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 ローマのユダヤ人居住区(ローマ市内を流れる「テヴェレ川(Tevere)」に浮かぶ「ティベリナ島(Isola Tiberina)」の北の対岸に広がっていた。1555年に、ローマ教皇パウルス4世によってローマにゲットー((ghetto、ユダヤ人居住区)が築かれている)と接するチェンチ宮(Palazzo Cenci)に住む「フランチェスコ・チェンチ(Francesco Cenci)」という貴族がいました。その暴力的気質と不道徳極まりない行跡でローマ中で有名でした。裁判沙汰になることも度々あり、貴族でなければ幾度となく牢獄に入れられ、ことによっては死刑に処せられていたことでしょう。

 その娘に「ベアトリーチェ・チェンチ(Beatrice Cenci、1577年~1599年)」がいました。7歳の時に、母「エルシリア(Ersilia Santacroce)」が亡くなると、修道院の寄宿学校に入り、穏やかな生活を8年間過ごします。しかし、15歳のとき、チェンチ宮に戻ります。このときから、ベアトリーチェに地獄が始まります。

 ミラノに生まれ、カラヴァッジョ村に育ったミケランジェロ・メリージは、ローマに出て、カヴァリエール・ダルピーノの工房で働き始めます(1593年)。映画「カラヴァッジョ 天才画家の光と影」(「銀座テアトルシネマ 」で上映中)では、絵画を買い求めに来たフランチェスコ・チェンチの乗りつけた馬車の中からベアトリーチェは、カラヴァッジョに声をかけます。父親は工房の中に入っていました。馬車から降りるように誘ったカラヴァッジョの申し出をベアトリーチェは父フランチェスコを恐れて断ります。

 このシーンで、類稀ない美しい女性に成長したベアトリーチェをフランチェスコは他の男が寄りつかないように軟禁状態にしていたことを描きます。精神に異常をきたしていたフランチェスコは美しい娘の精神と肉体を痛めつけることに快楽を覚えていたのです。ついに、快楽のはけ口を娘の体に求めるようになります。彼女に同情した継母「ルクレツィア・ペトローニ」や家来たちは、ベアトリーチェに手を貸し、フランチェスコを屋敷のベランダからの墜死を装って殺害します。

 バルコニーから転落して死亡したには傷が不自然で、遺体の埋葬を急ぐ遺族に対し、周囲は疑惑を感じます。殺害されたのではないかという噂に、警察当局も動き出し、フランチェスコの遺体は掘りおこされ、検死にかけられ、家長殺しは露見します。

 ことの顛末は、映画の中の敵役「ラヌッチョ・トマッソーニ」の口から、カラヴァッジョに語られ、それを聞いたカラヴァッジョは「貴族社会の不条理」に激怒します。映画の中では彼の激情はすべて正当な理由のあるものとして描かれています。



 ベアトリーチェは断頭の刑を言い渡されます。処刑の直前、チェンチ家と縁のあった枢機卿が画家「グイド・レーニ(Guido Reni)」とともに、牢獄を訪れます。ベアトリーチェの肖像を描かせるためでした。断頭の刑ゆえに、髪をまとめてターバンを頭に巻かれたこの女性の悲しみが伝わってきます。ベアトリーチェが刑死してから200年ほど後に生まれたイタリアの画家「アキッレ・レオナルディ(Achille Leonardi)」は、この出来事を「牢獄のベアトリーチェ(Beatrice Cenci in prigione)」として描きます。



 処刑は公開で行われました。1599年9月11日、サンタンジェロ橋の広場で、ベアトリーチェとその義母「ルクレツィア」は断頭台に立ちます。ベアトリーチェは22歳、肖像画を描いたレーニは24歳でした。この経験が彼に何らかの影響を及ぼしたのでしょうか。生涯独身を貫くほど女嫌いで、賭博に明け暮れたといいます。しかし、その残した作品は光彩を放ちます。かつては名門貴族の館であった「バルベリーニ宮殿」の2階のフロアは「国立古典絵画館」として使われており、そこにグイド・レーニによる「ベアトリーチェ・チェンチの肖像」があります。深い、深い悲しみが描かれています。



 映画「カラヴァッジョ 天才画家の光と影」の中では、カラヴァッジョはこの処刑を見て、「ホロフェルネスの首を斬るユディト(Santa Caterina d'Alessamdria)」の制作に取りかかったと描かれます。しかし、映画は必ずしも歴史にすべて忠実に作られるものではありません。そこには虚構が存在することも許されます。この作品が製作されたのは 1595年~1596年頃だと考えられています。ベアトリーチェの処刑(1599年)に先立っています。

 映画の中で描かれるのはわずか3シーン。でも、それにはこの悲劇が凝縮されています。

 カラヴァッジョ自身が生来持っていたであろう「暴力性」と「残虐性」がこのテーマを選ばせたというのが本当のところでしょうが、映画では貴族社会の不条理を描いたと表現されています。ユディトの嫌悪の表情がよく見て取れます。人の首をこのような体勢でしかも女性が切り落とせるとは思えませんが、この絵を見た者に大きなショックを与えたことでしょう。画布に油彩で描かれた145cm×195cmのこの作品は、「ローマ国立美術館」に展示されているようです。



 フィレンツェのウフィツィ美術館には、女性画家「アルテミジア・ジェンティレスキ (Artemisia Gentileschi)」の描く「ホロフェルネスを殺すユディト(Giudetta che decapita Oloferne)」があります。カラヴァッジョの作品よりも20年ほど後に制作されたものですが、リアリティはこちらの方が高い。アルテミジア・ジェンティレスキもカラヴァッジョ同様に日本人には馴染みが薄く、知られていませんが、「アルテミジア(Artemisia)」(アニエス・メルレ監督、1997年、フランス・イタリア合作)という映画が作られるほどヨーロッパでは知られています。

 男性社会に対するアルテミジアの怒りが表現されているこの作品も興味あるものですが、私個人としてはカラヴァッジョの作品の方が清楚な女性が犯す殺人として興味を持ちます。アルテミジアの強い怒りの前に自分が犯した犯罪(絵画の師匠が弟子の女性に手を出す)でもないのに男性の一員としてこうべを下げざるを得ないのです。

 「ユディト(Judith、Giuditta)」はカトリック教会の旧約聖書の1つである「ユディト記」に登場するユダヤ人女性です。アッシリアの王ネブカドネザルが派遣した司令官「ホロフェルネス」は軍勢を率いてユダヤへやってくるとベトリアという町を囲みます。ベトリアの美しく魅力的な女性であったユディトは、着飾ってホロフェルネスのもとに赴き、エルサレム進軍の道案内を申し出ます。酒宴でホロフェルネスは泥酔し、やがて天幕のうちに2人だけとなります。ユディトは侍女を招き入れ、眠っていたホロフェルネスの首を切り落とします。司令官を失った派遣軍は敗走することになります。

 普段はやさしい女性でも追い詰められると怖いかな。この先もおとなしく生きていこう。

             (この項 健人のパパ)

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