上田城から小諸城に。
小諸城は信濃を獲った武田信玄が築かせた城、一説に山本勘助の縄張という。
この城のおもしろいところは「穴城」であるところ、つまり主郭よりも大手門、大手門より城下町の方が標高が高いところにある。
攻め手は勾配を下って攻撃することになり通常は守り手の方が不利になる。
そのハンディをあえておかした理由は主郭が断崖絶壁にあることかもしれない。
小諸城は戦闘用の城というよりも立地的に大軍の行軍に際して補給地休憩地として機能した。
碓氷峠を越えて上州から来れば佐久平に入って上田平に向かう手前、関ケ原に向かう徳川別動隊は小諸城に前線基地を置いて上田城を攻撃した。
現在の小諸城は仙石秀久が拡張整備したもの、仙石は九州征伐の前哨戦で大失態、改易されてしばし浪人、復帰したのが小諸城主としてであった。
また秀久の古、忠政が大坂の陣の功で上田城に栄転。両城とも仙石ゆかりの城といえる。
さて城跡は戦国たけなわの頃の面影は石垣や大手門に残すのみで「懐古園」という名の公園になっている。
公園の設計は神宮の森や日比谷公園を設計した本多静六による。
回りを公園を散策するように歩く観光客の方々に混じっているとどうも気分が盛り上がらない。
穴城の縄張がよくわかるのは最も奥にある「水の手門」から眺める千曲川、まさに断崖絶壁である。
そしてこの門から千曲川に逃げることができたという。
昼飯にまた信州そばを喰らって名城周遊終了、少し早いが渋滞を避けるため東京に向かって出発。
しかし見事にはまって難儀した。