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インドは、インド政府観光局のページによると、大きく4つに分けられるようです。デリーをその中心とする「北部」、ムンバイ(旧名 ボンベイ)を中心とする「西部」、バンガロールやチェンナイのある「南部」、コルカタ(旧名 カルカッタ)を中心とする「東部」です。「東部」は、宗教問題で1947年にインドより分離独立した「パキスタン」から、1971年にさらに分離独立した「バングラデシュ」を挟んでいるために、真ん中あたりがくびれています。
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外務省の「インド」のページによると、インドの面積は3,287,263k㎡(インド政府資料に基づくため、国境争いのあるパキスタン、中国との係争地を含む)、人口は10億2,700万人(国勢調査は10年に1度しか実施されないので、2001年国勢調査に基づく。人口増加率から推定すると現在は11億3、000万人を超えている)です。面積、人口とも日本の9倍弱あります。
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大学生3年生の息子「優也」が日本から入る「デリー」は、インドの北部にあって、東のウッタル・プラデーシュ州と西のハリヤーナー州に挟まれています。インドの北部では、話される言語は主にヒンディー語で、その人種構成はイラン高原やイラク高原から移住してきた遊牧民を先祖とするアーリア人が多い。アーリア人はコーカソイドに属し、ヨーロッパ白人と先祖を同じくすると言われています。
ウッタル・プラデーシュ州(Uttar Pradesh)は、面積 238,566 km²、人口 およそ1億7000万人です。日本の本州の面積 227,963km²にほぼ等しいと言えますが、それでもインドの州の中で、面積は5番目になります。インドでもっとも人口の多い州ですが、脊梁山脈を中央に持ち、平野部の割合が低い日本の本州の人口が1億200万人であるのと比べて、ガンジス川流域の平原の大部分を占めるウッタル・プラデーシュ州の人口が日本の1.7倍でも不思議ではありません。
ハリヤーナー州(Haryana)、パンジャーブ州(Punjab)、ヒマーチャル・プラデーシュ州(Himachal Pradesh)、ウッタラーカンド州(Uttarakhand)の4州を合わせると203,813k㎡になり、これも日本の本州の面積に近づきます。
ラージャスターン州(Rajasthan)は、インドで一番大きい州で、面積 342,236 k㎡。日本全土の面積(377,835k㎡)に近くなりますが、人口は2,500万人ほどで日本の人口の5分の1程度です。
「ゴールデン・トライアングル」という言葉があります。北部で有名な三都市「デリー(Delhi)」、「アグラ(Agra)」、「ジャイプール(Jaipur)」を結ぶと三角形になることからそのように言われます。
JTBのツアーに「浪漫紀行 ゴールデン・トライアングル5日間 デリー+アグラ+ジャイプール」というのがあります。デリーからアグラへ、アグラからジャイプールへ、ジャイプールからデリーへと午後をバスの移動時間にあて、三角形を描いて観光地を巡るツアーです。観光初日の午前中は、デリー市内観光(クトゥブミナール、フマユーン廟、インド門、ラクシュミーナーラーヤン寺院を見学)、午後は約200kmを約4時間かけてバスで移動です。。2日めの午前中は、アグラ観光(タージ・マハール、アグラ城)、午後は約230kmを約5.5時間かけてバスで移動です。3日めの午前中、アンベール城などを見学し、午後は約260kmを約4.5時間かけてバスでデリーに戻ります。
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アグラ(アーグラとも)はインドのウッタル・プラデーシュ州にあり、同州では最大の都市(人口はおよそ130万人とも140万人とも)です。人口130万人の都市を日本で探すと「福岡市」があります。世界遺産に登録されているタージ・マハル(Taj Mahal)、アグラ城(Agra Fort)があることで知られています。
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アグラは、デリーからは日帰りできると言います。個人旅行では、どのようにすればデリーからアグラに移動できるかを調べてみました。バスと鉄道があるようです。まずバスですが、Delhi Transport Corporation (DTC、デリー輸送公社) は、“Inter-State Bus Services”を行っており、北部の州の主な都市にはバスの連絡があります。
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これを見ると、アグラには 06:30, 07:00, 07:40 と日に3便あり、 マトゥラー(Mathura)を経由して行くようです。出発は3つある長距離バスターミナル(Inter-State Bus Terminal、I.S.B.T.)のうち、サライ・カレ・カーン(I.S.B.T. SARAI KALEY KHAN、Sarai Kale Khan Bus Stand、デリー南東部のインド国鉄「ニザムディン駅(Hazrat Nizammudin)」の近く)(残り2つは、カシミール・ゲート(I.S.B.T. KASHMERE GATE)とアナンダ・ビハール(I.S.B.T. ANAND VIHAR))のバス・ターミナルで乗車するようです。
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しかし、バスの評判は悪い。道が悪く、サスペンションは悪く、、、鉄道で行く方法を選択した方が賢明のようです。
(この項 健人のパパ)
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インドには、パルシー(Parsi、ペルシャ人を意味する)と呼ばれる社会集団があります。パルシーというグループに属する人たちの殆どがインド亜大陸西岸の都市「ムンバイ(Mumbai、マハーラーシュトラ州の州都。以前はボンベイと呼ばれていた)」に住み、高学歴の傾向があり、商業活動に従事する者が多いといいます。
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パルシーは、火を神聖視し礼拝する宗教、ゾロアスター教(拝火教)を信仰する人たちで、以前はイラン(ペルシャ)に住んでいましたが、国土がイスラム教徒に征服され、イスラム教への改宗を迫られたことから、インドに移り住んできました。
インドに移住してきたパルシーの人たちは、経済活動を積極的に行い、地域にその地位を築いていきます。タタ財閥の創始者、ジャムシェトジー・ナッセルワンジ・タタ(Jamsetji Nusserwanji Tata、1839年3月3日~1904年5月19日)もパルシーでした。
ジャムシェトジーは、イギリス系のホテルに友人と入ろうとして、追い出されます。インド人であるという理由からでした。この頃、「イギリス領インド帝国(British Raj、1877年~1948年)」の時代でした。ジャムシェトジーは、インド人も利用できるホテルの建設に取りかかり、豪華ホテル(現在5つ星)「タージ・マハール・パレス&タワー(Taj Mahal Palace & Tower)」を没する前年に完成させます。
(info) AppleWorldでの「タージ・マハール・パレス&タワー」(TAJ MAHAL PALACE & TOWER)の情報。
タタ・グループの一つにインディアン・ホテルズ(Indian Hotels Company)があり、タタ・グループのサイトに次のようなプロフィールが載っています。
The Indian Hotels Company and its subsidiaries are collectively known as Taj Hotels Resorts and Palaces, recognised as one of Asia's largest and finest hotel company. Incorporated by the founder of the Tata Group, Jamsetji N Tata, the company opened its first property, The Taj Mahal Palace Hotel, Bombay, in 1903. The Taj, a symbol of Indian hospitality, completed its centenary year in 2003. Taj Hotels Resorts and Palaces comprises 59 hotels at 40 locations across India with an additional 17 international hotels in the Maldives, Mauritius, Malaysia, United Kingdom, United States of America, Bhutan, Sri Lanka, Africa, the Middle East and Australia.
インディアン・ホテルズ・カンパニーとその子会社は、ひとまとめにして「タージ・ホテルズ・リゾーツ&パレス」として知られており、アジアにおける最大手で最もすばらしいホテル会社の1つと認められています。 タタ・グループの創業者、ジャムシェトジー・ナッセルワンジ・タタによって設立されたインディアン・ホテルズ・カンパニーは1903年に、その最初のホテル、タージ・マハール・パレス・ホテルをボンベイ(ムンバイ)にオープンさせました。インドのホスピタリティの象徴、タージ・マハール・パレス・ホテルは、2003年にその100年めの年を迎えました。タージ・ホテルズ・リゾーツ&パレスは、インド国内10か所の地に59のホテルを展開し、さらにモルディヴ、モーリシャス、マレーシア、イギリス、アメリカ合衆国、ブータン、スリランカ、アフリカ、中東、オーストラリアに17のホテルを運営しています。
(この項 健人のパパ)
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昨日(2008年6月25日)、妻「あみ」はアルバイトから夜遅く帰ってきた息子「優也」から「学校の休みにインドに行って来る。航空券は大学生協で予約してきた。」と聞いたそうです。
「お父さん、知っていた?」
「行くのは聞いていたよ。大学での授業絡みなんだそうだよ。」
「そうなの。」
「タタ財閥などの下調べに行くのだそうだよ。」
「授業で行くの?」
「いや、一人で行くんだと思うよ。」
「観光も兼ねているってわけ?」
「多分ね。」
いま、インドと日本を結ぶ直行便は、日本航空(JAL)とエア・インディア(AI)が運行しています。LALは、JL471便が毎日運航(週7便)しており、東京11:50発、デリー17:35着です。AIは、AI307便が水・木・土・日曜日(週4便)と運行しており、東京12:00発、デリー16:55着です。
朝起きてきた息子に尋ねると、エア・インディアの航空券を取ったそうです。生協では、燃油サーチャージを入れて、10万円程度だったようです。
日本時間12:00出発、インド時間16:55到着。時差は3時間30分ありますから、16:55-12:00+3:30=8:25ということで8時間30分ほどの空の旅です。
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実は、息子の乗る予定のエア・インディアは、タタ・グループ(タタ財閥)と関係があるのです。エア・インディアの前身「タタ航空」の設立者の一人が、ジャハンギール・ラタンジ・ダーダーバーイ・タタ(Jehangir Ratanji Dadabhoy Tata、J.R.D Tata、1904年7月29日~1993年11月29日)です。
エア・インディアのサイトには、こんな記述があります。
Air India is India's national flag carrier. Although air transport was born in India on February 18, 1911 when Henri Piquet, flying a Humber bi-plane, carried mail from Allahabad to Naini Junction, some six miles away, the scheduled services in India, in the real sense, began on October 15, 1932. It was on this day that J.R.D. Tata, the father of Civil Aviation in India and founder of Air India, took off from Drigh Road Airport, Karachi, in a tiny, light single-engined de Havilland Puss Moth on his flight to Mumbai (then known as Bombay) via Ahmedabad.
エア・インディアはインドの国営航空会社です。1911年2月18日郵便運搬用としてアンリ・ピケ(Henri Piquet)がアラハバッドと6マイル離れたナイニを結ぶ定期便の運行を開始しましたが、正式な航空交通の誕生は1932年10月15日、エア・インディアの創設者であり、近代航空産業の父でもあるジャハンギール・ラタンジ・ダーダーバーイ・タタ(J.R.D.Tata)がカラチの小さなDrigh Road空港を軽量単発小型機で出発し、アメダバッドを経由しムンバイに到着した、この日と言われています。
He landed with his precious load of mail on a grass strip at Juhu. At Mumbai, Neville Vintcent, a former RAF pilot who had come to India from Britain three years earlier on a barn-storming tour, during which he had surveyed a number of possible air routes, took over from J.R.D.Tata and flew the Puss Moth to Chennai (then Madras) via Bellary.
彼は大切な郵便荷物を乗せ、草生い茂るジュフの滑走路に着陸しました。ムンバイではすでに引退した英国空軍(RAF:Royal Air Force)パイロット、ネビル・ビンセント(Neville Vintcent)が、3年前にイギリスからインドに渡り曲乗りツアーをしながら、飛行可能なルート数を模索していたところでした。彼がJ.R.D.Tataに代わってアーメダバードを経由し後のマドラスであるチェンナイにプス・モス機で到着しました。
ジャムシェトジー・ナッセルワンジ・タタ(Jamsetji Nusserwanji Tata、1839年3月3日~1904年5月19日)とともにタタ・グループの基礎を築いたラタンジ・ダーダーバーイ・タタ(Ratanji Dadabhoy Tata、R.D. Tata、ジャムシェトジーの従兄弟)の息子が「J.R.D タタ」でした。
ジャハンギールは、フランス人を母親としてパリで生まれ、幼年期をフランスで過ごします。高校へ進む頃には航空学に興味を示すようになり、飛行機競技者を目指すようになります。その後、インドに渡り、叔父であるジャムシェトジー・ナッセルワンジ・タタの経営していた会社へ入り、活躍することとなります。34歳の若さでオーナーとなったジャハンギールは会社の多角経営化に乗り出します。
(この項 健人のパパ)
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