POWERFUL MOMが行く!
多忙な中でも,美味しい物を食べ歩き,料理を工夫し,旅行を楽しむ私の日常を綴ります。
 





 香港について調べ始めました。妻「あみ」は、「ただ「観光」に行くのになぜ「行政区分」を調べているの。」と言いますが、「森」の中に入って「木」を見るとき、「森」を知っていれば、迷わずに済みます。

 「国家は必要時に特別行政区を設置することができる。」という中華人民共和国憲法第31条(「国家在必要時得設立特別行政区。在特別行政区内実行的制度按照具体情况由全国人民代表大会以法律規定。」)の規定に基づいて、香港(1997年にイギリスから返還された)とマカオ(1999年にポルトガルから返還された)は、特別行政区になりました。

 特別行政区では、本国の地方行政制度とは異なる行政機関が設置され、独自の法律が適用されるなどの大幅な自治権を持ちます。

 香港特別行政区は、「香港島」、「九龍」、「新界」と大きく3つに分けられます。新界は、「新界東」、「新界西」、「ランタオ島など」と3つの地域に大きく分けることができそうです。



 まずは、その中の「香港島」の行政区分を見ると、「中西区 (Central & Western District)」、「湾仔区 (Wanchai District)」、「東区 (Eastern District)」、「南区 (Southern District)」の4つに分けられます。香港島を東西に貫く山脈で北部と南部に分け、南部を「南区」とし、北部を3つに分けて、西から「中西区」、「湾仔区」、「東区」としています。



 香港島の北部には、地下鉄(港島線、アイランド・ライン、1985年開通)やトラムが走っていますが、南部の公共交通機関はバスのみになるようです。



 地下鉄港島線は、西から並べると、上環(Sheung Wan、ションワン) - 中環(Central、チュンワン、セントラル) - 金鐘(Admiralty、アドミラルティ) - 灣仔(Wan Chai、ワンチャイ) - 銅鑼灣(Causeway Bay、トンロウワン、コーズウェイ・ベイ) - 天后(Tin Hau) - 炮台山(Fortress Hill) - 北角(North point) - 鰂魚涌(Quarry Bay) - 太古(Tai Koo) - 西灣河(Sai Wan Ho) - 筲箕灣(Shau Kei Wan) - 杏花邨(Heng Fa Chuen) - 柴灣(Chai Wan) となります。

 30数年前の香港は、桂林や広州への行きと帰りに立ち寄ったのであって、そこが主目的ではなかったため、殆ど覚えていません。香港島で記憶に残っているのは、ダブルデッカーの「トラム」に乗ったこと、「ナイト・クルーズ」で踊ったダンス、「ビクトリア・ピーク」からの眺め、なんともキッチュな感じを受けた「タイガーバーム・ガーデン」(湾仔区にありましたが、いまはすでにないようです)だけでしょうか。

 香港島では何をしたらいいのでしょうか。おおよその計画は妻が立てるので任せればいいのですが、上環で「文武廟」、中環で「香港動植物園」、銅鑼灣で「ヴィクトリア・パーク」に行くことを提案すべきでしょうか。

            (この項 健忘症の「健人のパパ」)

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 妻「あみ」が「チェンマイ」に行く前に「香港・マカオ」への旅行計画を立て始めています。ついこの間、「バンコク・チェンマイ」の旅行を計画し始めたばかりなのにもかかわらずです。

 この「妻の病気」(旅行好き)に付き合うのも大変です。去年は、一人で「香港・マカオ」に行ってもらったのですが、今度は「家族旅行」で行くのだそうです。

 一人で行かせても、消化不良になるようで(女性の一人旅は、それなりに緊張を強いられ、充分に楽しめないのかも知れません)結局同じ目的地に再度家族旅行をしなければならないのであれば、素直に家族で行く方が無駄がないと言えるでしょう。

 香港に私が行ったのは、30年以上も前のこと。そのときの写真を見ると「若い」私が写っています。



 背景は、「赤松黄仙祠」。香港最大の道教寺院『黄大仙廟』(ウォンタイシンミュウ)にある建物の一つです。「九龍(カオルーン)」という地域にあり、香港の地下鉄MTR觀塘綫(Kwun Tong Line、1979年開通)の「黄大仙」駅で下車します(私が行った当時は、この線はなかった)。



 昔、香港観光といえば、香港島と九龍だけだったような記憶がありますが、今では、「新界」・「ランタオ島」も加わります。ランタオ島の西に「チュク・ラプ・コック島」があり、そこに香港国際空港があります。私が香港に着いたのは、「啓徳空港(カイタック空港、啓徳機場)」(1998年7月5日に閉港)でした。ビルをかすめるようにジェット機が離発着していました。

 去年、香港に行った妻と香港について会話しましたが、妻の口から聞いたこともない地名がぞろぞろ。話についていくために、香港の勉強を始めました。およそ30年目の香港、楽しみでもあります。

 香港政庁の行政権が歴史的経緯から及ばなかった九龍城砦は、「魔窟」と呼ばれ、その外観の異様さに強い印象を受けた「九龍城(九龍寨城)」も1994年には取り壊され、その跡地に九龍寨城公園 (Kowloon Walled City Park) ができているようです。

 過去を辿り、現在を眺める旅になりそうです。

        (この項 浦島太郎の「健人のパパ」)

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昨日の午後に明日、夫の母とお花見にどこかへ行くかの相談のメールが来ました。

山梨、群馬、など一泊手配してとも思ったのですが、ネットで調べたらホテルなどは、かなり、タイトのようで、満室が多く、結局「奥武蔵あじさい館」で昼食と温泉を楽しんで来ることにしました。

昼食と温泉のセットメニュー1100円と1300円がありました。私達の味覚には、ちょっと、、、という感じでしたが、小さいながらも温泉を夫の母は満喫していました。

高齢になると、温泉入浴にも介護が必要になってきますが、今まで予約制でリフト付きの家族風呂がある施設は知らなかったので足腰が弱った夫の母には安心して入浴してもらうことが出来そうです。

立ち寄った、飯能のあけぼの公園周辺のさくらはとてもきれい、車の中から満開のさくらを眺めながらのドライブに夫の母は満足していました。

帰路は、高麗川の巾着田の近くで、JAの産直の野菜を買ったり、マロンジェラートや豆乳ソフトクリームを豆腐厨房というお店で食べたりして、休日を楽しんでいました。

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一泊目のホテルは、A21のエアバスのアクセスの良い場所にするつもりです。大体の候補は決めたのですが後で後悔しないように再度角度を変えて検討しなくてはいけません。

ゴールデンウィークに香港に行く事にしたので、今回は9歳の子供が楽しむことが出来る場所を探しています。

最初に候補に入れたいのが、オーシャン・パーク

香港は狭い面積であると思いますが、タクシーなどの交通手段の方法、移動時間、費用などを考えてホテル選びをしなくてはいけません。

連泊するのか、それとも数件のホテルを泊まってみるのか、夫は任せると言って、いつも早寝してしまいます。

夫に地図をみてもらい、判断させた方が最終的に、歩き回ることで旅を楽しむスタイルの我が家には、よいのです。

さてそろそろ、最終的な旅の計画を練らないと!

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最近、夫も私も仕事が多忙でふうふう言っています。

昨年は、夫の骨折のため介護でおとなしくしていましたが、そろそろ旅の病気がぶり返し、昨夜連休中の航空券の予約のみを手配しました。

さて今回は、昨年一人旅をして楽しんだ香港・マカオに行くつもりになっております。

先程、起きてきた夫、「連休は香港を手配したからね、いい?」と伝えるとさっと2階に登って行きました。大丈夫かな。明日まで覚えているかな?

国内旅行に行こうかと家族で相談したところ、候補地が見つからず、悩んでいました。明日からは、旅のパーツの組み立てが楽しみです。

コストをかけず、おいしい旅を楽しむ!

その前にがんばって明日も勉強と仕事です。

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今年、国税庁はeタックスの利用に大変力を入れているようです。

我が家でも、この制度を利用したいところでした。ところが、、、

最近、健康保険の扶養の申請書類の件で担当部署に質問したところ、「パソコンからダウンロードしたイー・タックスの申請書では証明にはならないので、税務署に行ってその申請書に受領印をもらってきて下さい。」との回答を得ました。すでにe-taxを利用して確定申告を完了してしまっていたとしたらどうしたのかを考えると不安を感じました。

便利さだけを伝えてはいるものの、実際、この制度はこういった申請書類として活用できない欠陥があります。ここまで考えているのでしょか?

制度が先行し、様々な届出で必要になる「控えの受領印」がもらえないこの制度、後になって書類を要求され、困る人が出ないのかしら。」と夫に話したところ、夫は昨年、「e-taxでの申請後、受領印をもらうにはどうしたらよいか。」と電話で税務署に相談をしてしたことがわかりました。「まだ、現状では出来ない」と言われ、しぶしぶ仕事を休んで税務署に行って書類を提出し、控えに受領印をもらったそうです。いつになれば改善されるのでしょう?

これもお役所と現場との温度差でしょうか?

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夫とふたりで先日「母べえ」見て来ました。

多くの人に見てもらいたい、反戦映画として長く語られ続けて欲しいという思いが募りました。

夫は、夫の母から聞いた戦争中の話を検証しながら見たようで頭がフル回転したそうです。

映画オタクの夫ですが、「こんなに力を入れて見た映画は初めてだよ」と言い、帰路は「疲れた」を連発し、久しぶりにランチをした後、途中疲れたとマクドナルドで休憩をしてしまうほどでした。

私は、祖母から、空襲の話、疎開中の話、広島や長崎の原爆の話などを聞いて育ちました。私の祖父は戦争中に満州に行ったようです(祖父は戦争の話を常に避け、私の記憶では聞いたことがありません)。満州で盲腸の手術をしたり、足を打たれたり、肺炎に罹ったりして大変な時を過ごしたと祖母から聞かされました。

祖母は戦争が始まる前から反戦の意識が高かったようで、現実とのギップに常に苦しんでいたようです。自分の信念を貫いたため、餓死してしまったり、投獄された人の話も聞いた記憶があります。幼い私には当時とても怖い話しでしたが、こうして生の体験をした祖母が語ってくれたと思うと感謝で一杯です。

今後は私達がどうやって自分の子供達に語り継いでいくかが課題だと感じています。

映画から話がそれましたが、吉永小百合さんの母べえの演技に大変心打たれました、また浅野忠信さんの演技力にも圧倒されました。照べえという幼い子供の姿が自分の子供とだぶり、「おなかすいいた」と泣きじゃくる姿はとてもつらく、夫も「健人(次男の名)と同じ位の年でだぶってしまった」と同じような感想を述べていました。

亡くなる直前の言葉を娘役の戸田恵子さんが聞き、長年の主人公の夫に対する愛情の深さ、芯の強さを感じました。

勇敢に生き抜いた一人の「母」のストーリーを見たことで明日もがんばろうという力をいただきました。

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