POWERFUL MOMが行く!
多忙な中でも,美味しい物を食べ歩き,料理を工夫し,旅行を楽しむ私の日常を綴ります。
 





 北海道札幌市で創業された(1983年、今から30年ほど前)チョコレートの会社に「株式会社ロイズコンフェクト」があります。英語名は、“ROYCE' Confect Co., Ltd.”です。「ROYCE'」を「ロイズ」と読ませています。この名称の由来に興味を抱く人も多く、検索すると出てきます。創業者(現取締役社長)は「山崎泰博(Yamazaki Yasuhiro)」氏です。自分の名前を会社名にするということはよく行われることです。「森永太一郎」氏が「森永製菓」を設立するといったことです(正しくは、「森永西洋菓子製造所」(1899年~)→「株式会社森永商店」(1910年~)→「森永製菓株式会社」(1912年~))。

 ちょっと洒落て、「石橋正二郎」氏が1931年に設立したのは、「株式会社ブリヂストン(英語名:Bridgestone Corporation)」でした。この社名は、英語の「ブリッジ(bridge、橋)」と「ストーン(stone、石)を合成したもの。「石橋」という姓を英語にして、語呂をよくするために、前後を入れ替えたものです。

 山崎泰博氏は、自分の名「ヤスヒロ(Yasuhiro)」を社名にしようとします。しかし、このままでは社名としては響きが悪い。後ろから読んでみることにします。「ロヒスヤ」。「ロヒス屋」という響きになりました。和菓子を製造販売する「株式会社虎屋」の英語名は、“Toraya Confectionery Co., Ltd.”です。‘confectionery’(コンフェクショナリー)には、「菓子製造業」という意味があります。そこで、「屋」を「コンフェクト」とします。「ロヒスコンフェクト」をもう一歩進めて、「ロイスコンフェクト」。さらに進めて、「ロイズコンフェクト」。それに「ROYCE’」という英語綴りを与えることにします。「ROYCE’S」(ロイスズ)の‘S’を省略したものという解釈をしています。

(参考) 「チョコラティエ「ゴディバ(Godiva)」の名前の由来は、それだったの?

 ロイズは新千歳空港の国内線旅客ターミナルビルと国際線旅客ターミナルビルを結ぶ連絡施設に国内初の空港内チョコレート工場とミュージアムを開設しています(営業時間:8:00~20:00 (※ファクトリースペースは、8:30~17:30))。



 私は北海道に生まれ、東京の大学に進学するまでは北海道に暮らしていました。北海道を離れて40年以上も経ちますが、郷愁という感情を持ちません。北海道はすぐそこにあるのです。行こうと思えば、バスに乗って1停留所行けば着けるような心理的距離なのです。そこに妻「あみ」は観光に行こうと言い出しました。北海道の新千歳空港から台北に飛ぶ航空券が格安だったので、すでに購入したというのです。新千歳空港から飛ぶ前に札幌の観光もいいかなと考えて航空券をとっているというのです。成田→札幌(新千歳空港)→台北→成田という旅程にしたのだそうです。

 私にも同じ旅程での旅行を提案してきました。しかし、我が家には自分からは勉強をしない高校1年生の息子「健人」がいます。2学期の中間テストが控えています。テスト準備をさせるためには、10日間も家を空けるわけには行きません。成績が悪くなれば、授業料免除という特待生の資格を取り消されてしまうのです。

 最初は全行程を一緒にと言ってきたのですが、札幌の3日間は同行するという妥協案にOKを出しました。妻は旅行好きです。若いころに北海道はすでに10数回も行っているというのです。でも、私とは異なり、そこは非日常が味わえる心理的にも遠い都市なのでしょう。札幌行きにあまり関心もないので首を横に振り続けていたのですが、妻の粘りに根負けしてOKを出したのが、出発の間際。それでも航空券は取れるのですね。バニラという格安航空会社の航空券でした。40年以上も前に千歳空港から羽田に飛んでいたときよりも安く航空券が買えたのです。



 今回の旅行で最も関心を抱いたのが、国際線旅客ターミナルビルで妻の台北行きを見送ったあとで、国内線旅客ターミナルビルへ移動するときに、連絡施設で見学したロイズ・チョコレート・ワールドにある「ミュージアム」。展示物の数は少なく、小さな小さな博物館ですが、チョコレートの知識を得るのにはよくまとめられていると言えます。

 物理的距離は近いのですが、心理的距離は遠く、ベルギーにはるばる来たようです。妻がいれば、「何を興奮しているの」と言われそうですが、ショコラティエール(chocolatiere、ショコラを作る道具)が、チョコレートポットとモリニーリョ(Molinillo、撹拌棒)の現物が見られるのです。

(参考) 「ブルージュの「チョコレート博物館」へチョコレートの知識を深めに

妻「嬉しそうね」
私「目の前に本物があるんだよ」
「チョコレート、好きよね」
「好きだね」
「甘い物といえばチョコレートぐらいしかない時代に育った?」
「おいおい、失礼な」
「チョコレートとケーキがあったらどっち選ぶ?」
「チョコレートかな」
「やっぱり、好きよね」

 妻がその場にいれば、モリニーリョやココアポット(チョコレートポット)を見ながら、そんな会話を交わしていそうです。



 上の画像は、モリニーリョという攪拌棒です。中米(メソアメリカ)のマヤ族は、カカオ豆を乾燥させて、石臼で挽いて、トウモロコシの粉と水を加えて飲料として口にしていました。どろっとしている(トウモロコシの粉がとろみを出している)がざらざらもしていて、舌触りが悪いことから、泡立てることで舌触りを良くして、飲んでいたようです。マヤ族は、器から器へと勢いよく注ぎ込むことで泡立てていました。16世紀、スペイン人たちは、泡立てるために攪拌棒を使い始めます。それが、モリニーリョ(Molinillo)なのです。



 Royce' Chocolate World のミュージアムでの解説を引用してみます。

 メソアメリカでは、マノ(すりこぎ棒)とメタテ(石臼)でカカオ豆やトウモロコシをすりつぶし、水に混ぜて飲んでいました。また、飲みやすくするため、高いところからポットやジャーに注ぐことで泡立てていました。



 そもそも、カカオとは何でしょう。常緑樹であるカカオノキ(学名:Theobroma cacao、テオブロマ・カカオ)は、中央アメリカから南アメリカの熱帯地域を原産としています。赤道を挟んで、北緯20度あたりが生育の北限、南緯20度あたりが南限で、年間平均気温27℃以上の高温で、規則的な降雨(ただし、排水のよい土壌が必須)、湿潤な気候が必要であり、標高約300メートル程度の丘陵地に自生するといいます。樹の高さは5~10m程度のようです。2階建てや3階建ての家屋程度の高さの樹木です。

 カカオノキは、発芽成長に強い光よりも湿度を必要とするため、ほかの木の陰で生育させる必要があります(「陰樹」)。このため、カカオノキは、広大な面積の土地に単一作物を栽培する大規模プランテーションの樹木には向いていないといわれています。これをミュージアムでは「甘えん坊のカカオ(Cacao - The Pampered Child)」というタイトルで次のように説明しています。

 カカオの木への直射日光や風あたりを和らげるために「シェイド・ツリー」というバナナやヤシなどの背の高い木を周囲に植えます。その下で栽培されることから「甘えん坊の木」と呼ばれます。

 コーヒーの木も直射日光が強いと木の新芽が焼かれてしまって発育を妨げられることから、コーヒー農園ではバナナやマメ科の木などの背の高い樹木をコーヒーの木と一緒に植えて、適度な日陰を作るということが行われることがあります。このときのバナナやマメ科の高木を「日陰樹」(shade tree、シェイド・ツリー、シェード・ツリー)と呼びます。

(参考) 日陰樹(ひいんじゅ)と陰樹(いんじゅ)の違い
 日陰樹は、その樹木の作る日陰が利用できるもので、樹冠(じゅかん、樹木の上部にある枝と葉の層で太陽光を受ける)の大きな樫(カシ、oak)、楓(カエデ、maple)、楡(ニレ、elm)、梣(トネリコ、ash)、菩提樹(ボダイジュ、linden)などの樹木をいいます。例えば、アラビカ種のコーヒーノキは乾燥に弱いことから、直射日光から守るために、日陰樹を植えることがあります。日陰樹に日傘のような役割をさせるわけです。こうすることでコーヒーノキに適度な陽射しを当てることができるのです。
 樹木はすべて光のない暗所では育たず、光を必要としますが、直射日光(日当たり)を好むもの(陽樹、intolerant tree)からあまり好まないもの(陰樹、tolerant tree)まで、多様です。その成長、枝や葉の密生度が日照の強さと日照時間に影響を受けるのです。日当たりをあまり好まない樹木を日当たりの強い環境に置くと、例えば「葉焼け」を起こします。少ない光エネルギーで光合成を行っている種類の樹木に過剰な光エネルギーを与えると、余剰の光エネルギーが活性酸素を発生させ、葉の細胞を傷害します。葉の一部の緑色が薄くなったり、葉の周辺が褐色となって部分的に枯死する現象が葉焼けです。
 “shade tolerance”と言えば、「陰光耐性、耐蔭性(耐陰性)」を指すことになります。ブナ(山毛欅、Japanese beech)、カエデ(楓、maple)などは陰樹に分類され、比較的低い光量でも成長が可能な(陰光耐性がある)樹木です。(参考の終わり)




 カカオノキは樹齢4年程度で花を咲かせ、直径3cmほどの花を新しく伸ばした枝ではなく幹に直接つけるといいます(「幹生花」(cauliflory、コーリフローリ))。幹生花(かんせいか)は、温帯に住む私たちにとっては珍しいものですが、熱帯ではそれほど珍しいものではないようです。でも、幹や太い枝に花が咲いていると寄生植物が花をつけているようにも見えますよね。



 花はやがて果実をつけますが、やや小振り(長径で20cmほど)のラグビーボール(26cm~30cm)のような形をしています(カカオポッド、cacao pod)。幹に直接実がなっているのは、やはり珍しいですね。カカオポッドの中には白いパルプ質の果肉に包まれたカカオ豆が30粒から40粒ほど入っています。花が5弁ですから、入っている豆の数も5の倍数なのかな。



 カカオ豆は、カカオポッドから白いパルプごと取り出され、発酵という過程を経ることになります。バナナの葉を被せたり発酵槽に入れたりして発酵をすすめると、1粒ずつカカオ豆を包んでいたパルプは1週間ほどで溶けてしまいます。発酵はパルプを取り除くだけの目的で行われているのではなく、カカオ豆と果肉であるパルプ(果汁を含む)とを反応させるという目的もあります。



 カカオ豆がどのように出荷されるかをミュージアムの解説で見てみます。

   1 収穫 カカオの木からカカオポッドを収穫します。

   2 採果 カカオポッドよりパルプ(果肉)に覆われたカカオ豆を取り出します。



   3 発酵 バナナの葉を被せたり、発酵槽を使うなどして発酵し、パルプ(果肉)を取り除きます。

   4 乾燥 カカオ豆の水分がおよそ8%以下になるまで乾燥します。

 水分量は幅があるらしく、日本のチョコレート・ココアの製造者の団体である「日本チョコレート・ココア協会」のサイトでは「発酵の終わった種子は水分を6%以下に乾燥させます」とあります。



   5 袋詰め カカオ豆60~70㎏を麻袋に詰め、出荷します。



 長くなったので、続きは次回の記事にします。


                  (この項 健人のパパ)



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 土曜日の夕方、仕事帰り、以前の職場の友人と新浦安の駅で待ち合わせて、温泉に浸かり、積もる話をし、簡易宿泊とホテルでの朝食を楽しんで来ました。

(参考)「大江戸温泉物語 浦安万華郷に宿泊してみました。温泉づいてます。

 待ち合わせ場所の新浦安の駅前に早めにやって来ていた友人は、9月12日(土)と13日(日)の2日間にわたり開催されていた第9回新浦安祭に出くわすことができ、駅前広場で、屋台村、フリーマーケット、大道芸、ステージ、こども縁日が見物できたそうです。いろいろと面白い買い物とホテルエリアでは、ホテルのレストランが屋台カレーなどを出していて、とても楽しめたそうです。私は、あいにく仕事で、新浦安駅に到着したときは、雨のせいか終了していました。残念でした。

 「大江戸温泉物語 浦安万華郷」(千葉県浦安市日の出7-3-12、新浦安駅から無料送迎バス)で仕事の疲れを癒し、元の職場の様子を聞き、いろいろな話の花を咲かせ、眠りに就きました。翌日も私は仕事でしたが、「ホテル エミオン 東京ベイ」(千葉県浦安市日の出1-1-1、JR京葉線・武蔵野線「新浦安」駅南口より徒歩約7分)に行って、友人と話の続きをしながら、バイキングの朝食です。プチ旅行気分です。



 最近は、和食が主になった我が家の食事のメニュー。我が子「健人」も健康志向なのか和食がメインでも苦情を言いません。むしろ、それを希望します。で、どこに行っても、気になるのは和食の野菜料理。ホテルのレストランでも最近は、バイキングに煮物を出すことが増えてきたような気がします。

 ホテル・エミオン・東京ベイは日曜日だったのでディズニーランドに行く人たちで混雑していていました。バイキングのメニューの中には、豚肉と大根の煮物、肉じゃがなどがあり、お味噌汁の具がお麩、みつば、わかめなどと豊富でした。嬉しいですね。友人は、ヨーグルトが美味しいととてもよろこんでいました。



 私は仕事でしたから、朝食のあと、友人と別れましたが、連日の仕事をしながらも、こんなプチ旅行気分が味わえるなんて、また機会があれば行ってみたいと思います。土・日と出たので、きょうはお休みです。「旅」の疲れを癒す日です。、、、癒してばかりですか?

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 昨日(7月31日)、日帰り温泉の「大江戸温泉物語 浦安万華郷」に簡易宿泊しました。ここは、浦安のマンション群を通り抜けたところに建っています。マンションを見ながらの朝食でした。



 明朝の仕事が近くにあったので、今回も温泉施設に簡易宿泊です。横浜みなとみらいの「万葉倶楽部」では、非常識にも深夜に話をする女性の声やテレビの音に散々睡眠を邪魔されたので、夫の助言に従って、耳栓まで用意して出掛けて来ました。耳栓に慣れてないので違和感はありましたが、音はシャットアウトされました。困るのは、緊急事態を知らせる火災報知器の音も聞こえないかも知れないことです。どうリスク管理したらいいのでしょう。一人逃げ遅れるというのも怖い。逃げ惑う人が作る床の振動で目を覚ますかな?



(参考) また、万葉倶楽部に宿泊-温泉で、仕事の疲れを癒さなくっちゃ

 「大江戸温泉物語 浦安万華郷」と「横浜みなとみらい 万葉倶楽部」を比べると、規模的には、浦安万華郷の方が大きいようですが、グレードは、万葉倶楽部の方が高い気がしました。簡易宿泊のリクライニング・チェアの座り心地や寝心地も違いました。但し、家族でお風呂で遊ぶなら、「水着露天ゾーン」がある浦安万華郷に軍配が上がりそうです。男女共用エリアなので、水着または浴衣で利用できます。



 今朝(8月1日)は、温泉施設内の食事処「浪漫キッチン」でトースト、卵料理、ソーセージ、サラダ、スープ、ヨーグルト、ジュースの「トーストセット」の朝食を食べてみました。ボリュームがあり、780円でした。朝のコーヒーは楽しみなのですが、ここのコーヒーはいただけない。ほとんど残してしまいました。また、スクランブルエッグの塩辛いのにも閉口しました。主食を何にするか、副菜を何にするか、自分で好きな野菜をサラダに盛り付けられる万葉倶楽部のセルフスタイルの方が栄養のバランスを気にする私にはあっているようです。

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 最近は横浜方面の仕事が多く、土日と仕事が続く(時には、金土日の3連続)ので、自宅との往復を繰り返すのでは疲れてしまいます。そこで、横浜みなとみらいの「万葉倶楽部」に宿泊することが多くなっています。「万葉倶楽部」は、「熱海温泉」と「湯河原温泉」の源泉から毎日タンクローリーで運ばれてくる温泉を使った入湯施設。宿泊のできる和洋客室も用意されているのですが、当然ビジネスホテル程度の料金では宿泊できません。さらに、金曜日と土曜日は「特定日」に指定されいて、宿泊料金も跳ね上がり、シングルユースもできません。



 そこで、セット入館料(営業時間午前10:00より~翌朝9:00まで)の2,620円(入湯税100円別途)と、深夜料金(深夜3時以降の利用)の1,680円を支払って、5階の「リラックスルーム」で睡眠です。

 しかし、昨晩は、ベッドの上で寝たい気分で、桜木町駅前の某ホテルに宿泊することにしたのですが、ルームキーが正常に作動せず、部屋に入れない! ホテル側の対応が悪く(ルームキーの異常をすぐには認めなかった)、手荷物を持って、フロントと部屋を何回も往復。疲れました。そこで、部屋をキャンセルして、急遽、横浜みなとみらいの「万葉倶楽部」にまた滞在することにしました。

 入浴後に女性専用のリラックスルームを利用して、リクライニングシートで朝まで睡眠です。マナー違反の音量のテレビの音や大きな話し声に何回も悩まされるのですが、それでも温泉は疲れがとれます。我が子「健人」は、「お母さん、疲れたから泊まっていくね。」と電話で伝えても、「そおお。」と寂しがる様子は見せません。自立したのでしょうか、それともお父さんがいるから、そう感じないのでしょうか。冷たい反応です。一緒にいると何だかんだとおしゃべり健人は話しかけて来るのに、、、冷えた心を温泉で温め直さなくては。



 みなとみらい線「みなとみらい駅」クイーンズスクエア横浜よりは、徒歩5分、JR・横浜市営地下鉄「桜木町駅」よりは徒歩15分で、「万葉倶楽部」には着くことができます。でも、「横浜駅」からはやや遠く、シャトルバスが運行されています。横浜駅西口の「横浜ベイシェラトン」の近くのあおぞら銀行の前から1時間おきにシャトルバスが出ます。朝9時35分始発で、毎時35分発、最終は夜22時35分になります。



 心と身体を温めて、疲れを癒して、明日の仕事もがんばるぞ~

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 今日は、横浜みなとみらいの「万葉倶楽部」に来ています。ここのところ、温泉と読書がマイブームになりつつあるかも。新型インフルエンザの動向を見守っていたら、海外旅行に行きそびれてしまいました。



 サーチャージが7月からなくなるので、いとしのヨーロッパに行くチャンスなのですが、夫は「アジアが混沌としておもしろいじゃないか」と言います。「ヨーロッパに行くなら、一人でどうぞ」と言われそう。仕事の関係で最近遠出が多いのですが、それが苦にならないのは、新しい場所に行くと私の中の何かがパワーアップするからです。

 「会社の経費で、いろいろと新しい場所に行けていいじゃないか。旅好きの君には最高なんじゃない。」と夫。でも、朝早く起きて、遠くに出かけるのはやはり疲れます。そんなわけで、今日は、明日の仕事場の近くの「横浜みなとみらい」の「万葉倶楽部」という温泉施設に宿泊。

 家族で来たのなら、ホテルに滞在するのでしょうが、1人ではもったいない。そんなわけで、温泉気分を満喫できるこの温泉施設に宿泊。今は、無料のインターネットコーナーでブログを投稿中です。(明るいとモットいいのですが、暗い場所でインターネットは厳しいですよ、支配人さん)

 戸塚温泉「ラジャの湯」(スカイガーデンスパ(男女共用水着エリア)があります)と横浜みなとみらいの「万葉倶楽部」とを最近利用しましたが、設備の充実では、万葉倶楽部が格上のようです。かけたコストの割に、がっかりしたのは、スカイガーデンスパ。立地はいいけど、施設は貧弱です。

 先日、この「万葉倶楽部」に来た際に気に入って、会員になってしまいました。会員割引があって、お得なので入会しました。温泉施設で、お肌がつるつるになって、エステが不要になるなら、間を置かずに通っても「お安いもの」かもね!

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 「磁器」と「陶器」の違いはどこにあるのでしょう。磁器は「陶石」、陶器は「陶土」からできています。「陶石」を砕き、その粉を練り合わせ、焼いた物が「磁器」です。地球の火山活動によって溶岩が流れ、岩石が熱水変質作用を受けると「陶石」となります。岩石が風化し、風や降雨によって流され、鉄分や有機物が混ざり込み、蓄積され粘土となった「陶土」と比べると、鉄分やその他不純物の含有量が少なく、長石や珪石の含有率が少し高いのだそうです。

 陶石の産地は、九州地方が多く、熊本県の天草(あまくさ)、長崎県波佐見(はさみ)の三股(みつのまた)、長崎県佐世保市針尾の網代(あじろ)、佐賀県有田の泉山(いずみやま)などがあります。そのほかに石川県の服部(はっとり)、愛媛県伊予郡の砥部(とべ)、兵庫県豊岡市の出石(いずし)などもあります。

 天草に産出する「天草陶石」は、2003年の年間の出荷量は3万トンで、全国の陶石生産量の8割を占めているそうです。天草陶石は有田焼、波佐見焼、清水焼等の陶磁器の原料となり、また、高圧送電用の碍子(がいし)になるそうです。天草陶石は国内の他に台湾や韓国等に輸出もされているようです。

 磁器の大きな特徴は、水を吸わない器である(吸水性がない)ことです。その特徴を出すために、磁器は900度くらいで一度「素焼き」をします。この素焼きで素地に含まれる水分と不純物が焼き飛びます。でも、この状態では不純物が飛んだ隙間から水漏れがするので、この粒子の隙間を埋めるのに「釉薬」(ゆうやく、うわぐすり、珪石や長石などガラス化する成分を含んでいる)を塗って、1200度前後で「本焼き」をします。

 釉薬をかけて焼く(「本焼き」)と、(1)水が漏らないようになる、(2)汚れが付きにくくなる、(3)様々な色を出せることになります。釉薬は、(1)長石、粘土、珪石などのガラス質を作る成分、(2)ソーダ、カリ、石灰など熔ける温度を調整する成分、(3)鉄、銅、マンガン、コバルトなどの色をつける成分からなります。

 「ものづくり工房」の展示

 磁器の製造工程を単純化すると、成形工程→施釉工程→焼成工程となります。しかし、成形された粘土を乾燥させずに焼くと粘土中に含まれている水分が水蒸気になって体積を大きく増しますから、砕けてしまいます。そこで、十分に乾燥させる必要があります。成形工程の後に乾燥工程が入ります。さらに、結晶中の結晶水も焼成工程で放出されるので、粘土は大幅に収縮します。そこで、施釉工程の前に粘土を焼き縮める必要があります。これを素焼工程と言います。



 「陶石」から始めると、成形工程→乾燥工程→素焼工程→施釉工程→本焼成工程となります。絵付工程を除いてありますが、下絵付工程が素焼工程の後に、上絵工程が本焼成工程の後に入ります。その場合、上絵工程の後に2次焼成工程が必要になります。成形工程→乾燥工程→素焼工程→下絵付工程→施釉工程→本焼成工程→上絵工程→2次焼成工程、となるわけですね。



 焼成工程には「窯」が使われます。日本六古窯の一つ「常滑」は、かつては「土管の町」として知られ、多くの窯が焚かれていました。常滑の土管は、素焼の土管ではなく、真焼(まやけ)の土管でした。真焼とは通常より高温で焼き締められることを言います。強度があり、水漏れしません。「連房式登窯」を採用したことで、窯の中の温度分布が均一になり、従来の「大窯」のように燃焼室寄りに置かれたものは「真焼」になるが、奥の煙道寄りのものは温度が上がらず「赤物(あかもの、不十分な焼成のため軟らかい)」ということがなくなったのです。「INAXライブミュージアム」は広い敷地の中にいくつかの建物から構成され、「窯のある広場・資料館」はれんが造りの大煙突、そして窯とそれを納める建物からなります。煙突と窯を含む建物は往時のたたずまいを残す数少ないものの一つとして、1997年、国の登録有形文化財に指定されています。

 「窯のある広場・資料館」の中にあるこの窯は1921年(大正10年)に築かれ、土管や焼酎瓶、クリンカータイルが製造されていました。「両面焚(りょうめんだき)倒焔式(とうえんしき)角窯(かくがま)」という長い様式のこの窯は、焚口が片面7か所、両面合計14か所あります。「両面焚」という理由がここにあります。

 「両面焚倒焔式角窯」の内部

 「登り窯」は階段に「板付きかまぼこ」を数個並べたような形をしていますが、この窯は、巨大な1個の「板付きかまぼこ」です。「倒焔式角窯」は、通称「石炭窯」と呼ばれ、石炭を燃料とします。薪よりも安価な石炭を燃料とでき、坂を昇り降りする「登り窯」の重労働から開放されます。窯入れ(窯詰め) 1日、焼成 3~4日間、冷却 10日間、窯出し 1日。この各工程の所要期間を合計した最短サイクルは、15日だったようです。

 「両面焚倒焔式角窯」の外観

 我が子「健人」が籤(くじ)に外れて第3希望で入ることになった「やきものクラブ」ではどんなことをするのでしょうか。まさか「オーブン粘土」で作るなんてことはないでしょうね。オーブン粘土(ポリマークレイ、オーブンクレイ)とは、陶土とプラスチックが主成分の粘土です。成形したオーブン粘土を家庭用のオーブンで約130℃で20~30分程度焼くと固まります。焼き固めた後でも、削ったり、さらに上からオーブン粘土を付け足したりできます。しかし、日常的に使用するお茶碗や湯飲み、100度以上の食品をのせるお皿などはこれでは作れません。



 常滑西小学校の生徒は全員、「やきものクラブ」に所属しているかのようです。校舎敷地の外周にずらっと「陶彫」が並んでいます。

「常西小児童、陶彫を飾る」(2006年11月27日)
 常滑西小学校の児童が、常滑焼の彫刻「陶彫」を校舎敷地の外周に設置し、通り行く人達を楽しませています。これは、地元の陶彫会メンバーの指導により児童が製作し、陶業試作訓練所で焼成したもの。児童らは、この日、自らの作品を接着剤で取り付けました。常滑西小学校に近い中央商店街では、「陶彫のある街づくり」が進められており、この一帯では、新たな魅力が増えることになりました。
 (「常滑市役所ニュース」から)

 「陶彫のある風景」

 天職を見つけるのに何がきっかけになるかは分かりません。将来、陶芸家として大成したならば、「小学校のとき、クラブ選びで籤に2度も外れたことがこの道に入るきっかけになったんですよ。」などとインタビューで語ることになるのでしょうか。未来を見ているようで面白いですね。

 でも、そんなことになる可能性は極めて小さいでしょう。健人が陶芸教室で作ったマグカップは成形の後にもいろいろな工程があるため5月にならないと我が家に届きませんが、届いても無事にコーヒーが飲めるかどうか不安です。そんな技量ですから、我が家の歴史の中では今回の名古屋の旅は忘れ去られていきそうです。

 作陶中

(参考) 「名古屋へ」-常滑の「陶芸教室」で我が子の才能を知ったかな。

      (この項 健人のパパ)

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 常滑の「やきもの散歩道」は、東西に走る2本の道路と南北に走る2本の道路に囲まれた丘陵地を通っています。『「やきもの散歩道」には、焼き物の町らしい雰囲気が残っており、他の地域には見られない特徴的な町並みを味わ』(「常滑市民の作る常滑のホームページ」から)えます。




 やきもの散歩道は、細い坂道がうねうねと上ったり下ったりと続きます。分かれ道も数多くあり、まるで迷路のようです。でも、道に迷うことはありません。分かれ道には案内標識が立てられています。それに従えば、まず迷うことはないでしょう。常滑駅の観光案内所や陶磁器会館で「観光地図」をもらうとさらにいいのかも知れません。とても詳しく分かりやすく書かれています。常滑の町の人たちのホスピタリティーが伝わってきます。

 常滑市陶磁器会館

 「常滑市陶磁器会館」から始まる「やきもの散歩道」は坂道が多いのですが、これは、昔は窯を築くのに斜面を利用したことから、この丘陵地に焼き物の工場(こうば)が多く集まったのだそうです。

 廻船問屋 瀧田家

 江戸時代から明治時代前期にかけて、常滑は尾州廻船(尾張国内に船籍がある船)の港町であって、常滑焼や味噌などを江戸に運び出し、味噌醸造の原料の大豆、小麦、米などを運び込んでいました。ここ瀧田家は江戸時代、廻船問屋でした。しかし、19世紀末には、蒸気船や鉄道が発達し、経済機構が変化して、尾州廻船はほぼその役割を終えます。瀧田家は木綿問屋に転進し、1883年(明治16)には廻船業から撤退しています。

 土管坂

 「鯉江方寿(こいえほうじゅ)」は、1821年(文政 4)に常滑村の焼き物作りの家に生まれます。1872年(明治 5)に鉄道の工事現場を視察して、陶管(地中に埋める土管)の製造を思い立ちます。ソケット式陶管の製法を開発し,大量受注に成功し、京阪鉄道の敷設に使用されます。また、明治維新を迎え、大都市の下水道工事や鉄道敷設で大量の土管が必要だったことから、真焼(まやけ)と呼ばれる通常より高温で焼き締めた材質で、強度があり、水漏れしない土管を作り出します。常滑は土管の生産で空前の活況を呈することになります。(「愛知エースネット」の「鯉江方寿」の項目と「窯のある広場・資料館」の「常滑の土管」の項目から)

 鯉江方寿の陶像

 「鯉江方寿」が常滑の町を見下ろしています。ただ、観光客は私たち以外に誰もいませんでした。やきもの散歩道から外れているからでしょうか。

 国指定重要有形文化財「登窯」

 きょうの予定は、(1)登り窯を見て、(2)INAXライブミュージアムに行って、(3)陶芸教室に参加することです。登り窯(「陶栄窯(とうえいよう)」)にやって来ました。さっそく案内板を読んでみましょう。

常滑の登窯は江戸時代、天保5年(1834)の鯉江方寿の父、方救が真焼け物を効率よく生産する為に導入したのが始まりといわれています。江戸期の主流であった鉄砲窯(大窯)では、真焼け物を効率よく生産することが難しいため登窯の導入は画期的な出来事でした。



この陶栄窯は明治20年に建築願いが愛知県知事に出されており、その頃に築かれた窯であることがわかりました。当初の窯は、薪や松葉で窯を焚いていましたが、明治30年代の後半になると第一室目の焼成に石炭が使われるようになり、折衷式と呼ばれる登窯が常滑では一般的になってきました。

 登り窯 出入口

陶栄窯も、その頃に折衷式登窯になったと推定されます。従って現在残っている窯は、明治末期の姿をとどめていることになります。約20度の傾斜地に八つの焼成室を連ねた陶栄窯は、全長22M、最大幅9.6M、大天井高3.1Mと大型の登窯の部類に属しますが明治末期の常滑では、このような登窯が60基ほどもあったと記録されています。

 登り窯 煙突

その後、常滑では石炭窯が一般的となり登窯の数は休息に減り現在ではこの陶栄窯が残るだけとなりました。そして、この窯も昭和46年1月の窯出しを最後に操業を停止し昭和57年に重要有形民俗文化財として指定され保存されることになりました。

 登り窯 焚口

 ある陶芸家が修行時代を回顧してこのように書いています。 「窯詰めで5日ほど、焙りに2日、6部屋の攻め焚きに丸一日。窯だしまでの冷ましが3日。」「当然交代で窯の番をするわけだが、我々若い衆には攻め焚きはできないから焙りの2日間を任される。焚き火のようにチロチロと燃やし始める最初から、その焚き口が大火事にでもなりそうなほどの勢いになる2日後まで交代で火の番をする。

 登り窯 各室

そのあとは丸一日六つの部屋の攻め焚きだから、もうヘロヘロなのだが一部屋づつ交代で焚き上げる職人さんのサポートをしなくてはならない。一部屋で大体4時間。、、、」 大変な仕事をして、陶磁器が出来上がるわけです。それを知っておく必要があります。我が子「健人」はやきものクラブで多分「電気窯」を使って焼くのでしょうから、この苦労を知らないままなのでしょう。

 電気窯(日本電産シンポ製)

 夫が健人に「登り窯」を見せたくて、「名古屋」の旅行を計画し、「常滑」までやって来たのですが、健人はあまり興味を示しませんでした。学校のクラブで焼き物作りを経験してからの方がよかったのでは?

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 名鉄「常滑」駅

 「常滑市」は、「名古屋市」の南にあり、西側を伊勢湾に面しています。伊勢湾の海上埋立地に「中部国際空港」があります。窯業(ようぎょう)が主要な伝統産業で、「常滑焼(とこなめやき)」は瀬戸、越前、信楽(しがらき)、丹波、備前と並び「六古窯」の一つとされ、中でも常滑は最も古く最大の規模なのだそうです。「名鉄名古屋」駅から「常滑」駅へは名鉄の急行で40分ほどの距離にあります。

 常滑招き猫通り

 常滑駅から東の陶磁器会館(「やきもの散歩道」出発点)へ向かう坂道で、招き猫がたくさん出迎えてくれます。「無病息災」「難関突破」「交通安全」「開運招福」「心願成就」「学業成就」「航空安全」「晴天祈願」「五穀豊穣」「地震息災」「合格祈願」「武芸上達」「家内安全」、、などかなりの数があります。

 「子育て」

 夫は、「子育て」のこの余裕の笑みで子供を育てたいものだと言いましたが、2人とも下の子「健人」の子育てには苦労しています。上の子「優也」は言うことをよく聞き、丈夫な育てやすい子でした。それなのに、「健人」は言うことは聞かない、病気はよくする子です。陶芸作家が丹精込めて作った「御利益(ごりやく)招き猫」は「効果覿面(こうかてきめん)」なのだそうですから、これからは楽になるのでしょうか。

 「まるふく」

 この「常滑招き猫通り」を辿り、「陶磁器会館」の前で信号を斜め方向に渡り、さらに直進をして坂を上り、そして下ると「とこなめ焼 まるふく」が見えてきます。

 陶芸教室

まるふく2階の「遊工房」では陶芸教室が行われています。予約が要らないことと、「手びねりコース」で1,500円という良心的な料金なので、健人に参加させました。

 粘土

 「手びねりコース」では、手回しロクロを使って、湯のみ、置物、灰皿、花器などが作れます。健人はマグカップ作りです。この手前に置かれた粘土の塊、クリームが塗られる前にパウンドケーキのような形をしていますね。これを加工して、カップの形にしていきます。奥に置かれているのは、すでにお椀を伏せたように加工した粘土です。底が見えています。

 マグカップの参考例

 健人はここまではまともにできました。これをさらに手回しロクロの上で参考例のように加工していきます。カップの厚さを薄く、そして底を深くしていくのです。厚さを均一にするために粘土を指で伸ばしていくのは、それなりの技術が要ります。ロクロを回転させながらの作業ですから、脇をしっかり締めて行う必要がありそうです。

 作陶中

 でも、健人の作品はなんともすごいもの。これでコーヒーを飲めるのでしょうか。でこぼこです。取っ手をつけているところですが、コーヒーを飲もうとして、突然取っ手が取れてしまうということはないかしら。

 乾燥中の作品

 子供さんの作られるものはそんなものですよと慰められましたが、乾燥中の作品を見るとまともなものがほとんど。ここに並んでいるのは、大人が作ったものと理解しておきましょう。健人は、新5年生のクラブは「やきものクラブ」です。すこし鍛えてもらわなくちゃ。

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きょう〈2009年3月30日、月曜日)は予定を変更して、「常滑(とこなめ)」にやって来ました。「常滑」は陶磁器で有名な地域で、日本六古窯の一つで、「招き猫」(右手を挙げている猫は「金運」を招き、左手を挙げている猫は「客」を招くとされる)の一大産地でもあります。瀬戸焼(愛知県瀬戸市)、常滑焼(愛知県常滑市)、越前焼(福井県丹生郡越前町) 、信楽焼(滋賀県甲賀市)、丹波立杭焼(兵庫県篠山市今田町立杭)、備前焼(岡山県備前市伊部)の6つの窯を「六古窯」と呼び、中世に始まった生産が現在まで続いています。

 常滑市陶磁器会館にて

(参考) 「名古屋へ」-窯を見に行くのは「瀬戸」なの? 「常滑」なの?

実は、前日(3月29日、日曜日)に同じ六古窯の一つ「瀬戸」に行って「愛知県立陶磁器会館」を見学する予定だったのですが、我が子「健人」が午前中のみの予定の「産業技術記念館」に夢中になってしまい、見学が午後に割り込んでしまいました。渋る健人をなんとか説得して、一応「リニモ 」(磁気浮上式の鉄道で、名古屋市の「藤が丘」駅から豊田市の「八草」駅までを結んでいます)に乗って「陶磁資料館南」駅で降り、徒歩で20分ほどかかる「愛知県陶磁資料館」本館の前までやっては来ました。



しかし、すでに閉館時間(入館終了時間は、午後4時)を過ぎていました。今回の「名古屋」への旅のテーマは、自動車産業と繊維産業と窯業(ようぎょう)。中学の「地理」で名古屋を含む中京地域の特色となる産業です。それを文字面でなく、体験させようというのです。「産業技術記念館」の「繊維機械館」で「繊維産業」(繊維機械がたくさん並んでいて、そこに健人が予想外に熱中していました)を、そして「自動車館」(自動車のオモチャの組み立てができるので、健人はトヨダAA型乗用車と初代プリウスを組み立てました)で「自動車産業」についてはクリアしたことになります。

残るは「窯業」。この3つを1日でこなしてしまって、後は、私のテーマ「食べ歩き」に時間を割きたいと考えていたのですが、見事に失敗。翌日は月曜日なので、多くの公共施設は休館。ここ陶磁資料館も月曜日は休館日。そこで、せっかく来たのだから、瀬戸の他の施設の見学をと考えたのですが、そもそも「愛知県陶磁資料館」は猿投窯(さなげよう)のあった地に建てられたもので、周辺には何もありません。「瀬戸焼」ならば、「名古屋」駅→(JR中央本線)→「大曽根」→(名鉄瀬戸線)→「尾張瀬戸」というアクセス(所要時間40~50分)をすべきでした。

そこで、代案の「常滑」が浮上。「常滑」にある「INAXライブミュージアム」は休日は第3水曜日の月1回のみ。翌日の月曜日でも入館できます。「常滑」は名鉄名古屋本線(「神宮前」駅からは「常滑線」という)で「名鉄名古屋」駅から「常滑」駅へ急行で40分ほどの距離にあります。「INAXライブミュージアム」は常滑駅からさらに徒歩で30分ほどかかるところにあります。



歩くのが嫌だったら、知多バスの常滑線「知多半田駅」行きに乗り(土・日・祝日なら観光循環「とことこバス」で)、「INAXライブミュージアム前」で下車するという方法もありますが、それはもったいない。常滑に行ったら、「やきもの散歩道」を辿らなくてはいけません。「INAXライブミュージアム」へ行くまでが「町ぐるみ美術館」なのです。

ポストの上で猫の郵便屋さんが笑っていたり、



塀の上で小人さんが「おっ、よく来たね。」と挨拶してくれたり、



(主に地中で生活する「ノーム(Gnome)」が私たちを迎えるために、塀に座っていてくれます。手先が器用で知性が高いので、ここ常滑でなにか素晴らしい細工品を作っているのでしょうか。)

川のそばで、河童さんが「沼が池と違うのは、河童がいるからだよ。」と冗談を言ったり、



蛙が銭をくわえて、飛び跳ねていたり、、、



この「三脚蟾蜍(さんきゃくせんじょ)」は、中国の古代神話の中に出てくる月に住むという三本足の蟇蛙(ヒキガエル)です。事務所や店舗の入口に置くと、財運や商売運が上向くと言われています。蛙をなでてあげると、喜んで財を集めてくるのだそうです。不気味な様子にたじろがずに撫でてくればよかったかな。

前振りが長くなってしまったので、「やきもの散歩道」と「INAXライブミュージアム」の詳しい話は、次回に持越しです。

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今回の「名古屋」への旅の1泊めは「JR東海バス」の高速バス「青春ドリームなごや1号」で車中泊でした。「東京駅」八重洲南口JRハイウェイバスのりばを22時10分に出た「青春ドリームなごや1号」は、「名古屋駅」桜通口JRハイウェイバスのりばに6時30分頃、到着しました。移動しながらの宿泊ですから、日程を多く取れない場合にいい方法です。名古屋初日のきょう(3月28日)に予定していることは、我が子「健人」は「名古屋市科学館」に1日いて、私たちは「大須」の町の見学と「コメ兵」でのお買い物。でも、いくらなんでもこの時間では、早すぎる。




そこで考えたのが、名古屋市科学館に近いところにホテルを取ることでした。チェックインの時間まで、レセプションに荷物を預け、名古屋市科学館の開館時間(9時30分)近くまでロビーにいることができます。伏見周辺には、「ヒルトン名古屋」(中区栄1-3-3、シティホテル)、「名古屋観光ホテル」(中区錦1-19-30、シティホテル)、「リッチモンドホテル名古屋納屋橋」(中区栄1-2-7)、「ハミルトンホテル」(中区栄2-7-5、ビジネスホテル)、「ハミルトンホテルアネックス」(中区栄1-11-17、ビジネスホテル)などがあります。

 ヒルトン名古屋

選択したのは、名古屋市中心部を東西に走る「広小路通」に面し、「広小路中ノ町(ひろこうじなかのちょう)」の交差点のところにある「ヒルトン名古屋」。海外旅行に行く際に前泊あるいは後泊して車を預けておくホテルとして成田で利用するのはここ数年「ヒルトン成田」なので、利用しやすいのではないかと考えたのです。荷物を預け、ホテル内で2時間ほど時間をつぶして、「白川公園」内にある名古屋市科学館に向かいました。

名古屋市科学館」は「天文館」(1962年開館)、「理工館」(1964年開館)、「生命館」(1989年開館)の3館からなりますが、天文館と理工館の2館は、建物や設備の老朽化で、2010年秋から約5カ月間閉館され、新たに建てられる新館内に展示物が移動する予定なのだそうです。科学館のテーマは「みて、ふれて、たしかめて」だそうで、14フロアある展示室で展示物に実際に触れて体験できるものがあり、実験なども1日数回行われるようです。1日嵌っていてくれると私たちに時間ができるのでうれしいのですが、、、

 科学館の入り口付近

白川公園の南の縁に接して南北に走る「若宮大通」を渡って、「大須観音」にやって来ました。浅草観音(金龍山浅草寺)、津観音(恵日山観音寺)、そして大須観音(北野山真福寺)の3つを「三大観音」というのだそうで、観音さまは、あらゆる人を救い、人々のあらゆる願いをかなえるということから広く信仰の対象となっています。

 大須観音

大須観音の境内では、毎月18日、28日には「大須観音骨董市」が開催されています。それを知らずにたまたま出くわしました。人によってはとても幸運なことなのでしょうが、骨董に興味がない私たち二人。猫に小判、豚に真珠、夫に骨董、、、

 大須商店街

でも、大須観音通、万松寺(ばんしょうじ)通、新天地通、東仁王門通、仁王門通、門前町通、大須本通とアーケードのある商店街をぶらりみて歩くのは面白かった。この「大須商店街」にある「コメ兵」は私たちには期待外れだったけれどね。

(参考) 「名古屋へ」-「コメ兵(こめひょう)」にキッズのリサイクル品は

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