」が電圧の大きさになります。



 我が子「健人」よ。君は理工系に進みたいと考えているようだね。きょうから夏休みに入るね。君とは生活時間が異なることになるので、君にブログで「電気」という分野の問題を出すことにした。君は私のブログを楽しみにして読んでくれているようだから、君がこの記事に気がついたら、コメントの形で答えを入れてね。

                (健人のパパ)

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 前日に眠くて宿題をしないで寝てしまった息子「健人」をいつもより1時間早く起こして、宿題をやらせていました。「終わった!」という声とほぼ同じに、花火が鳴りました。宿題がようやく終わったことを祝福してくれたのでしょうか。

健人「あれは何?」
私「ん?きょうは7月13日だから、浅間祭りの日だね。」
健人「そうか。」
私「行く?」
健人「行かない。」
私「・・・」

 小学生の低学年の頃、行くのを楽しみにしていたのですが、祭り好きも一過性のものだったようで、最近では祭りに興味を失っているようです。本当のところ、祭りが好きなわけではなく、出店に強い関心を抱いていたようなのですが、それに飽きてしまったようです。(追記 帰ってきた息子はこの記事を見て、久しぶりに出かけるか、と言ってカメラを持って出かけて行きました。鉄道の写真や動画を撮る「カメラ小僧」に変身してしまった我が子は、「祭りの写真も面白いかもね」なのだそうです。)

 2007年に妻「あみ」が書いた記事に、今年の浅間祭りで撮ってきた画像を加えて、記事のリニューアルをしました。(健人のパパ)

 (お祭りの定番「金魚すくい」、2011年7月撮影)

(2007年07月11日に書かれた記事) 7月13日に「初山」が浅間神社であります。我が子健人は、「楽しみ!」なのだそうです。何度か連れて行ったはずなのですが、あまり覚えていないそうです。今年は、友達と行きたいようです。もう、親と一緒に行くことを好まなくなったのでしょうか。

 富士山を神と見立てて、信仰・崇拝の対象とする「浅間信仰(富士浅間信仰)」があります。富士山を信仰の対象として、その地に存在した小山などを富士山に見立てて、ご神体として祀っている「浅間神社」は、富士山の見える地域を中心として、日本各地にあるようです。

 山岳信仰の対象となる「霊山」は、かつて、夏の一定期間だけ登山が許されていました。6月や7月に「山開き」の行事が行われます。埼玉県川越市の旧仙波村にある「仙波浅間神社」も小山の上にある「拝殿」の裏手に富士山の噴火口を模した窪みががあり、賽銭を投じて開運などを祈願します。

 「初山(はつやま)」は、「初登山」を意味し、その年に子をもうけた親は、無病息災を祈るために、富士山に見立てられた小山に登り、拝殿を参拝後、子の額に朱印をおしてもらいます。

 江戸時代、流行した疫病から子どもを守ろうと額に朱印を押したのが始まりというこの風習は、例えば、栃木県足利市田中町の「足利富士浅間神社」にもあり、6月1日に「初山ペタンコ祭り」が行われています。

 浅間神社の「初山」は、過去1年間に「結婚したお嫁さん」や「生まれた赤ちゃん」がお参りし、その後、「あんころ餅」と「うちわ」を近所や親戚に配り、無事に夏をのりきるという風習をいいます。

 「あんころ餅」は夏の健康のために、「うちわ」は難病、疫病を追祓う意味で配られます。

 「あんころ餅」とは、「お餅」を網で焼き、その上に冨士山に見立てた「こし餡」を乗せたもので、川越の和菓子屋さんでは、7月13~14日の限定販売で売っています。



(画像は、浅間神社の境内で「あんころ餅」販売をしている「くらづくり本舗」のお店です。2011年7月撮影)

 (あんころ餅、2011年7月撮影)

 地元の子供達は、この初山がある日は、露天のお店が出るので楽しみしています。そういえば、うちの上の息子も友達と毎年出掛けて行っていました。彼にとっては、普段私が買わない駄菓子や露店の食べ物を1年に1回食べられる日だったのでしょう。(そんな彼、今年は行かないでしょう。もう大学生だし、前期試験が始まっていますので。) 今度は、下の息子の番? 親と一緒だと、買ってもらえないような駄菓子を友達と買える日なのでしょうか。

 思い出せば、「初山」の日、天気のよい日が少なかったような。「初山が過ぎれば、梅雨が明ける。」と言われているようで、今年は大丈夫かしら?(健人のパパの追記 今年2011年は、雷も鳴らず雨も降らず、猛暑の中の開催です。暑い~)



(画像は、2005年のものです。)

 「初山」は、子供たちには「浅間祭り」と呼ばれ、当日7時、10時、12時などに、花火が打ち上げられ、予告されます。



(この画像は、2011年7月撮影のもの)

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 シンガーソングライターの大貫妙子さんがパーソナリティーをつとめる「大貫妙子~懐かしい未来~」がNHK-FMで毎月最終火曜日夜の11時から1時間放送されています。2011年6月の最終火曜日(6月28日)のゲストは、「幕内秀夫」さんでした。幕内秀夫さんは、東京農業大学栄養学科卒業の管理栄養士です。栄養学を否定するような発言や著作が多く、物議を醸すこともあります。
 
 「一見「粗食」に見える食生活を送ってきた)70歳、80歳の老人が元気に働き、(それと対照的に、食生活が豊かに(?)なって)肉、卵、牛乳を多食するようになった世代の人たちが病気に倒れている姿を現実に目の当たりにしたとき、私は自分の教えている現代の「栄養学」は本当にいいのだろうかと、考えれば考えるほど疑問が出てきたのだ。」(1995年7月 東洋経済新報社刊「粗食のすすめ」から抜粋)

 この再放送(放送の翌週火曜日の朝10時から)を偶然カーラジオで耳にし、聞き入ってしまいました。

 大貫「一番の問題は食べ過ぎなんじゃないかと思うんですけど、、、」
 幕内「食べ過ぎというよりも食べ過ぎになるような食品が増えたと。例えば、分かりやすく言うと、食後に焼き芋を食べる人は滅多にいないです。」
 大貫「胸焼けしちゃいますものね。」
 幕内「焼き芋じゃなくて、そこに砂糖を加えて、芋羊羹にすると食後でも(お腹に)入る。そこに砂糖だけじゃなくて、クリームも入れてスイートポテトにするともっと(お腹に)入る。」
 大貫「ええ。」
 幕内「油脂(あぶら)と砂糖が(食品の中に)過剰に増えてきて、食べ過ぎというより食べ過ぎちゃう。食べ過ぎるような食品が増えて、我々の脳が喜んじゃう。」
 大貫「何で脳が喜んじゃうんですか?」 
 幕内「私たちの歴史は餓えの歴史ですから、私たちの脳は高カロリーのものが美味しく感じるようにできているんです。高カロリーのものを食べると幸せになってしまうという構図になっているから厄介なのです。」
 大貫「ああ。」
 幕内「ファストフードなんて子どもは大好きになりますよ。油脂と砂糖をたくさん使っているから。」
 大貫「ええ。」
 幕内「食は快楽、運動は苦痛にできていますからね。」
 大貫「苦痛ね。」
 幕内「だから、食後に運動をしようと思っても、脳は「やめろ!やめろ!」と指令を出しますね。」

 彼の著作を読みたくなって、仕事を終えて帰宅すると、調べてみました。びっくりするほど多作なのです。「1食100円「病気にならない」食事 実践レシピ」(講談社、2011年5月発売)、「女性のからだを変える!99円弁当」(SoftBank Creative、2011年4月)、「健康のためなら死んでもいいのか??-子育て、食事の誤解と偏見」(共著、株式会社金曜日、2011年3月)、「28歳からは「毒」になる食事」(講談社+α文庫、2011年2月)、「かんたんで体にいい!子どもべんとう」(主婦の友社、2010年9月)、「1食100円「病気にならない」食事」(講談社+α新書、2010年8月)、「プレミア選書 粗食のすすめ」(東洋経済新報社、2010年8月)、「ごはんの力が子どもを救う」(主婦の友社、2010年6月)、「ポテチを異常に食べる人たち ソフトドラッグ化する食品の真実」(WAVE出版、2010年5月)、、、急に読む気が失せてしまいました。

 パソコンの前で著作の多さに「うわ!」と声を上げたのを聞きつけた妻が聞いてきます。

妻「どうしたの?」
私「いや、幕内さんという人の本を読もうと思ったんだけど、あまりにも多くてね。」
「ああ、「粗食のすすめ」の人ね。幕内秀夫でしょう。」
「え!知ってるの。」
「本、持っているわよ。「粗食のすすめ」と「粗食のすすめレシピ集」」
「知ってるんだ。」
「米を食べろ、米を食べろと言う人でしょ。」
「そう。」
「幕内秀夫がどうしたの。」
「ラジオの対談で知ってね、その話に興味を持ったというわけさ。」
「パンのことを悪く言うのよ。ちょっとね、極端すぎるの。」
「パン好きの君には「好かんヤツ」といったところかな。」
「いや、でもね、結構私、彼の勧める食生活はすでに実践していたわよ。」
「優也(上の息子)が好きだったから、玄米はよく出てきたね。胚芽米もあったね。」
「あなたがあまり好きじゃないから、だんだん出さなくなったのよ。」
「・・・」
「おかずも野菜は必ず出すわよね。でも、子どもがいると肉や魚は欠かせないのよ。」
「優也は肉が好きだったから、牛肉がメニューに入っていたけれど、(優也が大阪勤めで家を出てからは)健人(下の息子)も私も豚肉や魚の方が好きだから、牛肉はほとんど出さないよね。牛肉は甘くて柔らかいのがちょっとね。」
「動物性食品は魚介類や卵くらいにするというのは考えものよ。彼が言ってるのよ、肉類を減らせって。」
「彼の言うように、君も砂糖や塩は未精製のものを使っているよね。」
「彼が言っているからじゃなくて、その方がおいしいからよ。」
「納豆はほぼ毎日食べるよね。」
「みんな納豆が好きだからよ。発酵食品はみんな好きよ。みそはちゃんと混ぜ物のないおいしいのを選んでるし。」
「揚げ物はほとんどしないし。」
「あなたがあまり好きじゃないからよ。」
「彼の言うことはほとんど実践している、、、」
「彼が言うからじゃなくて、私がそう考えていたからだし、みんなの好みがそうだからよ。」
「・・・」

 自然の成り行きでそういう食生活になっているのでは、話に「落ち」のつけようがなかった、、、嫌煙家がタバコの害を訴えるテレビ番組を見、愛煙家はそんな番組は見ない、という話でした。我が家は「マック」には年に数回行けばいい方で(妻「あら、コーヒーだけなら私は結構飲みに行くことがあるわよ。」)、そもそも外食はほとんどしません。おいしいとは思えないことが多いからでしょう。

            (この項 健人のパパ)

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 2011年6月30日午前8時16分ごろに長野県の中央部にある松本市を下から突き上げるような揺れが襲ったといいます。いわゆる、狭い範囲で激しく揺れる典型的な「直下型地震」でした。直下型地震は、活断層の活動に伴って発生するもので、海溝型地震と較べて、被害の大きさが異なります。

 小さな横揺れに始まり、大きな横揺れへと移行する海溝型とは異なり、震源の上には私たちの生活の場があり、突然の縦揺れに襲われるのです。建築物は重力方向とは垂直な横の揺れにはある程度その力を吸収することはできるのですが、重力方向と同じである大きな縦の揺れに対しては無力のところがあります。

 建物の外壁の剥脱、天井や屋根瓦の落下、また、ブロック塀の倒壊などが容易に起こります。予兆が少ないので、ブロック塀のすぐ脇や屋根瓦の下などの危険な箇所から身を避ける余裕すら与えてくれません。身が危険に晒されるかどうかは運が左右するのです。この松本市の直下型地震では、室内に積んでいた本が崩れ、下敷きになって亡くなった男性がいました。この時間に仕事休みだったのか、寝ていたことが不運でした。

 1995年1月17日午前5時46分に発生し、「阪神・淡路大震災」を引き起こした「兵庫県南部地震」は直下型地震でした。この地震による死者はおよそ6,400人。ある研究によると、死者の80%ほどにあたる約5,000人は倒壊した木造家屋の下敷きになって地震発生直後に亡くなったといいます。特に1階で就寝中に圧死した人が多かったのだそうです。直下型地震では、屋根瓦と2階の重みで、1階の柱が折れて1階部分が潰れ、生存のスペースが局限されてしまうのだそうです。

 このことから、就寝はなるべく2階の方が直下型地震に対しては、望ましいことになります。建物が倒壊しても2階は生存のスペースとして残りやすいのだそうです。そのことを考え、我が家では、寝る場所は2階とし、枕元には各自靴が置いてあります。

 「プレート理論(plate tectonics、プレートテクトニクス)」によると、地球の表面は何枚かの固い岩板(「プレート」)で構成されており、このプレートが対流するマントルに乗って互いに動いています。東北日本の東の海中では、太平洋プレート(海洋プレート)が東北日本をのせた北アメリカプレート(大陸プレート)ににぶつかって、斜め下 40~50°の角度で沈み込んでいます。




 地震を震源が陸地か海底かで分類する「直下型(内陸型)」、「海溝型」以外に、プレートのどこに震源があるかで分類する「大陸プレート内地震」、「プレート境界地震」、「海洋プレート内地震」があります。

 大陸プレート内地震は、プレート同士のぶつかり合いの結果、プレートの内部にも歪みがたまって発生する地震です。歪みのエネルギーは断層を生じさせることで解き放たれます。「断層(fault)」は、地層や岩盤に何らかの力が加わって割れ、その割れた面に沿ってずれたことで食い違いが生じている状態をいいます。

 そのなかで、また何らかの力が加わってずれが生じる可能性のあるものを「活断層(active fault)」といいます。1995年の兵庫県南部地震を契機として、各地で活断層調査が実施されたことから、活断層はある程度把握されています。

 しかし、活断層の「活動」の繰り返し間隔は、断層ごとに異なり、千年~数万年であると言われています。活断層の活動はプレート境界地震と較べて、繰り返し期間が長く、歴史が記述されるようになってから日の浅い人類には、活断層の活動履歴を正確に把握することはできません。ほとんどいつ起こるか知ることはできないと言っていいようです。



 長野県には、「糸魚川‐静岡構造線断層帯」があります。その中部付近の「牛伏寺断層(ごふくじだんそう)」の平均活動間隔はおよそ1,000年で、762年6月9日に起こったマグニチュード7.0以上の地震がこの断層帯の活動によるものではないかと考えられています。それからすでに1,250年ほど経っています。
 
 政府の地震調査委員会は、松本市で今回の地震が発生する3週間前ほどの6月9日に、東日本大震災に伴う地殻変動によって、国内の主要活断層のうちの「糸魚川‐静岡構造線活断層系の中部付近」、「立川断層帯」、「双葉断層」での地震発生確率が高まった可能性があると発表していました。

 2011年3月11日に発生したマグニチュード9.0の「東北地方太平洋沖地震」では、日本列島を東西に引っ張る強い力が働き、その影響で活断層への力のかかり方も変化したのだそうです。地震調査委員会がその変化した力のかかり方を主要な活断層106について解析した結果、上記の3つに地震を起こしやすくする力が働いていることがわかったといいます。

 地震調査委員会は、30年以内の地震発生確率をこれまで、糸魚川‐静岡構造線活断層系の中部付近でM(マグニチュード)8程度の地震が14%、立川断層帯でM7.4程度の地震が0.5~2%、双葉断層でM6.8~7.5の地震がほぼ0%としていました。地震発生確率の上昇の程度は発表されませんでした。この「糸魚川‐静岡構造線活断層系の中部付近」での地震発生確率は、2001年の発表では、30年以内で14%、50年以内では23%、100年以内では41%とすでに高率だったのです。今回の松本市で地震は、M8規模の地震の予兆なのでしょうか。



 私たち一家の暮らす地域の20~30kmほど西には、指摘された活断層の一つ「立川断層帯」があります。立川断層帯は、東京都から埼玉県にまたがり、関東山地東部から武蔵野台地西部にかけて分布する活断層帯です。その平均活動間隔は10,000年~15,000年程度で、最新活動時期は、約20,000年前~13,000年前だったといいます。当然歴史に記述されてはいません。

 「地震発生時からの経過時間」を「平均活動間隔」で割った値を「地震後経過率」というようなのですが、その値が1を越すと地震がいつ起きても不思議ではないということになります。立川断層帯の地震後経過率は、0.9~2.0。最小値でも1に迫り、最大値は1を大きく超しています。

 立川断層帯の地震発生確率は、30年以内で0.5%~2%、50年以内で0.8%~4%、100年以内で2%~7%、300年以内で5%~20%でした。この地震発生確率を高いとみるか低いとみるか。しかし、兵庫県南部地震の地震発生直前の30年以内の地震発生確率は0.02%~8%で、その断層の平均活動間隔は1,700年~3,500年だったのです。




 直下型地震が起きた時にどこにいるかで大きく生死を分けそうです。仕事や学校などで外出していれば、自分がいる建物の地震に対する強度が、道を歩いていれば、建物の外壁や塀の強度が、人生を左右しそうです。災害による被害を最小のものにする(「減災」)という観点から対策がとれそうなのは、自宅にいるときに地震に遭ったときでしょう。生存スペースを確保できるように家具を固定し、強度のあるテーブルで下に空間のあるものを食卓にし、、、

                  (この項 健人のパパ)

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