日本一“熱い街”熊谷の社長日記

組織論の立場から企業の“あるべき”と“やってはいけない”を考える企業アナリスト~大関暁夫の言いっぱなしダイアリー~

“レバ刺禁止問題”は、原発再稼働問題にも通じる「政治判断」を定義する好機

2012-04-05 | ニュース雑感
厚生労働省は食中毒を防止するため、飲食店が生の牛レバー(肝臓)を「レバ刺し」などとして提供することを法的に禁止する方針を決めた。小売店が生食用として販売することも禁じる。専門家でつくる厚労省の薬事・食品衛生審議会の部会が同日、提供を禁止すべきだとする見解をまとめたため。厚労省は近く内閣府の食品安全委員会に諮問。答申を受け、6月にも食品衛生法の規格基準に提供・販売を禁止する項目を盛り込む。違反すれば「2年以下の懲役か200万円以下の罰金」が科される。(ニッカンスポーツ・ドットコムより抜粋)

このニュースを受けて今週、「レバ刺禁止令」の是非についてが焼肉ファンの間でけっこうな話題になっているようです。そもそもの事の発端は、昨年4月に発生した生の牛肉を調理したユッケにより5人が死亡した焼き肉チェーン店の集団食中毒事件。厚労省は昨年10月、生食用牛肉の提供基準を厳格化し、ユッケより食中毒件数が多い生の牛レバーについても規制を検討していたところ、牛の肝臓内部から重症の食中毒を起こす恐れがある腸管出血性大腸菌O157が見つかったため、と言います。調査に頼ったこの決定、正しい対処と言えるのでしょうか。

個人的には、レバ刺には必ずしも大腸菌O157が含まれるというものではない以上、即提供・販売禁止にするというのはいかがなものかと思っています。生モノに食中毒はつきものであり、フグの肝のように明らかな毒物の提供を禁止するのは分かりますが、管理当局がそのリスクを知らしめ認識させ自己責任において食べることに何の問題があるのか、全く理解不能なのです。これまで、我が国で何十年と食用に供してきた食べ物であり、たまたま昨年の事件を発端として食品衛生上の管理問題が浮上したがための今回の措置。いきなりの「禁止令」に、焼肉ファンが戸惑うのも納得であります。さらに、このような安易な決定は、新たな問題発生の懸念があることも考えなくてはいけません。

リスクのあるものを管理対策を飛び越えてとりあえず廃止するというやり方は、「管理」の観点から言えば一番楽な方法ではありますが、管理者の管理放棄以外のなにものでもありません。納得性の乏しい「禁止令」の弊害は、「闇取引」という形で必ず現れます。そういった取引可能な“闇”を作り出せば、その暗躍者として反社会的勢力の“食いぶち”を作り出すことにもなるのです。つまり、「200万円以下の罰金」という取引リスク価格を公が決めることで、“闇レバ刺”がその基準に照らし合わせられた高値で取引され暴力団の新たな資金源になるという可能性も考慮しなくてはいけないのです。

さらにもうひとつ、禁止されたものをあえて欲しがるという人間心理にも新たな問題が潜んでいます。「ニーズ」があればそこに「闇」であれ提供者が現れることは自然の流れであり、今回の「一律禁止」という手抜き対応により衛生面での明確な取り扱い基準が提示されないことから、先の反社会的勢力等が扱うケースも含めO157以外の取扱衛生面の原因による不要な食中毒などの被害者が出る可能性も否定できません(もちろん、法で禁止されている以上、欲しがる奴や食べる奴が悪いとはなりますが)。すなわち、食中毒を減じようとして出した「禁止令」が、かえって別の問題事象の発生率を高めてしまうリスクもあるのです。

このようにちょっと考えただけでも、厚労省の薬事・食品衛生審議会の部会の調査結果だけではレバ刺「禁止」の可否を安易に判断できない問題が存在することが分かります。さらにネット上で「禁止」に動揺してさまざまな意見を寄せる愛好者や取扱業者など、長年日本的食文化としてレバ刺に親しんできた“関係者”の思いや彼らが望むことも多く存在するわけで、これらにも一定の斟酌を加え単に調査結果だけに因らない最終結論を導き出す必要があるのではないかと思うのです。

調査により、リスクの存在が明らかになったものを即「禁止」するというのは、責任回避的風潮の強い官庁文化の表れでもあり、本当に「禁止」すべきか否かはその先での調査結果にとどまらない総合的なリスク検討や国民の要望や文化の観点からの可否検討等「政治判断」があってしかるべきなのではないでしょうか。議会は立法府として省庁のいいなりになるのではなく、ひとつひとつの問題に、「政治的判断」としてしっかり「総合的な判断」を下す責任があると思うのです。

今回の「禁止令」の可否問題は、表面上は取るに足りない食べ物の話にすぎません。しかしその実、「原発再稼働問題」にも相通じる、「安全性の判断」は省庁等専門部署の役割ではあるがそれをもって国民生活に影響を及ぼすような法制化に係る「継続可否」の最終判断とすべきではないこと、法制化に至る「継続可否」は行政府の「安全性判断」を受け総合的見地から最終決定する「政治判断」によりおこなうべきであること等、行政府と立法府の本来の役割の明確化が問われる重要な問題であると感じる次第です。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿