~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

霜月騒動

2006年10月31日 19時29分55秒 | 家族・友人等
明日からなんと11月だ。さすがに気温も下がった気がする。
私はともかくとして、娘がいつまでも真夏の格好のまま鼻をすすっているのもなんなんので、やっとタンスの中を入れ替えた。

そして、ほどよく世間が冷えてきたところで、明日ははいよいよ幼稚園の願書を出す日だ。
1週間ほど前にY幼稚園からお手紙がきて「今年は、朝9時をめどに並んでください」旨のことが書いてあった。
・・そうかよかった・・・して、その根拠は?・・・・
と文面を読んでみたのだが、願書を配布した人数そのものは昨年より10人ちょっと少ないだけで、このままだと、どう考えても20数名はあぶれる。
いや、たとえあぶれる人数が1人だろうが、入れなかったらそれまでだ。
どこから「9時でよい」という自信が?園側の「(昨年は夜中にやってしまいましたけど)今年は手続き開始自体9時からにします」という意思表示なのだろうか?
とりあえず「願書はお渡ししたものの、バスの通わない遠方の方が多くおられました」ということではあるのだが。

昨日は、ほんの数回しか会ったことのない公園のお友達から電話やらメールやらいただいて、結局3人で組んで連絡を取り合うことになった。
予定では、昨年並び始めたという午前2半から30分おきに2人が電話をいれ、園と先につながって「並び始めました」という情報を得たほうが、ほかの人に連絡をいれる。
あとの1人は3時に車で待機するそうなので、「だれかが並び始めた(というより潜み始めた)」ということがわかったらあとの人に連絡をいれる。

今夜は
「だれも寝てはならぬ」です。

・・・でも、やはり私は『トゥーランドット』より、『ドン・ジョバンニ』のアリア「みなが酔いつぶれるまで」方が好きかも(笑)。



ベートーベン講座 第2回

2006年10月30日 17時05分46秒 | レッスン&セミナー
H先生のベートーベン講座第2回に参加してきた。

今日は第9番から第21番までを解説された。
中期のソナタになると、ベートーベンが舞台がらみの創作(バレエやオペラ)をしていたことが作品に色濃く反映されているということで、前回もお話にあったシェイクスピアのほか、ギリシア神話についての講義がかなりあった。

たとえばベートーベンのバレエ音楽に『プロメテウスの創造物』という作品があるが、この中のテーマは交響曲第3番『エロイカ』のフィナーレに使われているし、ピアノ曲の『エロイカ変奏曲』のテーマでもある。
では、プロメテウスとはどのような神か?
ということに始まり、「ギリシア神話」の中にでてくる、アルカディア、ミューズ等がお菓子や石鹸の名前になっていること、パニックの語源はパンの神であるなど、いかにギリシア神話を源とする言葉が生活の身近なところに使われているか、ヨーロッパのオペラハウスの柱には、神話の女神が必ずといっていいほど巻きついていること(笑)などなど、興味深い話が続いた。
また先生のお持ちの岩波版の神話の訳者は野上弥生子で、序を書いたのは夏目漱石なのだが、これが例によってストレートでなく(笑)、ひねりの入った褒めてるんだかなんだかわからないしつこい序で、先生の朗読にかなり笑ってしまった。

17番は『テンペスト』といわれているくらいなので、シェイクスピアの『テンペスト』は是非読んでほしい・・といわれ、ほかには16番と18番については、軽快な部分やアリア的な部分がオペラ『フィデリオ』を想起させるところが多い、と『フィデリオ』のストーリーやなりたちについても説明があった。

あと第12番の第3楽章の「葬送行進曲」のメロディーは、第14番『月光』の冒頭に通じるし、『月光』の冒頭は左手の下降進行が大切なのであって、暗いところへ沈んでいくような精神的なものが表現されている、といったお話もあった。

『月光』や『熱情』の第3楽章は、ベートーベンは自分で弾きながら極度の興奮状態に陥ってしまい、弾き終えて誰かが話しかけても返事すらできないような状態だったらしい・・・というお話をきいたとき、ある邦人ピアニストの最近のリサイタルの話を思い出した。
私の知る数人がその演奏会に出かけたのだが、ショック状態(?)にある知人たちの話を総合したところ、
第1楽章は・・・・・・左手が相当鳴っていて、結構激しかった。
第2楽章は・・・・・・これもかなり激しい傾向にあった。
第3楽章は・・・・・・激しすぎた。世界最速ではないか?弾きながら演奏者はうなり始め、ラストでは雄叫びをあげて立ち上がり、そのままの凄まじい形相でふらふらと袖に下がった。

その話をきいて、私自身も目の当たりにしたかのごとくにショックだったのだが、どうもベートベーベンが乗り移ったならば、そのような演奏も不思議ではないようだ。
H先生も「ベートーベンがそんな演奏してたってきくと、なんだか変な気がしますけど、たぶん苦悩の姿だったのでしょう。そういう曲がまた不思議と人気があるんですけど」とおっしゃっていた。

講座が終わって、私はぜひ伺いたいと思っていた長い長い継続音(タイでつながってる全音)の弾き方やイメージの持ち方について、ちょっとだけ質問させていただいた。
閉めていたピアノをすぐ開けて弾きながら説明してくださった。
感激ですっ!


講義録より<本日のテクニック>
1.和音の連打は「連打だ」と思わずに、弦楽器の伴奏をイメージし、弓の向きが交替するさまを思い浮かべると、あまり苦にならない。
2.低音のスケールはレガートで弾くとぼやけがちなので、ノンレガートっぽく弾くときれいに聴こえることが多い。

ハッピー、ハロウィン

2006年10月29日 14時45分03秒 | 雑感
息子の通う英語教室の、ハロウィンパーティーに出かけた。

幼稚園の年長から街のど真ん中の教室に通っていたのだが、実は本校はうちから宮島方面に向かう電車で20分くらいのところにあり、7階建のビルすべてが、英語塾・進学塾・幼稚舎(1~6歳一貫保育)を経営するあるグループのものだったのだ。
実はそういうことを今日初めて知った(汗)。

昨年までの先生は「ハロウィン命」のアメリカ人で、これが半端ではなかった。
9月頃から教室の天井一面に骸骨のペーパー人形を飾り付け、パーティーは各クラスごとにおどろおどろしく執り行って子供を泣かせ(爆)、
パーティーが終わると「もう来年まで楽しみがない。クリスマスとニューイヤーなんて・・・」としょんぼりしていた。
そのアメリカ人が国に帰ってしまって今年はどうなるのかと思ったら、全校合同のパーティーが盛大に開かれた。
うち以外はほぼ全員仮装だ。(私はやる気まんまんだったのだが・・・)

娘が怖がるのでパーティーの間、1階のスペースで遊んでいた(写真)。
きくところによると、ここの幼稚舎(同じビルの2~4階)
お月謝6万円とか・・



弦楽合奏を聴いて

2006年10月29日 00時25分34秒 | 交響曲・管弦楽曲等
某区民文化センターで、友人の所属するアマチュア弦楽合奏団の演奏会を聴いてきた。
前半が名曲シリーズ、後半がイギリスの作曲家ということで、後半に非常に興味があったのだが、
全部聴くと子供二人が空腹で発狂すると思われ、前半だけ聴いて帰ってきた。

<前半プログラム>

「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」より第1楽章(モーツァルト)
「G線上のアリア」(バッハ)
「アニトラの踊り」(グリーグ)
「亡き王女のためのパヴァーヌ」(ラヴェル)
「カヴァレリア・ルスティカーナより間奏曲」(マスカー二)
「リュートのための古風な舞曲とアリア」より第3組曲(レスピーギ)

いずれ劣らぬ名曲ぞろいだ。
この中で私が個人的に関心があったのは「アニトラの踊り」と「亡き王女のためのパヴァーヌ」。
「アニトラ」は連弾で、「亡き王女」はソロで弾いたことがあり、どちらもほんとに苦労した。なにで苦労したかというと、弦楽でやるところの「ピチカート」でだ。
「亡き王女」のほうは、ピアノが原曲なので、なぜそこまで苦労を・・と自分でも思うのだが、ラヴェル自身の編曲でやはりピチカートが使われているとすれば、やはりそのイメージは見過ごすことができない。
ピチカートは音であって音でないように思う。音程を伴なった空気振動(すべての音がそうだと言ってしまえばそうなのだが)。
なので物理的にピアノでは難しい。いくらピアノを「弾く」といったって、それは「弾く(ハジク)」行為ではなく、「打つ」ことにほかならないからだ。

集団でピチカートをすると、音というより「うなり」が生じる。
たぶん、録音で拾いにくい種類の音だろうと思う。
「アニトラ」では、あたかも洞穴に反響するような、怪しげで隠微な雰囲気を生む。
「亡き王女」のほうでは、神殿の遺跡に風が通っていくような、遥かな時間を感じる。
どれだけこういった効果をピアノから出してみたいと願ったことだろう。
そういう意味で、今日の演奏をつぶさに観察しつつ、ちょっと嫉妬に近いものも感じていた。

それと、一気に頂上に向かう息の長いボーイング。これも羨望の対象だった。
オーケストラはよく見聴きしているつもりなのだが、どういうわけかオケの場合は管楽器や打楽器を見ている時間が長いようだ・・ということに今日気付いた。
考えてみれば弦楽器のみの集団の動きをじっと見ることなどあまりなかったのだ。

たぶんこういうお客は奏者にとってはイヤな聴衆かもしれないが、
大変勉強させていただいた。
レスピーギについても、いろいろ刺激を受けたのだが、長くなるのでこのへんで。



いずこの社会も

2006年10月27日 18時15分57秒 | 雑感
昨夜、教育テレビをつけっぱなしにしていて、23時ちょっと前に画面にちらっと目をやったら、そのまま釘付けになった。

クラゲを盾にサバから身を守るアジ

という文字と絵が目に入ったからだ。

?????

そのまま見続けていると、どうも話は、クラゲの増殖によって海中でどんな現象が起きているか、ということだった。
クラゲにはたくさんのプランクトンが寄生していて、それを食べるためにアジがクラゲの周りに寄ってくる。そして一緒に移動する。

講師が言う。

ところが、アジの中には皮膚がただれたようなものがいます。これはきっとクラゲにさされたんでしょうね。私も海に潜るとよく刺されます。
それでも、クラゲの周りにいっつもいるということは

アジはクラゲがだあ~い好きなんでしょうねえ

講師の目はカメラを通り越して、遠くを泳いでいた

いっておくが、これ<視点・論点>という大変大変お堅い番組なのだ。

あまりにもシビレタので検索してみた。
この方「魚類心理学」の専門家で、HPも開いておられた

読んでみたらさらにハマった。
なんでもお魚の中にもDHAが不足しているものがいて、
こういう魚は、集団行動がちゃんととれないのだそうだ。なので、お魚も「頭の良くなる食事が必要」という話や、
子供を育てるには「7ほめて3叱る」くらいがいいというが、魚だとどうなんだろうか、とか
もうそれは魚の気持ちにそったお話が満載だった。

・・そうか
「DHAを多く含む」といわれるお魚すらも「DHA」をちゃんととらないと、魚社会でうまく生きていけないのか・・・

魚もほめるといい行動をするのだろうか・・・
でも、魚を「叱る」っていったいどうするんだろう・・・


以前ハマッた「ナマコ」の本川先生(『ゾウの時間ネズミの時間』の著者でもある)に続き、この先生、これからマイブームになりそうな予感です。


結構小心もの・・

2006年10月26日 21時39分16秒 | ピアノ
午後、ピアノ仲間というかコンペ友達が訪ねてきてくださった。

午後1時過ぎにいらしたのだが、
なんと朝8時半にうちを出られて、1時間半かけて某先生のお宅へ。
そののち2時間のレッスンを受けられて、その帰りだとおっしゃる。
すごい・・・・

しかもその2時間というのが、「たまたま」2時間かかったというお話ではなく、
最初からだいたいワンレッスン2時間ということなのだそうだ。
なかには、この3倍もの時間のレッスンを受けられた方もおられるとか。
すごすぎる・・・

私も2時間レッスン場というか先生のところに(もちろん別の先生だ)いたことはあるが、弾いていたのはその何分の一かの時間で、ほとんどはしゃべっていた。
この方の場合は違う。
2時間みっちり。しかも「できるまで」だという。
・・・・・・・・

噂にはきいていたが、ほんとに気力・体力のおありになる先生だと思う。
他県からも優秀な生徒さんが習いに来られているときくが、やはり習う方・教える方、双方の情熱あったればこそのことだと思う。
私なぞ、たとえばもし毎週片道2時間も3時間もかけて子供をレッスンに連れていかなければならない事態になったら、即ごめんなさいな感じがする(殴)。
自分のためだったら?・・・・・それはわからないですねえ・・・(爆)。

とにかく、彼女は私の知るなかではもっとも熱心な大人の学習者だ。
私も、この先生の門下の方たちから「一度みていただいたら」と言われたこともあるのだが、
もう話をきくたびに、一歩あとずさり、二歩あとずさりして、あとずさりというより、もはや後ろ向き(逃げ・・・?)の姿勢に近い。
だいたい今年に入って、レッスンと名の付くものには3回しか行っていない(殴)。みていただくべき曲だけがどんどん増えていっている。

何を恐れているかは自分でもわかっている。
「指はよく動いてますね」と言われることだ。
ここのところ、いろんな方からこういうコメントをいただいているのだが、
それは必ずしも「ほめられていない」こともよくわかっているからだ。


チェロと(2回目)

2006年10月25日 13時11分53秒 | 室内楽
午前中、チェロと合わせてきた。

私のほうにやっと余裕が出て来たというか、曲がわかってきたというか、
今日はかなり相手の音を聴くことができた。
なにしろ譜めくりのヒマがないので、長々とコピー譜を伸ばして弾いており、はじっこのほうなんか見にくい。
もうひといき譜面を頭にたたきこんで暗譜に持ち込みたいところ。

それにしても、前回の『のだめ』で峰クンが
「(千秋のピアノは)来てほしいところで来る。あ~気持ちがいい」と言っていていきなり、
「オレはこれからクラシック一本だ」と人間変わってしまっていたけど、たしかにアンサンブルがうまくいった時はそういう魔力が生じますねえ。

とりようによっては<18禁>な表現でもあるのだが、「来て欲しいところで来てくれる」のはこれ、何モノにも代え難い。
一人で弾いてる時は別の意味で「キテる」ことはあるかもしれないけど(笑)。

チェロの彼女も「弾きやすいですよ。やっぱり一人で弾いてても盛り上がんないし」と言ってくれて、お互い結構いい感じになりつつあるかも。
あと本番の日の午前中に一回合わせる予定。

ベストを尽くします!

音を並べるだけでも大変

2006年10月24日 18時26分11秒 | ピアノ
『月光 第1楽章』の和音と調性について分析してみたものを東京の師匠(厳密にいうと師匠のご主人)に送っていたのだが、それが速攻で返ってきた。

はい、もう完膚なきまでに直されました。
コメントには「(ベートーベンは)楽譜がわかってなければ、ただピアノの音を並べているだけ(の演奏)になってしまいます」といったことが書いてあって、続いて、こういったアナリーゼをやる際のポイントや書き方がいかになっていないか(ほんとに初歩的な指摘ばかりで、忘れていたといえばそんな気もするし、そもそも習ったことのないものもあるという気もする)を箇条書きにされていた。
そして、最後の方は力尽きたという感じで(笑)、「音楽は書くだけでは伝わらないこともあるので・・・ではこのへんで・・・お元気で」と終わっていた。

ハぁーーーー・・
とよくよく見てみてると、和音自体の勘違いはそんなになかった。
ただ、転調の取り違えは2箇所ほどあって、「おお、なるほど」と思ったことであった。それと、和音の転回形(いわゆる46の和音とか、6の和音とか)を書いてなかったことと、必要な部分の音程の展開や、バロック以来の一定の形式(これは知らないことであった)を記入していなかった。
う~ん・・・・
こんなものを見せられて、さぞお疲れになったことであろう。

そういえば、土曜日に練習会に来られた友人Sさんの楽譜は、丁寧に和音が分析してあり、倚音等の書き込みもしてあった。
私が毎日ほどブログを拝見しているアマチュアピアニスト(もはやアマチュアとは言いがたいが、ほかに生業をお持ちなので)のK氏は、まず楽譜の綿密な分析をされ(この方は音楽理論を先生について修めておられる)、そののちに練習されるようなのだが、K氏によるとブラームスの晩年の作品などは大変高度な内容なので、分析しないと理解が深まらない・・ということであった。

たとえば、技術的には『月光』などは子供でも弾けるわけなのだが、これがただ「音符」として並んでいるのと、ベートーベンの語法や意図に肉薄しての演奏ではどういった違いが出てくるのだろうか?
ただ「音符」として並べるだけでも、達者だとかそうでないとかはあると思うのだが、これは、聴き手によっても違いが出そうだ。「きれいな音だ」と思ってうっとり聴いてくれるのと「ただきれいなだけで、曲を全然理解してない」と思われるのとでは、ものすごく違う。
このあたりが「素人受け」と「玄人好み」の分かれるところだろうか?

もちろんコンクールでは審査員が聴くので「玄人好み」がいいに決まっているが、普通のコンサートだと同じ演奏が「ウケる」かどうかはわからない。
ただ、演奏の目的が「作曲者の意図を忠実に表現する」ということにあるのだとしたら、やはり(できれば)作曲家直筆の楽譜を分析し、その意図をきちんと表現できる技術を備え、なおかつ感動を聴衆と分かち合うべきなのだろう。


私にはまったく及ばない世界なので、ここまでのことは目指そうともまた目指せるとも思わないけれど、「ただ弾いてるだけ」の今の状況には少しプラスαしたいものだと思っている。


いよいよ本格的

2006年10月23日 10時59分19秒 | 雑感
今朝、小5の息子が妹にきいていた。
「か○ちゃんは、何歳になったの?」
「・・・・・・しんさい・・・・」

なんじゃそれ、シン歳って?
震災ではなさそうだから、ご当地弁かしら?



ところで一昨日、練習会&飲み会から帰ってみたら、主人が
「お~い、四角レンチ届いてるぞ」
なぜ?どこから?
送り主は某楽器店で、うちの防音室に関連した「贈り物」だったのだが・・・・
お手紙によると
<長い間ドアの開閉を続けていると、ドアのレバーハンドルのネジが緩むことがあって、それは一般のドアにもある現象で珍しいことではない。こういう状態になったらプラスドライバーで締めてください。さらに、万が一ハンドルが抜けてドアの開閉ができなくなった場合にそなえて、同封の四角レンチを防音室内に常時設置しておいてください

つまり、うちのピアノ部屋(別称「ラチ部屋」)は、もしかするとある日いきなり開かなくなり「カンキン部屋」になってしまう可能性があり、そこから脱出するためにこの四角レンチを使いなさい、・・・ということなのだな。
しかし、なんでいきなり四角レンチを送りつけてきたんだろ?
閉じ込められたヤツがいるのか?
そりゃうちだったら、何時間も閉じ込められたら、家族のだれかがあけるだろうし、携帯も電話の子機も持ち込んでるから、絶対でられないという事態は考えられないけど、(でも、トイレとか行きたい時は困るなあ)
一人暮らしで夜一生懸命弾いてて、汗びっしょりかいてさて出るか・・と思ったら出られず、叫んでも叩いても、防音効果バツグンで誰にも気付いてもらえなかったら、こりゃもう現代の悲劇だなあ・・
と笑いが止まらなかった。いや、笑ってる場合ではないが・・・・

というわけで、うちのピアノ部屋はいよいよ四角リンチ、いや四角レンチ装備の本格的「ラチカンキン部屋」となったのでありました。


練習会

2006年10月22日 17時30分56秒 | ピアノ
今朝、起きたら予想どおり、喉が猛烈に痛かった。
別に飲みすぎとかしゃべりすぎではない(それもあるかもしれないが・・)。
どうも私以外の家族がひいていた風邪を、パワーアップした形でひきついだ模様だ。

でも(というか、だからというか)、午前中猛烈に「運命」を練習していたら、さらにぐったりきて午後はなんとなくトロトロしていた。

昨日はサークルの練習会で、13人ものかたが集まられて盛会だった。
私の友人も特別に参加させていただき、2週間後くらいにひかえたコンサートのためのリハーサルというか<プレッシャーかけ>にみなで精を出した(笑)。
彼女は例によってモーツァルトを弾かれたが(最近ではモーツァルトを弾くことが多い)、私が以前に惚れこんだ響きは健在で、ほんとに聴かせていただいてよかった。
だいぶ前に「ずっとモーツァルトを弾いてこられたの?」と伺ったところ、実は以前は激しいピアノを弾いていた、ベートーベンを良く弾いていたと聞き、びっくり。
さらに「古典派だもん、ベートーベン弾けたらモーツァルトもいけるよ」といわれて、「そうかなあ・・・」と半信半疑で私もおずおずとマネをしてモーツァルトの「きらきら星」を手始めに弾いてみて、今に至っている。
そういっていただいたおかげかどうか、今では、さほどモーツァルトに壁は感じず、素直に感じたまま弾いてみている。
それと、昨日彼女は弾かなかったが、昨年12月にフランクの『宗教的前奏曲』より「古風なクリスマス」「アンジュー地方のクリスマス」という曲をある練習会で聴かせてくれてこれが素晴らしく、また是非聴きたいと思っている。

そのほかの方がたは、通常のメンバーに加え、初めてお会いする方もいらしゃったが聴かせていただくのはほんとに楽しい。
いや、聴かせていただくほうが楽しい。
今の私は、「聴く>アンサンブル>ソロ」の順で、ソロのモチベーションが低く、しかもピアノオリジナル曲(つまり編曲ものでないということ)への取り組みテンションは更に低い。

一昨年&昨年の今頃は、ショパンばかり必死で弾いていたのだ、これでも(笑)。
う~ん・・・ことショパンに関しては、一生聴く側でもいいやっ
・・っていけませんね、こんなことでは。
ショパン聴くのは好きなんだけど、難しすぎて弾くとすぐメゲてしまうんだなあ