扶桑往来記

神社仏閣、城跡などの訪問記

名城周遊 #8 100名城No.28、小諸城

2009年09月21日 | 日本100名城・続100名城

上田城から小諸城に。

小諸城は信濃を獲った武田信玄が築かせた城、一説に山本勘助の縄張という。

この城のおもしろいところは「穴城」であるところ、つまり主郭よりも大手門、大手門より城下町の方が標高が高いところにある。

攻め手は勾配を下って攻撃することになり通常は守り手の方が不利になる。

そのハンディをあえておかした理由は主郭が断崖絶壁にあることかもしれない。

小諸城は戦闘用の城というよりも立地的に大軍の行軍に際して補給地休憩地として機能した。

碓氷峠を越えて上州から来れば佐久平に入って上田平に向かう手前、関ケ原に向かう徳川別動隊は小諸城に前線基地を置いて上田城を攻撃した。

現在の小諸城は仙石秀久が拡張整備したもの、仙石は九州征伐の前哨戦で大失態、改易されてしばし浪人、復帰したのが小諸城主としてであった。

また秀久の古、忠政が大坂の陣の功で上田城に栄転。両城とも仙石ゆかりの城といえる。

 

さて城跡は戦国たけなわの頃の面影は石垣や大手門に残すのみで「懐古園」という名の公園になっている。

公園の設計は神宮の森や日比谷公園を設計した本多静六による。

回りを公園を散策するように歩く観光客の方々に混じっているとどうも気分が盛り上がらない。

穴城の縄張がよくわかるのは最も奥にある「水の手門」から眺める千曲川、まさに断崖絶壁である。

そしてこの門から千曲川に逃げることができたという。

 

昼飯にまた信州そばを喰らって名城周遊終了、少し早いが渋滞を避けるため東京に向かって出発。

しかし見事にはまって難儀した。

 


名城周遊 #7 100名城No.27、上田城

2009年09月21日 | 日本100名城・続100名城

朝、ホテルを出て上田城へ。

今日は真田鉄砲研究会の皆様が演武を行うとのことで大勢の人出、始まるのを待つ間に城内を見物。

上田城は徳川家との籠城戦を見事に戦い抜いたことで有名になった。

城跡は真田氏の後に入った仙石氏が上田城を整備、上田藩は仙石氏の後、藤井松平家が幕末まで上田城を政庁として使用したが、徳川に抵抗した城ということでほとんど手を入れられず今日の姿となっている。

真田家は昨日行った松代城に移って幕末まで存続、こちらの歴史もまたおもしろい。

 

鉄砲隊の演武は当然幸村指揮の赤備え、司会を何でも鑑定団でおなじみの澤田平氏が務めていた。

一斉発射、三段撃ち、大筒となかなか楽しめた。