ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

不易 イチロー

2010年09月24日 | Weblog


何だか真夏からいきなり晩秋といった昨日今日の寒さである。今朝など炬燵が欲しくなってしまった。こうなるとあの夏が恋しくなるから、人間というのは何て勝手なものかと毎年のように思うのだ。

今朝のBSニュースで、「不易」とは、といきなり難しい漢字を出して何を説明するかと思ったら、イチローのことであった。何年連続かの200本安打の快挙を取り上げての解説なのだが、個人的には、殆ど興味のない出来事である。確かに、イチローというのは優れた野球選手であるのだろうが、それ程持て囃すことなのか、といつも思う。ちょっと称揚し過ぎ、更には神格化し過ぎであるのだ。

イチローを見てると、どこか利己的で、自分の記録のためにやってるとさえ見える。本来はチームが勝つために如何にに活躍するかが選手の価値かと思うが、彼の場合、弱小チームで、自分だけはこつこつ安打を稼いでいるといった風にしか見えないのだ。弱小故、ホームランではなく安打を稼ぐのにはより有利。職人的安打といっても言い換えればしょぼい安打、見せるといった視点で捉えた場合、日本ならいざしらず、アメリカではイマイチ評価もされないのではないだろうか。この部分をとって日本一の職人と持て囃し本まで書いた人間もいる(山本益博だが)。はっきり言ってイチローがいなくても惜しいとは思わないが(必ず夢を与えてくれるなどと言う人間はいるが)、たとえば優れた「蒔絵師」「指物師」「刷り師」「木地師」がいなくなったとしたらそれは相当な損失だと思う。取り上げるべきは、名もなき本当の優れた職人であろう。まあ、山本益博はどうでもいい。

オリックスに入団した頃は、若いのに自分の意見を持っている選手だと感心した覚えがあるが、見てると、その時と大して変わらない。簡単な内容を、難しくさも深遠な言葉のように言う癖は相変わらずだし、それを有り難がるマスコミという図式も相変わらずだ。両方無くなってもいいと思う瞬間である。実際今日の「不易」でもあるし。

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