愛光学園は、ドミニコ会を設立母体とし、カトリック精神に基づいて「愛(Amor)と光(Lumen)の使徒」たる「世界的教養人」を育成することを目標としている学校なのだそうです。キリスト教において、禁欲的な信仰生活に入った人がイエス・キリストの精神にならって祈りと労働のうちに共同生活をおくる施設を修道院(Monastery、Abbey)といいますが、その修道院を運営する修道会の一つに「ドミニコ会(Ordo Praedicatorum、Ordine dei Frati Predicatori)があります。
ローマに移されても、異端審問はなかなか行われませんでした。ブルーノが自説を撤回することを望んでいたのです。獄中で7年を過ごした後、異端審問が行われます。イエズス会の司祭で、ローマ・カトリック教会の枢機卿であった「ロベルト・フランチェスコ・ロモロ・ベラルミーノ(Roberto Francesco Romolo Bellarmino)」は、ブルーノが唱える説の撤廃を求めます。
ブルーノはこれを拒絶します。異端判決が下り、火あぶりの刑となります。異端審問の場で、ブルーノは「判決を聞く私よりも判決を下すお前たちの方が(恐怖に)震えているじゃないのか」と言ったといわれています。映画「カラヴァッジョ 天才画家の光と影」の中では、この出来事を1シーンで描きます。「カンポ・デイ・フィオーリ広場(Piazza Campo dei Fiori)」に引き出され棒に縛り付けられたブルーノに、ベラルミーノはその説の撤回を迫ります。これに対し、ブルーノは、毅然と撤回を拒絶し、“Forse tremate più voi nel pronunciare questa sentenza che io nell'ascoltarla.”と言います。ブルーノの周りに積み上げられた薪に火が放たれます。
長靴の形をしたイタリア半島のふくらはぎのあたりに「ロレート (Loreto) 」という町があります。フィレンツェのあるトスカーナ州のほぼ東、アドリア海にほど近いマルケ州アンコーナ県の町です。この町には、「聖なる家(La Santa Casa、サンタ・カーザ)」があります。「聖なる家」は聖母マリアが生まれ育ち、天使ガブリエルから受胎を告知されたときに住んでいた家であり、幼少のイエスと暮らした家とされます。
ナザレにあった「聖なる家」は、イスラム教徒から難を逃れるために天使が運んだといわれています。各地を転々とし、最後にロレートに落ち着きます。ロレートは聖地を訪れる巡礼者の目的地の一つとなります。カラヴァッジョの描く「ロレートの聖母子(Madonna di Loreto)」(1604年頃の作品)は、巡礼者の親子を温かく迎えています。
イタリア語“Campo”は「野原」、“Fiore”は「花」(男性名詞、複数形がfiori)の意味で、“dei”は「de(~の~)+i(男性複数名詞の定冠詞)」です。つまり、カンポ・デイ・フィオーリ(Campo dei Fiori)は、「花の咲く野原」の意味になります。この場所には処刑場がありました。皮肉ですね。人々の心を救うはずのキリスト教が人々を抑圧する道具となったことと重なります。