日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

大相撲再生への道険し

2011-04-15 | ニュース雑感
震災ネタを中心にこのところのブログを書いていたので、取り上げ損なっていた大相撲の話ですが、これまでもいろいろ主張してきたので最近の動向に関する雑感を少し書いておきます。

まず夏場所の対応。入場料無料で一般解放するが「技量審査場所」として本場所ではない形でおこなうとのこと。実に中途半端。時期同じく震災発生もあった訳で、「国技」と自負する大相撲であるなら、単に入場料無料と言うファンへのお詫び的顔見世興業とするのではなく、国の一大事に対して「国技」としての姿勢を示す、被災地支援に資するようなやり方が出来なかったものかと、残念に思います。具体的には、本場所とするか否かはともかく、入場料はとる(価格は別途協議)がすべて被災地に寄付する、TV中継もするが放映権料はすべて被災地に寄付する、力士が受け取る懸賞金もまた同じ・・・、その程度のことは子供でも思い付けることではないかと。結局「国技」としてのいらぬプライドは持ちながら、「国技」を名乗る「責任感」には欠如していると思わされてしまう訳です。今からでも遅くないので、場所開催での被災地支援策は是が非でも打ち出すべきです。地に落ちた相撲界の復権にも必ずつながると思います。

次に八百長力士の処分について。23人の“疑惑力士”に対する引退勧告という一見思いきった処分をようやく取ったかに見えたものの、その実自ら関与を認めている数人以外は疑惑判定があくまで「状況証拠」のみによるものという杜撰さもあり、当該力士からは不平不満が続出。早く本場所を復活させたい一心で「とり急ぎ形を整えました」的な印象がぬぐいきれません。昨日も追加で引退勧告を受けた力士が勧告に従わず解雇処分となったことを不満として、地位保全の申し立てをしたと。問題がこじれるのは協会の杜撰なやり方が原因であり、今後裁判沙汰への発展等があれば、問題は長期化し余計に八百長問題の全面解明と大相撲の“出直し再興”が先延ばしになるだけです。

昭和40年代にプロ野球界を襲った八百長「黒い霧事件」でも、「疑わしきは罰す」という荒っぽいやり方で無理やりに幕引きを行い、その後も永久追放にされ人生を突然狂わされた複数の選手からの告発が長引くような事態が起きています(真実は闇の中ですが)。昭和の時代はそれで済んだのかもしれませんが、協会が「野球界も昔同じやり方で乗り切ったんだから、我々もそれでOK」ともし思っているならそれは大きな間違いであると思います。客観性あるエビデンスを提示し、誰もがシロクロを明確に認識できる状況下で処分を決めることが、今の時代の常識であるのです。

それともう一点、何よりの問題点はこの一件につきまとうモヤモヤ感払しょくがなんらなされていない事であると思います。具体的には、これら荒っぽい協会の処分と処分に怒りをぶちまけながらも退職届を出して退職金を受け取る疑惑力士たち、唯一退職届をださなかった親方は「もらう退職金がなかった」とか、昨日地位保全を申し立てた2力士も「解雇でありながら退職金は出る」とか、一貫性を欠く一連の協会と力士の行動は相撲界の文化そのものであり、その深く根ざした“慣れ合い”や“ごっつあん”と言う言葉に代表される「だらしない文化」を払しょくすることが到底できないとの印象を強く持たせられてしまうのです。すなわち極論すれば問題の根源が結局分かっていない、小手先で取り繕っているにすぎないという事に成る訳です。

相撲協会の自浄能力の欠如は今始まったことではありませんが、これを正すべく組織された特別調査委員会の動き方もどうなのかと疑問を呈したくなります。座長を務める伊藤滋氏(伊藤整氏の息子)の不遜なモノ言いからうかがわれる荒っぽい性格(学者気質+育ち?)がそのまま委員会の指導姿勢で出ているようにも思え、相撲界再生に向けては外部識者の人選ももっと慎重に行う必要があるように感じさせられるのです。いずれにしましてもここ1~2週間の動きをみる限り、相撲界再生への道は険しいと言わざるを得ない事だけは確かなようです。


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