扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

岡山〜若狭周遊 #2 方谷の足跡

2014年09月15日 | 取材・旅行記

備前市の旧閑谷学校から岡山をかすめように抜けて高梁市に向かう。

先日行った備中松山城の山麓にある頼久寺に寄った。

頼久寺は安国寺のひとつでもあるが荒廃していたのを復興した松山城主上野頼久の名を取っている。

関ケ原の合戦後、入封してきた小堀正次・政一(遠州)親子は城が荒れていたため頼久寺にて政務を執ったようで庭はその折の遠州作とされている。

伽藍も庭も小ぶりでいかにも遠州という雰囲気ではない。

 

頼久寺を辞し北へ向かい高梁川沿いに行く。

JR伯備線の方谷駅に寄る。

ここは山田方谷の旧宅と塾があったところ。

人名が駅名となったのはここだけだという。

それだけ地元住民の尊敬の念篤いということだろう。

さらに山中を行くと新見市大佐に「方谷の里ふれあいセンター」。

大佐は晩年の方谷が隠居した地である。

「山田方谷記念館」があり方谷の遺品などが展示されている。

方谷は藩政改革を指導する一方、老中となった板倉勝静を補佐して国政への助言も行った。

将軍徳川慶喜が奏上した大政奉還の案は方谷が起草したといいその写しが展示されていた。

方谷本の取材撮影を終えて仕事に直結する部分が終了。

宿は真庭市のホテルを取った。


岡山〜若狭周遊 #1 閑谷学校

2014年09月15日 | 世界遺産・国宝・重文

今年の出版計画は山田方谷、備中松山藩の家老である。

この人のことをよく知らなかったが、調べれば調べるほど偉大な人である。

地方再生の最も成功した事業の立役者といえる。

つい先日、備中松山城など行ったばかりではあるが、そのふるさとなど再度訪ねてみたくなった。

合わせて一ノ宮なども参詣してみたい。

 

ということで予定を立てて山陽道を行く。

まずは旧閑谷学校。

岡山藩池田光政公が寛文年間に創建した。

現存する世界最古の公立学校だという。

2015年に近世日本の教育遺産群として水戸の弘道館、足利学校などと共に日本遺産に指定された。

講堂が国宝、他に重文多数。

朝早く着いた。

山深い一帯が教育の場にふさわしく凜とした空気に包まれている。

瓦は備前焼で赤みを帯びどことなく異国風である。

ここは江戸期の藩校、儒教を教えた。

孔子の聖廟がある。

講堂の内部はお寺の内陣のように丸柱で囲われた独立した空間がある。

講堂の離れに学房跡。

本や資料などの保管庫だった。

跡地に洋風の建物がある。

かつて中学校として使われ今は資料館になっている。

行く道には石で出来た塀が続く。

かまぼこの様な形をしており学房の火除けとして造られたという。