ピッコロ便り

ピッコロシアター、県立ピッコロ劇団、ピッコロ演劇学校・ピッコロ舞台技術学校など、劇場のトピックをご紹介します。

【into60号発行】

2018年02月10日 | ピッコロ劇団
ピッコロ劇団後援会機関誌『into』60号を発行しました。
 
巻頭は、第60回公演「マルーンの長いみち~小林一三物語~」特集。また、劇団員全員の〈2017年を振り返り、2018年を展望する〉コーナーや小道具作りの裏側をご紹介する人気企画〈技〉など盛りだくさん!
 
ピッコロサポートクラブ会員様にはご自宅までお届けしています。
また、ピッコロシアター館内でもお配りしていますので、
ぜひ、手に取ってご覧ください。
 
 

【OBのいま①】舞台美術家 渡辺舞さん

2018年02月10日 | 演劇学校・舞台技術学校

2月に入り、いよいよ今年度の合同卒業公演まで1ヶ月を切りました。現役の学校生は公演に向けて作業や稽古に追われる毎日。仕事や学校との両立は大変そうですが、ゴールに向かって頑張っています。

みんな目指す場所は違いますが、それぞれ自分の目標に向かって努力し、春には新しいステージへと旅立ってゆきます。

昨年12月15日に行われた「ピッコロ舞台技術学校オープンキャンパス」でも、参加者の方たちから一番多かった質問が卒業後のこと。俳優と違い、裏方である舞台技術者は紹介される機会が少ないため、先輩たちはどういう道へ進んだのか興味を持たれる方が多かったようです。

そこで、「OBのいま」をご紹介してゆきます。

 第1回は舞台技術学校12期・13期卒業生で「舞台美術家の渡辺 舞さん」です。

 

 『スタッフ賞を初受賞!!』

昨年の大阪演劇フェスティバル(劇フェス2016)において、渡辺 舞さんは栄えある「スタッフ賞」を受賞されました。該当者無しという年もあるハードルが高い賞を単独受賞!評価の高さが分かります。初受賞だったこともあり喜びもひとしお。今後ますますの活躍が期待されています。

 

『観劇好き』

そんな渡辺さんは生まれも育ちもずっと京都という生粋の京都人(現在も地元を拠点に活動されています)。幼い頃から、お母様がミュージカルや演劇が好きで観劇する機会が多かったこともあり、小学4年生の頃には宝塚にハマり、楽屋口で出待ちするほどの入れ込みよう。将来の夢は“宝塚歌劇の大スター”ではなく宝塚関係の雑誌の編集者になりたいと、早くも裏方発想の片鱗が見えてはいましたが、その一方で絵を描くのが好きでマンガ家になりたいとも思ってもいたり… 他の子どもたち同様いろんな職業に憧れる普通の女の子でした。

小中高と観るのは好きでも自ら行動を起こすことなく…、演劇部にも美術部にも漫研にも入ることなく…もちろん養成所や塾に通うこともなく… 高校卒業後、進学先に選んだのは「文学部哲学科」 ご本人曰く「ちょっとイタい哲女でした…」とのことでしたが、哲学に興味があったというよりは、早く受験から楽になりたかったというのが本音だったようです。

 

 『大学時代~就職浪人時代』

大学入学後も、お小遣いの殆どを観劇につぎ込んでいました。3回生になり、まわりが就職活動に力を入れ始めても、父親から「就職なんてせずに家に居ればいい」と言われていたため、相変わらずの劇場通いを繰り返していましたが、4回生になったある日、「就職はどうするんだ?」と聞かれるのです。「家に居ればいい」と言っていた張本人から放たれた予想外のセリフ。慌てて就職活動を始めますが、完全な準備不足。あえなく就職浪人となってしまいます。

実はバイト経験すらほとんど無かった渡辺さんは学生という身分もなくなり、宙に浮いた状態に…何とか商業施設のサービスカウンター受付の職を得ますが、当然満たされることのない日々を送っていました。

 

『舞台美術家なんて職業 知りません?』

 好きな演劇に関わる仕事が出来たらと思いつつも、それに向けどう努力したらいいかわからなかった渡辺さんですが、大学4回生の時に偶然関わった「市民オペラ」には、卒業後も、絵が描けたこともあり広報用のイラストなどを受け持っていました。ある時、演出家から舞台美術のデザインを依頼され、よくわからないまま描くことになったのが「舞台美術」との出会いとなりました。

 自分の描いたイラストが、プロの手で図面になり、それが立体化していくのを見て、「舞台美術家」という仕事の存在を知り、その面白さにどんどん引き込まれていきました。

 

『偶然の出会いが、わたしをプロにした』

 そんなとき「ピッコロ舞台技術学校」の存在を知り、アルバイトをしながら2年間通って舞台美術の基礎を身につけました。当時、美術コースの主任講師をされていた板坂晋治先生にその腕を見込まれ、助手としてエレベーションの清書や現場の助手等を務めているうちに関係者に顔が売れ、少しづつ仕事の依頼が舞い込むようになっていったのです。

 

『そしてこれから、そしてみなさんへ』

その後、関西を中心に様々な舞台のデザインや製作に関わり、現在はフリーの舞台美術家として多忙な日々を送られています。スケールの大きな商業演劇のデザインをやりたいという夢はありますが、東京進出は考えておらず、関西で頑張っていこうと決めています。

平成24年度からはピッコロ舞台技術学校の講師も務め、人材の育成にも尽力していて、かわいい後輩も増えてきたようです。

そんな渡辺さんから、この世界を目指すみなさんへのメッセージは「とにかく色々なものを見ること」「体験できることは何でも体験しておくこと」「どんな時も常に観察することを怠らないこと」など、いつでも自分回りや世の中で起こる様々なことに目を向けて欲しいということ。

「興味を持つこと、未知のものを知ることから生まれてくる新しい発想こそが、この仕事の原点です。全く初めてでも、興味があるだけなんですという理由でもいいんです。一緒に未知なる新しいものを創り出してみませんか!」

渡辺さん(先生)は、ともに面白いものを作ってくれる人たちを待っています。

 

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