コラム15回目は足利義昭のこと。
いうまでもなく最後の室町将軍である。
義昭というと「信長に運命を翻弄された悲劇の人、最後はしおしおになって京を追われた」とのイメージがあろう。
しかし実際の義昭はしたたかである。
この人は寺に入れられていたところ将軍義輝が暗殺されて命が危なくなって逃亡、越前朝倉氏にかくまわれた。
そこから将軍就任と京を追われる経緯はよく知られるところである。
義昭は信長に追放されてから紀州などを点々、ようやく鞆の浦に落ち着いた。
休む間もなく幕府を復興、粛々と幕府の業務を行おうとした。
諸国に文書を発して信長追放を画策した義昭は表面上は意気軒昂であった。
しかし本能寺の変で信長が消えて喜んだのもつかの間、保護者の毛利は上洛の軍を発するどころか秀吉に臣従してしまう。
風向きは追い風にはならぬと感じつつも義昭は九州の情勢に関与し続けた。
秀吉が四国を制していよいよ九州へと平定を進める中、威風堂々山陽道を下る秀吉と対面、ようやく中央復帰の野望をあきらめた。
島津に降伏勧告を行ったのが義昭の最後の仕事、鎌倉以来の守護家を新たな天下に組み込む手伝いをして義昭の戦国も終わった。
鞆の浦は実にいいところである。
鞆に幕府があったことをよほどの戦国通でなければ知るまいが、足利幕府という一時代を築いた政権が潰えた地として改めて思い出していた。