日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

野口みずき「過度の練習→故障→出場辞退」に思う

2008-08-13 | ニュース雑感
アテネ五輪女子マラソン金メダリストの野口みずき選手が、太ももの肉離れで17日の北京五輪本番を直前にしてリタイヤを表明しました。

日本選手を応援する一国民としては大変残念なことですが、この一件には別の観点からもいろいろ考えさせられる問題点がありそうです。

今回のリタイヤ、不慮事故であるならばまだ納得もいくところですが、明らかな練習過多が原因の故障とあっては、本人さらには監督、コーチの責任と言わざるを得ない問題だと思います。サラリーマンの世界でも、「健康管理も仕事のうち」と言われ、働きすぎで体調を崩すようなことがあれば、褒められるどころか「ビジネスマン失格」の烙印を押されかねません。さらにその管理者は、部下の健康を害するほどの働きすぎを容認したとして、「管理不行届き」で管理責任を問われることでしょう。

一流アスリートの世界は、限界へのチャレンジでもあり常に故障と背中合わせです。ビジネスマンの世界以上に、管理者は先週の体調管理には万全を期すべきであります。その意味では、今回の件では、本人以上に選手の練習プログラムを管理しリードする監督、コーチの管理責任は重大であるはずです。聞けば、野口選手は、ただでさえ“練習の虫”で故障につながりやすい状況であったようです。管理者たる、監督、コーチがなぜもっと細心の注意を払った管理ができなかったか、残念でなりません。

今回の件ではもう一点、オリンピックは一体今何を競っているのか、という純粋な疑問点も生まれてきます。スポーツの祭典として各国がその実力を競い合うことは、世界平和の象徴として素晴らしいことであると思います。ただそれが、“お国のため”とは言いながら、訓練、訓練で極限まで体を酷使して、あるいは体を壊すほどの努力をしてでもより上位を目指す、正しくは体を壊わすギリギリの“寸止め”状態でよりよい記録を出すことを競っている訳で、果たしてそれが本来の「スポーツ倫理」や「オリンピック精神」に沿った考え方であると言えるのでしょうか。

ドーピングが禁止をされている理由は、
・薬物の使用は、人体へ悪影響を与える
・フェアプレイの精神に反する
・イコールコンディションの原則
によるものとされています。

高地トレーニングはじめ過度の負荷がかかる訓練は、薬物こそ使用していないものの、上記「ドーピング禁止の精神」に照らし合わせれば、「人体への悪影響」から、同様に好ましくないと言うことになるのではないのでしょうか。現に、野口選手の故障は、オリンピックで勝つための過度な訓練による悪影響に間違いないのですから。

「競技者の健康を守る 」という観点は正義とはなりえないのだろうか、ドーピング以外なら健康に悪影響があっての何でもOKなのだろうか、さらに言えば本来守るべき「スポーツ倫理」とは何なのかは忘れられてはいないだろうか…。今やそんな疑問ばかりが思われてしかたない、オリンピック選手たちのトレーニングの実情なのです。

いつの時代からこのような事態に陥ったのかと考えるに、80年代以降のスポーツの経済化・ビジネス化の流れと決して無縁ではないと思われます。“経済オリンピック”としてもてはやされその後の五輪の流れを大きく変えたのは84年の米国ロス五輪でしたが、その陰で本来最も大切であるはずのスポーツの「精神」や「倫理」の部分に大きな“歪み”を生んでいたのかもしれません。

「スポーツ」と「政治」の分離は何かにつけ声高に唱えられるところですが、あまり語られることのない「スポーツ」と「経済」の分離も、実は「スポーツ倫理」を守る上でそれ以上に大切なことなのかもしれません。「国際オリンピック委員会」は、次の開催国を決めるためだけにあるのではないはずです。今一度原点に立ち返り、「スポーツ倫理」の観点からこの問題を真剣に議論するべき時にきているのではないかと思います。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿