ピカビア通信

アート、食べ物、音楽、映画、写真などについての雑記。

落書き2

2008年06月28日 | Weblog


「オーストラリア.日本.バーレーン.ウズベキスタン.
カタール」というのが、Wカップ最終予選の組み合わ
せだ。
実質、オーストラリア、日本、ウズベキスタンの争い
か。
それにしても、アジアの4.5枠というのは、恵まれ
すぎだ。
日本が勝ちぬける保証は全くないが、このグループで
二位までに入ればいいわけだから。
実力的には、アジア全体で3でも多いくらいではない
か。
ユーロ2008の影響で、こんなことも考える今日こ
の頃である。

ところで、あの「落書き問題」だが、大学側の態度に
対して不満に思っている人が多いようだ。
処分が軽いとか、どこか他人事であるとか、発表まで
の時間がかかりすぎだとか。
今は、問題があったときの対応を間違えると、以前で
は考えられない総攻撃を受ける。
ネットの時代の恐さということになるのだろうが(こ
のブログも自ずからその一部となる)、暴走すると
魔女裁判のようになるし、正義の旗の下で徹底糾弾さ
れる事態というのも冷静に判断する必要がある。

今回のような出来事は、たまたま犯人がはっきりして
いて、集中的にやられたわけだが、同じようなことを
している人間は他にも一杯いる。
にも拘らず、「岐阜女子短大」だけが攻撃を受けるの
は、当事者にとっては納得できないかもしれない。
これは、駐車違反のおばさんが、同じように駐車違反
している人間がいるのに自分だけ取り締まられたとき
に感じる納得できない気持ちをもつのと、状況的には
近いかもしれないが、違反は違反なのである。
見せしめ的になるが、違反を違反として処分しないと、
ただでさえ倫理的規範が見えない今の時代、このくら
い大騒ぎしないと実質的な効果が得られないという側
面がある(下手をすると、総監視社会ということにも
なるが)。

そうやって考えると、ネットが今は、嘗ての「地域コミュ
ニティー」の機能を果たしているとも言える。
行動規範を教え、様々な抑制機能を持ち、時に、誹謗
中傷の場となる。
良い面悪い面、どちらも同じように持っている。
ただ、ネットの場合は、小さな悪意が制御不能の大き
さに拡大するという恐さがある。
しかしこれも、規模は違うが、地域の小さな世界でも
起こりうることだ。
後ろからばっさりということはないが、常に顔をあわ
せこそこそやられるのもそれはそれできついものであ
る。
噂だけであれば、むしろ地域社会の方が多いかもしれ
ない。
違いは、その拡大のスピードと規模だけという気もす
る。
結局、人間が集まればどこでも同じような社会現象が
起こりうるということなのか。
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