小幡憲仁 議会活動日記

よく考える政治!
20年後の高浜をイメージし、今の政治を考える。

総選挙

2005年09月11日 | 私の考え
【総選挙】
総選挙が終わりました。民主党の大敗北であり、民主党員の地方議員としては非常に残念な結果ですが、全てが悪いことばかりではないように感じました。
まず、国民の選択の対象が大きく変わりました。地方の利益代表を選ぶのではなく、国政を担って欲しい政党の候補者に投票する選挙に完全に変わったと思います。落下傘だろうが刺客だろうが、○○党の候補者に投票するのであり、完全に政党同士の選挙に変わりました。つまり、政権交代が容易な選挙風土になったのであり喜ぶべきことだと思います。今度、頑張ればいいのですから。

そしてもうひとつは、今回の結果により、自民党は本当に本物の改革をしなければならなくなったことです。族議員や利権団体のしがらみを断ち、きっと改革を断行してくれると思います。国の公共事業が生命線の地方には辛いことですが、破産寸前の国家財政を救うためには仕方がありません。民意ですから、小さい政府に向かって、歳出削減に大鉈をふるって下さい。

【田中角栄】
私は田中角栄のファンでした。今回の選挙で、本当の意味で、田中角栄の時代が完全に終わったように感じます。少し寂しい気もします。

田中角栄について書いた「異形の将軍(津本陽著:幻冬舎)」という本があります。2年程前に読みました。
この小説の中で、とても好きな部分がありますので、以下少し長いですが引用いたします。

「"ロッキード総選挙"で、新潟三区は全国の注目の的となった。田中票はどれだけとれるか。三区住民の政治意識の低さを、表日本の新聞や、中央文化人たちは、声をそろってあざ笑った。みよは、こんなときこそ先生に恩返しをするのが、義理がたい越後人の美徳だと思いこんで疑わず、角さんの辻説法を、みぞれと寒風の吹きすさぶ六日町の街頭で聞いた。 先生のいわれることを信じよう 
最後に握手した手はあたたかかった。それは遠い幼女の日、ふたたびかえらぬ父が最後に頭を撫でてくれた大きな手や、つらいとき肩を抱いてなぐさめてくれた夫の節くれだった手とおなじ、雪国農民の血のかよった感触であった。
都会の人間たちに、高熱であえぐ子供を抱え、雪のなかですべもなく共に泣いた母の心がわかるか。
一本の無雪道路が人の生命を救うありがたさがわかるか。東大出のえらい役人さんに、越後農民の気持ちがわかるか。…
みよはひたすら心の中でくりかえしていた。
昭和51年12月5日。その日もみぞれの降る寒い日だった。みよは投票所で、かじかむ手に息を吹きかけ、鉛筆を握りしめて、一字一字力をこめてかいた。
田中角栄…
いささかのためらいもなかった。
激動の昭和を生きた五十歳の女が投じた、雪の怨念のなかからの、17万分の一の重い一票であった。」

私は、国家の財政を省みない、「国土の均衡ある発展」という、ある意味幻想的な標語のもとで行われる、行き過ぎた公共投資にはかねがね問題意識を持っていました。
しかし、今回のエコノミストやら弁護士やら高級官僚やらの落下傘候補が、たかだか2~3週間の選挙運動で、いとも簡単に当選する姿を見ると、それがあるいは正しい姿なのかもしれないが、政治とは何なのかを考えてしまいます。

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