Te(テ)
イタリアで一服といえばバールでのカプチーノやエスプレッソ。でも今日の話題は茶道、キリスト教との関連の話である。今年の1月にとても興味深い新聞記事があった。
1984年12月に裏千家の千玄室氏が,昨年逝去されたローマ法王ヨハネ・パウロ二世に個人謁見された折りのこと。バチカンの聖アンセルモ教会のミサで献茶をされた氏は、ミサの過程で神父様が儀式に用いる容器を聖壇の上で清める動きに茶道の「袱紗(ふくさ)さばき」の所作を感じられたという。
袱紗は茶道で茶器や茶杓などの道具を清めるのを主な用途とする布。袱紗さばきとは、その布を決まった手順で折りたたむ動作のことである。氏は「期せずして東西の文化が融合した」とその瞬間を表現された。
自ら敬虔なキリスト教信者であり、それが独自の作風となっている小説家・三浦綾子氏の小説『利休とその妻たち』の中にも同じような見解があったことを記憶している。キリスト教の学校でミサを見て育ち、茶道を勉強していた私にとっては自分の身につけてきたものに意外な「つながり」があると解って大変驚いた。日本の伝統文化とキリスト教という一見、無関係なものが歴史の流れの中で触れ合っていたという不思議である。
その歴史について千玄室氏は、キリスト教伝道者ジョアン・ロドリゲスの著書『日本教会史』から「武将のたしなみである茶道は日本で一番大事な文化であるから、利休に弟子入りし、お茶を通してキリスト教を広めたら良い」という記述に言及されている。つまり布教の地盤作りに茶道の世界に近づいてきた宣教師達がいたということである。
また利休七高弟といわれる優れた弟子の5人が高山右近をはじめとするキリシタン大名であったという事実。いずれ厳しい禁令と弾圧が行われたキリスト教の歴史を考えると本当に短い期間の交わりといえる。しかし仏教、禅宗を背景にした茶道が時代の流れの中でキリスト教と深く関わったということは間違いないのである。
先に述べた袱紗さばきや茶を点てるまでの手順は一見するととても複雑で覚えるのが大変そうに思えるようだが、実際に習ってみると全く無駄のない動きで合理的にさえ感じられる。茶道は手順ではなく「もてなしの心」。亭主と客が思い合い、尊敬しあう関係である。形ではなく精神。
千玄室氏は「一碗からピースフルネス(平和)」をテーマに活動されている。謁見の際にローマ法王から「どうぞあなたの一碗のお茶で世界の人の平和を祈ってあげてください」というお言葉をかけられ、ロザリオをいただいたそうである。そんなところにもキリスト教の精神、ひいては宗派を超えた「人の生き方」につながる奥深さを垣間見ることができるような気がする。(さ)
(読売新聞 2006年1月25日 「時代の証言者」記事参照)
『地球散歩』は一年を迎えました。ゆっくりの更新にもかかわらず、いつも遊びに来てくださって本当にありがとうございます。
先日は『ブログ評論』というページにも取り上げていただきました。
これからもどうぞよろしくお願いいたします!
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イタリアで一服といえばバールでのカプチーノやエスプレッソ。でも今日の話題は茶道、キリスト教との関連の話である。今年の1月にとても興味深い新聞記事があった。
1984年12月に裏千家の千玄室氏が,昨年逝去されたローマ法王ヨハネ・パウロ二世に個人謁見された折りのこと。バチカンの聖アンセルモ教会のミサで献茶をされた氏は、ミサの過程で神父様が儀式に用いる容器を聖壇の上で清める動きに茶道の「袱紗(ふくさ)さばき」の所作を感じられたという。
袱紗は茶道で茶器や茶杓などの道具を清めるのを主な用途とする布。袱紗さばきとは、その布を決まった手順で折りたたむ動作のことである。氏は「期せずして東西の文化が融合した」とその瞬間を表現された。
自ら敬虔なキリスト教信者であり、それが独自の作風となっている小説家・三浦綾子氏の小説『利休とその妻たち』の中にも同じような見解があったことを記憶している。キリスト教の学校でミサを見て育ち、茶道を勉強していた私にとっては自分の身につけてきたものに意外な「つながり」があると解って大変驚いた。日本の伝統文化とキリスト教という一見、無関係なものが歴史の流れの中で触れ合っていたという不思議である。
その歴史について千玄室氏は、キリスト教伝道者ジョアン・ロドリゲスの著書『日本教会史』から「武将のたしなみである茶道は日本で一番大事な文化であるから、利休に弟子入りし、お茶を通してキリスト教を広めたら良い」という記述に言及されている。つまり布教の地盤作りに茶道の世界に近づいてきた宣教師達がいたということである。
また利休七高弟といわれる優れた弟子の5人が高山右近をはじめとするキリシタン大名であったという事実。いずれ厳しい禁令と弾圧が行われたキリスト教の歴史を考えると本当に短い期間の交わりといえる。しかし仏教、禅宗を背景にした茶道が時代の流れの中でキリスト教と深く関わったということは間違いないのである。
先に述べた袱紗さばきや茶を点てるまでの手順は一見するととても複雑で覚えるのが大変そうに思えるようだが、実際に習ってみると全く無駄のない動きで合理的にさえ感じられる。茶道は手順ではなく「もてなしの心」。亭主と客が思い合い、尊敬しあう関係である。形ではなく精神。
千玄室氏は「一碗からピースフルネス(平和)」をテーマに活動されている。謁見の際にローマ法王から「どうぞあなたの一碗のお茶で世界の人の平和を祈ってあげてください」というお言葉をかけられ、ロザリオをいただいたそうである。そんなところにもキリスト教の精神、ひいては宗派を超えた「人の生き方」につながる奥深さを垣間見ることができるような気がする。(さ)
(読売新聞 2006年1月25日 「時代の証言者」記事参照)
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先日は『ブログ評論』というページにも取り上げていただきました。
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