POWERFUL MOMが行く!
多忙な中でも,美味しい物を食べ歩き,料理を工夫し,旅行を楽しむ私の日常を綴ります。
 





 李氏朝鮮(1392年~1897年)は、朝鮮半島を8つの行政区画に分けました。それが「八道(팔도、バルド、朝鮮八道)」です。咸鏡道(ハムギョンド) 、平安道(ピョンアンド)、黄海道(ファンヘド)は現在、北朝鮮領内にあり、京畿道(キョンギド)、江原道(カンウォンド)、慶尚道(キョンサンド)、全羅道(チョルラド)、忠清道(チュンチョンド)は韓国領内にあります。



(注) 韓国語の数詞には、日本と同じように漢数詞と固有数詞があります。日本語の「いち、に、さん、、、」にあたる漢数詞は、一(일、イル)、二(이、イー)、三(삼、サム)、四(사、サー)、五(오、オー)、六(육、ユク)、七(칠、チル)、八(팔、パル)、九(구、クー)、十(십、シプ)です。(注の終わり)

 行政区画には、「道(도、ド)」のほかに「広域市(광역시、グァンヨクシ)」があります。市人口が100万人以上であると広域市となることができ、道の所属から独立し、市内に自治体としての地位を持つ「郡」や「区」を置きます。慶尚道には、大邱広域市、蔚山広域市、釜山広域市の3つがあります。その一つ、元は慶尚南道に属した「釜山 (부산、プサン) 」で妻が旅行中です。

 (あみ) およそ1年ぶりに釜山を旅行中です。非常に安い航空券を手に入れたので、やって来ました。航空券を手に入れるときには、夫は釜山に行くことに関心がなく、出発が近づいたときに再度誘ったら、「行ってもいいよ」との返事。安い航空券をいろいろと探してみたのですが、間近で手に入るわけはなく、またまた、一人旅です。

 ひたすら地下鉄やバスで移動し、気になる韓国コスメを買い、名物を食べ歩き、日帰り温泉を楽しんでいます。ホテルでは、夫がそのためにと買ってくれたスマホでホテルのwifiに繋ぎ、情報収集。ホテルのロビーにあるパソコンでブログを編集。6日間という日程では、とても足りない。



 昨日は、カニ市場で有名な機張市場で「ウニ(성게、ソンゲ)」を食べて来ました。機張市場ではタラバガニ、ズワイガニ、毛ガニなどが扱われていますが、カニ(게、ケ)はやはり「旬(しゅん)」に食べたい気分です。タラバガニの旬は冬、ズワイガニの旬も冬、毛ガニの旬は、秋から春にかけてです。「1キロ10,000ウォン(日本円で680円ほど)だよ!」と威勢のいい「アジュマ(아줌마、おばさん)」の声が聞こえて来ます。カニは日本より安いですが、でも旬の物がやっぱり食べたい。

 ウニの旬は産卵時期の前で、海水温で「旬(他の時期よりも新鮮で美味しく食べられる時期)」は異なるのですが、例えば、夫の出身地、北海道ではウニの旬は7月頃です。8月にウニの産卵時期になるからです。



 市場の奥の方に新鮮な「ウニ」を売っているお店がありました。一盛り10,000ウォンなのですが、食べ切れないので半分にしてもらいました。韓国語はあいさつ以外は、全く話せないので身振りでお願いしました。


 
 この「ウニ」を何処かに持ち込んで、お昼ご飯に出来ないかと思い、ウニを買った店のアジュマに聞いてみることにしました。アジュマに紹介してもらったお店でご飯を出してもらうことが出来ました。ご飯におかずがついて5,000ウォンです。市場にしてはちょっと高いと思いました。新鮮なウニは、おいしかった。今度は、醤油とわさび持参で来ることにします。

(妻のためのハングル講座-その1)

 ハングルという文字を読むには、まず母音字を覚えなければなりません。母音字は、丸い空を表す点(・)の「天」、水平な地面である横棒(―)の「地」、人が立っている形の縦棒(|)の「人」という3つの要素を組み合わせて作られています。縦棒(|)だけでは「イ」、横棒だけでは「ウ」(円唇音)であり、縦棒の右に点(・)を打てば「ア」、縦棒の左に点(・)を打てば「オ」(広い母音)です。

 また、横棒の下に点を打てば「ウ」(非円唇音)、横棒の上に点を打てば「オ」(狭い母音)になり、縦棒を2本並べ、その左に点を打てば「エ」(狭い母音)、その間に点を打っても「エ」(広い母音)です。この2つの「エ」の違いはソウルでは失われているそうですから、縦棒が2本並べば日本語の「エ」で発音していいようです。

 この母音字を力技で覚えましょう。「ウ」には円唇音と非円唇音、「エ」と「オ」には広い母音と狭い母音の2種類ありますが、まずはそれを無視して、覚えていきます。日本語の5種類の母音をカタカナで表し、その筆画の一部とハングルの母音字を関連づけました。カタカナ「ウ」は、180°、カタカナ「エ」は反時計回りに90°回転させて、ハングルの母音字をイメージさせました。



             (健人のパパ)

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 2月3日配信の「フジサンケイ ビジネスアイ」の記事によると、「エアアジア・ジャパン」が国土交通省から航空法に基づく航空事業許可を取得したそうです。エアアジア・ジャパンは、2012年10月に「ソウル(仁川)」、「釜山」への乗り入れを予定しています。航空運賃は5月に発表されるようですが、大手の航空会社の2分の1から3分の1ほどに設定されるようです。


               (2012年10月15日配信のエアアジアからのメールの画像)

(追記) 2012年10月10日、エアアジアは「成田-仁川線」を10月28日から運航すると発表し、片道運賃の最安値を6,980円と大手航空会社の半額以下に設定しました。「成田-釜山線」は11月28日を予定してるようです。

 LCCの運賃は予約時期や出発時間などで大きく変動し、「成田-仁川線」は6,980円~2万9,980円で、それに荷物1個を預け、座席指定をしたときの諸費用3,000円ほどを加えるとおよそ1万円から3万3,000円ほどになります。大手航空会社の1万8,000円から2万円前後~と比べると、およそ半額ほどだといえます。(追記 終わり)

 韓国に出かけるときには独り旅が多く、夫と息子はお留守番です。夫に一緒に行くように誘うのですが、「そのコストをかけて出かけるほど関心が持てなくてね」と断られてしまいます。でも、地図に強い夫を連れて行った方が食べ歩きに便利ですし、少食な私はひとりでは食べ切れないので、食べたい物をいろいろと注文することができません。高速バス並で韓国に行けるならば、コスト意識の強い夫も「これならば行こう!」と言うかと思うとうきうきします。

 運賃はいくらに設定されるのでしょうか。エアアジア・ジャパンは、ANAとエアアジア(AirAsia)が共同で出資し、2011年8月に設立された日本の格安航空会社 (LCC、Low Cost Carrier) です。LCC(Low Cost Carrier、ローコストキャリア)は、効率的な運営をすることで、コストを低く抑え、低価格で運賃を提供する航空会社です。代表的なものに、アメリカのサウスウエスト航空、イギリスのイージージェット、マレーシアのエアアジアなどがあります。

 LCCは、(1) 航空機の機種の統一(パイロットの教育にかける費用を抑えることができる。航空機の免許は機種ごとに必要なのだが、機種を統一すれば、教育費用が少なくて済む。整備士についても同様なことが言える)、(2) 空港施設使用料の抑制(航空会社は空港に対して、着陸料や停留料、手荷物取り扱い施設使用料、旅客搭乗橋施設使用料(搭乗橋を利用しなければ、支払う必要はない)などを支払う。この使用料の安いLCC専用ターミナルを利用したり、都市圏の基幹空港(プライマリー空港)ではなく大都市周辺の2次的空港(セカンダリー空港)を利用する)、(3) 機内食などのサービスの有料化、(4) インターネットを利用した航空券の直接販売、などで格安運賃を実現しています。

 関西国際空港では、航空機の最大離陸重量1トン当たり2,300円が着陸料として必要で、例えば、最大離陸重量(Maximum Takeoff Weight、MTOW)276トンのボーイング777の1回あたりの着陸料は、2,300(円/トン)×276(トン)=634,800円になります。また、離着陸等施設を6時間以上使用して停留する場合、その停留時間24時間ごとに、1トン当たり200円が停留料として必要で、例えば、ボーイング777が6~24時間停留すると、200(円/トン)×276(トン)=55,200円になります。乗客を300人~400人とすると、着陸料と停留料だけで、1人当たり(満席として)1,700円から2,300円かかることになります。これに燃料費などが加わります。

 航空会社の採算性を示す指数に「ユニットコスト(unit cost、単価)」があります。総コストを座席キロ(1席を1キロ運ぶ)で割ったものをユニットコストといい、それが低いほど、航空運賃を低く設定できます。ユニットコストは、JALやANAで15円、ルフトハンザで13円です。シンガポール航空、アメリカン航空、スカイマークで7円~9円です。ところが、LCCである「サウスウエスト航空(Southwest Airlines)」で5円、「ライアンエア(Ryanair)」で3円、「エアアジア(AirAsia)」で2.5円ほどなのだそうです。このデータを信用すると、エアアジアはANAの6分の1のコストで飛行機を飛ばしていることになります。成田-釜山間を1,000kmほどとすると、エアアジアでは1人当たり2,500円ほどが総コストとしてかかることになります。

(注) LCCは航空機を空港に停留させる時間を減らし、経費節減を図っています。同じ経路を行ったり来たりするシャトルバスだと考えればいいでしょう。それも着くとすぐにとんぼ返りをするバスです。道路が渋滞するとスケジュール通りに運行することが難しくなります。成田空港は航空機の離発着回数に比して滑走路の少ない空港で、航空機の混雑する空港です。生じた遅延が徐々に累積していきます。

 2012年8月に国内線での運航を始めたエアアジア・ジャパンは、予定時刻の15分以内に出発した便数の割合が8月が40%前後、9月が60%前後だったようです。これを大手航空会社の日本航空と比較してみましょう。日本航空は90%以上と比較になりません。日本航空は余裕を持ったスケジュールで運航しているからです。当然コストもかかりますから、LCCと比べると航空運賃は割高になります。

 以前、シンガポールからタイ(昔のドンムアン空港)に飛んだとき、1時間以上着陸が遅れ、迎えを頼んでいたホテル手配の車の運転手のご機嫌を大きく損ねたということがありました。それからというもの、LCCの最終便を利用することは控えています。遅延はまだしも、欠航になるというリスクも大いにあるのです。(注 終わり)

 今までエアアジアで、シンガポール、マレーシア、ベトナム、バリなどに飛び、韓国には、エアプサンを利用しましたが、成田-釜山は、一日一便往復であり、スケジュールがあまり有利でない(午後に成田を発ち、午前に釜山を発たなければならない)ので、不便だと感じていました。しかし、これからはこの秋に就航予定のエアアジアを利用して度々韓国に食べ歩きに行けそうです。最近、鍋などの下味に使っている韓国の化学調味料無添加のダシの買出しも気軽に行けそうです。

(参考) 「LCC(格安航空会社)の「エアプサン(Air Busan)」で釜山の旅へ。

 エアアジア・ジャパンの岩片和行社長は、「成田という基本的にコストの高いところで始めるが、きちんとコストを下げて、バスのように使ってもらえるよう取り組んでいきたい」と述べ、成田国際空港株式会社と「着陸料」の引き下げ交渉を進めるなど、就航に向けて準備作業を本格化させる考えを明らかにしたようです。

 夫が納得するような運賃であることを期待しています。

(記事は、2月の最初に書いたのですが、いつも夫の「検証」(記事をより正確にするためなのだそうです)を受けなければならず、息子「健人」の通っている中学校の広報紙を発行する広報委員になった夫は忙しかったらしく、検証が進まず、なかなか「公開する」という扱いにはならず、そのうちインフルエンザの流行が始まり、インフルエンザの記事を「健人のパパ」というハンドルネームで書いている夫はそちらの方に気が行ってしまったようで、インフルエンザのピークも過ぎようとしているので、ようやく公開ということになりました。厄介な夫を持ったものです)

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 2011年7月21日配信の「聯合ニュース」によると、韓国の格安航空会社(LCC、Low Cost Carrier)である「済州航空제주항공(濟州航空)」(2006年6月に国内線を就航)は、2009年3月に国際線に進出し、その27か月後の2011年7月21日に国際線の累積搭乗客数が100万人を超えたと発表しました。

 日本路線では、仁川~大阪、仁川~北九州が運航しており、国際線の搭乗客数は日本路線が64.3%を占めるのだそうです(東南アジア路線(仁川-バンコク間、仁川-マニラ間、釜山-セブ間)が28.8%、香港路線(仁川-香港間)が6.9%)。27か月で64万人ほどが日韓間を済州航空(チェジュ航空)で往来したことになります。

 韓国の格安航空会社には「エアプサン (Air Busan、에어부산) 」もあります。同じ「聯合ニュース」が2011年7月25日に配信した記事によると、エアプサンの搭乗者数が500万人を突破したといいます。2008年10月に釜山-金浦間で就航を開始したエアプサンは、32か月で累積搭乗客数(国内線と国際線の合計)が500万人を突破(就航1,000日という最短期間で韓国国内航空会社にあって500万搭乗記録を達成)したことになります。7月25日午前出発の釜山-成田線に搭乗した500万人目の乗客には国際線航空券が贈呈されたそうです。エアプサンは、8月20日までホームページを通じて、「500万搭乗客達成記念キャンペーン」を行っています。

 最近、韓国に出かけましたが、2度とも利用したのはエアプサンでした。かなり昔、1995年にソウルに行き、1996年にはソウル→プサン→福岡→プサン→キョンジュ→プサンと巡りました。このときに利用したのは「大韓航空」でした。それから、10年以上韓国へ行くことはなかったのですが、LCCの誕生で国内旅行よりもコストを抑えて旅行できる韓国は旅好きの私に大変魅力的なものとなっていました。

 2010年11月にひとりでプサンへ行きました。このときは関東に住む私は仕事を終えて夜行バスで大阪に移動し、関西国際空港からプサンへ。帰りも関空から夜行バスで戻り、そのまま仕事へ。プサンに手軽に格安で行ける関西の方がうらやましいと思いました。エアプサンは、このときは「成田-釜山線」が就航していなかったのです。2011年6月、成田-釜山線の就航を知って、早速利用しました。

(参考)「LCC(格安航空会社)の「エアプサン(Air Busan)」で釜山の旅へ

 個人旅行で行く「韓国旅行」が手軽に格安になったので、今度は家族で11月に、またプサン(釜山)に行こうと計画中です。利用する航空会社はエアプサンがいいと夫にも話しているところ。LCCは料金設定が同一路線でも予約を取る時期(早めに予約すると安いことがある)、乗る便(同じ日でも乗る時間帯によって料金が異なることがあるし、同じ週でも乗る曜日によって料金が異なることがある)、キャンペーン料金などでいろいろなので、格安な料金でフライトが出来ればうれしいのですが、、、

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 今回の釜山旅行、夫を幾度か誘いました。
「ねぇ、一緒に行かない?」
「行かない。」
「焼肉の本場よ。」
「牛肉はそれほど好きではないからね。」

 そうでした。外食で夫は焼肉屋に入ることを好みません。「牛肉は柔らかくて甘いのが私の嗜好に合わないね。ある程度歯ごたえがあって、あまり甘くない豚肉の方が好みだね。」夫はそう言います。食卓に上る牛肉の回数は、牛肉の好きな上の息子「優也」が社会人になって家を出てから減ってしまいました。下の子「健人」も夫と似たような嗜好になってしまったのです。

「本場のキムチが食べられるわよ。」
「キムチは当たり外れはあるからね。本場だから美味しいとは限らないね。成栄食品さんの作るキムチがいいよ。」
「そうね。あそこのは全州出身の女将さんが作っているからね。じゃあ、冷麺はどう?」
「冷麺は食べられないことはないけど、あのつるつる感が好みじゃないね。エッジ感とでも言うのかな、ひっかかる感じがしないとね。」

 夫は自分では「食に興味がなくて、生きるために、ある程度義務で食べているんだ」と言います。それにしてはああだこうだとうるさい。食に興味のない人が言う理屈はよくわからない。

 というわけで、結局一人で釜山に来ましたが、夫にも関心の持てる韓国料理を探す必要も出てしまいました。夫は麺類が好きです。しかし、冷たいものは好まないのです。そうめん、冷麦、冷やし中華は好んで食べません(もちろん、夏は私たちが食べたいので作って、夫にも出しますが、無言で食べています。夫は独身の頃、母親に鍋焼きうどんを夏に作らせて食べていたそうで、作る身にならない親不孝者です)。



 韓国には、日本のうどんに似た「カルグクス(カルククス、カルグッス)」があります。釜山に着くと早速食べてみたのですが、とても美味しい。これを餌に夫を釣り上げることができそうです。日本のうどんに似て、でも非なる味です。食に興味のないという夫も興味を抱きそうです。



 韓国語で、麺類を「グクス(국수)」と言うようで、「カル(칼)」は「包丁」を意味しますから、「カルグクス (칼국수) 」は麺生地を包丁で切って作る「切り麺(knife-cut noodles)」を意味することになります。切り麺は、冷麺などの「押し出し麺」と異なり、原料となる粉(小麦粉や蕎麦粉など)をこねて生地とし、薄く延ばして、包丁で細長く切ることから、断面が長方形になります。この角の立った感じが、断面の円形の冷麺より好みだと夫は言っているのでしょう。麺の製法には、「手延べ麺(hand-pulled noodles)」もあります。そうめんなどのように麺生地を両側から引っ張って細長い紐状にしたものです。これの断面は円形に近い。うどんの好きなはずの夫があまり「稲庭うどん」を好まないのは、このうどんが手延べのせいなのかも知れません。

 カルグクスは、日本のうどんとは異なり、スープで麺を茹でることから、仕上がりはトロミがついた感じになっています。

 麺のスープは、イリコ、昆布、玉ねぎ、長ネギ、にんにくを入れて煮て、沸騰直前にイリコと昆布は引き出します。そして、野菜が柔らかくなるまで煮込こみます。前処理したアサリを加えて、ひと煮立ちさせ、塩を入れ味を調えます。これに麺を加え、さらに千切りにした玉ねぎ、人参、じゃがいもなどの野菜を加え、麺が好みの硬さになるまで茹でます。最後に醤油で香り付け。そんなふうにして、スープを作るのです。鶏肉を使うこともあるようです。野菜たっぷり、あっさりとしたスープ、夫がいかにも好みそうです。

 釜山は海産物が豊富に手に入る地域。漁村の近くに育った夫は、肉よりも魚を好みます。「ヘムル(해물)」は漢字表記では「海物」で「海産物」の意味です。この海産物を多く配した「ヘムルカルグクス(해물칼국수)」もあるようです。
 
 釜山に着いた日に食べたカルグクス、美味しかった!お父さん、もう、来るっきゃないですよ~。



 (追記)滞在中、カルグッスをいろいろと食べ歩いてみたのですが、どこもが一定の味以上と言うわけではなく、MSGの味が強くして、食べ残してしまったこともありました。やはり、最初に偶然入ったお店が美味しかった。ラッキーでした。第一印象が悪いと、カルグッスはそんなものだと思い込んでしまいます。
 日本人にもお勧めの味なのでしょう。壁には日本の書籍のコピーが張られていました。

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 「エアプサン (Air Busan、에어부산) 」は韓国の格安航空会社(LCC、Low-Cost Carrier)です。2007年12月に、アシアナ航空と釜山市の主要企業の出資により設立されました。国内線で、釜山-金浦、釜山-済州の2路線、国際線で、台湾1路線(釜山-桃園(台北))、日本3路線(釜山-福岡、釜山-関西、釜山-成田)を就航しており、エアプサンの就航区間では、アシアナ航空は撤退し、全ての便をコードシェアし(エアプサンの航空機で運航される便でありながら、アシアナ航空の便としても航空券が販売され)ています。ボーイング737-500を3機、ボーイング737-400を3機、エアバスA321-200を1機という機材で運航しています。



 成田-釜山路線の使用機材はA321-200で、全195座席をエコノミークラスに設定しています。運賃は往復1万9,900円からで、シーズンや曜日によって異なります。運航は、往路(成田発釜山着)が13:55発で16:15着、復路(釜山発成田着)が10:55発で12:55着となっています。

 成田-釜山路線は2011年6月23日に就航をスタートすることから、エアプサンはそれを記念して、Webサイトでの予約・発券に限定して、一部座席を特別料金で販売しました。燃料サーチャージなどが別途必要なのですが、往復9,900円という驚きの価格。さっそく私はこのキャンペーンに乗っかりました。販売のキャンペーン期間は5月31日まで。就航開始の1ヶ月前の5月23日に予約。燃油サーチャージ(5,000円?)と税金及び諸料金を加えて、17,200円になりました。


(一部改変)

 釜山の「金海(キメ、김해)国際空港」を午前11時頃飛び立ったエアバスA321は、2時間ほどかけて成田にやって来て、1時間駐機して、午後1時頃に2時間20分ほどかけて、釜山に戻っていくことになります。運賃を安くするためには、駐機料が高いといわれる成田空港に長くはいられないのでしょう。日本人には、午後便で釜山に出かけ、午前便で帰ってくるのでは、時間がもったいない気はします。JAL便だとこの逆で、午前11時頃に成田を発ち、午後1時頃に釜山から帰国することになります。2時間ほど早く釜山に着き、2時間ほど遅く釜山を発つ。この釜山に長くいられる4時間の差にいくら払うかでしょう。私はキャンペーンもあって、エアプサンを選択しました。



 エアプサンの最低価格運賃でも、19,900円(燃油サーチャージを含まない)かかるのですから、10,000円をうかせたことになります。それで、昨日は「新世界百貨店センタムシティ店」にある「新世界スパランド」に行ってきました。釜山の「海雲台(ヘウンデ、해운대)」には「センタムシティ、센텀시티」というエリアがあり、大型百貨店やスーパーなどが集中しています。そのなかで、「新世界百貨店、신세계백화점」はランドマーク的存在です。世界最大の百貨店の一つなのだそうです(延べ面積およそ29.4万㎡)。

 昨日の釜山は雨でした。雨の中を歩き回るのを避け、ウィンドーショッピングです。「新世界百貨店(シンセゲ ペックァジョム)」は釜山海雲台区佑洞1495にあり、地下鉄2号線セントムシティ駅に連結しています。雨に濡れずに行くことができます。

 ウィンドーショッピングで、いま、韓国の人たちはどんなファションを好み、何に関心があるのかを知ることができます。情報が忽ちのうちに世界に拡散していく現在にあっては、画一化は避けられませんが、それでも国民性は表れるものです。

 でも、スパランドでファッションチェックは無理でしたね。スパランドの料金は、平日昼で12,000ウォン。およそ900円くらいでしょうか。日本でも時間があれば、日帰り温泉に行ってしまいます。いろいろな日帰り温泉に行きました。「日帰り温泉評論家」になれそうなくらいです。

 ここのスパランドは、2種類の天然温泉や露天風呂を含む22個のスパと13種類の韓国式サウナ「チムジルバン、찜질방」があるのだそうです。感想は日本に帰ってからブログに書こうかなと思います。では、また。



(追記 健人のパパ)2011年7月1日、妻が金海国際空港で乗り込もうとしているのは、エアバスのA321-200。そのとき、撮ったのでしょう、駐機する“Air Busan”(エアプサン)のボーイング737-400が写っていました。機体にはHL7510とあります。アシアナ航空(Asiana Airlines)が使っていた機体のようです。このクラシックシリーズの737-400は、486機製造されますが、2000年には製造が中止され、737の第3世代のネクストジェネレーションというシリーズにとって代わられます。エアプサンは、2008年10月27日、釜山-ソウル(金浦)間に初就航した新しい航空会社ですから、すでに製造中止となっている機種を発注しようがありません。アシアナ航空の機材をリースしてもらっているのでしょう。



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 国立情報学研究所の「デジタル台風」から、2010年9月3日16:20JSTの記事を引用します。

 台風9号(MALOU)が日本の南で発生しました。この台風は台風7号の経路の若干南側を並行して、ほぼ似たような経路を進むとの予報が出ています。太平洋高気圧の縁を吹いている南寄りの風に載って移動するため、5日前と太平洋高気圧の勢力に変化がなければ、2つの台風は同じコースを進むことになります。

 日本では、台風が発生した順に、気象庁が台風番号を付けており、台風は通常はこの台風番号で呼ばれます。これは韓国でも同様なのです(例えば、제9호 태풍、第9号颱風 と呼ぶ)がそれにアジア名を付け加えることもあります。アジア名は、米国とアジア各国で構成された台風委員会によって定められたもので、全部で140個あり、140番目の「サオラー(Saola、ベトナム語)」まで使用されると最初の「ダムレイ(Damrey、カンボジア語)」に戻ります。2000年に始まった命名法ですが、現在は2周目に入っており、例えば、2010年台風9号は、105番目のマカオの言葉で「めのう(瑪瑙)」を意味する「マーロウ(Malou)」です。

 アジア名は、1 カンボジア、2 中国、3 北朝鮮、4 香港、5 日本、6 ラオス、7 マカオ、8 マレーシア、9 ミクロネシア、10 フィリピン、11 韓国 、12 タイ、13 米国、14 ベトナムの順で付けられています。2010年の台風で言うならば、6号は「ライオンロック(Lionrock、香港の山の名、102番目、韓国語で音訳:라이언록)」、7号は「コンパス(Kompasu、日本命名でコンパス座、103番目、韓国語で音訳:곤파스)」、8号は「ナムセーウン(Namtheun、ラオスの山の名、104番目、韓国語で音訳:남테운)」、9号は「マーロウ(韓国語で音訳:말로)」と言うことになります。


 出典:日本気象協会

 今年は台風が集中的に発生しており、6号は8月28日18:00に、7号は8月29日12:00に、8号は8月30日12:00にと毎日発生していました。第7号颱風(제9호 태풍)「コンパス」は9月2日早朝、韓国北部の京畿道に上陸し、横断して、江原道の海上に抜けました。「京畿」とは、「都とその周辺の地域」すなわち「首都圏」を指します。

 台風9号は近年では非常に珍しい、典型的な「風台風」で、ソウルなど首都圏を通過する際、強風でさまざまな被害をもたらしました。首都圏には、韓国の人口(4,800万人)のおよそ半数の2,000万人が住むといわれ、台風が上陸した午前6時35分ごろから、およそ2時間にわたり、2002年の台風15号(アジア名:「ルーサー(Rusa)」。64番目だったが、甚大な被害をもたらした台風だったので、64番目は「ヌーリ(Nuri)」と名前が変更になった」)による被害の記憶(韓国を縦断。死者209名、行方不明者37名。また、住宅1万7,000棟以上、農地4万ha以上が浸水。被害額は約5兆ウォン)により、強い恐怖を感じたと言います。



 しかし、台風7号は当初の予想よりも速度が速く、内陸にとどまった時間も短かく、また、過去の台風のように大雨をもたらさなかったことで、幸いなことに被害は広範囲の停電、鉄道の運行見合わせ、航空便の欠航など最小限のものだったと言います。それでも、強風による人的被害はあり、強風で飛んできた木や瓦が頭にぶつかり死亡した人など5人が亡くなりました。

 日本列島は猛暑に苦しんでいます。雨も関東地方などでは降りません。気象庁は9月3日、専門家を交えて検討する「異常気象分析検討会」を開き、気象統計の開始(1989年)以来113年間で最も厳しい暑さの夏となった原因について、次のような見解を示したと言います。

 「エルニーニョ現象や偏西風の蛇行など複数の要因が重なり異常気象となった。北半球中緯度全体の気温が高かった上、日本付近に背の高い高気圧が居座ったことで、極端な高温になった。」

 最大風速が18m/s程度で、風速15m/s以上の強風域の大きさが半径200km以下の台風が足早に雨をもたらしてくれ、農作物にとっては慈雨になり、気温が少しでも下がるなら、、、。台風の被害、酷暑の被害、農業被害(沖縄県農林水産部は9月2日、台風7号による県内農林水産業への被害総額をおよそ2億4000万円と発表しています。その殆どが強風によるサトウキビの折損・倒伏)、少しは欲しい雨。近年は異常気象のせいで、「適度」ということのない気象になってしまいました。

                (この項 健人のパパ)

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 外国語を学ぶとき、必要になるものに辞典があります。日本人の英語学習者には「英和辞典」が、中国語学習者には「中日辞典」が、そして、韓国語学習者には「韓日辞典」が必要になります。その語彙の並びは、「英和辞典」や「中日辞典」などは、アルファベット順なのですが、「韓日辞典」は、「カナタラ(가나다라)」の順です。これを覚えておかなければ、辞書をひくのに大変な時間がかかってしまいます。

 しかし、「カナタラ」の順を覚えてしまえば、「中日辞典」より時間はかかりません。中国語では読みのわからない漢字が出てきたときは、「漢和辞典」を引くように「部首」で引いたり、「画数」で引くという手間が必要ですが(これは「漢字」が表音文字ではなく表意文字であるため)、表音文字であるハングルで語彙を並べてある「韓日辞典」は、すばやく引けます。

 日本語の「あかさたな、、、」にあたる韓国語の「カナタラ、、、」は、「きらきら星」のリズムで、♪カナタラマパサ アジャチャカタパハ(가,나,다,라,마,바,사,아,자,카,타,파,하)と覚えることができます。「チャカタパハ(자,카,타,파,하)」の部分は有気音が続きます。韓国語では、「チャ」は有気音を“cha”、無気音を“ja”、「カ」を“ka”と“ga”、「タ」を“ta”と“da”、「パ」を“pa”と“ba”で綴ります。



 実際に「カナタラソング가나다라 송)がどのような歌なのかは、このYouTubeの動画で聴くことができます。5分25秒ごろから、「キラキラ星」のリズムで「カナタラ」の歌が始まります。可愛らしい「呉教授(Professor Oh)」の授業は、幾度見ても飽きないですね。




                (この項 健人のパパ)

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妻「また韓国の本買ってきたのね。そんなに買い込んで、読んでるの?忙しいのに。」
私「少しずつね。」
「やっぱり韓国に行くつもり?」
「そうね。行きたいね。」
「何しに?」
「まず、焼肉かな。本場でしょ?」
「何が好きなの。」
「タン塩かな。」
「あら、タン塩は日本のものよ。」
「タン塩は日本の発明なのか。」
「焼肉自体が日本のものなのね。」
「え!」

 そこで、調べてみました。情報は複数にあたって確認です。妻の言っていることを信じないわけではないのですが、念押しをしたいのです。「野村進」著、講談社刊(1996年)、「コリアン世界の旅」に見つけました。

 日本の焼肉料理とは何だろうか。純然たる朝鮮料理と思われているが、本当にそうなのか。実際には、テーブルの上で肉を焼いて食べるというやり方が始まったのも、タン塩(清香園の張貞子の発案によるもので、「それまでもタンは焼肉に使っていたんですけど、どこの店もタレにつけて焼いていたんです。でも、ヨーロッパに旅行に行ったとき、レストランでタンをハムみたいに燥製にしたのが出てきたんですよ。それを見て、うちのタンを塩焼きにしたらどうかなあ、と。帰ってきて、塩焼きしたのをお酢と塩とレモンのタレにつける食べ方を考えたんです」)という人気メニューが生まれたのも、朝鮮半島ではなくここ日本の地でのことなのである。付け加えるなら、ユッケ(牛肉のたたき)に卵黄を載せて出したのも、生センマイ(牛の第三胃)を千切りにして酢醤油で食べさせたのも、日本でのことと言われている。韓国の焼肉店でもしタン塩が出てきたら、それは日本から逆輸入されたメニューなのだと思ってまちがいない。

 「張貞子 (チャン・ジョンジャ)」 は、1919年にソウルの「張」家に生まれます。1950年、在日韓国大使館の初の政治顧問として駐日していた夫「金修史」のもとに、4人の子供を連れて来日します。1952年、まだ日本に韓国料理店がないころ、親戚の勧めで銀座に「清香園」を開店します。「分量や作り方を文にはできない、料理は自分の舌と身体で覚えるものだ」という信念から86歳になるまで「清香園」のレシピを紹介しなかった張氏も、2005年7月には、「ブックマン社」から「時の香り 清香園の韓国料理」という料理本を出版しています。

 その本の記述によると、今日の韓国料理(한국 요리)は、王や両班のための宮廷料理と、庶民の知恵が生んだ郷土料理の融合・発展したものなのだそうです。王朝時代、韓国の料理人は女性だったそうです。現代でも、名高いホテルの料理長は代々女性と決められているなど、韓国料理店の厨房では女性を多く見かけるそうです。張氏は、両班(양반)の家系に生まれ、基本の調味料はすべて家庭で手作りしたものを使っていたそうです。韓国では上流家庭ほど薄味で、上品な仕上がりを好むそうです。

私「じゃ、韓国に焼肉はないの?」
妻「そんなことはないわよ。あるわよ。でも、別物ね。」

 韓国で「焼肉」と言えば、普通は「プルコギ불고기」を指す。ハングルで「火の肉」を意味するこの料理は、だが、日本の焼肉とは似て非なるものだ。韓国では、真ん中がこんもり盛り上がった鉄鍋に、タレをからませた肉をどさりと載せて焼く。この鍋は誇張するとスペインのソンブレロのような形で、流れ落ちてくる肉汁はソンブレロのつばのところで受け、肉を少しつけたり後でうどんを煮込んだりして食べる。日本の焼肉よりは、ジンギスカンに近い。

妻「プルコギを食べたんだけど、ジンギスカンみたいだったわよ。」
私「ジンギスカンは好きだから、いいね。」
「むちゃくちゃ甘いのよ。好みじゃないと思うわよ。」

 いま日本にある焼肉のスタイルを作り上げたのは、私は断言してよいと思うが、在日韓国・朝鮮人と帰化者たちなのである。食道園の社長で全国焼肉店経営者協会(現在は、「事業協同組合 全国焼肉協会」)の会長も務める江崎政雄(現在は、「叙々苑」の新井泰道氏)によれば、全国2万軒の焼肉店のおよそ9割が在日か帰化者とその子孫の経営ではないかという。「焼肉文化」というものがあるなら、それはとりもなおさず朝鮮半島から日本に来て住み着いた人々の文化なのである。

 焼肉つながりで、「前川恵司」著、「PHP研究所」刊(1997年)、「なぜだ韓国 なるほど韓国」からも引用しておきます(一部省略)。

 子どもたちがカルチャーショックを受けたのは、焼き肉屋に入った時のことだ。骨付きカルビ갈비、galbi、ばら肉のこと)を焼きはじめて、女店員が大きな裁縫ばさみをもってきて、肉をじょきじょき切りはじめた。食べやすい大きさにするためで、どの店でもやるサービスなのだが、そのときに、「食べごろですから切りますよ」とか、「失礼します」と一言、客に声をかけるでもない。
 つっかけを引きずりながらやってきて、ぶっちょう面のまま裁縫ばさみを突き出し、焼けた肉を切りだす。いきなり、裁縫ばさみを目の前に突き出され、子どもは反射的に座ったまま後ずさりした。そのショックで食欲をなくし、もう肉に手をつけなかった。
 アメリカの大学で勉強している25歳の韓国女性が教えてくれた。「
韓国社会は、職業への貴賤感が消えていない社会だから、焼き肉屋の店員というだけで、学校も出してもらうことができない家に育った、という先入観で見られる。汚い仕事ときれいな仕事。頭を使う仕事と力仕事。職業への差別感が強いから、自虐的になってしまうのよ。」
 のれんを下げて何代目を誇る気風は、韓国の商人道には薄い。店が繁盛して、金回りが良くなると、店ごと売ってしまうケースが多いのだ。その金で、お抱え運転手をアゴで使うような、もっときれいな「事業」にのり出してこそ、偉くなったといえるのだ。じいさんのころからの小商いを、手堅く続けているなどということは、「うだつの上がらないやつらだ」と見られ、むしろ馬鹿にされてしまう。
 極論すれば、誰もが力あるものを至上のものとしている。だから、財閥
재벌があって商人がいない。巨大なモールのようなショッピングビルやデパートはたくさんある。その他は、露天や屋台、それにアパートの下の店、あとはアーケードも何もない市場시장がふつうだ。日本のような華やかな商店街は少ない。

 この記述に従うと、料理店の老舗などというのはないのだから、この店に行くとハズレがない、という店はないことになります。最新の情報を手に入れて、中りをつけるしかないようです。そんなエネルギーは割きたくないから、これはわが妻「あみ」に任せることにしましょう。妻なら、ホテルの従業員や市場のおばちゃんに普通に話しかけて、活きのいい情報を手に入れるだろうから。

 この店員の愛想の悪さで韓国人を責めることはできなさそうです。中国に関する本でも同じようなことを読んだことがありますし、ドイツに関する本でも読んだことがあります。ことによると、店員の愛想の悪いのが「グローバル・スタンダード」、「世界の常識」で、店員の愛想の良さが「ガラパゴス」、「日本の非常識」なのかも知れません。しかし、どの職業にもその技術の優秀なプロがいて、自信を持って生きており、周囲もまた世間も賞賛するという社会が悪いはずがありません。例えば、みなが社長では社会が動いてはいきませんし、社長になれなかった者が不満を抱いている社会では、社会全体がストレスを感じてしまいます。ひょっとすると、韓国が世界でも上位の自殺率を示すのはそのせいかも知れません。

 もう一つ、韓国の作家「韓水山」著、徳間書店刊(1995年)、「隣の日本人」から引用してみます。

 食文化の本質がこのように違うなかで、もう一つ明らかに違うのが食堂のありようである。
 韓国でいつも羨ましそうに話されるのが、代を継いで商いをしている日本の食堂のことである。「食べ物の商い」に対する認識がかなり改まったとはいうものの、まだ韓国では「水商売」のように見下げて見る傾向がある。
 味が評判となって客も絶えずに上々の商いをしていたかと思うと、さっさと転業してしまうのが韓国である。だからといって、代を継ぐ店もないわけではないが、だいたいにおいて食堂は店を開いたら、すぐ閉じるということを繰り返している。
 また、どういうわけか韓国の食堂は、誰にでもできる商いになっている。転職した官吏も、会社をつぶした事業家も、やることが見つからなければ始めるのが食堂である。それで韓国の食堂はいつも「祝い鉢」を並べた「新装開店」が多い。
 

 これでは、ガイド本を頼りに美味しい料理を食べさせてくれる店を訪ねることはできそうもありません。取材時と出版時とは時間的にかなりのギャップがありますから、取材者が美味しいと勧める店は私たちが訪れるときにはなくなっているかも知れません。最後の手段、「大衆は過たず」で、客の入りを覗いて判断しましょうか。妻は言っています。「私の鼻に任せなさい。美味しい店は美味しい匂いがするの。私の鼻は嘘をつかないの。」 はい、お任せします。

             (この項 健人のパパ)

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 日本、朝鮮、ベトナムは、漢字文化圏に属します。漢字文化圏とは、漢字の持つ概念を採用している地域と言っていいでしょう。この3国には、もちろん固有の言語がありました。しかし、その表記に漢字を用いた時期があったことから、その概念も取り入れたのです。日本では、「漢字かな混じり」という表記方法が取られており、漢字が表記に用いられます。日本固有の言語も意味の共通性から「訓」という方法が考え出され、漢字表記が多数です。

和語「マナブ」 → 音読み漢字「学(呉音ガク)」 (用例)韓国語学習  (注)現代中国語音 /xue/(シュエ)
音声「マナブ」 → 訓読み漢字「学ぶ(まなぶ)」 (用例)韓国語を学ぶ

 韓国は、ハングル文字を15世紀中頃に作り出したことにより、漢字で表記することは殆どありません。抽象概念や専門用語など漢字で表記することができる言葉も多数ありますが、漢字で表記することはごく稀です。ハングル文字ですべて表記することは、日本語の表記をすべて「かな」で表記することと同じように思われますが、そうではありません。「百貨店」(3文字)を「かな」で表記すると「ひゃっかてん」(6文字)となりますが、「ハングル文字」で表記すると「백화점」(3文字)となって、文字数に変化はありません。ハングル文字は、「子音+母音+子音」という音節を表すことができるからです。



 19世紀中頃に始まるパリの「ボン・マルシェ百貨店(Le Bon Marché)」が世界最初のデパートと言われていますが、デパートとは、大きな面積を持ち、多種類の商品を取り扱う店舗を言います。日本語では、“department store”と表記はせず、「デパート」と表記しますが、韓国語は、漢字表記「百貨店」ではなく、その音「백화점(ぺクヮジョム)」で表記されます。



 ベトナムには、「チュノムChữ Nôm)」という、ベトナム語を表記するために漢字を応用して作られた文字がありました。意味や音の似た漢字を偏や旁として組み合わせて作られていました。日本語の「国字(和製漢字)」と同じような発想です。例えば、日本の国字「峠」は、山の上り下りの境目ということで作られています。現在、ベトナム語は、17世紀にカトリックの宣教師アレクサンドル・ドゥ・ロード(Alexandre de Rhodes)が考案した「クォック・グー(Quốc ngữ)」と呼ばれるローマ字表記法によって表記されています。1945年に漢字やチュノムは使われなくなりました。



 韓国では、漢字教育を殆ど受けていない世代が増え、漢字を使用した出版物が売れなくなっていて、韓国の新聞や雑誌に、漢字が使用されているのを見かけることは殆どないと言われています。漢字をどう扱うかについては、政治問題化しており、朴正煕大統領は、1970年に漢字廃止宣言を発表しているし、金大中大統領は、1998年に漢字復活宣言を発表しています。韓国には、漢字復活を望む「全國漢字育推進總聯合會(전국한자교육추진총연합회)」があり、ハングル専用を推進する「한글 학회(韓글 學會)」があります。

 日本は、初等教育で漢字教育に大きく時間をかけていますから、漢字の「表意性」を利用して韓国語を覚えるという方法はある程度の年齢に達している人たちには、有効な方法です。ある程度の年齢に達していると「意味」を持たないことを暗記するのはかなりの負担になります。「ハナ・トゥル・セッ・ネッ・タソッ・ヨソッ・イルゴプ・ヨドル・アホプ・ヨル」などという無意味な文字列を暗記することは苦です。これを若い世代に覚えさせるとあっと言う間に覚えてしまいます。そこで、一般的には、若い世代は「漢字」を媒介せずに、ある程度の年齢に達した人は「漢字」を媒介にした方が効率がいいと言えるかも知れません。

 漢字の「音」読みには「呉音」・「漢音」・「唐音」・「慣用音」など数種類があります。例えば、現代中国語(普通話)で/ming/(ミンng、2声)と発音される「明」は、呉音では/ミョウ/で、「明日(ミョウニチ)」、「明星(ミョウジョウ)」、「明礬(ミョウバン)」などに使われ、漢音では/メイ/で、「明治(メイジ)」、「照明(ショウメイ)」などに使われて、多くの語彙がこの音で読まれます。唐音では「ミン」で、中国王朝名の「明(ミン)」で使われます。韓国語の漢字音では、(ミョンng、myeong)と発音します。呉音に近いですね。

 日本語では、漢字の音読みをするとき、/ng/という音には、/ウ/をあてることが多く、例えば、現代中国語で「唐」は/tang/(タンng、2声)ですが、日本語では/トウ/になります。/ng/の音が/ウ/になっています。これは日本語には意識して発音する/ng/の音がないからです。韓国語の漢字音では、(タンng)です。韓国語には/ng/の音があります。(ミョンng)が日本に入ったときに、/ミョウ/という音に変わったことは十分考えられます。

 ここで言う「呉」、「漢」、「唐」は、中国の王朝名ではありません。地域を表しています。「呉」は中国南部で、「漢」は中国の中央部を指しています。「唐」は中国全体を指します。「漢音」は、奈良時代後期から平安時代の初めごろまで(7~8世紀)に、遣隋使、遣唐使、留学僧などにより日本に伝えられた、「隋(581~619)」や「唐(618~907)」の都「長安」などで話されていた音をいいます。非常に多くの語彙が体系的に日本に持ち込まれます。「呉音」は「隋」以前、「南北朝時代(439~589)」に伝わったものと言われ、体系性に欠け、仏教用語に使われる音が多いと言われています。例えば、「男」は漢音では/ダン/ですが、呉音では/ナン/、「女」は漢音では/ジョ/ですが、呉音では/ニョ/で、「男女」を/ナンニョ/と読むのは、呉音ということになります。

 韓国語で「男」は、(ナム、ナンm)であり、「女」は、(ヨ)です。これも呉音に近い。呉音は、朝鮮半島の百済(346~660)経由で伝わったと言われもすることから、韓国語の漢字音は呉音が多いかも知れません。しかし、隋や唐の都「長安」などから帰国した遣隋使、遣唐使、留学生たちが、長安の音(「漢音」)を正統とし、日本に以前から定着していた音(「呉音」)を排除しようとしたならば、日本には呉音は多くは残っていないことになります。

 私たちは、韓国語を漢字表記されても、意味は想像できたとしても、音を推測することはできないことになります。漢字を媒介にする韓国語の学習方法は、さて効率のよいものとなるのでしょうか。

                   (この項 健人のパパ) 

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 2009年8月に在米韓国人(イリノイ工科大卒業で、IT関連会社勤務)と極秘結婚したことで話題になった韓国女優のイ・ヨンエさん(이영애、李 英愛)にお子さんが誕生予定なのだそうです。おめでとうございます。彼女の所属事務所が7月23日に明らかにしました。2005年7月に公開された映画「親切なクムジャさん(親切(친절)한 金子氏(금자씨))」でクムジャ役を演じた後に、女優としての活動を休止し、入籍後の2009年9月に漢陽大学演劇映画科大学院の博士課程に入学し、学業に専念してきたイ・ヨンエさんは、日本では「宮廷女官チャングムの誓い」のヒロイン役で知られています。

 韓国の民放局「MBC(文化放送(문화방송、ムナバンngソン))」が2003年9月から2004年3月まで半年間放送した韓国ドラマ「宮廷女官チャングムの誓い、原題:大長今(대장금、テジャングム)」」は日本では幾度かNHK-BS2で放送されていますが、最近では2007年1月から2008年2月まで放送されました。いまGyaO!”では、毎週3話ずつ無料視聴ができます。

 「反正(반정、パンジョンng)」という言葉があります。「正しい道へ反す」こと、「正しい状態に戻す」ことをいいます。1506年(燕山君12年)9月2日に起った「中宗反正(중종반정、チュンngジョンngバンジョンng)」は、暴虐な君主であった「燕山君(연산군、ヨンサングン)」を追放した出来事です。このときに、「任士洪(임사홍、イム・サホンng)」は反乱軍(反正軍)に誅殺されています。

 任士洪は、朝鮮王朝第9代君主「成宗(성종、ソンngジョンng)」の在位期間には閑職に甘んじていましたが、第10代国主「燕山君」が即位すると、息子「任崇載」のつてで、位を上げます。側近となった任士供は、権力の掌握を狙って、燕山君に生母尹氏の死去(強要されて服毒自殺、1482年)の経緯を先王「成宗」によって口外を禁じられていたにもかかわらず告げます。亡き母の遺品を見せられた燕山君は激怒し、母の死にかかわった関係者の処罰を命じます。多くの要人が死刑や流刑に処されることになります。1504年(燕山君10年)のこの出来事を「甲子士禍(갑자사화、カッチャサファ)」といいます。

 成宗の側近であった「朴元宗(박원종、パク・ウォンジョン)」は、燕山君の治世のときにも位階を上げて行きますが、姉の死に関して、燕山君を恨むようになります。燕山君に左遷されていた「成希顔(성희안、ソンng・ヒアン)」や「柳順汀(유순정、ユ・スンジョンng)」を誘い、クーデターを起こします。このクーデターは成功し、燕山君は廃位・追放され、燕山君の異母弟で18歳の「晋城大君(진성대군、チンソンngデグン、中宗)」が即位し、後世「中宗反正」と呼ばれることになります。

 反正軍(반정군)은 燕山君(연산군)을 밀어내고 晋城大君(진성대군)이 即位(즉위)하니 그가바로 中宗(중종)임금이다. (反乱軍は燕山君を追放し、晋城大君が即位し、彼は中宗となった。)

 この「中宗反正」が「宮廷女官チャングムの誓い」第3話の背景となっています。上記の文言は、ドラマの中で、字幕として表示されます。

 「禁軍」とは、王の住む所「禁中(禁裏)」を守った近衛軍を総称していいます。軍の精鋭を選抜して近衛軍を構成するが通常です。朝鮮王朝(李氏朝鮮)では、第3代国主「太宗(李成桂の5男、태종、テジョンng、Taejong」が1407年(太宗7年)に王の傍について王を護衛する「内禁衛(내금위、ネグミ、naegumui)」を設置しました。その兵力は、60人から200人と変動があり、第9代国王「成宗(燕山君の父、성종、ソンngジョンng、Seongjong」の時に、「経国大典」の「兵典」では、190人であったようです。

 ドラマの中で、ヒロイン「チャングム(長今、장금)」の父親の「徐天壽(ソ・チョンス、서천수)」は、この「内禁衛」の軍官でした。王の命を受けて、尹氏に自害を強要する場に立ち会うことになってしまいます。チョンスは、職を辞して、人の目を避けて、最下層の階級である賎民としての「白丁(ペクチョン、ペッチョン、백정)」として暮らしています。しかし、「甲子士禍」における官憲の追及の手は迫っていました。

 チャングムは、学ぶことの好きな娘でした。母親の「朴明伊(박명이、パク・ミョンイ)」は、王宮で王や王妃に出す食事を調理する「水剌間(수라간、スラッカン)」に勤める女官でしたが、「仁粹大妃(成宗の母親で燕山君の祖母、(인수대비、インスデビ))」に差し上げる食事に生のトリカブト(鳥兜)の根とセンキュウ(川弓)が混入されているのを目撃します。上司である「崔尚宮(チェ・サングン)」に報告しますが、それは「犯人」に通報したことになってしまい、秘密の露見を恐れた「崔尚宮」らに毒を飲まされます。

 命を取り留めた「朴明伊」は逃げ延びて、「徐天壽」と出会い、夫婦となります。二人とも身を隠すことでその命を狙われずに済んでいたのでしたが、幼い「チャングム」が2人を死に追いやることになってしまいます。父親の「徐天壽」はチャングムにせがまれて祭りの相撲に出たことで身分が露見し、官憲に捕まってしまいます。都に引き立てられていく夫に会おうとした「朴明伊」は、人前にその姿を晒すことになってしまい、「崔尚宮」の放った刺客に殺されてしまうのです。

 天涯孤独となったチャングムは、ふとしたきっかけで醸造業を営み宮廷にお酒を納入している「姜九、강덕구、カンng・ドック)」夫妻の養女になります。後の中宗である「晋城大君」(任士洪の監視下にあった)にクーデターの企てをお酒の瓶に貼ってあるラベルによって伝える役を引き受けることになります。この功により、チャングムは母が勤めていた「水剌間」で働く「女官」になるチャンスを与えられることになったのです。

 普段、連続ドラマを見ない私がこのドラマに嵌っていると、妻に冷やかされました。「お父さんは、人より早いか、人より遅れているか、どちらかなのね。ブームに乗るセンスがないのかもね。韓流がブームだったのは、随分昔よ。」「子供が出ているから、また見ながら泣くんでしょう。そういえば、日テレのマザーというドラマも見て泣いていたわよね。泣くの好きなんでしょ。」

 ああうるさい。妻にからかわれて、泣きたい気分です。

                      (この項 健人のパパ)

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