2月3日配信の「フジサンケイ ビジネスアイ」の記事によると、「エアアジア・ジャパン」が国土交通省から航空法に基づく航空事業許可を取得したそうです。エアアジア・ジャパンは、2012年10月に「ソウル(仁川)」、「釜山」への乗り入れを予定しています。航空運賃は5月に発表されるようですが、大手の航空会社の2分の1から3分の1ほどに設定されるようです。
(2012年10月15日配信のエアアジアからのメールの画像)
(追記) 2012年10月10日、エアアジアは「成田-仁川線」を10月28日から運航すると発表し、片道運賃の最安値を6,980円と大手航空会社の半額以下に設定しました。「成田-釜山線」は11月28日を予定してるようです。
LCCの運賃は予約時期や出発時間などで大きく変動し、「成田-仁川線」は6,980円~2万9,980円で、それに荷物1個を預け、座席指定をしたときの諸費用3,000円ほどを加えるとおよそ1万円から3万3,000円ほどになります。大手航空会社の1万8,000円から2万円前後~と比べると、およそ半額ほどだといえます。(追記 終わり)
韓国に出かけるときには独り旅が多く、夫と息子はお留守番です。夫に一緒に行くように誘うのですが、「そのコストをかけて出かけるほど関心が持てなくてね」と断られてしまいます。でも、地図に強い夫を連れて行った方が食べ歩きに便利ですし、少食な私はひとりでは食べ切れないので、食べたい物をいろいろと注文することができません。高速バス並で韓国に行けるならば、コスト意識の強い夫も「これならば行こう!」と言うかと思うとうきうきします。
運賃はいくらに設定されるのでしょうか。エアアジア・ジャパンは、ANAとエアアジア(AirAsia)が共同で出資し、2011年8月に設立された日本の格安航空会社 (LCC、Low Cost Carrier) です。LCC(Low Cost Carrier、ローコストキャリア)は、効率的な運営をすることで、コストを低く抑え、低価格で運賃を提供する航空会社です。代表的なものに、アメリカのサウスウエスト航空 、イギリスのイージージェット 、マレーシアのエアアジア などがあります。
LCCは、(1) 航空機の機種の統一(パイロットの教育にかける費用を抑えることができる。航空機の免許は機種ごとに必要なのだが、機種を統一すれば、教育費用が少なくて済む。整備士についても同様なことが言える)、(2) 空港施設使用料の抑制(航空会社は空港に対して、着陸料や停留料、手荷物取り扱い施設使用料、旅客搭乗橋施設使用料(搭乗橋を利用しなければ、支払う必要はない)などを支払う。この使用料の安いLCC専用ターミナルを利用したり、都市圏の基幹空港(プライマリー空港)ではなく大都市周辺の2次的空港(セカンダリー空港)を利用する)、(3) 機内食などのサービスの有料化、(4) インターネットを利用した航空券の直接販売、などで格安運賃を実現しています。
関西国際空港では、航空機の最大離陸重量1トン当たり2,300円が着陸料として必要で、例えば、最大離陸重量(Maximum Takeoff Weight、MTOW)276トンのボーイング777の1回あたりの着陸料は、2,300(円/トン)×276(トン)=634,800円になります。また、離着陸等施設を6時間以上使用して停留する場合、その停留時間24時間ごとに、1トン当たり200円が停留料として必要で、例えば、ボーイング777が6~24時間停留すると、200(円/トン)×276(トン)=55,200円になります。乗客を300人~400人とすると、着陸料と停留料だけで、1人当たり(満席として)1,700円から2,300円かかることになります。これに燃料費などが加わります。
航空会社の採算性を示す指数に「ユニットコスト(unit cost、単価)」があります。総コストを座席キロ(1席を1キロ運ぶ)で割ったものをユニットコストといい、それが低いほど、航空運賃を低く設定できます。ユニットコストは、JALやANAで15円、ルフトハンザで13円です。シンガポール航空、アメリカン航空、スカイマークで7円~9円です。ところが、LCCである「サウスウエスト航空(Southwest Airlines) 」で5円、「ライアンエア(Ryanair) 」で3円、「エアアジア(AirAsia) 」で2.5円ほどなのだそうです。このデータを信用すると、エアアジアはANAの6分の1のコストで飛行機を飛ばしていることになります。成田-釜山間を1,000kmほどとすると、エアアジアでは1人当たり2,500円ほどが総コストとしてかかることになります。
(注) LCCは航空機を空港に停留させる時間を減らし、経費節減を図っています。同じ経路を行ったり来たりするシャトルバスだと考えればいいでしょう。それも着くとすぐにとんぼ返りをするバスです。道路が渋滞するとスケジュール通りに運行することが難しくなります。成田空港は航空機の離発着回数に比して滑走路の少ない空港で、航空機の混雑する空港です。生じた遅延が徐々に累積していきます。
2012年8月に国内線での運航を始めたエアアジア・ジャパンは、予定時刻の15分以内に出発した便数の割合が8月が40%前後、9月が60%前後だったようです。これを大手航空会社の日本航空と比較してみましょう。日本航空は90%以上と比較になりません。日本航空は余裕を持ったスケジュールで運航しているからです。当然コストもかかりますから、LCCと比べると航空運賃は割高になります。
以前、シンガポールからタイ(昔のドンムアン空港)に飛んだとき、1時間以上着陸が遅れ、迎えを頼んでいたホテル手配の車の運転手のご機嫌を大きく損ねたということがありました。それからというもの、LCCの最終便を利用することは控えています。遅延はまだしも、欠航になるというリスクも大いにあるのです。(注 終わり)
今までエアアジアで、シンガポール、マレーシア、ベトナム、バリなどに飛び、韓国には、エアプサンを利用しましたが、成田-釜山は、一日一便往復であり、スケジュールがあまり有利でない(午後に成田を発ち、午前に釜山を発たなければならない)ので、不便だと感じていました。しかし、これからはこの秋に就航予定のエアアジアを利用して度々韓国に食べ歩きに行けそうです。最近、鍋などの下味に使っている韓国の化学調味料無添加のダシの買出しも気軽に行けそうです。
(参考) 「LCC(格安航空会社)の「エアプサン(Air Busan)」で釜山の旅へ。 」
エアアジア・ジャパンの岩片和行社長は、「成田という基本的にコストの高いところで始めるが、きちんとコストを下げて、バスのように使ってもらえるよう取り組んでいきたい」と述べ、成田国際空港株式会社と「着陸料」の引き下げ交渉を進めるなど、就航に向けて準備作業を本格化させる考えを明らかにしたようです。
夫が納得するような運賃であることを期待しています。
(記事は、2月の最初に書いたのですが、いつも夫の「検証」(記事をより正確にするためなのだそうです)を受けなければならず、息子「健人」の通っている中学校の広報紙を発行する広報委員になった夫は忙しかったらしく、検証が進まず、なかなか「公開する」という扱いにはならず、そのうちインフルエンザの流行が始まり、インフルエンザの記事を「健人のパパ」というハンドルネームで書いている夫はそちらの方に気が行ってしまったようで、インフルエンザのピークも過ぎようとしているので、ようやく公開ということになりました。厄介な夫を持ったものです)
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2011年7月21日配信の「聯合ニュース」によると、韓国の格安航空会社(LCC、Low Cost Carrier)である「済州航空 、제주항공 (濟州航空)」(2006年6月に国内線を就航)は、2009年3月に国際線に進出し、その27か月後の2011年7月21日に国際線の累積搭乗客数が100万人を超えたと発表しました。
日本路線では、仁川~大阪、仁川~北九州が運航しており、国際線の搭乗客数は日本路線が64.3%を占めるのだそうです(東南アジア路線(仁川-バンコク間、仁川-マニラ間、釜山-セブ間)が28.8%、香港路線(仁川-香港間)が6.9%)。27か月で64万人ほどが日韓間を済州航空(チェジュ航空)で往来したことになります。
韓国の格安航空会社には「エアプサン (Air Busan、에어부산) 」もあります。同じ「聯合ニュース」が2011年7月25日に配信した記事によると、エアプサンの搭乗者数が500万人を突破したといいます。2008年10月に釜山-金浦間で就航を開始したエアプサンは、32か月で累積搭乗客数(国内線と国際線の合計)が500万人を突破(就航1,000日という最短期間で韓国国内航空会社にあって500万搭乗記録を達成)したことになります。7月25日午前出発の釜山-成田線に搭乗した500万人目の乗客には国際線航空券が贈呈されたそうです。エアプサンは、8月20日までホームページを通じて、「500万搭乗客達成記念キャンペーン 」を行っています。
最近、韓国に出かけましたが、2度とも利用したのはエアプサンでした。かなり昔、1995年にソウルに行き、1996年にはソウル→プサン→福岡→プサン→キョンジュ→プサンと巡りました。このときに利用したのは「大韓航空」でした。それから、10年以上韓国へ行くことはなかったのですが、LCCの誕生で国内旅行よりもコストを抑えて旅行できる韓国は旅好きの私に大変魅力的なものとなっていました。
2010年11月にひとりでプサンへ行きました。このときは関東に住む私は仕事を終えて夜行バスで大阪に移動し、関西国際空港からプサンへ。帰りも関空から夜行バスで戻り、そのまま仕事へ。プサンに手軽に格安で行ける関西の方がうらやましいと思いました。エアプサンは、このときは「成田-釜山線」が就航していなかったのです。2011年6月、成田-釜山線の就航を知って、早速利用しました。
(参考)「LCC(格安航空会社)の「エアプサン(Air Busan)」で釜山の旅へ 」
個人旅行で行く「韓国旅行」が手軽に格安になったので、今度は家族で11月に、またプサン(釜山)に行こうと計画中です。利用する航空会社はエアプサンがいいと夫にも話しているところ。LCCは料金設定が同一路線でも予約を取る時期(早めに予約すると安いことがある)、乗る便(同じ日でも乗る時間帯によって料金が異なることがあるし、同じ週でも乗る曜日によって料金が異なることがある)、キャンペーン料金などでいろいろなので、格安な料金でフライトが出来ればうれしいのですが、、、
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外国語を学ぶとき、必要になるものに辞典があります。日本人の英語学習者には「英和辞典」が、中国語学習者には「中日辞典」が、そして、韓国語学習者には「韓日辞典」が必要になります。その語彙の並びは、「英和辞典」や「中日辞典」などは、アルファベット順なのですが、「韓日辞典」は、「カナタラ(가나다라 )」の順です。これを覚えておかなければ、辞書をひくのに大変な時間がかかってしまいます。
しかし、「カナタラ」の順を覚えてしまえば、「中日辞典」より時間はかかりません。中国語では読みのわからない漢字が出てきたときは、「漢和辞典」を引くように「部首」で引いたり、「画数」で引くという手間が必要ですが(これは「漢字」が表音文字ではなく表意文字であるため)、表音文字であるハングルで語彙を並べてある「韓日辞典」は、すばやく引けます。
日本語の「あかさたな、、、」にあたる韓国語の「カナタラ、、、」は、「きらきら星」のリズムで、♪カナタラマパサ アジャチャカタパハ(가,나,다,라,마,바,사,아,자,카,타,파,하 )と覚えることができます。「チャカタパハ(자,카,타,파,하 )」の部分は有気音が続きます。韓国語では、「チャ」は有気音を“cha”、無気音を“ja”、「カ」を“ka”と“ga”、「タ」を“ta”と“da”、「パ」を“pa”と“ba”で綴ります。
実際に「カナタラソング가나다라 송 )がどのような歌なのかは、このYouTubeの動画で聴くことができます。5分25秒ごろから、「キラキラ星」のリズムで「カナタラ」の歌が始まります。可愛らしい「呉教授(Professor Oh)」の授業は、幾度見ても飽きないですね。
(この項 健人のパパ)
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妻「また韓国の本買ってきたのね。そんなに買い込んで、読んでるの?忙しいのに。」
私「少しずつね。」
妻 「やっぱり韓国に行くつもり?」
私 「そうね。行きたいね。」
妻 「何しに?」
私 「まず、焼肉かな。本場でしょ?」
妻 「何が好きなの。」
私 「タン塩かな。」
妻 「あら、タン塩は日本のものよ。」
私 「タン塩は日本の発明なのか。」
妻 「焼肉自体が日本のものなのね。」
私 「え!」
そこで、調べてみました。情報は複数にあたって確認です。妻の言っていることを信じないわけではないのですが、念押しをしたいのです。「野村進」著、講談社刊(1996年)、「コリアン世界の旅」に見つけました。
日本の焼肉料理とは何だろうか。純然たる朝鮮料理と思われているが、本当にそうなのか。実際には、テーブルの上で肉を焼いて食べるというやり方が始まったのも、タン塩(清香園の張貞子の発案によるもので、「それまでもタンは焼肉に使っていたんですけど、どこの店もタレにつけて焼いていたんです。でも、ヨーロッパに旅行に行ったとき、レストランでタンをハムみたいに燥製にしたのが出てきたんですよ。それを見て、うちのタンを塩焼きにしたらどうかなあ、と。帰ってきて、塩焼きしたのをお酢と塩とレモンのタレにつける食べ方を考えたんです」)という人気メニューが生まれたのも、朝鮮半島ではなくここ日本の地でのことなのである。付け加えるなら、ユッケ(牛肉のたたき)に卵黄を載せて出したのも、生センマイ(牛の第三胃)を千切りにして酢醤油で食べさせたのも、日本でのことと言われている。韓国の焼肉店でもしタン塩が出てきたら、それは日本から逆輸入されたメニューなのだと思ってまちがいない。
「張貞子 (チャン・ジョンジャ)」 は、1919年にソウルの「張」家に生まれます。1950年、在日韓国大使館の初の政治顧問として駐日していた夫「金修史」のもとに、4人の子供を連れて来日します。1952年、まだ日本に韓国料理店がないころ、親戚の勧めで銀座に「清香園」を開店します。「分量や作り方を文にはできない、料理は自分の舌と身体で覚えるものだ」という信念から86歳になるまで「清香園」のレシピを紹介しなかった張氏も、2005年7月には、「ブックマン社」から「時の香り 清香園の韓国料理」という料理本を出版しています。
その本の記述によると、今日の韓国料理(한국 요리 )は、王や両班のための宮廷料理と、庶民の知恵が生んだ郷土料理の融合・発展したものなのだそうです。王朝時代、韓国の料理人は女性だったそうです。現代でも、名高いホテルの料理長は代々女性と決められているなど、韓国料理店の厨房では女性を多く見かけるそうです。張氏は、両班(양반 )の家系に生まれ、基本の調味料はすべて家庭で手作りしたものを使っていたそうです。韓国では上流家庭ほど薄味で、上品な仕上がりを好むそうです。
私「じゃ、韓国に焼肉はないの?」
妻「そんなことはないわよ。あるわよ。でも、別物ね。」
韓国で「焼肉」と言えば、普通は「プルコギ (불고기 )」を指す。ハングルで「火の肉」を意味するこの料理は、だが、日本の焼肉とは似て非なるものだ。韓国では、真ん中がこんもり盛り上がった鉄鍋に、タレをからませた肉をどさりと載せて焼く。この鍋は誇張するとスペインのソンブレロのような形で、流れ落ちてくる肉汁はソンブレロのつばのところで受け、肉を少しつけたり後でうどんを煮込んだりして食べる。日本の焼肉よりは、ジンギスカンに近い。
妻「プルコギを食べたんだけど、ジンギスカンみたいだったわよ。」
私「ジンギスカンは好きだから、いいね。」
妻 「むちゃくちゃ甘いのよ。好みじゃないと思うわよ。」
いま日本にある焼肉のスタイルを作り上げたのは、私は断言してよいと思うが、在日韓国・朝鮮人と帰化者たちなのである。食道園の社長で全国焼肉店経営者協会 (現在は、「事業協同組合 全国焼肉協会」)の会長も務める江崎政雄 (現在は、「叙々苑」の新井泰道氏)によれば、全国2万軒の焼肉店のおよそ9割が在日か帰化者とその子孫の経営ではないかという。「焼肉文化」というものがあるなら、それはとりもなおさず朝鮮半島から日本に来て住み着いた人々の文化なのである。
焼肉つながりで、「前川恵司」著、「PHP研究所」刊(1997年)、「なぜだ韓国 なるほど韓国」からも引用しておきます(一部省略)。
子どもたちがカルチャーショックを受けたのは、焼き肉屋に入った時のことだ。骨付きカルビ (갈비 、galbi、ばら肉のこと)を焼きはじめて、女店員が大きな裁縫ばさみをもってきて、肉をじょきじょき切りはじめた。食べやすい大きさにするためで、どの店でもやるサービスなのだが、そのときに、「食べごろですから切りますよ」とか、「失礼します」と一言、客に声をかけるでもない。
つっかけを引きずりながらやってきて、ぶっちょう面のまま裁縫ばさみを突き出し、焼けた肉を切りだす。いきなり、裁縫ばさみを目の前に突き出され、子どもは反射的に座ったまま後ずさりした。そのショックで食欲をなくし、もう肉に手をつけなかった。
アメリカの大学で勉強している25歳の韓国女性が教えてくれた。「 韓国社会は、職業への貴賤感が消えていない社会 だから、焼き肉屋の店員というだけで、学校も出してもらうことができない家に育った、という先入観で見られる。汚い仕事ときれいな仕事。頭を使う仕事と力仕事。職業への差別感が強いから、自虐的になってしまうのよ。」
のれんを下げて何代目を誇る気風は、韓国の商人道には薄い。店が繁盛して、金回りが良くなると、店ごと売ってしまうケースが多いのだ。その金で、お抱え運転手をアゴで使うような、もっときれいな「事業」にのり出してこそ、偉くなったといえるのだ。じいさんのころからの小商いを、手堅く続けているなどということは、「うだつの上がらないやつらだ」と見られ、むしろ馬鹿にされてしまう。
極論すれば、誰もが力あるものを至上のものとしている。だから、財閥 (재벌 )があって商人がいない。巨大なモールのようなショッピングビルやデパートはたくさんある。その他は、露天や屋台、それにアパートの下の店、あとはアーケードも何もない市場 (시장 )がふつうだ。日本のような華やかな商店街は少ない。
この記述に従うと、料理店の老舗などというのはないのだから、この店に行くとハズレがない、という店はないことになります。最新の情報を手に入れて、中りをつけるしかないようです。そんなエネルギーは割きたくないから、これはわが妻「あみ」に任せることにしましょう。妻なら、ホテルの従業員や市場のおばちゃんに普通に話しかけて、活きのいい情報を手に入れるだろうから。
この店員の愛想の悪さで韓国人を責めることはできなさそうです。中国に関する本でも同じようなことを読んだことがありますし、ドイツに関する本でも読んだことがあります。ことによると、店員の愛想の悪いのが「グローバル・スタンダード」、「世界の常識」で、店員の愛想の良さが「ガラパゴス」、「日本の非常識」なのかも知れません。しかし、どの職業にもその技術の優秀なプロがいて、自信を持って生きており、周囲もまた世間も賞賛するという社会が悪いはずがありません。例えば、みなが社長では社会が動いてはいきませんし、社長になれなかった者が不満を抱いている社会では、社会全体がストレスを感じてしまいます。ひょっとすると、韓国が世界でも上位の自殺率を示すのはそのせいかも知れません。
もう一つ、韓国の作家「韓水山」著、徳間書店刊(1995年)、「隣の日本人」から引用してみます。
食文化の本質がこのように違うなかで、もう一つ明らかに違うのが食堂のありようである。
韓国でいつも羨ましそうに話されるのが、代を継いで商いをしている日本の食堂のことである。「食べ物の商い」に対する認識がかなり改まったとはいうものの、まだ韓国では「水商売」のように見下げて見る傾向がある。
味が評判となって客も絶えずに上々の商いをしていたかと思うと、さっさと転業してしまうのが韓国である。だからといって、代を継ぐ店もないわけではないが、だいたいにおいて食堂は店を開いたら、すぐ閉じるということを繰り返している。
また、どういうわけか韓国の食堂は、誰にでもできる商いになっている。転職した官吏も、会社をつぶした事業家も、やることが見つからなければ始めるのが食堂である。それで韓国の食堂はいつも「祝い鉢」を並べた「新装開店」が多い。
これでは、ガイド本を頼りに美味しい料理を食べさせてくれる店を訪ねることはできそうもありません。取材時と出版時とは時間的にかなりのギャップがありますから、取材者が美味しいと勧める店は私たちが訪れるときにはなくなっているかも知れません。最後の手段、「大衆は過たず」で、客の入りを覗いて判断しましょうか。妻は言っています。「私の鼻に任せなさい。美味しい店は美味しい匂いがするの。私の鼻は嘘をつかないの。」 はい、お任せします。
(この項 健人のパパ)
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2009年8月に在米韓国人(イリノイ工科大卒業で、IT関連会社勤務)と極秘結婚したことで話題になった韓国女優のイ・ヨンエさん(이영애 、李 英愛)にお子さんが誕生予定なのだそうです。おめでとうございます。彼女の所属事務所が7月23日に明らかにしました。2005年7月に公開された映画「親切なクムジャさん(親切(친절)한 金子氏(금자씨) )」でクムジャ役を演じた後に、女優としての活動を休止し、入籍後の2009年9月に漢陽大学演劇映画科大学院の博士課程に入学し、学業に専念してきたイ・ヨンエさんは、日本では「宮廷女官チャングムの誓い」のヒロイン役で知られています。
韓国の民放局「MBC(文化放送(문화방송 、ムナバンngソン))」が2003年9月から2004年3月まで半年間放送した韓国ドラマ「宮廷女官チャングムの誓い、原題:大長今(대장금 、テジャングム)」」は日本では幾度かNHK-BS2で放送されていますが、最近では2007年1月から2008年2月まで放送されました。いまGyaO! ”では、毎週3話ずつ無料視聴ができます。
「反正(반정 、パンジョンng)」という言葉があります。「正しい道へ反す」こと、「正しい状態に戻す」ことをいいます。1506年(燕山君12年)9月2日に起った「中宗反正(중종반정 、チュンngジョンngバンジョンng)」は、暴虐な君主であった「燕山君(연산군 、ヨンサングン)」を追放した出来事です。このときに、「任士洪(임사홍 、イム・サホンng)」は反乱軍(反正軍)に誅殺されています。
任士洪は、朝鮮王朝第9代君主「成宗(성종 、ソンngジョンng)」の在位期間には閑職に甘んじていましたが、第10代国主「燕山君」が即位すると、息子「任崇載」のつてで、位を上げます。側近となった任士供は、権力の掌握を狙って、燕山君に生母尹氏の死去(強要されて服毒自殺、1482年)の経緯を先王「成宗」によって口外を禁じられていたにもかかわらず告げます。亡き母の遺品を見せられた燕山君は激怒し、母の死にかかわった関係者の処罰を命じます。多くの要人が死刑や流刑に処されることになります。1504年(燕山君10年)のこの出来事を「甲子士禍(갑자사화 、カッチャサファ)」といいます。
成宗の側近であった「朴元宗(박원종 、パク・ウォンジョン)」は、燕山君の治世のときにも位階を上げて行きますが、姉の死に関して、燕山君を恨むようになります。燕山君に左遷されていた「成希顔(성희안 、ソンng・ヒアン)」や「柳順汀(유순정 、ユ・スンジョンng)」を誘い、クーデターを起こします。このクーデターは成功し、燕山君は廃位・追放され、燕山君の異母弟で18歳の「晋城大君(진성대군 、チンソンngデグン、中宗)」が即位し、後世「中宗反正」と呼ばれることになります。
反正軍(반정군)은 燕山君(연산군)을 밀어내고 晋城大君(진성대군)이 即位(즉위)하니 그가바로 中宗(중종)임금이다. (反乱軍は燕山君を追放し、晋城大君が即位し、彼は中宗となった。)
この「中宗反正」が「宮廷女官チャングムの誓い」第3話の背景となっています。上記の文言は、ドラマの中で、字幕として表示されます。
「禁軍」とは、王の住む所「禁中(禁裏)」を守った近衛軍を総称していいます。軍の精鋭を選抜して近衛軍を構成するが通常です。朝鮮王朝(李氏朝鮮)では、第3代国主「太宗(李成桂の5男、태종 、テジョンng、Taejong」が1407年(太宗7年)に王の傍について王を護衛する「内禁衛(내금위 、ネグミ、naegumui)」を設置しました。その兵力は、60人から200人と変動があり、第9代国王「成宗(燕山君の父、성종 、ソンngジョンng、Seongjong」の時に、「経国大典」の「兵典」では、190人であったようです。
ドラマの中で、ヒロイン「チャングム(長今、장금 )」の父親の「徐天壽(ソ・チョンス、서천수 )」は、この「内禁衛」の軍官でした。王の命を受けて、尹氏に自害を強要する場に立ち会うことになってしまいます。チョンスは、職を辞して、人の目を避けて、最下層の階級である賎民としての「白丁(ペクチョン、ペッチョン、백정 )」として暮らしています。しかし、「甲子士禍」における官憲の追及の手は迫っていました。
チャングムは、学ぶことの好きな娘でした。母親の「朴明伊(박명이 、パク・ミョンイ)」は、王宮で王や王妃に出す食事を調理する「水剌間(수라간 、スラッカン)」に勤める女官でしたが、「仁粹大妃(成宗の母親で燕山君の祖母、(인수대비 、インスデビ))」に差し上げる食事に生のトリカブト(鳥兜)の根とセンキュウ(川弓)が混入されているのを目撃します。上司である「崔尚宮(チェ・サングン)」に報告しますが、それは「犯人」に通報したことになってしまい、秘密の露見を恐れた「崔尚宮」らに毒を飲まされます。
命を取り留めた「朴明伊」は逃げ延びて、「徐天壽」と出会い、夫婦となります。二人とも身を隠すことでその命を狙われずに済んでいたのでしたが、幼い「チャングム」が2人を死に追いやることになってしまいます。父親の「徐天壽」はチャングムにせがまれて祭りの相撲に出たことで身分が露見し、官憲に捕まってしまいます。都に引き立てられていく夫に会おうとした「朴明伊」は、人前にその姿を晒すことになってしまい、「崔尚宮」の放った刺客に殺されてしまうのです。
天涯孤独となったチャングムは、ふとしたきっかけで醸造業を営み宮廷にお酒を納入している「姜九、강덕구 、カンng・ドック)」夫妻の養女になります。後の中宗である「晋城大君」(任士洪の監視下にあった)にクーデターの企てをお酒の瓶に貼ってあるラベルによって伝える役を引き受けることになります。この功により、チャングムは母が勤めていた「水剌間」で働く「女官」になるチャンスを与えられることになったのです。
普段、連続ドラマを見ない私がこのドラマに嵌っていると、妻に冷やかされました。「お父さんは、人より早いか、人より遅れているか、どちらかなのね。ブームに乗るセンスがないのかもね。韓流がブームだったのは、随分昔よ。」「子供が出ているから、また見ながら泣くんでしょう。そういえば、日テレのマザーというドラマも見て泣いていたわよね。泣くの好きなんでしょ。」
ああうるさい。妻にからかわれて、泣きたい気分です。
(この項 健人のパパ)
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