POWERFUL MOMが行く!
多忙な中でも,美味しい物を食べ歩き,料理を工夫し,旅行を楽しむ私の日常を綴ります。
 





 「骨粗鬆症(osteoporosis、オステオポローシス)」は、骨量が減少し、骨の微細構造が劣化する全身性の骨の病気です。骨粗鬆症になると、骨の脆弱性が増し、骨折の危険性が増加します。背骨(脊椎)は「椎骨(ついこつ)」と呼ばれる骨が連結したものです。椎骨の円柱状の部分を「椎体(ついたい)」といいます。高齢者の女性が骨折で「寝たきり」になる大きな原因の1つがこの椎体の骨折です(寝たきりの原因の第3位)。椎体圧迫骨折は、椎体が潰れた状態で骨折するため、回復させることが難しいのです。



 オステオ(osteo-)は、ギリシア語で「骨」を意味します。ポローシス (-porosis)は、「空洞形成」を意味し、骨の中に空洞が形成される「骨内空洞形成症」、「骨多孔症」とでもいう意味になります。「粗鬆(そしょう)」は、「細やかでないこと。大雑把で荒いこと」を意味することから、この「骨多孔症」とでもいう状態は「骨粗鬆症」と一般的に呼ばれています。

 私たちの身体は、古い骨を壊しながら、新しい骨を作っており、骨量を一定に保っています。骨組織において古い骨を破壊(「骨吸収(bone resorption)」という)するのが「破骨細胞(osteoclast)」であり、新しい骨を形成(「骨形成(bone formation)」という)するのが「骨芽細胞(osteoblast)」です。骨粗鬆症は、何らかの原因で、骨形成の速度(bone formation rate)よりも骨吸収の速度(bone resorption rate)が速くなってしまっている状態をいいます。

 骨粗鬆症に対する現在の治療法のひとつに、アクトネル(ベネット、味の素が製造)やフォサマック(MSDが製造)などの「ビスフォスフォネート(ビスホスホネート、bisphosphonate、BP)製剤」の経口投与があります。この薬剤は、骨吸収の速度を下げるために使われる薬で、破骨細胞の活動を阻害し、古い骨の破壊を防ぎます。しかし、ビスフォスフォネート製剤は、破骨細胞の絶対数を大きく減らすことが確認されたのですが、破骨細胞はまた、骨を修復する細胞である骨芽細胞に働きかけて、その分化・機能(骨再生)を促す働きもあるのです。破骨細胞を減らしすぎると逆に骨が脆くなるということも起きてきます。

 大阪大学免疫学フロンティア研究センターの石井優教授らの研究グループは、破骨細胞には、骨の組織の表面に「蛭(ひる)」のように張り付き強い酸で骨を溶かすR型(resorptive)と、骨は壊さず表面をアメーバのように移動するだけのN型(non-resorptive)の状態があることを発見したといいます。破骨細胞は、R型になったり、N型になったり、形を変化させているのだそうです。石井教授らは、正常なマウスと骨粗鬆症のマウスで観察を行なったのですが、実際に骨を破壊するR型は、正常マウスでは破骨細胞全体の約4割だったのに対し、骨粗鬆症のマウスでは9割以上に増えていたといいます。

 「フェムト秒(femtosecond、fs)」(1000兆分の1(10-15)秒)という非常に短い間隔で光を点滅させる(「フェムト秒パルス(femtosecond pulse)」)と、少ない出力でもそのエネルギーをその「超」短時間に圧縮するので、凄まじいレーザ強度を得ることができます。

 光源に「フェムト秒パルスレーザ(femtosecond pulse laser)」を使用したレーザ顕微鏡を「多光子励起レーザ顕微鏡」と言います。レーザ強度の凄まじさで「多光子励起」が可能となり、従来のレーザ顕微鏡に比べて細胞深部の観察が可能となります。「励起(excitation)」とは、外部からエネルギーを与えられ、もとのエネルギーの低い安定した状態からエネルギーの高い状態へと移ることを言います。原子や分子などが外部から刺激されて、「興奮状態(excited state)」にあるわけです。

 ほとんどの生理活性物質は無色です。そのため、光学顕微鏡でただ観察してもその動きを知ることはできません。そこで、元々は無蛍光性であるが、生理活性物質と反応・結合することで初めて蛍光を発する分子、「蛍光プローブ(fluorescent probe)」を細胞内に存在させることで、生理活性物質の動きを蛍光の変化として、高感度かつリアルタイムに追うことを可能とする技術を「蛍光プローブ法(fluorescence probe technique)」と言います。

 遺伝子・タンパク質分子のレベルで生命現象を解明しようとするとき、蛍光プローブを利用すると、光学顕微鏡では観察できない分解能以下の大きさのものが、暗黒の背景に光る点として(かつ、動く点として)検出できるようになります。生命現象を「生きたまま観察」する技術に「ライブイメージング(live imaging)」があります。大阪大学免疫学フロンティア研究センターのグループは、「生体多光子顕微鏡(intravital multiphoton microscopy)」を用いて、マウスの骨組織において蛍光標識された(fluorescently labeled )成熟した破骨細胞の動きを可視化して観察したのです。

 ここから、今後の骨粗鬆症の治療薬は、破骨細胞の総数を減らすのではなく、R型を減らしてN型を増やす物質を発見することで開発できることになります。骨粗鬆症に苦しむ人たちは、全世界に多数います。この大きな市場を前にして、製薬会社は多額の研究費を投入して創薬に励むでしょう。骨粗鬆症治療の新薬はやがて登場することでしょう。

 多くの人をその痛みで苦しめる「関節リウマチ」では、炎症が起こった関節では、関節が腫れるだけではなく、骨が壊れていきますが、このときに骨を壊しているのも破骨細胞です。この骨の破壊というメカニズムに、炎症性のT細胞であるTh17という細胞が関わっていると考えられていましたが、Th17がN型の破骨細胞に接触すると、R型の破骨細胞にと変化してしまうようなのです。その結果、骨の破壊へと進んでいってしまうようなのです。いま、私の母は、この「関節リウマチ」に苦しんでいます。すみやかに新薬が開発されることを願ってやみません。

 「白血球(leukocyte、ロイコサイト)」の20%~40%ほどを構成する「リンパ球(lymphocyte、リンフォサイト)」には、生まれつき(natural)の細胞傷害性(killer)を持つ「NK細胞(natural killer cell)」、抗体を産生する「B細胞(B cell、Bリンパ球(Blymphocyte))」、「T細胞(T cell、Tリンパ球(T lymphocyte))」などの種類があります。T細胞には、B細胞に働きかけて形質細胞に分化させ、抗体産生をさせる「ヘルパーT細胞(T helper cell)」、他のT細胞の活性を抑制する「レギュラトリーT細胞(regulatory T cell、制御性T細胞)」、腫瘍細胞やウイルス感染細胞を傷害する「キラーT細胞(cytotoxic T cell、細胞障害性T細胞)」があります。

 「ヘルパーT細胞」には、細胞性免疫を媒介する「Th1細胞」、液性免疫を媒介する「Th2細胞」、自己免疫疾患に関わる「Th17細胞」などの種類があります。「自己免疫疾患(autoimmune disease)」とは、異物を認識し排除するための役割を持つ免疫系が暴走し、自分自身の正常な細胞や組織に対してまで攻撃を加えてしまうことで発症する疾患です。

 「関節リウマチ(Rheumatoid Arthritis)」は、自己の免疫が主に手足の関節を攻撃し、関節痛が生じたり、関節の変形が生じる炎症性自己免疫疾患です。関節を包んでいる「関節包」の構成要素のひとつである「滑膜」で炎症が起こるものです。関節の炎症と痛みが次第に全身に広がっていきます。日本の関節リウマチ患者は50万人から100万人と言われており、有病率は全人口の0.5%~1.0%になります。200人に1人から100人に1人は関節リウマチに苦しんでいることになります。

 関節を腫れたままの状態で放置しておくと、やがて関節が変形してしまうことになります。そのため、炎症を抑える薬物療法が重要になります。消炎鎮痛剤、抗リウマチ薬(例えば、滑膜組織の破壊に関係するコラゲナーゼ(コラーゲンを加水分解するタンパク分解酵素)の産出を抑制する「メトトレキサート」など)などが処方されています。

(参考) 「注目の新薬「テリボン」は骨粗鬆症の治療に劇的な効果を上げるか。

                 (この項 健人のパパ)

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(参考) 「カントーへ」- ホーチミンからカンボジアのプノンペンへは6時間ほどのバス旅。

妻「9時のバス(ホーチミンからプノンペンに行く長距離バス)に乗ったとして、国境(ベトナム・カンボジア間の国境)に着くのは2時間後の11時頃になるわよね。」
私「そうだね。」
妻「出国と入国に30分ほどかかったとして、国境を離れるのは11時30分頃よね。」
私「そうだよ。」
妻「お昼はどうなるの。何か食べ物を買って乗り込むの?」
私「その心配かい。」
妻「大事なことよ。お腹が空いてるとバスに酔うわよ。」
私「マレーシア人が国境越え(ベトナム側の「モックバイ(Moc Bai)」からカンボジア側の「バベット(Bavet)」へ)についてブログを書いているんだけど、国境から5分ほど走ったところにレストランがあって、30分ほど休憩するそうだよ。」
妻「そうなの。じゃ、そこで食事をとれるのね。」
私「そのマレーシア人は食事がハラル(Halāl、イスラム教の教えに則った食品)じゃないことを知っていて、バスを降りずに持ってきたクッキーでお昼にしたそうだよ。」
妻「ムスリム(イスラム教を信仰する人)は、食事をするのも一苦労ね。」
私「カンボジアはその90%ほどがクメール族で、仏教国だからね。」
妻「ハラルも東京じゃ見つけることもできるけど、地方では無理なのと同じね。」
私「話は脱線したけど、弁当(テイクアウト、テイクアウェイ、ターパオ(打包))にして、バスの中で食べてもいいんじゃない?」
妻「バスに乗る前に何か買っておいた方がいいかも。」
私「当日にチケットを買うならば、1時間以上後に出発する便でないと買えないから、バス出発の待ち時間に買うのもいいかもね。」
妻「そうなんだ。」
私「正しい情報かどうかわかんないけどね。」



 ホーチミン市(Ho Chi Minh City、HCMC、Thành phố Hồ Chí Minh、サイゴン)からプノンペン(Phnom Penh)へは、ベトナムの国道22号線を70kmほど、カンボジアの国道1号線を170kmほど、合わせて240km(150mile)ほどをバスで進まなければなりません。国境での手続きにかかる時間、フェリーでのメコン河渡河にかかる時間、道路の混雑状況など不安定な要素があるので、バス会社は所要時間を6時間としていますが、プラス1時間ほどは想定しておいた方がよいようです。ホーチミン市とぺノンペンの間を列車は走っていず、飛行機はこの区間を飛んでいますが、空港へのアクセスにかかる時間、チェックインやバゲージ・クレームにかかる時間を考慮に入れると、時間の節約にはならず、またバス料金の10倍以上の出費も覚悟しなければなりません。

 ホーチミン市-プノンペン間のバス運行会社は、Sapaco、Mekong Express、「クムコ・サムコ(Kumho Samco)」などのほかに数社があります。クムコ・サムコは、239 Pham Ngu Lao Street, Dist 1, HCMCのオフィス前から、07:00、08:00、09:30、11:00、13:00、15:00に、34人乗りのバスを使って、11米ドルで運行しています。



 14世紀後半は、足利幕府の第3代将軍「足利義満」(在職1368年~1394年)が活躍し、室町時代の政治、経済、文化の最盛期を築いた時代です。14世紀後半は、カンボジアにおいては、「クメール王朝(Khmer Empire、802~1431年)」が北や西に接する現在のタイに勃興した「アユタヤ王朝(Ayutthaya Kingdom、1350~1767年)」との戦いで国力を疲弊していった時代でした。



 その頃のクメール王朝の都は、「アンコール・トム(Angkor Thom、1190~1431年)」にありました。アンコール・トムは現在、世界遺産に登録されている(1992年登録)「アンコール遺跡群」の1つで、ヒンズー教の寺院であった「アンコール・ワット(Angkor Wat)」の北にあり、1辺が約3㎞ほどの正方形をしており、高さ約8mの城砦に囲まれている城砦都市の遺跡です。
 
 アンコール・ワットやアンコール・トムなどの「アンコール遺跡群」の観光拠点となっている「シェム・リアップ(Siem Reap)」から長距離バスで南へ4時間ほどのところに「カンボジア王国(Kingdom of Cambodia)」の首都「プノンペン(Phnom Penh)」があります。ベトナムのホーチミンからシェムリアップに行くには、まず東西に走る道路で西進し、プノンペンへと向かいます。プノンペンからは南北に走る道路を北進し、シェムリアップへと向かいます。L字状に道路を進むわけです。

 何本もの川の流れる湿地帯の多い地域に、「ペン(Penh)」という名の裕福であるが高齢の未亡人が、小高い丘の上にあるお屋敷で暮らしていました。あるとき、激しい雨が降り、あたり一帯が洪水に襲われました。雨が止んだので、ペン夫人が洪水の様子を見ようと、船着場へと降りていきました。そのとき、土手に向かって、流木が近づいてくるのが目に入りました(“koki tree”と言いますが何のことでしょう?)。強い波がその流木を土手へと送っていたのです。

 何かを感じたペン夫人は、近くにいた人たちの手を借りて、その流木を拾い上げようとします。大木だったので、ロープがかけられ、川の中から徐々に引き上げられます。ペン夫人はその木を覆っていた泥を拭い去ります。すると、木の幹の洞から、4体の青銅製の仏像と右手には棍棒を左手には法螺貝を持った石像(a stone statue of Divinity、「ヴィシュヌ神像」?)が1体現れます。

 発見された仏像などは、ペン夫人のお屋敷に運ばれ、一時的に安置するために、小さな小屋が建てられました。その後、お屋敷の西に土が盛られ、そこに流木から柱を作り、茅葺屋根のお寺が建てられます。1372年のことだったといいます。その「寺(temple)」に4体の仏像が安置され、石像は山の東の麓にあった「社(shrine)」に納められたといいます。

 お寺が建てられると、ペン夫人は僧侶を招き、丘の麓に住んでもらうことにしました。それ以来、このお寺は、“Wat Phnom Daun Penh”(ペン夫人の丘のお寺)と呼ばれることになり、現在では「ワット・プノン“Wat Phnom”」と短縮されて呼ばれています。“phnom”は「丘」で、“wat”は「寺」であることから、「丘の寺」ですね。「プノンペン(Phnom Penh)」という都市名は、「ペン夫人の丘」という意味なのです。 

妻「プノンペンのこと、調べ始めているのね。」
私「そうだよ。」
妻「プノンペンというプリントがあったけど、あれを読んでいるの?」
私「そう。ロンリープラネットのサイトからダウンロードしたんだよ。」
妻「いくらかかったの?」
私「3ドル46セント。300円ちょっとくらいかな。」
妻「そんなにかからないのね。」
私「日本語ではプノンペンの情報は少ないからね。」
妻「少ないということは、見るところがあまりないということなのよ、きっと。」
私「そうかもね。」
妻「でね、プノンペンからアンコールワットに行くことにした。」
私「え!」
妻「プノンペンからシェムリアップに行く手段を研究しておいて。」
私「シェムリアップって?」
妻「そこに泊まって、アンコールワットは見に行くものなの。よろしくね。」
私「…」

 次の記事からタイトルを変えなければならなくなりそうです。「カントーへ」から「アンコール・ワットへ」でしょうか。

              (この項 健人のパパ)

  


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 毎年、インフルエンザの流行シーズン前であり、ワクチン接種前である7月から9月にかけて、「インフルエンザ感受性調査」が行われます。この調査は、インフルエンザウイルスに対する抗体を各年齢層においてどの程度保有しているかを把握するために行われています。2012年度の調査は、2012/2013年シーズンに先立ち、25都道府県から各200名ほど、合計5,000名ほどを対象として実施されました。

 インフルエンザウイルスに対する抗体の有無および抗体価の測定は、調査対象者から血液(血清)を採取し、各都道府県衛生研究所が「赤血球凝集抑制試験(HI法)」を行います。この測定に用いるインフルエンザウイルスは、2012/2013年シーズンのインフルエンザワクチンに用いられているウイルス3種類とワクチン株とは異なる系統のB型インフルエンザウイルス1種類の合計4種類です。

 赤血球凝集能を持つインフルエンザウイルスのようなウイルスの抗体検査は、「赤血球凝集抑制試験(HI試験、Hemagglutinin Inhibition Test)によって測定します。抗体が存在すれば、抗体はウイルスの赤血球凝集素を攻撃し、赤血球が凝集しないようにします(凝集抑制)。赤血球の凝集で抗体の保有を判断するわけです。

 具体的には、段階的に希釈した血液(抗血清)をウイルス検体と反応させ、赤血球凝集反応がどれだけの希釈まで抑制されるかを観察します。血液の希釈倍率はHI価と呼ばれます。インフルエンザの感染予防や感染しても症状の軽減に期待できる40倍以上を抗体保有とし、より感染を防御できる十分な抗体価を160倍以上として評価します。

(参考) 「新型インフルエンザウイルスの抗体保有率の報告を読む

 今年のインフルエンザワクチンに用いられたのは、「A(H1N1)pdm09亜型(新型インフルエンザと呼ばれた系統)」から「A/California/7/2009」、「A(H3N2)亜型」から「A/Victoria/361/2011」、「B型(山形系統)」から「B/Wisconsin/1/2010」でしたが、この株について抗体保有率の調査が行われ、そのほかにワクチン株とは異なる系統のB型インフルエンザウイルスであるが、抗体保有状況の把握が必要と考えられるウイルスである「B/Brisbane/60/2008」も抗体保有率の調査が行われました。

 ワクチンは、例年、A型から2種類、B型から1種類選択され、大きく分類して山形系統とビクトリア系統と2種類あるB型からは、今年(2012/2013年シーズン)は山形系統が選択されています。国立感染症研究所のページから「平成24年度(2012/13シーズン)インフルエンザワクチン株の選定経過」をB型のインフルエンザについて読んでみましょう。

 現状においては、来シーズンにどちらの系統のB型ウイルスが流行するかを予想することは極めて困難である。米国では両系統のB型ワクチンを用いた4価ワクチンの導入も検討されているが、わが国では生物学的製剤規準によって、総タンパク量の上限(240μg)が規定されているので、現状では4価ワクチンの導入は不可能である。

 日本では、インフルエンザワクチンは多くて3価であることが「生物学的製剤規準」で規定されており、4価ワクチンの導入は現在はできません。そこで、山形系統とビクトリア系統あるB型のいずれかが選択されることになります。

 2011/12シーズンの国内におけるB型インフルエンザの流行は、シーズンを通してビクトリア系統と山形系統の混合流行で、その比率は、2:1であった。周辺諸国での状況は、中国北部、韓国はビクトリア系統が主流、香港や台湾、中国南部は山形系統が主流と、国・地域ごとに流行パターンが異なっていた。世界全体では両系統ウイルスの分離比は2:1でビクトリア系統がやや優位ではあったが、山形系統も増える傾向が多くの国でみられた。

 B型のインフルエンザウイルスに対する抗体を生成するはずのワクチンは、効果が低いとも言われており、B型のインフルエンザに感染し発症するリスクをワクチン接種では大きく減少させることはことはできないようです。しかし、2012年度の抗体保有状況調査では、ビクトリア系統の「B/Brisbane/60/2008」に対する抗体は、0~4歳、60~70歳群は除かれるのですが、それ以外の年齢層で高い抗体保有が認められたそうです。



 山形系統のB型インフルエンザウイルスにおける最近の分離株は、2008/09シーズンのワクチン株「B/Florida/4/2006」から抗原性が大きく変化しており、ほとんどの分離株は最近の代表株「B/Wisconsin/1/2010」に類似していたようです。そこで、4シーズンぶりにB型インフルエンザウイルスからは「山形系統」が「ビクトリア系統」に代わって選択されることになります。

 現時点ではビクトリア系統が流行の優位ではあるが、多くの人はビクトリア系統のウイルスに対する基礎免疫を獲得しているので、2012/13シーズンにビクトリア系統が流行した場合にも、それほど大きな健康被害は生じないと予想される。一方、もし2012/13シーズンに山形系統による流行が主流となった場合は、この系統ウイルスに対する抗体保有レベルが低いことから、健康被害が大きくなる可能性がある。これらの状況を考慮して、WHOの推奨どおり山形系統からワクチン株を選定するのが妥当との判断に至った。



 WHOが「世界におけるインフルエンザ流行状況」を報告していますが、2013年1月4日の最新の報告に気になる記述があります。アメリカではインフルエンザが原因と考えられる小児の死亡が2012年52週(12月26日~1月1日)には2例あったが、いずれもB型のインフルエンザに感染していたというのです。“Two influenza-associated pediatric deaths were reported (compared to eight in the previous report); both were associated with influenza B viruses.

 この時期に検出されたインフルエンザウイルスの大半はA(H3N2)であったそうですが、インフルエンザ陽性検体2961のうち、79%はA型のインフルエンザであり、21%がB型インフルエンザだったようです。“In the USA, the majority of influenza viruses detected were A(H3N2), however influenza B accounted for a larger proportion than in Canada. Of the 2961 influenza positive specimens in the last week of 2012, 79% were influenza A and 21% were influenza B. ” 5人に1人はB型のインフルエンザに感染していたということになります。

 B型のインフルエンザウイルスのサブタイプを決定したところ、115検体のうち、3価のインフルエンザワクチンに採用した「山形系統」のB/Wisconsin/1/2010の類似株が69%であり、残りの31%が「ビクトリア系統」であったようです。“Of the 115 influenza B viruses characterized 69% were B/Wisconsin/1/2010-like of the Yamagata lineage, the B virus component of this seasons trivalent influenza vaccine, and 31% were of the Victoria lineage.” B型のインフルエンザに感染すると、その30%ほどがインフルエンザワクチンに採用されなかったビクトリア系統ということになります。ビクトリア系統は、0~4歳、60~70歳群において、抗体保有率が低いことから、この年齢群に属する人はインフルエンザ感染に特に注意する必要がありそうです。



 確率から言うと、インフルエンザに感染して発症すると、B型のビクトリア系統のインフルエンザである場合は、0.21×0.31=0.0651から6.5%です。15人に1人ぐらいの割合で、B型のビクトリア系統のインフルエンザであることがアメリカでは確認されています。



 A型(亜型はH1N1pdm09、H3N2(A香港型))とB型の混合流行だった2010~2011年シーズンのインフルエンザの流行では、インフルエンザ迅速診断キットによる判定での発症の中央日は、A型が1月28日、B型が3月18日だったようです。これと同じような経過を2012~2013年シーズンも辿るとするならば、A型のインフルエンザ発症はそろそろピークを迎えることになり、およそ2か月後にはB型のインフルエンザ発症のピークがやってくることになります。



 体内でインフルエンザウイルスが増殖するには、感染細胞からインフルエンザウイルスが外部に放出されることが必要ですが、それにはウイルスの細胞膜表面にある「ノイラミニダーゼ(Neuraminidase、NA)」という酵素が関係します。そのノイラミニダーゼを抑制することでインフルエンザウイルスの増殖を抑制できることが知られています。

 ノイラミニダーゼを阻害する抗ウイルス薬を「ノイラミニダーゼ阻害薬(Neuraminidase inhibitors)」といいますが、それには、経口薬のオセルタミビル(商品名「タミフル(Tamiflu)」、吸入薬のザナミビル(商品名「リレンザ(Relenza)」とラニナミビル(商品名「イナビル(Inavir)、2010年10月19日第一三共株式会社が販売開始)、点滴注射薬のペラミビル(商品名「ラピアクタ(Rapiacta)」)の4種類があります。

 この4つのノイラミニダーゼ阻害薬について、日本臨床内科医会インフルエンザ研究班が調査を行い、解熱時間から有効性を比較ところ、4剤間で大きな差がないことが明らかになったそうです(第25回日本臨床内科医学会で発表された)。

(参考) 「頻繁に変異するウイルスと戦う人間は強力な武器を手にできるか。

 抗インフルエンザ薬(ノイラミニダーゼ阻害薬、neuraminidase inhibitors)に対して耐性を持つ(増殖を阻害されない)インフルエンザウイルスが存在します。耐性ウイルスだからといって、「発症を防ぐ、または発症は防げないが症状が軽く済む」などのワクチンの効果には影響はありませんし、また耐性ウイルスだから症状が悪化しやすいわけではないのですが、抗インフルエンザ薬による症状緩和の働きはありせん。

 2012~2013年シーズンのインフルエンザウイルスからは、いまのところ、耐性ウイルスが発見されていないといいます。“Since 1 October, none of the 526 A(H3N2), 39 A(H1N1)pdm09, or 226 B viruses have been resistant to neuraminidase inhibitors.” 発症しても、症状を緩和させるのに有効な薬剤があり、その効き目が現在のところ損なわれていないというのは安心といえます。



             (この項 健人のパパ)

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妻「ミャンマーについて、知識は深まった?」
私「いや、全然。忙しくてね。」
妻「何もミャンマー通にならなくてもいいのよ。」
私「基本的なことを知らないと、見るべきものを見落とし、食べるべきものを食べ損なうからね。」
妻「でも、専門的な本が増えていくような気がするけど、、、」
私「言語と歴史は基本的なことだよ。」
妻「そうかしら。ミャンマー語の本や辞書は必要ないと思うけど、、、」
私「メニューぐらいは読めた方がいいと思ってね。」
妻「この上下2巻ある、歴史物語ミャンマーは?」
私「歴史を知らなきゃ、何を見るべきかはわからないと思ってね。」
妻「どのくらい読んだの?」
私「まだ、全然。忙しいんだよ。」
妻「…」
私「…」
妻「来年はベトナムにしようよ。」
私「え!」
妻「ベトナムだったら、もう調べなくていいでしょう。何回か行ってるんだし。」
私「…」
妻「メコンデルタをメインにすればいいじゃない。カントーに1週間ぐらいいようよ。」
私「…」

 妻「あみ」がブログ記事「「カントーへ」-メコンデルタツアーはカントーからがいいのかな」を2009年6月9日に書いてから3年と6か月ほど経ちました。2013年の家族旅行の行き先は「ミャンマー(ビルマ)」を考えていたのですが、仕事で忙しく、ミャンマーについての知識を深めることができません。それなりの出費をするのですから、十分に楽しむ必要があります。準備不足だと見るべきものを見逃し、食べるべきものを食べ損ねることが起きてきます。ミャンマーへはまだ多くの人が行ってはいず、情報を十分には集めることができません。旅行先が決まらないことに妻の苛立ちも増し、ミャンマーを旅行先にすることに今回は断念しました。で、旅行先に決まったのは、ベトナム。妻の一人旅を含めて幾度か訪れているベトナムです。カントーをメインにすることになりました。久しぶりにカントーについて調べ始めています。

妻「カントーについて調べは進んでる?」
私「全然。忙しいって言ったよね。」
妻「忙しいという割には、ノロウイルスについての記事はUPされているけど。」
私「自分や家族の健康を守るためには、流行している病気についての知識は必須だよ。」
妻「それはそうだけど、またまた懲りすぎていない?」
私「…」
妻「感染したときの備えと言って、スポーツドリンクや正露丸を買ってくるし、、、」
私「罹ってから買いに行くのじゃ遅いと思ってね。」
妻「予防が一番よ。」
私「それはそうだけど、備えあれば憂いなしだよ。」
妻「それでね、カントーの調べは進んでなさそうだから、カントーの滞在を短くして、バスでプノンペンに行くことにした。」
私「え!」
妻「それ、調べておいてね。」
私「…」

 「ホーチミン(Ho Chi Minh City、サイゴン(Sai Gon))」からカンボジアの「プノンペン(Phnom Penh)」へは、例えば「シンツーリスト(Sinh Tourist、旧名は「シンカフェ(Sinh Cafe)」で2009年に名称変更した。www.thesinhtourist.vn)」は、オープンバス(Open Bus)を、10米ドルで運行しています。



(参考) 「「ベトナムへ」日記12-どれがシンカフェの本物?」(2007年09月23日投稿)

(注) サイゴン(ホーチミン)の「ファングーラオ通り(Pham Ngu Lao Street)」に「コーヒーハウス(coffee house)」がありました。いろいろな国からの旅行者はここに集い、コーヒーをすすりながら明日からの旅行の計画を練っていました。そのコーヒーハウス「シンカフェ(Sinh Cafe)」は、旅行者にベトナムでの旅行を気楽に楽しんでもらうために、移動手段などの旅行情報を提供するようになります。1993年、「シンカフェ(Sinh Cafe)」という旅行代理店が立ち上がります。サイゴンで産声を上げたシンカフェはやがて、ベトナム国内に、ダラット(Da Lat)、ムイネー(Mui Ne)、ニャチャン(Nha Trang)、ホイアン(Hoi An)、ダナン(Da Nang)、フエ(Hue)、ハノイ(Hanoi )、そして、カンボジアにプノンペン(Phnom Penh)、シェムリアップ(Siem Riep)と支店を持つようになります。2009年、シンカフェは商号とロゴを「シンツーリスト(TheSinhTourist)」に変更します。(注の終わり)



 ホーチミン市でほぼ東西に走る「ファングーラオ通り(Pham Ngu Lao Street )」とその南に並行して走る「ブイビエン通り(Bui Vien Street)」。それと交差して、ほぼ南北に「デタム通り(De Tham Street)」が走っています。ファングーラオ通りとブイビエン通りにはさまれた地域には安価に宿泊できる宿が集中しています。外国人バックパッカーが集まってくる地域であり、旅行代理店や食堂も散在しています。

 デタム通り周辺にはプノンペンやシェムリアップ行きのバスを運行している会社が複数あり、便数も多く、時間帯も選ぶことができます。注意すべきは、運行会社によっては、ビザを取得しているのが条件だったり、ビザ手数料と顔写真を2枚用意しなければならなかったりします。ビザの取得費用は、20米ドル。それに代行手数料の5米ドルが加算されて、ビザ取得に25米ドルがかかります(ビザ取得はカンボジア側の国境「バベット(Bavet)」で入国審査の前に運行会社が代行して行う)。

 東京都港区赤坂8-6-9(銀座線・半蔵門線・大江戸線「青山一丁目駅」(4番出口)より8分ほど、千代田線「乃木坂駅」(3番出口)より7分ほど、千代田線「赤坂駅」(7番出口)より10分ほど)にある「カンボジア大使館」でビザを取得することもできます。申請時間は、09:00 から12:30で、申請日より翌々営業日以降の午後(13:30~16:30)にビザを受け取れます。必要書類は、残存期間がカンボジア入国日より6ヶ月以上あるパスポート原本と証明写真(35mm×45mmを1枚)を貼付した記入済みのビザ申請用紙(大使館のサイトからダウンロードできる)です。観光ビザ(T)を取得するには、2,300円かかります。ビザの有効期間は発行日より3ヵ月となります。有効期間内の1回限りの入国で、1ヶ月間の滞在が可能です。

 シンツーリストのバスを利用すると、その出発はデタム通りに面したオフィス(246 phường Phạm Ngũ Lão, District 1, HCMC)の前から朝の6時30分の1便だけになります。朝が早いので、デタム通り周辺に前日宿泊している必要がありそうです。バスが発車してしばらくすると、乗員の一人がパスポートを回収しにやって来ます。このとき、ビザを事前取得していなければ、ビザ取得費用の25米ドルを添えて渡します。乗員は揺れる車内でビザ申請用紙への記入を始めます。

 出発して2時間ほどして、ベトナム側の国境「モックバイ(Moc Bai)」に到着します(ホーチミン-モックバイ間は「国道22号線」)。荷物を持ってバスを降りるように言われ、パスポートを渡されるので、出国審査を通ることになります。出国スタンプを押され、ベトナム側国境を通過して、バスに戻ると再びパスポートが回収されます。バスは数分走ってカンボジア側の国境「バベット(Bavet)」へ向かいます。荷物は置いて、バスを降り、入国審査を待ちます。ビザ申請用紙には顔写真が貼られていない(顔写真は必要ありません)のに、カンボジアのビザシールが張られたパスポートが戻ってきます。カンボジアの入国審査です。終了すると、再びバスは出発することになります。

 ベトナムの国道と比べ、カンボジア側の国道(バベット-プノンペン間は「国道1号線」)はメンテナンスが悪く、舗装道路には無数の小さな穴があった時期があります。しかし、日本の無償資金協力による国道1号線の改修が行われました。その道路を2時間ほど走ると、やがてフェリー乗り場「ネアックルン・フェリー・ターミナル(Neak Leoung Ferry Terminal)」に到着します。バスは乗客を降ろすことなく、フェリーに乗り込みます。30分ほどかけて、川を渡り、再び走り出したバスは、やがてシンツーリストのあるプノンペン中心街へと入っていきます。フェリーを降りて1時間30分ほどです。順調に行けば、ホーチミンからプノンペンへの所要時間は6時間ほどです。

(注) ホーチミン(ベトナム)-プノンペン(カンボジア)-バンコク(タイ)を結ぶ南部経済回廊があります。アジアハイウェイ1号線(総延長がおよそ20,00kmで、日本を起点とし、韓国、北朝鮮、中国、ベトナム、カンボジア、タイ、ミャンマー、インド、バングラデシュ、インド、パキスタン、アフガニスタン、イランを経由してトルコで終点に至る)の一部です。しかし、国道一号線にはボトルネックがあり、メコン河を渡河するには、フェリーという手段しかありません。物流や交通において、この渡河において、待ち時間が発生することから、その解消のため、フェリー乗り場のある「ネアック・ルン(Neak Leung)」で橋梁の建設が続けられています。(注の終わり)

(追記-2015年1月14日) 橋梁は完成すると式典が行われます。片側から建築していき、対岸へと繋ぐ工法では、「到達式」が、両岸から建築していき、橋の中央で繋ぐ工法では、「閉合式」が執り行われます。日本の無償資金協力により2010年12月に着工した全長640メートル(主橋梁640m、取付け橋1,575m、取付道路3,245m)のメコン川にかかるカンボジア最大の橋であるネアックルン橋梁(Neak Leung Bridge)が2014年12月2日に閉合しました。

 本日(2015年1月14日)に「閉合式」の開催が予定されています。メコン川は水位が雨季と乾季で8メートルほども違っており、また、2011年には史上最悪とも言われた大規模な洪水に見舞われ、河岸が30メートルも浸食されてしまうといったことも起こり、難工事だったようです(総事業費の概算およそ120億円)。開通は4月初旬(クメール正月前、4月13日が日本でいう「大晦日」、14日が「お正月」)を予定しているといいます。3か月後ですね。(追記の終わり)

妻「シンカフェのバスでプノンペンに入れることはわかったけど、朝早くない?」
私「…」
妻「寝坊助健人がそんなに早く起きられないと思うのよ。」
私「…」
妻「もう少し遅く出るバスを調べて。」
私「国境は午前8時から午後8時の間しか開いていないんだよ。」
妻「そんなに遅くなくてもいいわよ。お昼近くとか、、、」
私「プノンペンに付く時間が夜になると、治安の問題がね、、、」
妻「じゃ、朝の10時頃がいいわね。午後の4時頃には着くわよね。」
私「…」



 「サパコ・ツーリスト(Sapaco Tourist)」もプノンペンへの長距離バスを運行しています。6:00、7:00、8:00、9:00、10:00、11:30、12:30、14:00、15:00に325 Pham Ngu Lao St, Dist 1にあるサパコツーリストの支店前から出発します。日野自動車製のセレガハイデッカーで4×11列で40人乗りです。バス後部には進行方向右の4席の代わりにトイレがあります。バス料金は23万ベトナムドンです(およそ11米ドル)。TNK&APTトラベルは、サパコ・ツーリストの運行する長距離バスを扱っています。バス料金は13米ドルです。カンボジアビザを国境で取得する場合、パスポート用証明写真とビザ発行代が必要となります。

 ほかに、「メコンエキスプレス(Mekong Express)」があります。No.275F Pham Ngu Lao,Dist.1にあるホーチミンオフィス前から07:00、08:30、13:00、15:00に出発します。バス料金は13米ドルです。

妻「サパコがいいかもね。」
私「そうだね。」
妻「プノンペンではどこに降ろされるの?」
私「それも調べるの?」
妻「プノンペンのホテルを予約するのに大事なことよ。」
私「次から次へと要求がでるね。」
妻「調べ物するの好きでしょう。」
私「…」

 Youtubeに「クムホ・サムコ(Kumho Samco Buslines)」のバスでホーチミン市からプノンペンに移動した映像がありました。疑似体験をしてみました。興味深く、楽しみです。クムコ・サムコのバスは、07:00、08:00、09:30、11:00、13:00、15:00の6便があります。




               (この項 健人のパパ)

  



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