扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

川越点景 

2012年02月01日 | 街道・史跡

川越城址(といえない代物だが)から少し歩いてみた。

本丸御殿から西へ行くと中ノ門の堀跡がある。
川越城は本丸、二の丸、三の丸それぞれを複雑に水堀を回した平城である。
西の方へ拡張したのが松平信綱で中ノ門には虎口があった。
復元された堀はほんの一部であって水は入れられていない。
門も簡素な冠木門であったようで老中の城とはいえ石垣も多聞櫓もない。
川越城の遺構とささやかにでもいえるものはこの堀跡と富士見櫓の土台だけである。


関東の城というのは土造りの城である。
佐倉城などは随分復元に力を入れている方でまだ往時を思うことができるが川越城にはまったくそれがない。
土塁や石垣で固めていない堀というのは実に哀れで壊すのが容易なのである。
重機を突撃させ、土を堀に落とし込み整地してしまえば平地になるのに時間はかかるまい。

中世の城は「掻き揚げ城」などというが「掻き降ろして」しまうだけである。
残土処理もいらず効率的なのであろう。

西大手門あたりがかつての大手門のあたりである。
丸馬出がついたらしい。
今では市役所になっており、庁舎脇に太田道灌の銅像が立つ。
どうやら市では太田道灌を祖としたいらしい。

市役所を過ぎてもう少し行くと「札の辻」、ここを南へ曲がると城下町の中心部である。
今は蔵のある通りとして観光資源になっている。
なるほど重厚な蔵が保存され中身は商店に改造されている。
蔵の通りの中程に「時の鐘」がある。
川越藩、酒井忠勝の頃に創建されたといい、現存している鐘は明治の再建である。
蔵といい鐘楼といいよくぞ残ったとも思うが古い時代物の遺物は1kmに満たない一帯だけであって鐘楼を過ぎると住宅地と小学校が現れる。

喜多院に寄ってみることにした。
 
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中ノ門の水堀跡 
 

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市役所前の太田道灌像
 

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蔵のある通り
 

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時の鐘




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