備前市の旧閑谷学校から岡山をかすめように抜けて高梁市に向かう。
先日行った備中松山城の山麓にある頼久寺に寄った。
頼久寺は安国寺のひとつでもあるが荒廃していたのを復興した松山城主上野頼久の名を取っている。
関ケ原の合戦後、入封してきた小堀正次・政一(遠州)親子は城が荒れていたため頼久寺にて政務を執ったようで庭はその折の遠州作とされている。
伽藍も庭も小ぶりでいかにも遠州という雰囲気ではない。
頼久寺を辞し北へ向かい高梁川沿いに行く。
JR伯備線の方谷駅に寄る。
ここは山田方谷の旧宅と塾があったところ。
人名が駅名となったのはここだけだという。
それだけ地元住民の尊敬の念篤いということだろう。
さらに山中を行くと新見市大佐に「方谷の里ふれあいセンター」。
大佐は晩年の方谷が隠居した地である。
「山田方谷記念館」があり方谷の遺品などが展示されている。
方谷は藩政改革を指導する一方、老中となった板倉勝静を補佐して国政への助言も行った。
将軍徳川慶喜が奏上した大政奉還の案は方谷が起草したといいその写しが展示されていた。
方谷本の取材撮影を終えて仕事に直結する部分が終了。
宿は真庭市のホテルを取った。