ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

冷血 アメリカの影

2010年09月17日 | 映画


深夜目が覚める。やることは一つ、取り敢えずテレビを点ける。サッカーでもやってればと期待する。すると、この前長友が出た「チェゼーナ対ミラン」が始まるところであった。調度いい、以前は後半だけだったので前半だけ見ることにする。そして前半を見終わり、BS2にすると何かの映画の途中であった。「カポーティ」である。特徴的なカポーティ役の役者が写っていたのですぐ分かった。そう言えば番組表に載っていた。この映画、そこそこ評判になったので一応名前は記憶されているが、自ら見ようという気はなく、今までずっと未見なままであった。いい機会だからとそのまま見ることになった。

映画は、カポーティが小説「冷血」を創るまでの過程を描く。実際の殺人事件を題材にした小説を創ることになったカポーティが、今で言えば犯罪心理学的なアプローチをその取材相手の死刑囚にかけ、その上での感情的な交流、同性愛的な感情の生成、カポーティ本人が死刑囚に投影する自分自身など、さまざまな微妙な変化を淡々と描写する。それなりに見せるので、結局最後まで見てしまった。ただ、これを見てカポーティの作品を読もうという気にはならなかった。昔から、何故か読むべき作家の中には入っていない。

それより気になったのは、数日前この時間帯で放映していた映画だ。白黒映画で、見たことない若い役者が出てくる、どこかウェストサイドストーリーの時代のような服装センスの若者たちの、ちょっと馬鹿っぽい生態を追っただけといった映画だった。これを見て、アメリカの「勝手にしやがれ」かと思った。というのも、ただ追っただけなのだが映画としてはいやに魅力的で、一体だれの映画なのかというのがもの凄く気になったのだ。が、途中で眠ってしまい、結局その映画の正体は分からず仕舞いだったのだ。で、ネットでNHKの過去の番組表を調べてみてやっと分かった。カサベテスの「アメリカの影」だった。なるほど、インディーズの父だけのことはある。「勝手にしやがれ」とほぼ同時期に、アメリカでシンクロするかのように同じようなテイストの「アメリカの影」が作られた。これもやはり時代の必然ということなのだろうか。
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