扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

北九州の島巡り #8 壱岐名所点景

2016年09月24日 | 街道・史跡

次に向かうのは興(こう)神社。

興は国府の意という。

 

 

こちらも無人で御朱印はテイクアウト。

本殿は全体を別の建物で覆われており、中に彩色された本殿がある。

 

一宮詣でが終わり、次は原の辻(はるのつじ)遺跡、併設して一志国博物館がある。

 

受付でガイドの人をお願いし、一緒に回る。

最初に解説されるのが魏志倭人伝の一節。

そしてその頃の生活を再現した映像、なかなか力もお金も入っている佳作である。

原の辻遺跡は弥生時代の環濠集落で国の特別史跡。

登呂や吉野ヶ里を加えてこの3つが特別史跡指定だという。

展示はディオラマなど駆使しており、楽しい。

壱岐は古来、豊かな島として栄え、ヤマト政権とも深い関係にあった。

耕作に適し、海産物も豊富であることに加え、交易で栄えた。

船着き場が川を下ったところにある。

 

展望台から遺跡をながめると弥生時代の集落の特徴、山を抱え水が豊かな立地であることがわかる。

本家、ヤマトとは違いその後の歴史の流れがゆるいから近代の人口構造物がごく少ないことがありがたい。

遺跡の方にも足を運び散歩してみた。

 

時刻は午後15:00、もう少し神社巡りをする。

国方主神社、天神さんである。

 

近くに月読神社。

小さな社であるが、ここが全国の月読社の本宮だという。

 

次に西の海岸の方に行く。

壱岐島は小さな島で高低差も少なく信号がほとんどないため行きたいところにすぐ行ける。

半島の先に「猿岩」なる奇観スポットがある。

なるほど猿の横顔そのもので樹木が毛皮のようである。

このお猿さんのように海を睨んでいたのが旧帝国海軍の砲台。

黒崎砲台は東洋一の規模。

口径41cmのカノン砲2門。

最大射程が約35km。

使用した砲弾が展示してあり戦艦大和のものと比べてある。

砲はワシントン条約で廃艦となった戦艦の主砲を転用し砲塔を岩盤にすぽんと差し込んであるように思われる。

思わず軍事マニアの方の勉強ができてしまった。

 

そろそろ陽も落ちかけてきたので宿に向かって東に行く。

途中で「鬼の窟」なる古墳。

 

最後に「元寇戦役跡」。

文永の役、対馬を落とした元軍が来襲し、壱岐全島が焦土となった。

当時島に駐屯していたのが平景隆、兵100で立ち向かい全滅。

島民は虐殺、博多に向かう軍船に弾よけとして女子供が吊されたらしい。

一帯が公園となっていて、少弐資時の墓、銅像などがある。

彼は弘安の役の時、壱岐守護代。

壱岐を根拠地とした元軍を襲撃し戦死した。

 

この地には天智帝が整備した烽台もあったようで遺跡があった。

 

ここで陽が暮れ見物終了。

 

古代以降の遺跡に一気に触れた時間となった。

来ることがなかなかむずかしい離島なので貴重な体験となった。

 

宿は割烹旅館の「かねや別館」。

珍しく2食付きにして豪華な夕食を楽しんだ。

 

 


北九州の島巡り #7 壱岐国一ノ宮・天手長男神社

2016年09月24日 | 諸国一ノ宮

借りたレンタカーは軽自動車で新鮮、よく走るので驚いた。

壱岐は明日発つので見物する時間は正味一日。

まずやることは一宮の御朱印収集である。

向かったのは天手長男(あめのたながお)神社。

この神様は岩戸に隠れたアマテラスを引っ張り出した神様である。

近くには天手長比賣神社もあり男女セットの神様らしい。

 

小高い丘を登っていくと鳥居と社殿。

小さな社で無人。御朱印は賽銭箱の隣に置いてあった。

 


北九州の島巡り #6 博多から壱岐へ −櫛田神社−

2016年09月24日 | 仏閣・仏像・神社

今日は朝の便で壱岐に渡る。

ホテルから博多駅を越えて港の方に歩いて行く。

 

壱岐島へは10:30博多港発、壱岐郷ノ浦11:35着のジェットフォイルで行くのである。

出航までの時間で櫛田神社に参詣。

 

 

御朱印をもらい、カートをころころと引いて港まで行く。

港には巨大な客船が停泊中、周囲は外国人観光客であふれている。

 

ほぼ時刻通りに出航、船はヴィーナスというジェットフォイルである。

船に乗るのは久しぶりでそれだけでも気持ちが高ぶる。

さらに博多湾から玄界灘を航行するというのは、歴史的にも感慨が深い。

朝鮮半島から対馬壱岐、博多湾というルートは古くは日本人の祖先が渡ってきた海道であり、魏志倭人伝、元寇の舞台でもある。

 

右手に志賀島がみえている。この島は陸繋島という珍しい形態で海の中道でつながっている。

また後漢の洪武帝が与えた金印が発見された島でもある。

余談になるがこの金印、農民が偶然掘り出したという説は眉唾ものだと思っている。

皇帝から国王に送った印章がぽつんとほうりだされている訳がない。

 

1時間も経たずに壱岐島がみえてきた。

本来は壱岐北部の芦辺港に着く便であるが台風で港施設が破損し修復中とのことで南部の郷ノ浦港に着いた。

まずはレンタカーを借りるためお迎えを待つ。

すると私と同じお店を利用すると思わしき、男女がいた。

男性はバブルの時によくいた成金の風体であたりはばからず「ぶいぶい」騒いでいる。

女性の方も同じ頃の風俗店にいるような「けばい」人である。

みているだけで笑いがこみ上げてしまい、困った。