POWERFUL MOMが行く!
多忙な中でも,美味しい物を食べ歩き,料理を工夫し,旅行を楽しむ私の日常を綴ります。
 



 昔、TBSテレビで大橋巨泉氏が司会を務める「クイズダービー」という番組がありました。その回答者のひとりに珍回答をすることの多い篠沢秀夫学習院大学教授がいました。レギュラー回答者を11年間(1977年~1988年)続けました。


 篠沢秀夫教授はフランスのワイン産地を巡る旅を「ワインの里の物語」に著しています(2000年)。1996年8月末から9月にかけてのブルゴーニュ・プロヴァンス・ツアーと1998年9月始めのボルドー・ガスコーニュ・ラングドック・ツアーをメインとして、1991年6月のフランス政府観光局の委嘱を受けてのガスコーニュ地方旅行、9月のボーヌでの講演、11月のボーヌのワイン祭への参加(このとき、1年間フランスに滞在していた)、1996年3月の「ブルゴーニュ・ワインの騎士団」叙任式への参加の経験を基に記述しています。



 妻「あみ」と私は北イタリアを巡った後に、2018年10月22日にフランス、リヨン(Lyon)へとやって来ます。ボーヌ(Beaune)を起点としてブルゴーニュ地方を1週間ほど見て廻ることになります。29日リヨンからボルドー(Bordeaux)に飛びます。ボルドーには数日の滞在です。滞在日数の少なかったボルドーについて、篠沢教授の「ワインの里の物語」を参考にボルドー・ワインとその周辺を勉強してみることにします。


 今回の旅行は、北イタリア、ピエモンテ州のアルバ(Alba)という街で行われる「白トリュフ祭り(Fiera di Tartufo Bianco)」(10月6日から11月25日まで)の会期中の土曜日と日曜日に開催される「白トリュフマーケット(Mercato Mondiale del Tartufo Bianco d‛Alba)」を見学して、フランス、パリのポルト・ドゥ・ヴェルサイユ見本市会場(Paris Expo Porte De Versailles)で行われる世界最大のチョコレートの祭典「サロン・デュ・ショコラ(Salon du Chocolat)」(10月31日から11月4日まで)に行き、その間にブルゴーニュ地方とボルドー地方にも行こうというもの。


 成田からコペンハーゲン経由でミラノ(Milano)に入り、バスでトリノ(Torino)に移動し、そこからアルバへ。バローロ(Barolo)を訪れ、白トリュフ祭りを見る。ブラ(Bra)を訪れ、ラ・モッラ(La Morra)のレストランで白トリュフを賞味し、トリノに戻り、街を散策。アスティ(Asti)からバルバレスコ(Barbaresco)に往復、ピアチェンツア(Piacenza)、パルマ(Parma)、ヴェネツィア(Venezia)からリヨンへ。この目まぐるしいスケジュールを組んだために、ボルドー滞在の日数が激減。ボルドー滞在の主たる目的がワイン博物館(La Cité du Vin)とサンテミリオン(Saint-Émilion)だけになってしまいました。



 何とも残念なので、篠沢教授の「ワインの里の物語」の記述を頼りに彼の体験をこのblogで追体験をしようというのです。では、ボルドーの街を紹介する彼の記述で今回は終わりにします。




 ボルドーは深く長い入り江の奥の港である。近代の巨船はもはや入れない。その石造りの船着場は広い川に面す。ジロンド河は大西洋に注ぐまでまだ60キロも流れなければならない。道幅も広い。その道の内陸側に立ち並ぶ4階や5階の建物は主に18世紀のものだ。パリの中心地が19世紀半ばのオスマン計画でできているのは名高いが、一目であの古いパリよりさらに古いのが分かる。それでいて皆現に使っているのがゆかしい。ある角に大きな建物が広場を前にして立つ。まわりには高層近代ビルはないから雲流れる青空に堂々と聳えている。昔の税関、今の博物館だ。また、河を背にしてゆるやかに上る広大な道がある。両側の建物はいずれも由緒を感じさせるが、とりわけやがて右側に坂の上まで続く巨大な石積みの建物が目立つ。グラン・テアートル(大劇場)である。坂の上が広場となり、それに面して正面玄関がある。1780年完成の大建築だ。これが百年後にパリのオペラ座の模範となったといわれる。 (近代文芸社刊「ワインの里の物語」より)


 画像は、グラン・テアートル(Grand-Théâtre de Bordeaux)の道路を隔てた向かいにあるメゾン・ジョルジュ・ラルニコル(Maison George Larnicol)のショーケース。ブルターニュ、カンペール(Quimper)生まれのショコラティエ「ジョルジュ・ラルニコル」のお店です。フランスでは20店舗以上展開されているようです。M.O.F.(Meilleur Ouvrier de France、フランス国家最優秀職人賞)の称号を持っているそうです。妻「あみ」からは歴史的建造物より、「食」に関するものの方がよい、ということでこの画像になりました。




                          (この項 健人のパパ)



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パルマのカフェでオペラ歌手のお二人と知り合いになりました。私の旅行の目的の一つは「食」。その地のスーパーマーケットや市場(メルカート、マルシェ)に出向いて、その地の食材を入手し、調理して楽しむことです。その話しを前日したところ、あずささんが珍しい食べ物ということで馬肉のお店、そしてマルシェのチーズと生ハムのお店に連れて行ってくれることになりました。ともにパルマ王立歌劇場の近くにあるのだそうです。


10月も下旬に入り、パルマはそろそろ寒くなるという話しの流れで、身体を温めると言われている馬肉のお店に連れて行ってくれるということになりました。



Olga Macelleria Equina というお店は持ち帰りの提供しかなく、月曜日から土曜日の営業時間は、朝の7時30分から午後1時30分まで。着いたのは12時を少し過ぎた頃。お店の前は順番待ちの人で溢れています。馬肉のタルタルステーキを求めて待ちます。香辛料と塩味が絶妙なバランスで、美味しかった~。ああ日本でも食べたい。



チーズは日本と比べると格段に安い。種類も非常に多く、大きなサイズのものは普通に量り売りをしています。お店の人は大きなハードチーズに包丁を当てながら、「このくらい?」、お客さんは「もうちょっと多め」などと言って、やり取りをしています。チーズの売り場にはよく行列ができています。


あずささんは日本に一時帰国するときは結構な量のハード系のチーズを持ち帰リ、皆にとても喜ばれるそうです。あずささん自身はそれほどチーズは食べないそう。チーズの好きな夫は「それはもったいない」という顔をしました。


あずささんのお薦めはしっかり熟成された少しお値段の高い生ハムだそうです。とても美味しいのだそうです。ですよね、パルマの名産ですものね。プロシュット・ディ・パルマ(Prosciutto di Parma)はイタリアのパルマ近郊で作られているプロシュットです。プロシュットは、豚のもも肉のハムで、非加熱のものはプロシュット・クルード(prosciutto crudo)、加熱したものはプロシュット・コット(prosciutto cotto)と呼びます。



ハムは肉を加工したもので、保存性を良くするために塩分が高いので、我が家ではたまにしか食べません。パイナップルやマスクメロンを巻いたら美味しいとは思いますが、塩分の強いものに拒否反応を示す夫には好みではありません。普通の味付けでもしょっぱいと言い出し、場合によっては夫用と大学生の息子用と2種類の味付けのものを作ったりします。


パルマは1泊なので、自炊なしで、ひたすらスーパーマーケットやケバブ屋など簡単かつ美味しく食べられるものを探して歩いていました。私の趣味の1つは「食」なのに、食べるものに殆んど関心のない夫をお伴に旅行を続けていると会話が噛み合わないことが多い。美味しいものを探し歩いていると私のテンションは上がって来るのですが、それに比べて夫のテンションの低いこと!昨日のオペラを話題にしていた時の夫のテンションの高さとの落差の大きいこと!


夫はひたすら私たちについて来るだけで、ほとんど会話せず。いまあなたには愛想笑いだけが処世術なのね。





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 北イタリアの東西に長いエミリア=ロマーニャ州の最も西に位置する県はピアチェンツァ県 (Provincia di Piacenza) です。その南に接して、パルマ県(Provincia di Parma)があります。そのパルマ県の北にピアチェンツァ県に接してコムーネ(基礎自治体)、「ブッセート(Busseto)」があり、ここはジュゼッペ・フォルトゥニーノ・フランチェスコ・ヴェルディ(Giuseppe Fortunino Francesco Verdi)の出生地として有名です。


 ヴェルディは、19世紀を代表するイタリアのオペラ作曲家であり、1813年10月10日に誕生しています。ブッセートは、当時パルマ公国を併合したフランス第一帝政(ナポレオン・ボナパルトの軍事独裁政権)の支配地域であり、ヴェルディはジョセフ・フォルテュナン・フランソワ (Joseph Fortunin François) という名を持っていました。



 ヴェルディの誕生日が10月10日であることから、ヴェルディ・フェスティバルがその日を挟んで毎年1か月ほど行われています。プログラムはヴェルディ尽くしで、パルマ王立歌劇場(Teatro Regio di Parma)のほかに、木組みの内装が美しいファルネーゼ劇場(Teatro Farnese)、ドゥカーレ宮殿(Palazzo Ducale del Giardino)、アルトゥーロ・トスカニーニ・フィルハーモニー管弦楽団(Filarmonica Arturo Toscanini)の本拠地パガニーニ・オーディトリアム(Auditorium Niccolo Paganini)、さらにはブッセートのヴェルディ劇場(Teatro Giuseppe Verdi di Busseto)などを使ってオペラやコンサートが開かれています。




 パルマ音楽院の卒業生でイタリア各地の歌劇場の舞台に立っているあずささんと音楽院に在学中の瑠衣さんとパルマ王立歌劇場にやってきました。



 “regio”(レージョ)とは、「国王の、王室の、王立の」という形容詞です。そこで、“teatro regio”(テアトロ・レージョ)は、「王立劇場、王立歌劇場」ということになります。トリノ王立歌劇場(Teatro Regio di Torino)と区別するために、パルマ王立歌劇場(Teatro Regio di Parma、テアトロ・レージョ・ディ・パルマ)と呼ばれています。


 オーストリア皇帝フランツ1世の娘で、フランス皇帝ナポレオン1世の皇后であったマリア・ルイーザ(Maria Luisa)は、ファルネーゼ劇場が手狭であることから、隣接した聖アレッサンドロ修道院の土地に新たに劇場を建てることにして、建築家の二コラ・べットーリ(Nicola Bettoli)に依頼します。ナポレオンがセント・ヘレナ島で死去した1821年に着工し、2度目の夫ナイペルク伯アダム・アルベルト(Adam Albert conte di Neipperg)が亡くなった1829年に竣工しました。経営は、パルマ公国、イタリア政府から地方自治体のパルマに移っていますが、王立という名は留めています。



 パルマ音楽院ことアッリーゴ・ボーイト音楽院(Conservatorio di Musica Arrigo Boito)は、1769年にフィリッポ・ディ・ボルボーネ(Filippo di Borbone)に仕えていたギョーム・デュ・ティヨ(Guillaume du Tillot)によって王立声楽学校として創立されましたが、1816年マリア・ルイーズが音楽院に改革しました。1888年この学校の院長を務めたアッリーゴ・ボーイト(Arrigo Boito)の名前を取って現在の名前になっています。彼は、ヴェルディのオペラ「オテロ」(1887年)、「ファルスタッフ」(1893年)などの台本作家でした。


 この音楽院は、質の高い音楽教育を誇り、数多くの優れた音楽家を輩出しており、パルマ出身で世界的指揮者であったアルトゥーロ・トスカニーニ(Arturo Toscanini)もここの出身でした。学生は声楽だけで150人ほどもおり、ほとんどが東洋人のようです。東洋人は自国の大学を卒業してから留学する人が多く、当然レベルも高い。声楽科教授は10人ほどおり、スカラ座で活躍したプリマドンナであって、リリコ・レッジェーロからリリコのレパートリー、特にロッシーニ、ベッリーニ、ドニゼッティのベルカントのレパートリーを得意としていたルチェッタ・ビッツィ(Lucetta Bizzi)さんもいるようです。



 この画像に収まっているのは、瑠衣さんの学友さんたちです。ほとんどが韓国からの留学生さんたちなのだと伺いました。



                  (この項 健人のパパ)







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2018年の10月から11月にかけて1か月ほどワインとチーズの勉強でイタリアからフランスへと夫と2人で旅行をしました。日本からトリノに入り、アルバ、バローロ、ブラ、バルバレスコ、アスティと移動しました。ワインを味わい、チーズをかじり、トリュフの香りを楽しみました。

しかし、私にはもう一つ目的がありました。2017年にワインの勉強で一人でフランスを巡ったときに、フランクフルトで購入したドクターコスメのファンデーションを気に入りました。それをdm というドラッグストアにまた求めに行きたかったのです。

このdmというドラッグストアは夫の調べたところではドイツやドイツ国境付近のフランスにはたくさんあるが、イタリアには殆んどないといいます。イタリアは、ビアチェンツァという町にはあるがアスティからベネツィアに移動しようと計画している旅程では遠回りになると夫は反対しました。

「ちょっと待って。ピアチェンツァは、アスティとパルマのほぼ中間地点よね。パルマと言えばパルミジャーノ・レッジャーノの町じゃない。チーズの勉強をしているなら、絶対行くべきよ。」

夫は感情には流されません。「お願い!」と甘えても動きません。しかし、理屈ぽいから合理的理由とやらにはめっちゃ弱い。というわけで、ピアチェンツァに1泊、パルマに1泊と計画を新たに立て直しました。化粧品も買って私の目的のひとつは達成。日本からネットでも購入できるのですが、やはり安く手に入れたい。

次は夫の目的の一つを叶えさせる必要があります。パルマでは、パルミジャーノ・レッジャーノの製造工場は町中にはなく、見学に行くには、ローカルのバスに乗る必要があります。まずは、バスに乗る前にカフェに寄ってカプチーノを飲まなきゃ、朝は始まらない。面白いお店がないかと、「どこでもいいじゃないか」と面倒くさがる夫をあちこちと引きずり回して探していました。

それを道路の向かいのカフェの外に置かれたテーブルから見ていた2人の若い日本女性が声をかけてきました。旅慣れない日本人夫婦のように見えたそうです。一緒にそのテーブルでお茶をすることになりました。2人はオペラ歌手だと知ることになります。誰とでもすぐに仲良くなれる私と違って人見知りをする夫はこういうことを嫌います。

ところがです。2人がオペラ歌手だと知って、夫はペラペラとオペラについて談笑し始めたのです。なにこの人!私は、アングリして見ていました。この上機嫌は何!パルマは、来たくなかったはずなのに。初めて会った人とは話しができないはずなのに。

これが日本でオペラのコンサートを開催するきっかけになることは夫も私もまだ気づいていませんでした。



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あみと健人のパパは、mini Opera Concert を開きます。


開催日は、5月18日(土曜日)です。昼の部と夕の部があり、昼の部は完売で、夕の部に10数席の空きがあります。


チケットの入手先は、カフェ・サンクです。「気楽にオペラ」という催しなので気楽にいらっしゃってください。


子供料金の設定はありません。10歳以上の方はチケットが必要になります。コンサートを楽しめる方が対象ですので、10歳未満のお子さまは入場できません。



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