扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

真田三代の足跡 二日目 #2 真田の墓参り −長国寺など−

2018年10月04日 | 街道・史跡

典厩寺から真田宝物館へ。

千曲川を渡ってすぐ、海津城址の大手門を出たところにある。

こちらは真田家当主が旧松城町に真田家伝来の文物を譲渡し、長野市教育委員会が博物館として展示運営している。

他にも旧真田邸など歴史的建造物や幕末の思想家佐久間象山記念館も市の運営である。

一連の真田藩関連は観光資源として市のブランドに貢献しているものと思われる。

 

 

真田宝物館は以前松代城址に100名城スタンプラリーで来たことがある。

建物は古いがきれいにリフォームされ、展示の解説なども丁寧で真田家へのリスペクトが感じられる気持ちの良い博物館だと思う。

ここに来たのは「真田三代の本」執筆のヒントを探すことが最大の目的。

真田関係の資料書籍を購入しようと思っていたら欠品。

学芸品の人に資料入手や所蔵品の画像データなど借用方法など聞いて業務終了。

 

近くの真田邸は一部工事中。

恩田木工の銅像が立っていた。

邸内に「真田丸」で真田信幸から信之への改名に使用された色紙があった。

 

大河ドラマでは信之を大泉洋が演じ、できのいい弟を持ち、父とは別の道を行った信之の苦悩をコミカルに演出していたが、脚色は別として立ち位置の妙はよくできていたと思う。

NHKの別ドラマ「真田太平記」では渡瀬恒彦が信之を演じ、昌幸を丹波哲郎、信繁を草刈正雄が演じた。

どちらもよくできた珠玉の作品だと思う。

 

文武学校を見物した後、長國寺に行く。

こちらは昨日行った真田の里にあった長谷寺を上田転封に伴って移転したもの。

「谷」を「國」に文字を換えたもの。山号は同じ「真田山(しんでんさん)」、曹洞宗の禅寺、上田藩主の菩提寺である。

本堂の屋根には六文銭の家紋が輝いている。

鯱は海津城にあったものを移設した。

 

真田信之の御霊屋(国の重文)と墓所は係員付きのガイドツアーになっており庫裏で申し込む。

ちょうどガイドさんが先客を案内中とのことで待つ間、境内を散策した。

墓地には恩田木工の墓があった。

木工は藩政改革で名を残した功臣である。

 

ガイドさんが戻ってきてツアーに出発。

このガイドさんは何と我が故郷三河の近所の出身だった。

信之の御霊屋は漆塗りの極彩色で仙台の伊達政宗のそれと似た意匠である。

隣に真田家の墓所があった。

藩主としては祖となる信之の墓は鳥居が付いたひときわ立派。

それでも幸綱、信綱、昌幸の供養碑があり、大正時代に当主が建てた信繁とその子幸正(大助)の供養塔も並んでいる。

 

 

これで真田三代の墓参りが終わった。

昌幸と信繁は異国で没したため、慰霊という意味で九度山にも出かけようかと思っている。

 

まだまだ見逃している真田の史跡はあるのだが、雨模様なので松代を後にし、上田城へ行く。