نوروز (ノウルーズ)
イランの新年は、春分の日にあたる。「ノウルーズ」とは「新しい日」の意。厳しい冬を越し、若葉が芽吹き、野山に可憐な花が咲き始める時、また太陽がその均衡を取り戻す時、つまり昼と夜の長さがちょうど同じ長さになるまさにその瞬間に、イランの新年は始まる。ちなみに今年の新年の始まりは20日の午前9時17分だそう。
我が国の仏教・農耕儀礼の名残と思われる行事には、ノウルーズ前後の儀礼に相似したものが見られるが、おそらく古代ペルシャから日本へと伝わって来たものであろう。しかし、今回の記事ではそういったことには触れず、ただ、イランの神話の中に現れるノウルーズの起源についてのみ言及したい。実際の起源は、アケメネス朝の時代に置かれるが、神話の中では、「冬」の記事でご紹介したイマ王に、その起源が帰せられている。
イスラーム化以降に成立したにも関わらず、ゾロアスター教や古代ペルシャの伝統を色濃く受け継ぐイランの国民的英雄叙事詩『王書』(11世紀成立)の中に、ノウルーズとイマ王との関連性が描かれている。イマ王は『王書』の中では、「イマ」の現代ペルシャ語形であるジャムシードとして登場する。
力と栄光に満ち溢れたジャムシードは、先代王の善き訓えを受け、玉座に上った。世は全て王に帰依し、悪魔でさえも王の命に従い、争いもなく平安であった。王は、病や虚位など全ての悪しき事柄を世から失くし、全ての善を成し遂げた。その後、自らの地位をさらにたかめようとする。自分にふさわしい玉座をつくり、悪魔に命じてそれを宙に掲げさせた。それはまるで蒼穹に輝く太陽のようだった。人々はこのめでたき日をノウルーズと名づけ、その日身体を休め、あらゆる憎しみから心を解き放ち、祝宴を開く。この時から、この日(イラン暦1月1日)は、ジャムシード王の想い出として今日まで残っている。
以上が、『王書』に出てくる新年に関する記述の要約である。
また、シーラーズ近郊に位置する有名なペルセポリスの遺跡は、アケメネス朝時代の王が、各国の使節団を迎えノウルーズを祝うための離宮だったと考えられている。ペルセポリスは、ペルシャ語では「takht-e jamshid」、つまり「ジャムシードの玉座」と呼ばれている。
雪解け水のせせらぎの音。周りを囲む峻厳な山々。近郊を移動する遊牧民の緩やかに翻るスカートの小花模様。牧歌的で美しい光景の数々が、新年を迎える今頃、「ジャムシードの玉座」を彩っていることだろう。
新年の開始は、いつも昂揚感と期待感に満ち溢れている。増してや、それが最も美しく、生命に満ち溢れた季節に重なるとあっては、人々の喜びも如何程であろうか。(m)
参考文献:『王書 古代ペルシャの神話・伝説』 フェルドゥスィー作 岡田恵美子訳 (岩波文庫)
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今日は、こちらのブログの、このイランの記事をはじめ、以前に住んでいた沖縄の文化、カリフォルニア巻きについて、など、面白い記事をたくさん拝読させていただきました。
地球散歩。。。様々な国の情報満載で、とっても素敵ですね!また、ぜひうかがわせて下さい。
これからも、どうぞよろしくお願いいたします。
またぜひうかがいますので、どうぞよろしくおねがいします。♪
メギーさんは沖縄にお住いだったことがあるのですね。私は昨年、初めて旅行をして独特な文化に惹かれています。記事を書きたいのですが、わからないことも多々あるので補足コメントなどいただきたいです。
イラン在住のmitra,先日もエジプトに長期滞在していた碧、そしてギリシャに帰りたい私・・3人それぞれの散歩に是非、またおつきあいくださいね。
こちらこそ、今後ともよろしくお願いしますね!
ウズベキスタンを旅行した際に、ノヴルスのお祭りにあたり、見に行ったことがあります。
てっきりイスラム教のお祭りかと思っていたのですが、起源は、ゾロアスター教だったのですね。勉強になりました。
記事を書いたペルシャ語担当のmitraが散歩中なので
代わりにご挨拶させていただきます。
旅がちょうどノヴルズのお祭りだったのですね。
私も起源がゾロアスター教だったこと初めて知りました。春の到来と新年が重なるというのも興味深いです。
itatravelさんのところにも近々伺いますね!
今後ともよろしくお願いします。
ウズベキスタンでノウルーズの祭りに遭遇されたのですね。改めて過去のペルシャ文化圏の広さを思い知らされました。イランでは、イスラームの祭日と共にゾロアスター教の名残の祝い事も見られ、大変興味深いです。itatravelさんのブログもゆっくり拝見させて頂きますね。
ウズベキスタンは、ティムール時代の建築物は、イスファハンとかなり酷似していると思います。訪れた順序がウズベキスタン→イランなので最初はそこまでとは思いませんでしたが、逆の順番なら、それ以外にもゾロアスター教の名残を感じ取れたのかもしれません。
さて、ウズベキスタンではお祭りの時に、麦焦がしのようなういろうのしんせきのようなどろっとした甘いお菓子がふるまわれていたのですが、これはイランにも存在するのでしょうか?
itatravelさんはイランにもおいでになったのですね。
私も中央アジアに残るイスラーム建築、そしてそれ以上に、ゾロアスター教の遺跡にはとても興味があるのですが、残念ながら未だ訪れる機会がありません。
エスファハーンのモスク群は、サファヴィー朝時代(1501~1736年)のものが多いですが、ブルータイルの装飾など、ティムール時代と似たところもあるのかもしれません。建築様式についてあまり詳しくないので、よろしければいろいろ教えてください。
ノウルーズの「麦焦がし」のようなお菓子ですが、やはりイランにも存在します。ノウルーズの飾りつけのハフト・スィーン(ペルシャ語のアルファベットのSの文字で始まるものを7つ並べる)の中に、「サマヌー(麦焦がし)」というものが含まれていますよ。