扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

戦国奥州の男たち 三日目#17 仙台の夜

2011年10月26日 | 街道・史跡

今日の宿はベストウェスタンホテル仙台

仙台城の本丸から遠くに巨大観音があるなあと思っていたら隣が宿であった。
ベストウェスタンは米国チェーンのホテルであるが、ミラノのBWはひどかったことを思い出す。
ここはたぶん、リゾートホテルだったのだろう。
大駐車場にエントランスも広い。
客室も格安で泊まるのが申し訳ないくらいに広い。
ベランダからは仙台の夜景が美しい。

晩飯は吉野家の牛丼。

山形から仙台に入り政宗の名残をいくつかみてきた。
仙台に来たのは不本意であっただろう。
そもそも政宗は南下したかったのである。

政宗を北に追いやったのは秀吉の陰謀であろうと私は思っている。
会津を取り上げ、お隣さんに蒲生氏郷を置いた秀吉はもうひとつ策を弄した。
葛西大崎領に誰を送るか。
上方大名は誰も行きたがらないであろう。
そこでどうみても器の足りない木村吉清、清久父子を送る。
うまくいかず一揆がおきてもよい。
どうせ伊達がうずうずして欲を出す。
何か落ち度があるだろう。

そこまで秀吉が読んでいたかできすぎの妄想ではあるが事実としては政宗は一揆扇動の罪を着せられ鶺鴒の花押事件で乗り切るものの先祖墳墓の地と生まれ故郷を追われ、一揆に荒廃する葛西大崎領をあてがわれるのである。
政宗が仙台に来て海を得なければ仙台の町の今は随分変わっていただろう。
そもそも仙台という地名は生まれない。
政宗は荒野の新領をみてめげることなく国土開発に取りかかる。

一説に家康が「荒れ地こそ富の元、開けば倍にもなるぞ」と慰められたという。
家康も原野の江戸をあてがわれたクチである。
この両名が箱根以東を近世都市に導くのである。

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