POWERFUL MOMが行く!
多忙な中でも,美味しい物を食べ歩き,料理を工夫し,旅行を楽しむ私の日常を綴ります。
 





 西ドイツがイスラエルに対し、第2次世界大戦中のユダヤ人虐待およびホロコーストに対する賠償金として30億ドイツマルクを払う条約に署名した年、1952年に生まれた楠田枝里子さんは、1974年、東京理科大学理学部応用化学科を卒業すると、日本テレビにアナウンサーとして入社します。日本テレビ系列で放送されていたトーク番組「おしゃれ」の久米宏とともに勤めていた司会を最後に、7年間勤務した日本テレビを1981年に退社し、フリーランスになります。日本テレビ退社後、最初の司会担当番組はフジテレビの「なるほど!ザ・ワールド(1981年10月~1996年3月)」でした。

 楠田枝里子さんは、ドイツ再統一の年、1990年から勤めていた、日本テレビの「世界まる見え!テレビ特捜部」の司会を2009年9月28日放送分をもって降板しました。長引く不況で広告収入が激減したテレビ業界では、番組制作の経費節減を図っています。ギャラの高いタレントを使うと制作費がかかるので、司会には、タレントではなく局アナを充てることで、経費を減らしているのだそうです。日本テレビは、「番組の若返りを図りたい」という理由で、楠田枝里子さん(現在、59歳)に司会から降りてもらうことを伝えたようです。「世界まる見え!テレビ特捜部」の司会は日本テレビアナウンサーの西尾由佳理さん(現在、33歳)が担当することになりました。

 ゲストとしていろいろな番組に顔を出すこととなった楠田枝里子さんは、先日、「ライオンのごきげんよう」のゲストとなりました。「ライオンのごきげんよう」は、フジテレビ系列で平日の13時から13時30分に放送されているトークバラエティ番組です。2010年12月に放送20周年を迎えた、小堺一機さんが司会を勤める長寿番組です。この番組には前身があり、1984年に始まった「ライオンのいただきます」が幾度かのリニューアルを経たものです。

 この「ライオンのいただきます」が、テレビ朝日系列の「徹子の部屋」とともに、平日の13時15分から13時30分に放送されていた、日本テレビ系列の「おしゃれ」の視聴率を低迷させ、1987年に(13年間続いた)、その放送の幕を閉じさせます。楠田枝理子さんが司会を辞めてから6年後のことでした。

 楠田枝里子さんはエッセイストとしても活躍し、文春文庫の「不思議の国のエリコ」(1987年)、「気分はサイエンス」(1989年)、「センチメンタル・マシーン」(1991年)、「パンとサーカス物語」(1992年)、「ナスカ 砂の王国」(新版、2006年)、「飛んだ旅行記」(1996年)、新潮文庫の「青いサーカステントの夜」(1989年)、河出書房新社の「ピナ・バウシュ中毒」(2003年、ピナ・バウシュ(Pina Bausch)はドイツのバレエダンサー)、光琳社出版の「消しゴム図鑑」(1998年)、幻冬舎の「チョコレート・ダイエット」(2004年)、中央公論新社の「チョコレートの奇跡」(2011年)、ほるぷ出版の「うさちゃんのニュース」(1996年)、文化出版局の「ぼくはおおきなくまなんだ」(1979年)などの著作があります。

 小学館発行の月刊女性ファッション雑誌「CanCam(キャンキャン)」(1981年創刊)の1987年1月号から3年間にわたり連載された「エリコの飛んだ旅行記」は、単行本を経て、1996年に「飛んだ旅行記」として文庫化されます。「飛んだ旅行記」は、楠田枝里子さんが仕事やプライベートで世界各国を飛び回って体験した旅行記です。理系大学(「東京理科大学」)に進学したのですから理系的思考の人であるのか、30歳中頃の著作であるせいなのか、体験した事実を早口に話すような記述になっており、テンポの良さを感じます。旅行記は26話からなっており、各話の最後には「教訓」とやらが記述されています。22話の「寝るか、学ぶか」に載っている教訓は次のものです。

   立ってるものは、スチュワーデスでも使え。

 長いマクラでしたが、「ライオンのごきげんよう」で述べられたことは、この「寝るか、学ぶか」に載っていることと同じでした。会話を再現してみたかったのですが、それは難しく、「飛んだ旅行記」(文春文庫」)から引用して、構成しました。

 初めての海外旅行で、私ほど効率良く飛行機を利用した客も、珍しいのではないだろうか。
   …
 ドイツに向かう飛行機の中で、私は大きく地図を広げていた。急にとれた休みに旅をしようと決めたのはいいが、チケットを押さえるのが手いっぱいで、タイム・スケジュールを組む暇がなかった。どこを、どう回ろうか。うまく目的地にたどりつくことができるのか。不安は増大するいっぽう。


小堺一機「なんで最初の海外旅行がドイツだったのですか。」
楠田枝里子「童話に興味があったんです。」
小堺「そうなんですね。ドイツはグリムが誕生した童話の国ですものね。」

 とりわけ気懸かりなのは、言葉の問題である。英語は中学の頃から授業を受けてきたといっても、しゃべるとなると首をひねってしまう。だいいち、英語が通じないかもしれない。ドイツ語は、少しかじりはしたが、小学生の読み書き程度で、簡単な挨拶だって、会話には全く自信がない。
 言葉が通じない、では文字通り話にならない。


小堺「ドイツ語は知っていたのですか。」
楠田「大学で学んではいたんですけど、勉強していたからって、話せるわけではありませんよね。」
小堺「そうです。そうです。会話は別ですよね。」

 うーん、どうしようと思い悩んだ末に、ひらめいたことがあった。
 そのとき、ちょうど、ルフトハンザ航空の飛行機に乗っていたのが、幸運であった。乗務員はほとんどがドイツ人である。


 「ルフトハンザドイツ航空(Lufthansa)」は、ノルトライン=ヴェストファーレン州の「ケルン(Köln)」に本拠を置くドイツ最大の国際航空会社です。航空輸送量を表す指標に「旅客キロ」というのがあります。旅客1名を1キロメートル輸送した場合、1旅客人キロといいます。世界の航空会社を国際線のみで比較すると、「定期便旅客キロ(Scheduled Passenger - Kilometres Flown)」で1,000億旅客人キロを超える航空会社は、「エミレーツ航空(Emirates)」、「ルフトハンザ(Lufthansa)」(スターアライアンスメンバー)、「エール・フランス(Air France)」(スカイチームメンバー)、「ブリティッシュ・エアウェイズ(British Airways)」(ワンワールドメンバー)のみです。4社が肩を並べてます。ルフトハンザは、2011年1月24日で日本就航50周年を迎えました。

 私は、スチュワーデスの呼び出しボタンを押す。カツカツカツ、と大柄の女性が、一番後ろの私の席にやってきた。
「すみません、水を一杯ください」
 この「すみません」だけでも、なかなか難しい。「エントシェルディゲン・ズィー・ビッテ」
“Entschuldigen Sie bitte!”と言うのだが、早口言葉みたいに、舌がもつれる。緊張しきっているから、なおさらである。
 幾度か繰り返して、どうやら通じたらしく、コップに水が運ばれてきた。
 冷たい水を一気に飲みほし、勇気を得た私は、バッグから辞書を取り出して、作文を始めた。
 一文できあがると、またボタンを押す。


 楠田枝里子さんは、次から次へとお願いや質問を考え出し、辞書を引いて作文し、幾度となくコールボタンを押して、スチュワーデス(CA、キャビン・アテンダント)を呼び出します。「すみません、毛布をもう一枚、持ってきていただけますか」、「フランクフルトまで、あとどのくらい、かかりますか」などと。幾度となく呼び出されると、CAも不審に思い始めます。

 その次にボタンを押すと、私の前にアシスタント・パーサーが現れて、「用事じゃなくて、何かわけでもあるんじゃないですか」と聞いてきたのだ。
 私は素直にあやまって、事情を話さざるを得ない状況になった。
「すみません。生まれて初めて、外国へ行くんです。ドイツ語が通じるかどうか、とても心配で、皆さんで練習させて頂いていました。


小堺「よく、そこまでドイツ語で説明できましたね。」
楠田「日本語の話せる方だったんです。」
小堺「なるほど。」

 ここで楠田さんの試みも終わりを告げたかというと、思いがけない展開が待っていたのです。休憩に入っているなど手の空いているCAがかわるがわるやって来て、隣の空いていた座席に座り、楠田さんとドイツ語で会話をしてくれるようになったのです。「ミュンヘンに行ったら、今の季節はバス・ツアーで簡単に行けますから、ぜひノイシュヴァンシュタイン城(Schloss Neuschwanstein、Neu=New(新)+schwan=swan(白鳥)+stein=stone(石))を見てらっしゃい」、「ニュルンベルクで途中下車して、名物の焼きソーセージを食べるのも、いいわね。おいしいんですよ」などと旅行のアドバイスももらったそうです。

私「いい話しだろう。ルフトハンザのキャビン・アテンダントは質がいいのかな。」
妻「彼女はきっとビジネス(クラス)に乗っていたのよ。ビジネスは(エコノミー・クラスと比べて)扱いが格段にいいのよ。」
私「他の航空会社でも同じことが起りうると?」
妻「ビジネス(クラス)には何度か乗ったことがあるけど、キャビン・アテンダントに余裕があって、お客さんとの会話を楽しんでいる感じなの。」
私「そうなのか。いい話だと思ったんだけどね。」
妻「ポジティブな人は、いい経験をするということね。」
私「まあね。」

 スチュワーデス本来の仕事ではないのだから、迷惑なことだろうが、ここだけの話、これはなかなか良い方法である。パリへ行くならエールフランス、ミラノヘ行くならアリタリア、というふうに、目的地の航空会社の飛行機に乗って、飛行時間をフルに活用する、というのは。(帰路はJALを選べば、日本のペースをいち早く取り戻せる。ただし、これを実行してスチュワーデスに怒鳴られても、当方は一切関知しないから、そのつもりで。)

妻「ビジネスで1回旅行するくらいなら、エコノミーで何度も行きたいわね、私は。」
私「これはそういう話では、、、」
妻「日本テレビに勤めていたら、そうは休みがとれないから、フリーになったのかもね。」
私「君と同じように旅行好きなんだそうだよ。」
妻「一人旅なのよね。」
私「君も行くじゃないか、ベトナム2週間とかね。」
妻「貧乏旅行よ。何度も行きたいからね。」

 何日かかけてこの記事を作ってきたのですが、話がずれて終わりました。伏線をいくつか張ったのですが、予想外の方向にずれて、、、話が落ちなくなりました。

(追記) 楠田枝里子さんは、「Eriko Kusuta's World」という公式ホームページを持っています。

 2012年11月21日の日記です。
今日は、テレビ朝日の「アイスNo.1決定戦」の収録。やっぱり5時間くらいかかっちゃったのですが、あ~~、面白かったあ~~~。会場もとってもいい雰囲気で、楽しくお仕事させていただきました!!

 2012年12月12日の日記です。
そうそう!「アイスNo.1決定戦」の放送が、15日、今週土曜日に迫りました!!人気のアイスの頂点を極めるのは、どの商品か。テレビ朝日で、夜7時ちょっと前からの2時間スペシャルです。ぜひご覧になってくださいね!

 元気に活躍されていますね。

              (この項 健人のパパ)

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 日本でのインフルエンザの流行は、これまでは冬季に集中していました。一般的傾向として、第46週(2010年度は11月15日~11月21日、11月中旬)あたりからインフルエンザの患者数が徐々に増加し始め、第4週(2011年度は1月24日~1月30日、1月末)あたりにピークを迎え、第8週(2011年度は2月21日~2月27日、2月末)あたりに患者数は大きく減ります。

 しかし、2008/2009年シーズン(2008年7月~2009年6月)と2009/2010年シーズン(2009年7月~2010年6月)は特殊でした。流行の通年化が見られたのです。2008/2009年シーズンの季節性インフルエンザの流行は、11月にAH1亜型、AH3亜型のインフルエンザの同時流行があり、2009年3月に入ってからはB型のインフルエンザ(ビクトリア系統)が流行し、5月にはAH3亜型のインフルエンザが流行するという事態になりました。このため、流行期が長期間に及ぶことになってしまいました。



 東京都では、2008年9月から2009年8月までに、定点医療機関、公立の学校(幼稚園、小中学校、高校)、医療機関から搬入された検体(咽頭拭い液、鼻咽頭拭い液、うがい液)について、インフルエンザウイルスの遺伝子検査を行ったところ、AH1亜型(Aソ連型、AH1季節性)が約56%、AH3亜型(A香港型)が約24%件、B型が約20%だったようです。

 2009年4月26日に、「豚インフルエンザの脅威-パンデミック(世界的大流行)の予兆?」というタイトルで書いたブログ記事からです。

 日本ではタレントの泥酔騒動の陰に隠れ、そのニュースの重要性がまだ知られていないようですが、海の向こう「メキシコ」で大変な事態が発生しています。外務省の「海外安全ホームページ」から該当するページの記述を見てみます。「メキシコ:H1N1亜型由来豚インフルエンザの発生について(注意喚起:その2)」(2009/04/25)からです。

 「4月25日現在、メキシコにおいてインフルエンザと似た症状を示す比較的重い呼吸器疾患が流行しています。メキシコ厚生大臣は記者会見で、これまでメキシコ全国で1,004人の症例があり、4月23日までに68人が死亡(うち、20人の死因がインフルエンザであることを確認済み)していること及び以下の対策をとったことを発表しました。なお、死亡した20人の地域別内訳は、メキシコ市13人、サン・ルイス・ポトシ州4人、バハ・カリフォルニア州2人、オアハカ州1人とされています。」

 この情報から予測すると、「インフルエンザと似た症状を示す比較的重い呼吸器疾患」の致死率は、68÷1004×100で、7%ほど。致死率がこの水準だと、大流行する可能性があります。罹患者がそうとは知らず、多くの人と接触して感染させることが起こるからです。「パンデミック(インフルエンザなどの感染症が世界的規模で同時に流行すること)」という事態が起こりえます。


 この「豚インフルエンザ」はやがて「新型インフルエンザ」と呼ばれるようになり、致死率はそれほど高いものではないことが分ったのですが、日本でも感染を広げていくようになります。東京都でも、このインフルエンザの遺伝子検査を行うようになり、2009年4月末から8月末までの検査では、新型インフルエンザウイルス(AH1pdm亜型)が約79%に及ぶことになります。AH3亜型(A香港型)は約20%なのだったのですが、AH1亜型(Aソ連型)は0.5%にも満たなくなっていきます。Aソ連型はAH1pdm(pdmは、pandemic(パンデミック)から)に取って代わられたことになります。

(参考) 「インフルエンザに罹ったらそれは「新型AH1pdm」と見ていいのか。

(注) この記事の中で「新型の流行でA香港型とAソ連型は、ほぼなくなるだろうという予測をしている」と述べていますが、実際はAソ連型がほぼ姿を消し、新型に取って代わられましたが、A香港型はいまだ流行を起こしています。(注終わり)



 東京都では、2009年第31週(7月27日~8月2日、7月末)あたりから新型インフルエンザの感染者が急増し始め、第41週(10月5日~10月11日、10月初め)あたりにピークを迎えます。そのまま感染者数は大きく減ることはなく、2010年第8週(2月22日~2月28日、2月末)あたりにようやく大きく減少し始めます。

 2010年は第13週あたりから第39週あたりまでは感染者はほとんど報告されませんでした。190日程度の期間、ほぼ平穏だったといえます。インフルエンザ感染の通年化ということは避けられたのでしょうか。

 2008/2009年シーズン(2008年9月1日~2009年8月30日)のインフルエンザウイルスの検出割合は、AH1型が約41%、AH3型が約20%、B型が約19%、新型が約20%でした。AH1型:AH3型:B型:AH1pdm(新型)=2:1:1:1 だったと言えます。しかし、2009/2010年シーズン(2009年8月31日~2010年9月5日)は、新型が圧倒的に多く、98%に及んでいました。

 心配しているのは、インフルエンザ感染が通年化すると、インフルエンザワクチンの効果はどうなるのかということです。ワクチンが充分に効果を生じている期間は3~5か月と短いのだそうです。通年化すると、年に2~3回の接種が必要になるのでしょうか。それならば、覚悟を決めて、自然感染で抗体を獲得した方がいいとも思えます。自然感染で獲得した抗体は、インフルエンザウイルスが変異を繰り返し大きく変化するまではそのタイプには有効です。

 ワクチンの接種は受けないで(または1度のみで)、感染しないように心がけて、それでももし感染してしまったら、「タミフル」(経口薬)、「リレンザ」(吸入薬)、「ラピアクタ」(点滴)といった抗インフルエンザウイルス薬によって重症化を防ぐという戦略はどうでしょう。しかし、これらの抗インフルエンザウイルス薬によって治療を受けた場合、充分な抗体を獲得できない、という話もあります。どうすればいいのでしょう。

 間近に迫った今年の家族旅行の目的地はヨーロッパです。いま、ヨーロッパではイギリスに始まった新型のインフルエンザが感染を広げています。2009/2010年シーズンでは、ヨーロッパでは、アメリカなどと異なり、新型インフルエンザの流行は小規模でした。そのため、抗体を持っている人が少なく、2010/2011年シーズンには流行し易い環境にあるのです。

 一般的傾向としては、アメリカでは昨シーズンには流行しなかったA香港型が今シーズンの流行の主流を占め、昨シーズンにA香港型の流行のあったヨーロッパでは新型の流行という構図になりそうなのです。去年のイタリア旅行では、現地で「新型」の流行の話は聞かなかったのですが、今年は様相が異なりそうです。オランダ、ベルギー、フランス、スペイン、ポルトガル、イタリアと飛行機で移動するので、多くの人と狭い空間に閉じ込められるような時間がかなりあります。感染リスクが高まります。

(参考) 「インフルエンザワクチンの有効期間(効果の継続期間)はどのくらい?

 病院の病棟も飛行機の機内と同じように多くの人と共有する狭い空間といえます。2011年1月21日に、茨城県の大洗海岸病院で季節性インフルエンザの集団感染があったことが発表されました。90歳代の入院患者の女性が死亡し、他の入院患者や看護師ら計20人の感染が確認されたのです。

 同病院では1月18日頃から、発熱を訴える患者が出始め、21日現在では、死亡した女性以外に入院患者145人中50歳代から90歳代の16人と、看護師ら職員4人からA型の陽性反応が出たそうです。

 死亡した女性は、2010年12月27日、急性腸炎で入院します。1月15日に発熱や咳の症状が出て、18日には熱が40℃に上がります。インフルエンザ感染が疑われ、簡易検査をしたところ、インフルエンザA型の陽性反応が出ます。抗インフルエンザウイルス薬「ラピアクタ」の点滴投与を受けますが、1月21日に呼吸不全に陥り、死亡します。死因は「肺炎」でした。

 妻「家に籠っていない限り、インフルエンザに感染するリスクは避けられないのよ。」
 私「そうだね。」
 「社会生活を送っていれば、人と接しないわけにはいかないの。人ごみを避けろといったって、、、」
 「無理だね。」
 「飛行機の機内も通勤電車の車内と同じよ。」
 「通勤電車の方がもっと感染しやすいかもね。」
 「そうよ。だから、旅行には行くわよ。どこにいたって、リスクは同じなんだから。」
 「・・・」
 
                (この項 健人のパパ)

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 鳥取県で1月8日に30歳代女性がインフルエンザ感染で死亡しました。合併症として肺炎を引き起こしたことで亡くなったようです。インフルエンザ感染で重篤化することの多い「ハイリスク群」には属していませんでした。

 「ハイリスク群」とは、インフルエンザに感染すると、重症化や合併症を引き起こす可能性の高いグループのことで下記の人たちです。
  (1) 65歳以上の高齢者
  (2) 妊娠28週以降の妊婦
  (3) 慢性肺疾患(肺気腫、気管支喘息、肺線維症、肺結核など)を持っている人
  (4) 心疾患(僧帽弁膜症・鬱血性心不全など)を持っている人
  (5) 腎疾患(慢性賢不全・血液透析患者・腎移植患者など)を持っている人
  (6) 代謝異常(糖尿病・アジソン病など)を持っている人
  (7) 免疫不全状態の患者

 「インフルエンザ」は、インフルエンザウイルスが呼吸器に感染することによって起こる病気で、鼻水、鼻づまり、微熱、きわめて短期間の軽度の悪寒といった「風邪(普通感冒)症状」とは異なり、発熱(38~40℃)、筋肉痛、関節痛、全身倦怠感、強度の悪寒といった症状をみせます。気管支炎、肺炎、インフルエンザ脳症といった合併症を引き起こし、二次感染や急性脳症により死亡することもあります。

 2000年から2009年までの10年間の「インフルエンザによる死者数」の統計があります。2001年と2008年が300人未満で死者数の少ない年で、2003年と2005年が1,000人を超えた死者数の多い年でした。10年間の平均では、インフルエンザ感染で亡くなる人は年間730人ほどになります。

 2000年  0,575人
 2001年  0,214人
 2002年  0,358人
 2003年  1,171人
 2004年  0,694人
 2005年  1,818人
 2006年  0,865人
 2007年  0,696人
 2008年  0,272人
 2009年  0,625人

 ヒトに流行を起こしているインフルエンザウイルスには、A型のH1亜型(Aソ連型)、H3亜型(A香港型)とB型の3種類があります。B型インフルエンザには、ビクトリア系統と山形系統の2つの抗原性の異なるタイプがあり、2004年~2005年シーズンに流行したのは、山形系統でした。2005年には、インフルエンザによる死亡者は1,818人に上っています。平均の2.5倍でした。

 2004年~2005年シーズンは30歳代から50歳代の患者数の割合が例年に比べて多かったようです。この年齢層はいろいろなタイプのインフルエンザウイルスに対する抗体を持っていることが多く、インフルエンザには罹りにくい。そのため、ワクチンの接種率も低いことから、抗体で対抗できないインフルエンザのタイプが流行すると、この年齢層は日常的に多くの人と接触するので、一気に流行が広がることになります。

 新型インフルエンザに感染した鳥取県境港市の30歳代の女性は、1月8日午前に、インフルエンザ様の症状で病院を受診します。簡易検査でA型陽性と診断されたことから、タミフルなどを処方されます。しかし、同日午後に自宅で倒れているのを家族に発見され、救急搬送された病院で死亡が確認されることになります。

 女性に基礎疾患はなく、またインフルエンザワクチンの接種は受けていなかったといいます。自然感染でいろいろなウイルスに対する抗体を獲得しているはずの年齢層に属し、一般的には疾患に体力的に対抗できるはずなのですが、何が起ったのでしょう。痛ましいことです。ご冥福をお祈りします。

 京都市は、1月14日に、新型インフルエンザに感染した50歳代の男性が死亡したと発表しました。男性は1月10日夜に発熱します。翌11日にインフルエンザA型陽性と診断され、抗インフルエンザ薬の「イナビル」の投与などの治療を受けますが、14日朝に肺炎により死亡します。

 この男性には「胚嚢胞症」の基礎疾患がありましたが、インフルエンザワクチンの接種を受けていなかったといいます。30歳代女性も50歳代男性もともに合併症の肺炎で亡くなり、ともにインフルエンザワクチンの接種を受けてはいませんでした。

 昨年末の2010年12月29日に、韓国では新型インフルエンザの死亡例が報告されています。30歳の男性が12月27日にインフルエンザ発症に特徴的な症状である「高熱と筋肉痛」を訴えます。翌28日に新型インフルエンザ(A/H1N1)と診断されます。29日未明に症状が悪化し、集中治療室で治療を受けますが、容態は好転せず、死亡したそうです。韓国では、今年の2011年1月3日に、女子中学生の死亡も報告されています。



 2009年に発生した新型インフルエンザ対策で、政府の対策本部専門家諮問委員会の委員長を務めた、自治医科大地域医療学センター公衆衛生学部門の「尾身茂」教授は、2010年12月12日に、日本ワクチン学会の学術集会で講演し、次のような見解を述べたそうです。

 「新型インフルエンザは、2009年~2010年シーズンの流行が小中高校生を中心に広がったことで、この年齢層にはウイルスに対する抗体を獲得している者がいることから、ウイルスの大きな抗原変異がないことを前提にすれば、2010年~2011年シーズンはこの年齢層ではなく、乳幼児や成人で新型インフルエンザ(AH1pdm)感染が広がる恐れがある。」

 新型インフルエンザに限れば、いままでのところ、死亡例は2例ですが、季節性インフルエンザ(A香港型)ではすでに高齢者に死亡者が出ています。A香港型は高齢者で重症化することが多く、高齢者施設などで集団感染が起り、2010年11月には秋田県の鷹巣病院で80人以上が集団感染し、そのうちの8人が死亡しています。

 病院の話では、インフルエンザワクチンは10月22日から29日にかけて、患者(入院患者130人ほど)や職員全員(看護師など86人)に接種したといいます。しかし、ワクチンは接種して2~3週間ほど待たないと感染予防、発症予防、重症化予防といった効果は現れず、院内での感染死亡例は、10月31日には報告されることになってしまいます。職員にも感染者は20人が確認されることになります。間に合わなかった、ということでしょう。

 今年も無事にインフルエンザの流行期(インフルエンザの患者数は2月にピークを迎えることが多い)を発症せずに乗り切りたいものです。ワクチン接種を10月中旬には家族全員で受けているので、少なくとも重症化することはないのかな。

              (この項 健人のパパ)

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 急に出現する悪寒、高熱を特徴とするインフルエンザは、インフルエンザウイルスに感染することで発病します。インフルエンザには流行期があり、温度が低く乾燥した冬には、空気中に漂っているウイルスが長生きできることや乾燥した冷気でのどや鼻の粘膜が弱っていてウイルスに感染しやすいことなどから、発症者は12月に増え始め、2月にピークを迎え、3月頃には急速に減っていきます。

 インフルエンザウイルスはA型、B型、C型の3つに大きく分けて分類されます。毎年流行を繰り返す毎にウイルスには変異株が出てきます。特にA型は多くの変異株があり、世界的な大流行を引き起こします。例えば、2009年に世界的大流行を起こしたいわゆる「新型インフルエンザ」の株の1つに「A/カリフォルニア/7/2009(H1N1)pdm」があります。B型も流行があります。C型は軽症のことが多い。

 インフルエンザに感染することを防ぐには、インフルエンザウイルスに接触することを避ければいいのですが、社会生活を送っている私たちには不可能なことです。感染しやすい環境に入るときにマスクを着用したり、手洗いをこまめにするなどの防衛策を講じたり、インフルエンザウイルスに免疫力で対抗できるような健康状態を維持することが必要だとは言えます。

 しかし、いつも規則正しい生活を送るわけに行きません。仕事に追われて健康に良くないとは分っていても無理をすることもあります。免疫力をあげる人工的な方法にワクチン接種があります。人類は、天然痘というウイルス感染症をワクチンという手段で撲滅しましたが、インフルエンザは変異を繰り返すためにワクチンの効き目がなくなり撲滅することは不可能です。

 それでも、流行株を予測することで、インフルエンザワクチンの接種が行われています。予測が的中すると、インフルエンザに感染することを防止したり、感染しても発症を防いだり、発症しても重症化を妨げる効果があるといわれています。費用をかけてインフルエンザワクチンを接種しても、発症する人もいるわけですから、心許ない効き目とも言えます。

 しかし、若くて元気な20歳代にインフルエンザに罹って、高熱や筋肉痛でかなりシンドイ思いをしたので、高齢になった今ではそんな苦痛に耐えられる自信がありません。インフルエンザウイルスと戦うのに、鉄剣でなくても、柔らかい銅剣であっても、素手よりはましだと思うから、このところ毎年ワクチンの接種を受けています。
 
 インフルエンザワクチンはインフルエンザウイルスから作られます。ワクチンの製造に用いる「ワクチン株」をどれにするかは、 厚生労働省健康局の依頼に応じて「国立感染症研究所」が検討し、 これに基づいて厚生労働省が決定します。国立感染症研究所は、11~12月に次年度シーズンの予備的流行予測を行い、翌年1月下旬から数回にわたり研究所内外のインフルエンザ専門家を中心とする検討委員会が開催され、さらに、2月中旬にWHOにより出される北半球次シーズンに対するワクチン推奨株などを検討し、3月までに次シーズンのワクチン株を選定します。

 2010年~2011年シーズンのワクチン株は、A型株が「A/カリフォルニア/7/2009(H1N1)pdm」と「A/ビクトリア/210/2009(H3N2)」、B型株が「B/ブリスベン/60/2008」と決定されました。

 2010年11月15日に、横浜市金沢区の小学校で、3学年の54名中30名が欠席しました。欠席者30名のうちインフルエンザと診断された者が15名であったため、学年閉鎖となります。横浜市衛生研究所は、翌16日に5名の患者のうがい液と鼻かみ検体を入手し、リアルタイムPCR検査を実施します。その結果、2名はB型と判定されることになります。

妻「でも、B型はそれほど心配しなくてもいいんでしょう。」
私「いや、B型の方が重くなることがあるようなんだ。」
「どんな症状なの。」
「高熱や関節痛はA型と共通だけど、胃腸症状が出るようだよ。」
「お腹が痛くなったとかするの?」
「そう、下痢をしたり、嘔吐したり、、、」
「この間の私の症状みたい。」
「あれは、12月のことじゃないか。」
「B型が横浜でこっそりと流行っていて、横浜に用事で行ったときに私にウイルスがとりついたのよ、きっと。」



 たしかに、横浜市のある神奈川県では2010年第51週(12月20日~12月26日)にもB型インフルエンザの局地的流行がグラフから確認できます。検出されたインフルエンザウイルスのおよそ31%がB型だったのです。

私「ワクチンを打っていたから、何日も寝込むことはなかったのかも知れないね。」
妻「あら、種類が違うとワクチンは効かないんじゃないの?」
「A型にA香港型とAソ連型があるように、B型にもビクトリア系統と山形系統というのがあるね。」
「今年のワクチンにはどれが使われていたの?」
「ビクトリア系統のワクチン株だよ。」
「横浜で流行っているのは、どっち?」

 横浜市衛生研究所は、シーズン前に国立感染症研究所から配布された抗原解析用の2010/11シーズンウイルス同定用抗血清キット「A/カリフォルニア/7/2009(H1N1)pdm、A/ブリスベン/59/2007(H1N1)、B/ブリスベン/60/2008(ビクトリア系統)、B/バングラデシュ/3333/2007(山形系統)」を用いた「赤血球凝集抑制試験(Hemagglutinin Inhibition Test、HI試験)」によって、型・亜型の同定および抗原解析を行います。

 抗体を含む血清(血液の55%ほどを占める液体成分)を「抗血清」といいますが、その抗血清に一定の抗原量のウイルスを加えて反応させた後に、赤血球浮遊液を加え、どの希釈倍数まで凝集が抑制されているかを観察するのが、HI試験です。インフルエンザウイルスは赤血球を凝集させることから、凝集が起らなければ、抗体が抗原であるウイルスの赤血球凝集素を攻撃し、赤血球が凝集しないようにしていることになります。

 抗原解析を実施した結果、患者から採取したウイルスは、ビクトリア系統(Victoria系統)の「抗血清 B/ブリスベン/60/2008」では、320倍から640倍に希釈しても凝集が抑制されました。これは、患者から採取したウイルスがビクトリア系統であることを意味します。一方で山形系統の「抗血清 B/バングラデシュ/3333/2007」に対しては、20倍希釈程度で凝集が始まってしまったようです。

 これは、横浜市周辺で流行しているB型インフルエンザは、山形系統ではなく、ビクトリア系統であることの証拠となります。今期のインフルエンザワクチンのB型株の「B/ブリスベン/60/2008」はビクトリア系統ですから、同じ系統に属していることになります。

妻「じゃあ、ワクチンの効き目はあるのね。」
私「それほど重くなかったのは、ワクチンのおかげかもね。」
「あら、それほど熱は上がらなかったけど、吐き気で辛かったのよ。」
「ワクチンの効き目もそこまでなのかな。」

 インフルエンザウイルスのHA遺伝子の系統樹解析も行われ、このB型のウイルスは「ブリスベン/60クレード」とは異なっており、「台湾/55/2009クレード」であることがわかったそうです。クレード (clade)とは、単系統群 (monophyletic group)とも言い、1つの共通祖先と、それから派生した分類群全てを含むグループのことを言います。検出されたB型はワクチン株のB/ブリスベン/60/2008類似株群とはグループが違い、抗原性状が異なる種類だったということになります。

 WHOによれば、イギリスでは、昨年の終わり頃においては、B型が報告数の3分の1を占め、アメリカにおいては、南東部を中心に43%と報告されています。2011年の2月のインフルエンザの流行期のピークに向けA型との混合流行が懸念されるそうです。

              (この項 健人のパパ)

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 フランスには、「地域圏(région)」という地方行政単位があります。アメリカ合衆国で言うならば、「州」にあたるといっていいかも知れません。アメリカの州は、最も面積の広い(1,718,000k㎡)「アラスカ州」から最も狭い(4,000k㎡)「ロードアイランド州」まで50州ありますが、フランスの地域圏は、フランス本土には、最も面積の広い(45,000km²)「ミディ=ピレネー地域圏」から最も狭い(8,000k㎡)「アルザス地域圏」まで22あります(他に海外地域圏が4つ)。




 西でスイスとイタリアに接する「ローヌ=アルプ地域圏(Rhône-Alpes、面積約44,000k㎡)」に私たちの今回の家族旅行で訪れる予定の「リヨン(Lyon)」があります。リヨンには近郊を含めて、176万人ほどが住んでおり、リヨン市のみの人口はおよそ48万人です(面積はおよそ48km²)。

 リヨンは都市圏としてはフランス第2の規模を持つのだそうですが、例えば、大阪市の人口はおよそ267万人で、その面積はおよそ222km²です。リヨン市のみで比較すると、その面積もその人口も5分の1程度です。大阪にあるような賑わいのある繁華街というようなものはなく、落ち着いた雰囲気のこじんまりとした街のようです。

 そんなこじんまりとした街なのですが、年間およそ600万人(データのとり方によっては800万人以上とも)が訪れるフランス第2(1位はもちろんパリ)の観光都市であり、その60%ほどがビジネス客なのだそうです。リヨンでは、国際会議が数多く開かれ、展示会などのイベントもよく開催されるようです。毎年12月8日には、400万人もの観光客を集めるという「光の祭典(Fête des lumières)が行われます。




 過去に人類を脅かした伝染病に「ペスト(plague)」があります。これに罹ると内出血により皮膚が黒ずんできて、致死率も高かったことから「黒死病(The Black Death)」とも呼ばれました。ペストは本来クマネズミなどの間で流行する伝染病でしたが、ネズミの血を吸うノミによって人間へと感染を広げていきました。

 14世紀、ユーラシア大陸の東西を結ぶ交易が盛んになり、イタリアに運ばれた毛皮についていたノミがペスト菌(Yersinia pestis)を持っていたことから、ヨーロッパ世界へと感染が広がっていきます。1347年にシチリア島のメッシーナに発症者が出ると、翌1348年には早くもアルプス山脈を越えてしまいます。14世紀後半のヨーロッパの人たちは3度の大流行と幾度もの小流行を生き延びなくてはなりませんでした。14世紀の大流行では、ヨーロッパの人口の少なくとも30%が失われたと言います。

 ペストがアルプス以北のヨーロッパで、1348年から1353年に流行した際、リヨンの人々がフルヴィエールの丘(colline de Fourvière)にあるノートルダム聖堂のマリア像に祈りを捧げたところ、流行が治まったといいます。人々はこれに感謝し、マリア像のあるフルヴィエールの丘に面した窓際に捧げ物としてロウソクを灯した(ともした)ようです。それが現在の、リヨン市内の家々の窓際はろうそくの灯りで彩られ、建物や道路はイルミネーションで飾られる、という「光の祭典」という行事になって行きます。

 しかし、12月8日に「光の祭典」が開催されるようになったのにはもう1つエピソードがあるようです。1852年9月8日に、フルヴィエールの古い礼拝堂で、聖母マリア像をその頭上に頂いた新しい鐘楼のお披露目の予定があったのですが、ソーヌ川の氾濫でそのお披露目は3か月後の12月8日に延期になってしまいました。ところが、待ちに待った12月8日も激しく降り続く雨で、延期せざるを得なくなりました。しかし、待ちきれないリヨン市民は次々に自宅の窓にロウソクの灯をつけ、あっという間にリヨンの街全体が窓辺のロウソクで輝くようになったといいます。

 これには異説があり、フルヴィエールの丘の鐘楼に設置されるはずの黄金の聖母マリアの像の制作を依頼された彫刻家は、予定日までに像を完成させられず、依頼した教会はお披露目を「聖母の無原罪のやどり」である12月8日まで延期することに決定します。しかし、3か月後のお披露目当日、雨が激しく降り続き、大司教は鐘楼の完成を祝別したものの、明かりを灯すことは断念せざるを得ませんでした。やがて、夜が更けると、雨も止み、教会の人々は眼下の街中の家々の窓際に、何千というロウソクが灯されているのを目にすることになります。この光景を見て、教会は鐘楼と聖母像に明かりを灯し、鐘楼と聖母像はリヨンの夜闇に明るく浮かび上がったといいます。

 みなさんはどちらのエピソードがお気に召したでしょうか。

 日本、橋本龍太郎首相、フランス、ジャック・シラク大統領、アメリカ、ウィリアム・ジェファーソン・クリントン大統領、イギリス、ジョン・メージャー首相、ドイツ、ヘルムート・コール首相、イタリア、ロマーノ・プローディ首相、カナダ、J・ジャン・クレティエン首相が出席して、1996年6月27日から29日にかけて、リヨンでG7(リヨンサミット)が開催されました。開催場所は、81 Quai Charles de Gaulle にある「リヨン現代美術館(Musée d'art Contemporain de Lyon)」で私たちが宿泊予定の「ヒルトン・リヨン」のすぐ脇にあります。

 このサミットがきっかけとなって、壁の汚れがひどかった教会などは掃除がされて壁も白くなり、その後、12月8日だけだった「光の祭典」も4日間と期間が延長され、外国からの観光客も増えるようになったようです。しかし、この期間はホテルもレストランも満員となるようで、これを目的にリヨンに出かけることは私たちにはなさそうです。街中に分散して行われる「光」をテーマにしたイベントを見てまわるには健脚である必要もありそうです。建造物をライトアップしたり、建造物の壁面をスクリーンにした映像を見せるといった、派手さはないがセンスの感じられる、フランスらしい文化的な行事のようです。



 「光の祭典」はリヨン市内で300か所以上の名所旧跡がライトアップされるイベントですが、「光の祭典」の期間以外でも建物のライトアップはあるようです。「リヨンをリュミエール(光)の都市にしていこう」というコンセプトでの都市再生計画が始まり、1989年には「光の計画、Plan Lumiere、プラン・リュミエール」が策定されて、リヨンの夜のライトアップ計画が進んでいるようです。子連れですが、夜出歩く必要はありそうです。観光客には比較的安全と言われる街のようですから、夜に出かけてみようかな。

                  (この項 健人のパパ)

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