澤山輝彦
<節電の夏>
今年はクマゼミが庭の木へ来てよく鳴きました。こいつはどう聞いてもやかましい。聞く度にやかましさを再確認しました。こんなクマゼミに負けずおとらず節電節電の声もけっこうやかましく、なかでもクーラーの使用をひかえようという声がよくひびいたようでした。
クーラーへの依存を少しでも抑えようという魂胆から、窓際にゴーヤーやフウセンカズラなどを植えよう、緑のカーテンを作ろう、なんてことを新聞が書き立て、テレビでも放送したものですから、妻もその気になり、緑のカーテン作りが私にまわってきました。ぐずぐずしていて、やっととりかかれば種も苗も売り切れの店ばかり、マスコミの威力をまざまざと感じると共に、勝手なもんで自分のぐずぐずを棚にあげ少々がっかりもしました。今年のカーテンはあきらめようとしていたところ、七月の末頃だったか花屋の店頭にひょろひょろのゴーヤーの苗が売られている、三本買って帰り植えました。
今、それらはカーテンの役目を果たす大きさにはなっていませんが、それなりに実をつけました。5cmと7cmほどの二つで、大きくなるのを見て楽しんでいます。そんな時、Fさんが、畑になったものだと大きなものを三つ下さいました。早速ゴーヤーチャンプルでいただきました。ちゃんと時期通りやっていれば我家でも今頃収穫出来ていたかもしれません。
クーラー、我家にはありません。ずっとノークーラーを貫いています。妻や子供もなんとかついて来てくれました。子供は妻にクーラーがほしいと言っていたそうですが、私には言いませんでした。頑固な親父だと思っていたかもしれません。私はクーラー無しを勉強出来ないといういい訳に使ってもいいと思ったりしていたのですが。
暑い夏は暑い暑いと言ってすごす。日影を喜び、時に吹く冷たく感じる風を喜ぶ。扇子、団扇、まあ扇風機も入れよう、日がかげれば昔にかえって冷たい柳蔭、そんな小道具が夏を引き立ててくれる、暑い夏もそれはそれでいいものなのです。このことは、どなたにも出来るとは思いません。が、やせ我慢ではなく、実践出来ているから言ったまでで、クーラーの効いた部屋で、無理せんでもええやン、と評されてもいいのです。
電化生活の利便性が電気の供給量ということで一気に問い直されたのが、今年の夏です。電気会社の言い分を鵜呑みにすることはないと思いますが、利便性に逆にひっかきまわされている生活に反省も必要かと思った夏でした。
まだまだ残暑きびしく、発達した入道雲を見ることが出来ます。私はそんな雲に人の顔を見つけて楽しんでいます。とくに隈取りを入れた顔を想像するととても楽しいものです。
~平成は炭酸で割る柳蔭~