扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

名城周遊 #2 100名城No.42、掛川城

2009年09月16日 | 日本100名城・続100名城

東海道を西へ行き、大井川を越えると掛川。

掛川城は初めて登るが木造で復元されていて外から見ても内部を見てもとてもいい城になった。

そして御殿が残っているのは全国に四つしかないらしい。

掛川城・川越城・二条城・高知城がそう。

御殿からは天守が高々とみえており、この景観は掛川城のみである。

 

掛川城は遠州の東の要、西の要が浜松城。

駿府を武田に奪われた今川家は掛川城を最後の砦にする。

今川滅亡後は徳川の持城となって武田と対抗、徳川が関東に去ると山内一豊が入城、近世城郭に改変した。

一豊は長浜城から移って自分が手塩に掛けた掛川時代が懐かしかったらしく、土佐高知城を築いた際、掛川デザインの天守を作った。

訪ねてみれば新築間もない天守は木の香りがする。

御殿とセットでコンパクトに作られた本丸は箱庭のように美しい。

土産のあんこモチがおいしかった。

 


名城周遊 #1 100名城No.41 駿府城

2009年09月16日 | 日本100名城・続100名城

名古屋出張のついでに東海道の日本100名城を攻略。

一つ目は駿府城。

駿府とは駿河の国府のことで古代から駿河国の中心部ではあった。

とはいえ、駿府が広域行政の中心となるのは今川氏の領国となってからのこと。

戦国時代には全国に先がけて先進的な分国法を制定、義元が海道一の弓取りと称された。

駿府は家康が幼少期を過ごした後、甲斐武田の支配時期があり関ケ原後は家康が隠居城にした。

明治維新の後は最後の将軍慶喜がこれまた隠居してやってきた。

という時代の節目に登場する駿府城ではあるが今はビルに埋もれて面影が薄い。

近年ようやく復元工事が進みつつあり近世城郭の様相になってきた。

復元された御門や櫓の内部は資料展示が豊富にあって勉強になる。