POWERFUL MOMが行く!
多忙な中でも,美味しい物を食べ歩き,料理を工夫し,旅行を楽しむ私の日常を綴ります。
 





 「ビザンチウムのフィロン(Philo of Byzantium、紀元前260年頃~紀元前180年頃)」は、古代ギリシアの科学者(技術者、数学者)で、工学関連の著作(“Mechanike syntaxis”、「機械工学概論」)のある人です。この9部からなる著作は散逸しており、ギリシア語での資料としては、軍事技術に関する“Belopoeica ”(大砲に関する記述)と“Poliorcetica”(要塞包囲に関する記述)が現存しているのみです。「アレクサンドリアのクテシビオス(Ctesibius、紀元前280年頃~紀元前220年頃)」などとともに、ヘレニズム(紀元前323年~紀元前30年の東地中海からオリエント地域にかけて)の世界の偉大な科学者の1人に挙げられています。

 そのフィロンは、旅行家でもあったようで、「世界の七つの景観(De septem mundi miraculis、Seven Wonders of the World)」を記述しているそうです。この7つの景観は、地中海沿岸にあった建造物から選ばれ、ギザの大ピラミッド、バビロンの空中庭園、エフェソスのアルテミス神殿、オリンピアのゼウス像、ハリカルナッソスのマウソロス霊廟、ロードス島の巨像、バビロンの城壁の7つです。シドンのアンティパトロス(Antipatros Sidonios)は、紀元前1世紀中頃に活躍した詩人ですが、彼も「七つの見るべき世界の絶景」を記述しているようです。古代の地中海世界を旅した人たちは、この人たちの記述したガイドブック(?)を見て観光していたのでしょう。現代の私たちのようです。

 「遥か雲を突いて聳えているアルテミス神殿」のあった「エフェソス(Ephesos、エフェス、Efes)」は、「イズミル県(İzmir il)」の「セルチュク(Selçuk)」近郊(南西5kmほど)にあります。「誌面リニューアル記念第一弾! 5ツ星ホテルに泊まって全食事付きでトルコ9日間がなんと7万円!」というツアーは、イスタンブールを出てマルマラ海を反時計方向に回り、ダーダネルス海峡を渡り、「トロイア」を2日めに訪れ、3日めには「エフェス」を訪れます。



 「アルテミス神殿 (Artemisium)」は、紀元前550年頃にアケメネス朝ペルシア(紀元前550年~紀元前330年)が統治していた時代に完成したといわれます。ギリシア神話に登場する狩猟・純潔の女神であった「アルテミス(Artemis)」は、小アジアの古代の商業都市「エフェソス」では、多産、肥沃、豊穣をもたらす神となっていたようです。長い歴史の中、この神殿は幾度か焼失・破壊され、幾度か再建されましたが、エフェソスの人々の多くが偶像崇拝を戒めるキリスト教に改宗していく中で、アルテミス神殿はその魅力を失います。キリスト教徒によって破壊された神殿の大理石は他の建物に使われ、現在、神殿の跡地には柱が1本立つだけとなっているようです。
 



 アルテミス神殿からやや離れたところにある「エフェソス遺跡」群は、アルカディアン通り(ほぼ東西を走る幅11mほどで長さ500mほどの通り)、マーブル通り(ほぼ南北に走る通り)、クレテス通り(東南方向に走る)の3本の通りに沿って、大劇場、ケルルス図書館、ハドリアヌス神殿、ヘラクレスの門、市公会堂、オデオンといったローマ時代(東ローマ帝国、395年~1453年)の建造物の跡が残っています。

 フォロ・ロマーノ

 妻「ローマ時代の遺跡群だったら、やはりローマが密度が濃くていいんじゃない?」
 私「フォロ・ロマーノがあるね。東西300m、南北100mの敷地にたくさんの遺跡が詰まっているからね。」
 妻「でも、健人にはあまり興味がなかったみたい。はやばやと帰ったわよ。出口を探して、迷ったけれどね。」
 私「知識の不足と想像力の欠如かな。遺跡は、そこに人が生活していた時代に想像力でタイムスリップしなくちゃ。」
 妻「この遺跡の規模は、ローマと比べちゃ大したことがなさそう。」
 私「・・・」

 エフェソス遺跡は入場観光し、アルテミス神殿跡は下車観光して、約2時間。途中、革製品の店で、約1時間のショッピングが予定されており、その後、3時間ほどをかけて「パムッカレ」へ移動し宿泊です。

               (この項 健人のパパ)

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 旅行好きの妻は、いろいろな旅行代理店、オンライン旅行会社、ホテル予約サイト、ホテル、航空会社からメールやニュースレターの配信を受けています。その量たるもの、日に十数本の時もあります。「【楽●天】トラベルニュース」などは日に数本が送られてくることがあります。その中の1本に目を留めた妻は、突然、「ねえ、イタリアをやめて、トルコ行かない?」と言い出しました。「誌面リニューアル記念第一弾! 5ツ星ホテルに泊まって全食事付きでトルコ9日間がなんと7万円!」という業界第3位の旅行代理店からのメールを読んでからのことです。

 私「いいね。トルコは昔から興味があるんだ。新潮選書の「ケマル・パシャ伝」を読んでからかな。」
 健人(息子)「ぼくもいいよ。新しいところ、興味あるんだ。」
 妻「全食ついて7万円は異常に安いわよ。エアは大韓航空だからマイルもつけば、それでもう一回旅行に行けるわよ。無料航空券をゲットするには、マイルが少し足りなかったのよ。」
 私「イスタンブールは数日いても飽きなさそうだね。」
 妻「期間が短いせいもあるけど、イタリアにかける費用の半分以下よ。」
 私「イタリア行くんで買い込んだユーロはどうするの?」
 妻「トルコはもうユーロ圏じゃないの?」
 私「まだなんだ。憲法改正が絡んでいるからね。」
 妻「ユーロを持って行って両替ね。」
 私「円高の時に買ったからね。」
 妻「じゃあ、申し込んでいいわよね。」
 私「え! 出発はいつにするの? 仕事との関係もあるし、スケジュールを調べて見なくっちゃ。」
 妻「通常よりも2万円ほど安いの、このツアーは。出発日が限定されていて、人数も限定されているのよ。77人だけだって。早く申し込まなきゃ。」
 私「申し込むったって、行程も分からないのに。下調べもしないで出かけるのはどうかな。」
 妻「じゃあ、調べてよ。急いでね。」

 このツアーは、成田空港を朝に出発して、ソウルで乗り継ぎ、夕刻にイスタンブールに到着。翌朝、バスで約6時間かけて(ダーダネルス海峡をフェリーで渡り、ヨーロッパ側からアジア側へ)、「トロイ」へ(1時間ほどの観光)。約2時間30分かけて、ホテルへ(「アイワルク」)。翌朝、約3時間30分かけて、「エフェソス」へ(2時間ほどの観光)。約3時間かけて、ホテルへ。翌朝、ホテルのある「パムッカレ」の観光(約1時間)。約5時間30分かけて、ホテルへ。翌朝、約3時間かけて、「カッパドキア」へ(2時間30分ほどの観光)。カッパドキアで宿泊。翌朝、「ボアズカレ」ヘ(午後の観光)。約4時間30分かけて、「アンカラ」へ。夕食後、一等寝台で、「イスタンブール」へ。翌朝、約5時間かけて、イスタンブール歴史地域の観光。イスタンブールで宿泊し、午前中、自由行動で、午後、約4時間かけて、2度目のイスタンブール歴史地域の観光。夕刻、帰国の途へ。という行程です。

 トルコは広いのでしょうね。イスタンブール観光を除いては、長時間の移動の間に1時間から2時間ほどの古代遺跡の観光が入るという感じの行程になっています。トルコは東西に長い長方形の形をしています。その左半分をイスタンブールから反時計回りに一周するような旅行になるようです。マルマラ地方→エーゲ海地方→地中海地方→中央アナトリア地方→黒海地方→マルマラ地方と一周するわけです。



 トルコ最大の都市「イスタンブール(İstanbul)」のある「マルマラ地方(Marmara Bölgesi)」は、「マルマラ海(Marmara Denizi)」を取り囲む地方です。マルマラ海は、「ボスポラス海峡(Bosphorus、İstanbul Boğazı、イスタンブル海峡)」を通じて北の「黒海(Karadeniz)」と繋がり、「ダーダネルス海峡(Dardanelles、Çanakkale Boğazı、チャナッカレ海峡)」を通じて南の「エーゲ海(Ege Denizi)」と繋がっています。

 早朝にイスタンブールを出たバスは、マルマラ海を反時計回りに回るようにして、「イスタンブル県(İstanbul il)」→「テキルダー県(Tekirdağ il)」→ヨーロッパ側の「チャナッカレ県(Çanakkale il)」の「ゲリボル(Gelibolu)」と移動し、カーフェリーでダーダネルス海峡を20~30分ほどかけて渡り、アジア側の「チャナッカレ県」の「ラプセキ(Lapseki)」へと入ります。このラプセキの近く(バスで1時間ほど)に「トロイ(Troya、トロイア、イリオス)」があります。

 「ハインリッヒ・シュリーマン(Johann Ludwig Heinrich Julius Schliemann、1822年~1890年)」は、クリミア戦争(1854年~1856年)で巨万の富を得た(ロシアに武器を密輸)実業家でしたが、ギリシャ神話に出てくる伝説の都市「トロイア」が実在することを発掘によって証明したとされる人物です。トロイアには、幾層にも遺跡が存在します。観光では城塞の跡などを見ることになります。このような場所は珍しいものではなく、豊かな想像力でこの世界遺産を楽しまなくてはなりません。シュリーマンの著作「古代への情熱」を読んで出かける必要はありそうです。

 1時間ほどの観光の後、「バルケスィル県(Balıkesir il)」の「アイワルク(Ayvalik)」に2時間30分ほどかけて移動していきます。2日めの宿泊はこの地です。アイワルクは、エーゲ海に面したリゾート地です。地中海性気候で、夏は雨が少なく、冬は多雨です。11月から12月にかけては雨が多くなるようです。あすは、「エフェソス」の観光です。この続きは次回に。

                (この項 健人のパパ)

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 2007年1月に設立された「エアアジアX(AirAsia X)」は、アジア最大規模の格安航空会社(LCC、Low Cost Carrier)の「エアアジア(AirAsia)」の傘下にあり、長距離路線を担当しています。エアアジアXha,中国や英国、インド便などを運航し、羽田便は、エアアジアXの12番目の路線となります。「中国」へは、杭州、天津、成都に飛び、「台湾」へは、台北、「オーストラリア」へは、ゴールド・コースト、パース、メルボルン、「インド」へは、ムンバイ、ニューデリー、「イラン」へは、テヘラン、「イギリス」には、ロンドン(スタンステッド)に飛んでいます。




 9月21日、「エアアジアX」は、12月9日から羽田-クアラルンプール間の路線を就航すると正式発表しました。就航記念として、一部の座席を片道5,000円(別に空港税として3,000円が必要)で販売するキャンペーン(2011年7月31日搭乗分まで)を実施する(9月23日に販売開始)そうです。しかし、この価格で搭乗するには2010年10月31日までにチケットを購入する必要があるようです。

 エアアジアXの「アズラン・オスマンラニ(Azran Osman Rani)」最高経営責任者(CEO)は、日本人には東南アジアのエキゾティックな島々を楽しんでもらいたいし、マレーシア人には日本文化を手頃な航空運賃で楽しんでもらいたい、と述べたそうです。

 エアアジアは、日本側がマレーシアの航空会社に認めた週7便の増便枠のうち、3便分を獲得していますから、火曜日、木曜日、日曜日の週3便の運航になり、片道料金は1万円から2万5,000円に設定(大手航空会社の半額程度)したようです。なお、増便枠の残る3便はマレーシア航空、1便はトランスマイル航空(貨物便)に割り当てられました。マレーシア航空は、羽田-コタキナバル線の運航を2010年11月15日から開始するようです。

 日本の空も、LCCの波をかぶるようになり、「全日本(ANA)」は9月9日、香港の投資ファンド「ファーストイースタン投資グループ(First Eastern Investment Group、FE)」と、2010年の末には関西国際空港を拠点とする格安航空会社を新設することで合意した、と発表しています。「北東アジア初の本格的なLCC」として、2011年の後半には国内線のほか、中国、韓国といった東アジアの都市に就航する計画があるようです。

 全日空とはブランドも別にし、新会社の資本金は100億から150億円を予定し、その40%弱を全日空が筆頭株主となって出資し、ファーストイースタン投資グループは3分の1の30億円から50億円を出資するそうです。新会社の開業から3年から5年後には黒字化を図りたいようです。黒字に転換する(している)であろう5年後には、15機から20機所有を目指すそうです。ちなみに、エアアジアXは現在、「エアバスA330-300」を主力に旅客機を9機所有しています。

 ANAの新会社は、当面は5機程度でスタートし、国内線と国際線でそれぞれ3、4路線に就航するそうです。LCCに慣れた東南アジアの客と異なり、まだそれに慣れていない日本の国内線の利用客は、変化に対応できる若者は別として、機内食などのサービスは希望者に有料で提供するといったこのLCCのビジネス・モデル(business model)にどのような反応をするのでしょうか。

 ANAは、飛行機の1座席を1km飛ばすには15円(マレーシアの貨幣単位「リンギット」に換算すると0.5リンギット)ほどのコストをかけています。それに比べ、エアアジアは0.1リンギット(約3円)ほどで、ANAの5分の1で済んでいます。このコスト減は、サービスの質を変えることで作り出されたものです。それを日本の消費者が納得できるか、です。座席の前後の間隔を狭くして、座席数を増やしています。そのため、リクライニングにはならない(座席が後ろに倒れない)LCCもあります。

 この居住性の悪さをある程度年齢のいった人たちはどう考えるでしょうか。喩えるならば、インドで列車やバスに詰め込まれて、移動するようなものです(それは言い過ぎか)。私たちは、それでもコストを抑えられるから、東南アジアに行くと、LCCをよく利用しています。飛行時間の1時間から2時間程度を我慢すればいいのです。

 しかし、LCCへの新規参入や路線増といった状況が続けば、やがて供給過剰になって、航空業界自体が立ち行かなくなる可能性も秘めていることに留意しなければなりません。そのときは、寡占が進行し、航空運賃の高騰も考えられます。みながみな外国に行きたいとは考えていないでしょうし、不安定な世界情勢にあって、紛争が起これば、外国旅行の人気は急落しそうです。一時的なファンはいつでも容易に離れてしまうものなのです。

(参考) 「エアアジア」のモデルは、「サウスウエスト航空」なのでしょうか?

(参考) マレーシアのイポーからエアアジア(AirAsia)でシンガポールに移動

(参考) LCCのエアアジア(AirAsia)で、クアラルンプールに行く方法は?

              (この項 健人のパパ)

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 上の息子「優也」は、妻の血を色濃く引いています。その「血」とは「旅行好き」。妻「あみ」は「旅行」に出かけるために収入を得ているかの如くです。「人生」は「旅をするためにある」とでも考えているのでしょうか。「松尾芭蕉」は「奥の細道」で「いづれの年よりか、片雲の風に誘われて、漂泊の思いやまず、、、」と述べています。妻は「ちぎれ雲」です。「風」に誘惑されて、「旅」に出ようとします。この「ちぎれ雲」、優也を就学前から、オースラリアへ、ヨーロッパへ、韓国へと連れ出しました。

 そのせいなのでしょうか。優也は、バイトをするようになった大学時代には、自分であちこちへと旅行し始めます。インドへ、ベトナムへ、中東へ、ヨーロッパへとふらっと出かけていきました。安宿を泊まり歩くような旅だったそうです。妻も若い頃はそんな旅をしていたそうです。ツアーを利用するような旅は、数えるほどしかないようです。2005年に妻は一人でベトナム旅行に出かけましたが、そのときはそんな旅でした。

(参考) 卒業旅行を海外で!うらやましい時代です。in Vietnam(2005年03月17日の記事)

 息子は大学を卒業し、大阪に本社を置く産業機械のメーカーで勤め始めましたが、海外への出張が多く、本人は喜んでいます。筑波への出張の途中で家に立ち寄ったので、言葉を交わしました。「出張はストレスにならない?」「いや、おもしろいよ。」「それはよかったね。」「ストレスになるような人間は勤めらんないね。」「そりゃそうだろな。」「でも、出張に出ると太って困るんだ。」「食べ過ぎる?」「現地事務所の人たちが食事に連れて行ってくれるんだけどね、つい食べちゃうんだ。」「いいじゃないか。」「帰ってから、体重を落とすのが大変だよ。」「ははは。今度はどこに行くんだい。」「26日からタイ。」「タイか。バンコク?」「いや、東北部へも行く。」「イサーンか。食べ物、おいしいから、また太るか。」「・・・」

(参考) 「バンコク」旅日記7-ティダ・イサーンで辛~い!

(参考) 「バンコク」旅日記10-ティダ・イサーンでさらに

 「バンコクといえば、スワンナプームの空港とバンコク市内を結ぶ鉄道がようやく完成したそうだよ。」「エアポート・レール・リンク?」「そう。先月から正式開業しているから乗れそうだね。」「空港には現地事務所から車で迎えが来るんだ。」「おや、それは残念。」「乗るのは、タイ航空だから、12時に関空から出発して、3時半にはバンコクだよ。」「2時間の時差入れて、5時間半か。近いな。」「何度もバンコクには行ってるじゃない。」「UAやノースは深夜の到着だからね。疲れるんだよ。遠く感じるね。」

(参考) 深刻化するタイのインフルエンザ拡大-秋の日本との相違は?(2009年7月31日の記事)

 妻は会社の経費で旅行できる息子を羨ましがっていますが、「仕事」で出かけるのであって、「観光」ではありません。「それでも面白いわよ。」と言いますが、タイではリスクが高まっています。それは「政情不安」ということではなく、去年の同時期と同じく、「新型インフルエンザの感染拡大」です。「優也」も新型インフルエンザのワクチンを今年始めに接種していますが、ワクチンの「重篤化の防止」効果は、接種後2週間ごろから出始め、5か月ぐらいまでにはなくなってしまいます。2010年1月に接種したのですから、だいたい6月には効果がなくなっています。新型インフルエンザウイルスに接する機会があれば、ブースター効果(booster effect、追加免疫効果)で、その効果は延長されるでしょうが、それは確実ではありません。

 タイの保健省は、2010年9月21日、タイ国内で新型インフルエンザが猛威をふるっており、今年確認されたインフルエンザ感染者は、およそ50,000人強で、そのうちの10,000人強が新型インフルエンザに感染していることを公表しています。今年に入ってから66人がインフルエンザ感染で死亡しています。感染拡大は、都市部で深刻で、バンコクでは居住者の20%ほどがインフルエンザに感染しているという計算になるようです。地方では、バンコクを取り囲む「中部」で7%強、「北部」で1%ほど、「東北部」で0.8%ほど、「南部」で0.5%ほどのようです。「優也」には早々と東北部に移動してもらいたいものです。

(参考) ますます遠くなるバンコク、チェンマイへの旅-いつなら大丈夫?(2009年07月17日の記事)

 タイの保健省は、次のような文書を出して警戒を呼びかけています。

 For Thailand, since May 2009, 2 big waves of outbreaks have already occurred. However, since July 2010, the trend of influenza situations has increased constantly. Sentinel surveillances have shown that the proportions of the new strain of influenza (H1N1) 2009 in outpatients and inpatients have also increased. In addition, Thailand is currently entering the peak period of seasonal influenza outbreak, i.e. raining season and winter.(タイでは、2009年5月以降、感染拡大を2度経験しています。さらに、2010年7月から、インフルエンザ感染が増加しています。インフルエンザの動向監視で、外来患者、入院患者ともに新型インフルエンザ(H1N12009)の割合も増加していることが判明しています。タイは季節性インフルエンザの感染拡大がピークを迎える「雨季」に入っており、また同じくピークである「冬」を迎えようとしています。)

 日本では新型インフルエンザのワクチン接種は、10月1日から始まります。優也がタイに出かけるのは、9月26日。間に合いません。ワクチンの効果が出るのは、接種後およそ2週間ですから、いま接種できたとしても、いずれにしても間に合わず、無防備な状態でタイへ出かけることになります。無事に帰ってきてもらいたいものです。

(参考) バンコクの私立病院で新型インフルエンザ治療に法外な請求?

 タイは、「政情不安」で観光地としての魅力を大きく減退させています。デモ隊による空港閉鎖(2008年11月25日から9日間)という事態にまで発展したのですから、観光客も二の足を踏むのは当然とも言えます。タイには月平均約9万人の日本人が訪れていたのですが、2010年の統計では、4月は72,000人、5月は46,000人(前年比24%減!)、6月は52,000人、7月は72,000人ほどと最近4か月を見ただけでも前年同月比10%強減っています。妻は「いま、バンコクのホテルは安いのよ。政情不安のせいね。治安に問題がなければ、バンコク、チェンマイと旅行したいところよ。旅行のコストが少なくて済むし、タイの観光産業の救済にも幾分かなるしね。」

(参考) タイの政情不安、ついにスワンナプーム空港閉鎖にまで(2008年11月27日の記事)



 私たちの旅は、子連れの旅です。リスクは最小限にしなければなりません。タイの情勢を日々ウォッチしている私が考えるに、まだまだタイに行くには、ハードルは高いと言えます。

              (この項 健人のパパ)

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 「エアアジア(AirAsia)」は、1993年に設立された航空会社です。1996年に営業を始めましたが、業績は低迷し経営に失敗します。2001年、タイム・ワーナー(Time Warner)の役員だったトニー・フェルナンデス (Tony Fernandes) は、チューンエア (TuneAir Sdn Bhd) を設立し、この巨額の負債を負ったエアアジアを1リンギット(約30円)で買い取ります。トニー・フェルナンデスは、エアアジアを格安航空会社に変身させ、2003年には利益を上げるまでになります。

 格安航空会社は、1971年に設立されたアメリカの「サウスウエスト航空(Southwest Airlines)」が最初だと言います。空港使用料の安い空港を使う、空港での駐機時間を減らして航空機の稼働率を上げる(1日11~13時間)、機内清掃を客室乗務員に担当させる、機内サービスは最低限にするか有料化する、乗員の訓練に大きなコストをかけない、などによって低料金を実現しています。

 このサウスウエスト航空をモデルとして、ヨーロッパには、1985年に設立された「ライアンエアー(Ryanair)」などがあり、アジアには、1993年に設立された「エアアジア(AirAsia)」などがあります。サウスウエスト航空は搭乗客からの評価が高いのですが、ライアンエアーの評価は高いものではありません。上の息子「優也」はヨーロッパでライアンエアーを利用したのですが、「評判通りだった」という厳しい評価を下していました。

 エアアジアにはライアンエアーにいた「コナー・マッカーシー(Conor McCarthy)」が重役としています。サウスウエスト航空をライアンエアーがモデルとし、そのライアンエアーをエアアジアがモデルとしたのでしょうか。しかし、エアアジアには、その低運賃から考えると一定の評価を下していいと思います。路線によっては、搭乗客の質が低く、まるで乗合バスの車内の様相になることもあります。低運賃のため、初めて飛行機に乗るような客をよく見かけるのです。大声で話す、座席を始終立つ、きょろきょろ周りを見回して落ち着かない、というような行動をする搭乗客がいるのです。

 エアアジアはマレーシア事業では、2010年4~6月期の旅客数が389万人となり、前年同期比で10.6%増加したそうです。その勢力を拡大しています。提供座席数に飛行区間の距離を乗じたものの総和を「有効座席キロ(Available Seat Kilometer、ASK)」といいます。それが前年同期比で9.1%増加したそうです。ASKが増加するのは、飛行区間の便数が増えたり、新しい飛行区間が増えたからです。座席数の多い機種を投入してもASKが増加しますが、エアアジアは180席のエアバスA320-200のみしか所有していません(51機)。
 
 旅客数(有償の旅客)に飛行区間の距離を乗じたものの総和を「有償旅客キロ(Revenue Passenger Kilometer、RPK)」といいます。エアアジアは、2010年4~6月期、RPKは14.6%の増加だったそうです。RPK÷ASKで、「有償座席利用率(Load Factor)」が求められます。もちろん、高い方が収益をより上げられます。空気を運んでも収益にはなりません。エアアジアの有償座席利用率は、前年同期比で75%から77%に上昇したようです。意外と高くはないのですね。

 航空会社は、「イールドマネジメント(yield management)」を導入して、ロードファクターを高める努力をしています。航空運賃にいろいろな価格設定を行って、例えば20%の座席は「早割り」で50%割引、30%の座席は「特割り」で40%割引、残りは「正規運賃」で、などと段階的に価格帯を設けています。格安航空会社は、早い時期に購入した者に非常に安い価格設定をしています。私は、イポー-ジョホール・バル間を4か月前に購入しましたが、RM9.99(およそ330円)でした。税金を入れても、RM39.99(およそ1,300円)でした。東京−大阪間の格安の夜行高速バスでも4,000円程度かかるのですから、比較できるものがありません。

 2004年12月の旅で、シンガポールからタイのバンコクへの移動に、エアアジアを利用しました。マレーシアのクアラルンプールへの移動とは異なり、チャンギ空港から直接に飛ぶことができます。クアラルンプールには、チャンギ空港から直接に便が出ていないので、一度マレーシアのシンガポールとの国境の都市「ジョホール・バル」(セナイ空港がある)にバスまたはタクシーで国境越えをしないとエアアジアを利用できません。多分に、政治的な力が働いているのかも知れません。(2008年2月から、エアアジアはシンガポールから直接クアラルンプールに飛行機を飛ばしています。

 22時50分発のFD5019便での出発です。エアアジアにはよくあることなのでしょうか、機体を時間の余裕なく使いまわしていて、遅れがだんだんと累積されるためなのか、定刻の出発は難しくなるようですね。格安航空会社は、無駄を省くことによってよって格安の航空運賃を実現しているため、機内清掃の時間を短縮するなどにより空港での滞在時間を減らし、20~30分程度の短い折り返し時間を実現しています。そのため、時間に余裕がなく、午後遅くの出発便には、遅延が発生することになります。



 チャンギ空港のエアアジアのチェックイン・カウンターを見つけるのはちょっと苦労しました。目立たない場所にありました。シンガポールでは、エアアジアはナショナル・フラッグのシンガポール航空との絡みで差別されているのでしょうか。



 エアアジアの搭乗券です。セナイ空港で発行される搭乗券のようにコンビニのレシート風ではありませんが、学生食堂や社員食堂の食券風です。ここにも経費節減が見て取れます。座席クラスはエコノミークラスに統一されていて、予約定員制の自由席ですから、搭乗人数の確認だけでいいのです。



 闇の中のエアアジアの機体を撮ってみました。殆ど見えません。深夜ですからね。エアアジアは、使用料のかかる「ボーディングブリッジ(passenger boarding bridge、PBB 、搭乗橋)」を使うことはありません。搭乗客は駐機してある飛行機まで歩いて向かいますから、機体を写真におさめる機会があります。しかし、座席指定はなく、自由席なのでいい席を取りたかったり、連れと一緒に座りたい場合は早めに搭乗しなくてはなりません。写真を撮っていると人に抜かされていきます。FD5019便は、なんと50分も出発が遅れ、23時40分頃です。翌日になっちゃうよ~ 大手航空会社も遅れることはあるので、まあ覚悟はできています。



 翌日、やっとバンコクのドンムアン空港(タイ国際空港は現在、スワンナプーム国際空港(2006年9月28日開港))に着きました。1時間以上、我々を待っていたことになるのでしょう。迎えのタクシー運転手の機嫌の悪かったこと。私たちのせいじゃないって。

          (この項 健人のパパ)

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 世界中に勢力を拡大した「格安航空会社(Low-Cost Carrier、LCC)」の一つ「エアアジア(AirAsia)」が2010年中には日本の「羽田」からマレーシアの「クアラルンプール」に飛行機を飛ばすことになるようです。

 成田国際空港会社は、国内外の格安航空会社などの誘致を図るため、着陸料の引き下げを検討していることを9月16日に明らかにしています。着陸料の引き下げは、来年中に行う方向で検討を進めているようです。低料金で利用できるLCC専用の旅客ターミナルビル建設についても、模索しているようです。都心から近い「羽田空港」の国際線枠の増大に対抗しようとするものでしょう。

 日本の空も格安航空会社によって埋め尽くされる時代がやがてやって来そうです。そこで、アジアの空で格安航空会社を利用してきた経験を少しお話したいと思います。

 以下の記事では、次のことをご注意ください。2006年9月、エアアジアは、滑走路が短いことを理由にイポーでの運航を中止しました。クアラルンプールなどの都市圏へ若い世代が流出し、利用客の減少が背景にあったようです。また、2008年2月から、エアアジアはシンガポールから直接クアラルンプールに飛行機を飛ばしています。

 2006年5月の旅で、マレーシアのイポーからジョホール・バルへの移動に、エアアジアを利用しました。マレーシアからシンガポールへは直接エアアジアでは入ることができませんので、ジョホール・バルのセナイ空港に一度移動し、セナイ空港からはバスまたはタクシーで国境越えをして、シンガポールに行くことになります。



 滞在していた「カジュアリーナ イポー」からタクシーを使って、「スルタン・アズラン・シャー国際空港(Lapangan Terbang Sultan Azlan Shah)」という「イポー空港」に移動してきました。空港の建物は、鉄道の地方の駅舎といった趣き。イポー空港内には、エアアジアの営業所があります。ここでもチケットが買えることにはなっています。しかし、オンラインで前もって購入した方が便利ですし、安いです(エアアジアは購入日と搭乗日が離れているほど安く済む)し、確実ですね。



 2006年5月3日の搭乗でしたが、オンラインで(インターネットを使って)購入したのは1月4日です。4ヶ月前に購入したことになります。イポー-ジョホール・バル間がRM9.99(およそ330円)です。税金を入れて、RM39.99(およそ1,300円)。安いですね、これが飛行機の運賃ですよ。



 エアアジアは、自由席ですから、我先に搭乗です。エアアジアを筆頭とする格安航空会社は、無駄を省くことによってよって格安の航空運賃を実現しているため、使用料のかかる「ボーディングブリッジ(passenger boarding bridge、PBB 、搭乗橋)」を使うことはありません。搭乗客は駐機してある飛行機まで歩いて向かい、タラップを使って搭乗することになります。



 シンガポールとの国境のある都市「ジョホール・バル」にある「セナイ空港(スナイ空港)」のエアポートタクシーのカウンターで、シンガポール市内までのタクシー・チケットを購入できます。RM160(およそ5,200円)でした。3人の航空券代がRM120でしたから、それより高いことになります。昼の到着便だとバスを利用することもできるのですが、午後6時頃という時間です。さらに、空港内で取材をしていたら、料金の安いタクシーはすでに出払ってしまっていました。失敗した~



 懐の痛んだ親を知ってか知らずか、いい車に乗れると喜ぶ我が子です。イポーでの滞在ホテル「カジュアリーナ」から空港に移動するときに使ったタクシーと比べればたしかに雲泥の差です。動くのが不思議!と思われるタクシーでしたから。

 バスで国境越えをするのとタクシーでするのとを比べれば、これまた雲泥の差です。とにかく国境での手続きが楽! ただタクシーに乗っていれば、すべてが済むのですからね。手間といえば、車中で入国カードを書くくらいかな。シンガポール内の次の目的地、例えば、チャンギ空港や宿泊ホテルまで連れて行ってくれます。

 バスだと、マレーシア側のチェックポイントで荷物を持って降りて、審査を受け、またバスに荷物を持って乗り、コーズウェイを渡り、今度はシンガポール側のチェックポイントで荷物を持って降り、審査を受け、またまたバスに荷物を持って乗り、シンガポール市内のバス停で降りたら、バスか地下鉄かタクシーで宿泊ホテルなどに移動。

 荷物がないか少なければ楽なのでしょうが、子連れだとどうしても荷物が多い。だから、力仕事担当の私はできれば、タクシーに乗りたい。

                  (この項 健人のパパ)

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 我が家にはアンテナの角は生えていないのですが、「地デジ対策どうするの?」とうるさい「地デジカ」がいます。本家の「地デジカ」は、1年以上も前に誕生していたのですが、我が家の地デジカは最近誕生したもの。ケーブルテレビ(CATV)に加入していて、いまでも地上デジタルテレビ放送が見られるので、特に地デジ用のアンテナを取り付けることを考えてもいなかったのです。

 しかし、2011年7月末頃には「地上アナログテレビジョン放送」は停波することから、各部屋にあるテレビのうちのセットトップボックス(Set Top Box、STB、パナソニック製 TZ-DCH520)に接続してある1台しか見られなくなるので、我が子「健人」は普段テレビをあまり見ないのに、「地デジ対策」をうるさく言います。

 私「アナログ放送が終わっても、地デジチューナーをテレビそれぞれにつければ、テレビを見られるから心配しなくてもいいんだよ。」
 息子「地デジチューナー内蔵の液晶テレビでももちろん見られるんだよね。」
  「そう。でもね、いまあるブラウン管テレビでも地デジチューナーをつけるだけで見られるんだから、わざわざ新しいテレビを買うことはないさ。」
   「いまエコポイントを使えば、19型の液晶テレビは2万円くらいで買えるよ。」
  「何で液晶テレビにこだわるんだい。」
   「液晶の方が消費電力が少なくて、長期的にはお得なんだって。」
  「君は電気屋の回し者かい。」
   「だって、地デジチューナーを買ったって、5,000円くらいかかるんだから、、、」
  「そんなにテレビを見ないくせに。新しい物好きで、液晶テレビが欲しいだけだろう。」
   「・・・」

 そんなわけで、近くのホームセンターで安価な(3,980円)地デジチューナーを手に入れてきました。電気製品に興味がある息子に接続を任せました。我が家の「家電芸人(芸はないか)」は嬉々として配線を繋いでいきます。これは「血」かも知れません。というよりも、「男」はこういうことが好きな「種族」かも知れません。

 これで、我が家で繁殖した「地デジカ」を駆逐したつもりでいたのですが、ポスティングしてあったチラシを見て、復活してしまいました。経済的観点から(現状では地デジを見るにはCATVにSTBの使用料を払い続ける必要がある)、妻も「地デジカ」に変身していました。「アンテナ付けようよ」の大合唱です。負けました。面倒なので、避けていたのですが、、、

 ネットで購入したのは、DXアンテナの「地上デジタル放送用平面アンテナ UAD1800」で、ブースターが内蔵されています。これを家の2階の外壁に取りつけて、同軸ケーブルを配線していきます。



 梱包されていたのは、アンテナ本体(横30cm×縦53cm×奥行12cmほどの大きさで、重さは2kgほど)、電源部、壁面・マスト取付金具、マスト押え金具、スタンド(水平偏波受信用)、六角組ボルト(M10)、六角組ボルト(M6)、防水キャップ、スパナです。今回は室内用に使うのではありませんので、スタンドは使いません。また、マストにアンテナを固定するわけでもないので、マスト押え金具と六角組ボルト(M6)も不要となります。



 まず、壁面に「壁面・マスト取付金具」を取りつけます。この作業が非常に大事になります。家の外壁の材質はいろいろですが、モルタル壁ならば、壁の中の心材にねじを届かせるなどの配慮が必要です。強風がアンテナを壁から引き離そうして外壁に予想外の力を加えることもあるからです。壁がアンテナとともに落ちては大きな損害を蒙らなくてはなりません。



 「壁面・マスト取付金具」を壁に取り付け終わると、アンテナ側取付金具と「六角組ボルト(M10)」を使って、一体化します。ねじは強く締めないでおきます。アンテナは、一定の角度動きますから、最適なアンテナ角度を決める必要があります。一応、ネットを使って、地デジの電波が出されている東京タワーの方向は確認しておきました。さらに、よその家の地デジのアンテナの方向も見ておきます。おおよそその方向を向いていれば、電波を受信できます。



 ここで、アンテナの角度を受信状態の一番いい方向に微調整します。暫定的にアンテナにF型接栓をつけた同軸ケーブル(5C)を繋げて、窓から引き込み、息子の協力を仰いで、受信レベルの測定です。地上波デジタルチューナーは、TMYという知らないメーカーのTSTB-004という安価なもの。それでも受信レベルの測定ができるので、一番高めの数字が出るところで固定。アンテナの取付金具のねじを締めました。



 同軸ケーブルは、屋根裏に登って、外壁に開いている換気口から出しました。F型接栓をつけていない状態で外に垂らし、今度は外に出て、防水キャップを同軸ケーブルに通し、F型接栓をつけ、アンテナに取り付けます。また、屋根裏に戻って、他方の端にもF型接栓をつけて、電源部の「ブースターへ」という部分に接続します。



 こうやって言葉で書いていくと、大変な手間だったように思えます。アンテナ→電源部→分配器→アンテナコンセント(プラグ差込型)とF型接栓を5~6個つけて、同軸ケーブルを1階の部屋のテレビの近くまで通してきました。健人は私の作業を一部始終見ていましたので、手間のかかる作業だったことは理解できているのですが、見ていない妻は、無事映ったテレビを見て、「やっぱりやればできるじゃない。器用な夫を持てばお得よね。」

 「・・・」

※ こちらの記事もあわせてお読み下さい。「地上デジタル放送用平面アンテナ UAD1800を取り付けてみました。

               (この項 健人のパパ)

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 2004年7月23日に初めて エアアジア(AirAsia) を利用してから,ジョホールバル→クアラルンプール,シンガポール→バンコク,バンコク→クアラルンプール,ジョホールバル→ペナン,イポー→ジョホールバル,クアラルンプール→バリ,バリ→クアラルンプールと AirAsia をごく普通に利用するようになりました。ここでは,2006年4月23日と2006年5月2日の利用について述べてみましょう。

 シンガポール中心部からタクシーやバスでマレーシアに国境を越えるとジョホールバル(Johor Bahru)があります。そこからさらにセナイ(Senai)に向かうとセナイ空港(スナイ空港)があります。ここから AirAsia は,クアラルンプール,ペナン島,イポー,タイ国境近くのコタバル(Kota Bharu),ジョホール州の東の沖のシブ島(Pulau Sibu),ボルネオ島サバ州のコタキナバル(Kota Kinabalu)やサンダカン(Sandakan)やタワウ(Tawau),ボルネオ島サラワク州のクチン(Kuchin)やミリ(Miri)などに飛んでいます。



 セナイ空港(Sultan Ismail International Airport,スルタン・イスマイル国際空港)は,前回来たときと様変わりです。2階(First Floor)には DUTY FREE のお店もできていましたし,非常にきれいにもなっていました。1階(Ground Floor)には、Lavender Bistro & Cake Shop,Coffee Bean,Marry Brown,Deli N Meal,Dunkin' Donuts,Famous Amos,Daily Fresh,Michigan Pastries といった軽食の店(Food & Beverage)があります。



 変わっていないのは,AirAsia のコンビニのレシートのような搭乗券。搭乗前にうっかり捨ててしまいそう。



 セナイ空港の2階の見取り図です。AirAsiaは,今までの経験ではGATE4からの搭乗です。詳細は,セナイ空港の サイト でどうぞ。



 AirAsia の飛行機は,B737-300 という機種のようです。座席数は150席前後です。日本の国内線で,地方間で利用される飛行機と考えればいいでしょう。 (追記) エアアジアは,主力機材であったこのB737-300を2006年以降,順次エアバスA320に切り替え,2008年にはすべての切り替えが終わっています。



 こんな感じの機内です。ボーイング737-300は,ナローボディ機(narrow-body aircraft)で円筒状の胴体の直径が3~4mです。通路は1本。そこに右に3席,左に3席の座席が並びます。格安航空会社(LCC,Low Cost Carrier)は,搭乗客を詰め込むことで格安の料金を提供しています。 (追記) 2010年現在,エアアジアは180席のA320-200(これもナローボディ機)を51機所有しています。



 2008年2月から、エアアジアはシンガポールから直接クアラルンプールに飛行機を飛ばしています。以下の記事は、シンガポール航空(SIA)とマレーシア航空(MAS)の2社がシンガポール-クアラルンプール間の航路を独占していた時代の苦労話です。

 私たちは、日本からは United Air Lines で深夜にシンガポールに到着です。シンガポールのホテルに1泊して,翌朝シンガポールを足早に観光です。その後、クアラルンプールに移動です。観光を終えて,アラブ・ストリート(Arab Street)と クイーン・ストリート(Queen Street)の交差するところにある クイーン・ストリート・バスターミナル(Queen Street Bus Terminal)にやってきました。

 時間はおよそ 17時ころ。 荷物を預けておいた宿泊ホテルでタクシーを拾おうとしたのですが、なかなか捕まらず、こんな時間になってしまいました。ここからバスに乗って,国境を越え,ジョホールバルにあるセナイ空港からペナンに飛びます。飛行機の出発時間は、19時20分。クイーン・ストリート・バスターミナルは,地図から明らかなように ゴールデン・ランドマーク(現ランドマーク・ヴィレッジ・ホテル,LANDMARK VILLAGE HOTEL)というホテルからは歩いていける距離です。

(info) AppleWorldでの「ランドマーク・ヴィレッジ・ホテル」(LANDMARK VILLAGE HOTEL)の情報



 バスチケットを手に入れます。コーズウェイ・リンク・CW2でセナイ空港に行くことになります。S$2.40です(追記…2010年現在 S$3.00)。なんとも安いバス運賃ですね。「セナイ・エアポート」と言えば入手できます。空席のあるバスに乗せられます。バスは定員に達すると出発します。ほぼ,15分おきに出発します。しかし、ここからが大変、手順を要領よく踏んでいく必要があります。

1. クイーン・ストリート・バスターミナルで、コーズウェイ・リンクの“CW2”のバス(Causeway Link bus No. CW2)に乗るか、SBSの170番のバス(SBS Transit Bus No. 170)に乗って、シンガポールの出入国管理事務所まで行って下車します。荷物もすべて持って降ります。
2. シンガポールの出国の手続きが終わったら、同じくCW2(170番)のバスに再び乗り、橋を渡り、マレーシアの出入国管理事務所で下車します。
3. マレーシアの入国手続きが終わったら、またCW2(170番)のバスに乗り、終点(ラーキン・バスターミナル,Larkin Bus Terminal)で下車します。
4. ここで、コーズウェイ・リンクの333番のバス(Causeway Link bus No. 333)に乗り換えて、セナイ空港に向かいます。バスは20分おきに運行しています。

 乗って(1回め)降りて,出国手続きをして,乗って(2回め),橋を渡って降りて,入国手続きをして,乗って(3回め)降りて、乗り換えて(4回め)降りるとようやく空港です。そのたびにバス・チケットを見せる必要があります。重い旅行荷物を持っていると、これがしんどい。バスはジョホール・バルからシンガポールに働きに来ている人たちの帰宅の時間にあたると特に混雑します。



 2004年7月はこの混雑を避け、タクシーでセナイ空港に向かいました。ホテルのレセプションでセナイ空港に行ってくれるタクシーを前日に頼んでおくのも一つの方法ですが、やや高くつきます。そこで、タクシーで Queen Street にある Johor Bahru 行きのバスの出る Bus Terminal へ。

 ホテルからのタクシーの運転手に、Bus Terminal にある Taxi Stand へ行ってくれ、と告げると、親切なアドバイス。「絶対にタクシーの待合の建物の中にいる運転手に頼みなさい。路上で声をかけてくるのはすべて白タクだよ。」 タクシーを降りるとさっそく、男が“Johor Bahru?”と声をかけてきます。無視をしてもしつこい。建物の中には白いシャツを着た者が数人。入るとすぐに「どこに行く?」と声をかけてきます。“Senai Airport.”というと、その中の1人が、自分のタクシーをとりに行きます。国境を越えるのですから、どのタクシーも行けるわけではありません。許可のあるタクシーが国境を越えられます。

 いざ、出発! Senai Airport まで、どのくらいかかるのか尋ねると、1時間半程度、との返事。料金はどのタクシーでも$50(2004年当時)。待たずに乗れて、さらに90分程度で着くなら、もっとホテルでゆっくりしていればよかった。飛行機が飛ぶ 5時35分まであと4時間もありました。

 運転手にもらった出入国カードを家族3人分、揺れる車中でゆっくりと書いているうちに、なんと書き終わらないうちに、出国ゲートに到着。車は行列を作っていない。パスポートを運転手に渡すと、ブースにいる管理官の手に。われわれはタクシーに乗ったまま。数分で、車は動き出します。あっけない出国。

 車は数メートル移動して、次は、税関。パスポートと出入国カードを運転手に渡すと、同じように管理官に。ベールをした女性の管理官が車に近づき、運転手が降りてトランクを開けます。しかし、荷物を開けさせられることはなく、終了。旅行荷物が多くて、旅行費用に余裕があるのなら、タクシーを利用することをお勧めします。

 車は、ジョホール水道沿いの整備された道路をひた走ります。1時間程度で到着しました。1時間前から搭乗手続きが開始です。搭乗ゲートが開くのは、出発時刻の35分前から10分前までです。このことから考えると、出発時刻の1時間半前に Queen Street をタクシーで出れば、ぎりぎり間に合うことになります。それに、タクシーが遅れたときのために多少時間を加えて、2時間をみればいいことになるでしょう。

 エアアジアが日本に就航し、羽田-クアラルンプール間を飛ぶことになるという発表が近々あると聞き、以前書いた記事に手を入れて、再掲することにしました。

             (この項 健人のパパ)

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 我が家では、テレビを見ることはあまり多くはありません。一番早く家に帰ってくる我が子「健人」は、宿題を後回しにして音楽(クラシックを聴いていたと思ったら今はジャズを聴いています)を聴きながら、パソコンを開きネットサーフィンです。“YouTube”や「ニコニコ動画」といったネット動画のファンでもあります。一番遅く帰ってくる妻「あみ」も、帰るとすぐにパソコンを開き、メールチェックです。食事を済ませると今度は旅行の下調べでパソコンの前に座ります。ときには、Gyaoで韓流ドラマの「ホテリアー」を見ています。
 
 2人とも言います。「テレビが面白くないの。制作費を安く抑えるためだと思うんだけど、お笑いタレントを使った番組が多くてね。クイズ番組で高尚さを装っているけど、やっぱり底が浅いのね。」(妻)「食べる番組が多くて。面白くないんだ。ぼくが楽しみにしているのは「名探偵コナン」くらいかな。」(息子)

 それでも、我が家にはテレビが必要です。朝、テレビ番組を時計代わりにして、2人とも出かけていきます。出かけるのが一番遅い私も朝のワイドショーを横目で見ながら出かける仕度をしています。パソコンを受動的に扱うことは難しい。クリックをしないと次の情報が見られません。Yahoo!のニュースは、ページを開いて読まなければなりません。しかし、テレビは耳を傾けるだけでいいのです。

 2011年7月以降もテレビを見続けるには、いわゆる「地デジ(地上波デジタル放送)」対策をしなくてはいけません。我が家では、健人が小さいとき、アニメ番組などを見せるために、CATVに加入しました。しかし、小学3年生頃になるとそれも見なくなりました。5~6歳からパソコンを自由に扱えるようになるとテレビから離れていったのです。我が家のテレビは年季の入ったブラウン管テレビです。CATVは、「Bデジプラス」という地デジがアナログテレビで見られる月額利用料2,520円のコースに変えて続けていました。

 妻「月2,520円、払っているでしょ。地デジのアンテナにしたら、それがかからなくなるんでしょ。もったいないわよ。」
 私「でもね、アンテナ工事には3万円から5万円ほどかかるんだよ。ケーズデンキで尋ねてみたんだ。」 
  「ずいぶん幅があるわね。」
  「電波の受信状況でアンテナの種類を変えたり、ブースターを入れたりして、機器代もかかるのさ。」
  「ブースターって?」
  「受信した電波を増幅する機器さ。弱い電波を強めるものかな。」
  「電波の強さで、アンテナも変えるってことね。」
  「そう。それに受信した電波は同軸ケーブルという線でアンテナからテレビまで持ってくるんだけど、太さが3C、4C、5Cと3種類あってね、一番細い3Cだと途中で弱まってテレビが映らないということもあるんだ。だから、いままでの線が3Cだと張り替えなくっちゃならなくなるんだ。」
  「うちはどうなの?」
  「残念だけど、3Cという一番細いやつ。」
  「ケーブルテレビは見れてるじゃない。」
  「ケーブルテレビのテレビ信号は、強くてね。細くてもへこたれないのさ。」
  「いくらかかりそう?」
  「分からないね。でも、3万円じゃ済まないかも。」
  「ケーブルテレビだと、1年で3万円くらいかかるでしょ。5万円なら、20か月分よね、、、お父さん、自分で工事できない?」
  「2階の屋根にどうやって登るんだい? そんな長い梯子は持っていないよ。それに、間違って屋根から落ちたら、大変なことになるよ。」
  「そうね、、、」

 この話はここで立ち消えになるはずでした。ところが、数か月経って、ポストに投函されていたチラシを見ていた健人が尋ねてきます。「平面アンテナって何?」「知らないな。素子のないアンテナのことだと思うんだけど、チラシにアンテナの型番が載っているから、ネットで調べてごらん。」




 健人「わかったよ、お父さん。壁に取り付けるアンテナだって。ベランダのマストでもいいみたいだよ。」
 私「へえ、時代は進んでいるんだね。室内アンテナのでっかい版かな。」 
   「30cm×52cmくらいだって。」
  「大きいね。そんなの壁に付けて大丈夫かな。重さはどのくらいなの。」
   「2.1kgだって。」
  「それほど重くないんだ。」
   「うちで付けられるんじゃない? 2階の屋根に登らなくてもいいんだから。」
  「玄関の上の屋根に脚立を乗せれば、できそうだけどね。」
   「付けようよ。」
  「でもね、屋根の上に付けないんだから、地デジの電波を出している電波塔方向に家があると邪魔されて、電波を受信できないよ。」
   「調べてみるね。」
 ………
   「ここは東京タワーから電波を出しているみたい。南南東の方向かな。」
  「南南東の方向なの! 障害物となる家ないじゃないか。お父さん、アンテナ、つけなきゃダメ?」
   「ダメだろうね、お母さんに言えば、「絶対やって」って言うよ。アンテナ、1万円くらいだし。」
  「そこを内緒に。お父さん、面倒くさい。仕事休まなきゃなんないし。」
  (台所から妻が現れて)「やってよ、お父さん。仕事休んだって、こっちの方が得よ。」
  「聞いていたか。」
  「聞こえるわよ。お父さん、自分じゃ分からないようだけど、声でかい! ご近所にも聞こえていたかもよ。」 



 ネットで、ブースター内蔵のDXアンテナの「地上デジタル放送用平面アンテナ」UAD1800を注文しました。渋る私に、妻と子は「9月10日までは配送料無料で、10,580円なんだって。注文するなら今よ!」 通販の会社と妻と子が結託して、私を追い込んでいきます。OKを出さざるを得ませんでした。



 日曜大工、昔は好きでした。しかし、歳をとるとともにそういうことも面倒になり、家に残ったのは電動ドリル、電動ノコ、電動ドライバー、充電式インパクトドライバーなどの工具類。妻には邪魔者扱いされていたのですが、その立場を回復することになります。玄関上の屋根に脚立を立て、2階の屋根の近くのモルタル壁に電動ドリルで穴を開け、取付金具をインパクトドライバーでネジ留めです。意外と簡単でした。30分もかからなかった。



 しかし、問題だったのは屋根裏。連日の猛暑で、屋根裏は熱が籠もって10分もいれば、滴る汗で衣服が濡れてきます。手に持ったF型接栓を腕から噴き出した汗で滑らせて下に落としてしまいそうです。アンテナ工事の注文を受けた電気屋はこのサウナのような状態の屋根裏で工事をしているのでしょうね。同情に耐えません。結局、日中の作業は断念し、夜を待つことになります。

 さほど涼しくはなっていない中での作業でした。同軸ケーブルを2階から1階へと壁の中を通すのです。これが大変でした。通らない! 柔らかい紐をまず通して、それにケーブルを括って引っ張ればいいことは分かってはいたのですが、その紐がない。泥棒を捕らえてから縄を綯うように準備不足です。夜ですから店はすでに閉まっています。紐を買いにもいけません。

 ただ、ひたすら硬いケーブルを壁の中に入れては通っていないので引き抜くという繰り返し。なかなか通りません。1時間ほど試みたのですがダメ。気がついたのが昔、どの部屋でもインターネットに繋げるように配線してあったLANケーブル。いまでは無線LANにしてしまったので、不要になったLANケーブル。それに括りつけて引っ張ることにしました。通りました、あっさりと。



 屋根裏には無線LANの親機を取り付けていたことがあったので、アウトレット(コンセント)をつけてありました。アンテナのブースターに給電する電源部を柱に取り付けて、F型接栓をつけたケーブルを繋いで完成です。昼のうちに、地上波デジタルチューナーと小型14インチのテレビを2階に運び、窓からケーブルを引き入れて、アンテナ→電源部→チューナー→テレビと接続し、健人の協力を仰いで、アンテナ方向は決めて固定してあります。

 映りました。ああ、疲れた。

 必要だったもの。

(1)アンテナ(10,480円)
(2)5Cの同軸ケーブル(15mで、1,480円)
(3)F型接栓(10個入りで680円)
(4)ねじ類
(5)地上波デジタルチューナー(ホームセンターで見つけた3,980円の安いもの)
(6)工具類
(7)脚立
(8)息子の協力
(9)体力と辛抱強さ

※ こちらの記事もあわせてお読み下さい。「我が家の「地デジカ」に命じられて、アンテナUAD1800を設置した話

                (この項 健人のパパ) 

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 「ラクタム(lactam)」という化合物があります。「ラクトン (lactone、環状構造を持つ有機化合物で、環の一部にエステル結合(-COO-)を含むもの)」と「アミド(amide、-NH-CO-、アミンとカルボン酸の脱水縮合反応で生成される)」という2つの語から造語されています。カルボキシル基(-COOH)とアミノ基(-NH2)が脱水縮合した形で環を形成している化合物の総称です。



 ラクタムは、環を構成する炭素数によって、三員環のα-ラクタム、四員環のβ-ラクタム、五員環のγ-ラクタム、、、と呼ばれます。その中で、四員環のβ-ラクタムは、β-ラクタム系抗生物質の主要構造として知られています。最初に発見されたβ-ラクタム系抗生物質はペニシリンで、1940年代後半より臨床で使用されるようになりました。

 ペニシリン (penicillin) は、1929年に、アレクサンダー・フレミング(Alexander Fleming)によって、アオカビ(penicillium、尖ったものを表すpen-がつくのは筆のような形をしているから)から発見され、1940年に、H.W.フローリー(Howard Walter Florey)とE.B. チェイン(Ernst Boris Chain)によって、分離された世界最初の抗生物質(antibiotics、微生物の増殖を抑制する物質)です。ペニシリンGの実用化は、感染症の臨床治療を一変させ、1945年に、その功績によりフレミング、フローリー、チェインにノーベル医学・生理学賞が授与されています。

 1929年、アレクサンダー・フレミングがブドウ球菌の培養実験をしていたところ、実験汚染(laboratory contamination、本来混入するべきでない物質が混入してしまうこと)でアオカビ(penicillium notatum)が生じ、その周囲ではブドウ球菌の生育が阻止されるという現象を発見します。アオカビが産生する物質が、細菌の細胞壁の主要成分であるペプチドグリカン(peptidoglycan、細胞質の浸透圧に対する耐久性を与えるペプチドと糖からなる高分子)を合成する酵素と結合し、その活性を阻害していたのです。

 細胞壁を作れないままに、分裂を続ける細菌は、細胞壁が次第に薄くなり、やがて増殖が抑制される(静菌作用)ことになります。さらに、細胞壁が薄くなると侵入した動物の体液との浸透圧の差から細菌の細胞内にその体液が浸入し、風船のように膨らみ破裂します(殺菌作用)。

 人間は病原菌(細菌のなかで宿主となる生物に病気を起こす性質を持つもの)に対して強力な武器を手にしたはずでした。しかし、病原菌はペニシリンなどの抗生物質の攻撃を受けても、累々と積み重なる屍骸のなかに生き残るものもでてきます。この薬剤耐性を持った菌に増殖を続けられる環境(抗生物質の濫用で、他の細菌は死滅してしまうなど)が与えられれば、爆発的に増殖し人間にとって脅威となり、それに対し人間は新たな武器を考え出すしかありません。

 しかし、病原菌のなかには「β-ラクタマーゼ」を生成できるものもでてきました。β-ラクタマーゼ(β-lactamase)は、-ase(-アーゼ)という接尾辞が付いていることからも分かるように、β-ラクタム系抗生物質を加水分解する酵素です。細菌の細胞壁の合成を阻害するはずのβ-ラクタム系抗生物質を分解してしまうのです。「鬼」が「金棒」を手にしてしまったのです。

 しかも、この「金棒」、殆どの細菌が「オプション」で持つことができるのです。遺伝情報を担う物質であるDNAは、細菌では必ずしも染色体だけに存在するわけではありません。染色体以外にも存在し、細胞内で複製されます。これを「プラスミド (plasmid) 」といいます。人は遺伝子工学でこの性質を利用し、恩恵も受けているのですが、「薬剤耐性遺伝子」(DNAの塩基配列)も、多くの場合、宿主細胞内にいる病原菌の細胞質内の「プラスミド」に保存されています。そのため、他の病原菌にきっかけがあれば移動できてしまうのです。

 β-ラクタマーゼは大きく2つに分類されます。酵素活性の中心にセリン残基を持っているものは、セリン-β-ラクタマーゼ(serine-based-beta-lactamase)と呼ばれ、酵素活性の中心にセリン残基を持たず、金属イオン(亜鉛イオン)を持っているものは、メタロ-β-ラクタマーゼ(metallo-beta-lactamase、metallo-とは「金属」を表す接頭辞)と呼ばれます。メタロ-β-ラクタマーゼは、カルバペネム系抗生物質(β-ラクタムの硫黄(S)が炭素(C)に置換された骨格をもつ抗生物質)に対しても耐性を示すので、「カルバペネマーゼ(carbapenemases)」とも呼ばれています。

 栃木県壬生町にある獨協医科大学病院で、2009年5月、入院する直前にインドから帰国していた男性(50歳代)患者に発熱などの症状が出たため検査したところ、抗生物質が効かない大腸菌が検出されたそうです。この大腸菌は、「NDM-1」と呼ばれる遺伝子を持つ多剤耐性菌であることが分かったようです。

  「ニューデリー・メタロベータラクタマーゼ(New Delhi metallo-beta-lactamase、NDM-1)」という酵素(enzyme)は、インドの首都「ニューデリー」で病気になったスウェーデン人が抗生物質の投与でも回復せず、本国で治療を受けるも、多剤耐性菌によく使われるカルバペネム系抗生物質の投与でも「肺炎桿菌(Klebsiella pneumoniae)」から回復しなかったことから、その病原菌は「NDM-1」という酵素を持っているとされたことに始まります。

 イギリスの医学誌「ランセット 感染症(“The Lancet Infectious Diseases”)」は、2010年8月の記事“The latest threat in the war on antimicrobial resistance”(11 August 2010)、“Emergence of a new antibiotic resistance mechanism in India, Pakistan, and the UK: a molecular, biological, and epidemiological study”(11 August 2010)などで警告を発しています。

 この遺伝子を持つ多剤耐性菌がインドやパキスタンで広がり、両国に旅行して感染する例が増えているのだそうです。インドでは抗生物質が処方箋なしで入手できるようで、そのため抗生物質の濫用が行われ、多剤耐性菌が容易に出現する環境にあるといいます。インドには子連れでは行けませんね。インドで病気にはなれないですね。病院が危険です。我が子「健人」が少し大きくなったら、旅行先に考えてもいいと思っていたのですが、「フィリピン」と同じように却下ですね。

                (この項 健人のパパ)

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