~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

そういうものなのか

2012年06月30日 00時32分02秒 | 雑感

水曜のチェンバロに続き、木曜も金曜も出かけて人に会っていたのですが、

出かけたらた出かけたでいろんなことがあって退屈しません。(・・・・・・すみません、ヒマで)

金曜は友人とランチをしたのですけど、「バイキングでもないのに、この値段でこの質&量は絶対赤字では?」と思うような内容で、

もともとひいきの店でしたけど、あらためてびっくり。

前菜とメインディッシュだけでも「これでランチ?」というボリュームでしたけど、

パンとコーヒーもおかわりできた上、デザートのあとなにかまた持ってきてくれて、・・・・「これは本日のアタリでございます」。

きけば、毎日なにか「当たり」のサービスをしているそうなのですが、今日は「腕時計をしている人が当たり」ということらしい。

「時計なんかみんなしてるのでは?」と思って見渡してみたら、してない人のほうが圧倒的に多くて、

その時一緒にいた友人もしていないし、そのあと別件で会った友人も「腕時計はもう何年もしてない」のだそう。

なぜかというと、ふたりとも同じ理由・・・「携帯があるから」。

そうなんだ~、考えたこともなかったです。

どっちかというと、携帯忘れても、指輪してなくても(殴)、腕時計はしてるクチかもしれません。

なんでそうなのかと言われても困るし、高級品だとか思い入れがあるというわけでもないので、単なる習慣ですね。

というより、大人は時計をしてるもんだ・・・と思って生きてきたので(笑)。

 

どうでもいいことなんですけど、なんだか「へ~」だった一件。


タイムトリップ

2012年06月27日 16時00分21秒 | 古楽

超ひさしぶりにチェンバロのレッスンに行ってきました。

なんと1月の発表会以来!(汗)

その間に先生には、お会いして2回レッスンも受けているのですが、クープランの曲をピアノで教えていただいておりましたので、チェンバロには半年近く触ってないということになります。

一昨日と昨日、キーボードでクープランの「クラヴサン奏法」を集中して弾いてみましたが、なかなかカンが戻らないというか、とりわけトリルがうまくできない。

そんな状態のままとりあえず先生のお宅に伺いました。

近頃、バロックに非常に詳しい男性が入門されたようで、その方のお話から、見たこともない五線譜ならぬ八線譜(?)の読み方とか、ある作曲家の数字譜の独特さとか、

いきなりディープな世界に引き込まれ(笑)、・・・・目を白黒。

話題に上がる作曲家も、フレスコバルディ、フォルクレ、ビーバー、ルクレールなどなど・・・・えっと、だれだったっけ?状態(殴)。

また先日のリサイタルの話から、「ピアノで弾くレパートリー(原曲チェンバロのもの)としてはこういう曲がいいと思うのよ」と、なんとクープランからすでに3曲を選んでくださっており・・・・(驚)。

ボーっとブラームスのことばかり考えていたこの頃でしたので、新鮮というか、ある意味ハッと目が覚めました(笑)。

チェンバロこそ、余計な力が入っているとほんとに「鳴ってくれない」楽器ですので、演奏の方でも今日はよい勉強になりました。

 

※ルクレールのバイオリンソナタ第7番 http://youtu.be/vJ--JBiNmsk 


採点票

2012年06月26日 19時38分07秒 | ピアノ

昨日、採点票を受け取ってきました。

点数あまり出なかったなあ・・・と思ってましたら、実は全体にこんな感じだったようで、別に悪くもなかったようでした。

毎回、思わず噴いてしまうようなケッサクなコメントがひとつくらいはあるのですけど、今回はおおむね想定内で、「おっしゃる通りごもっともです、それが目下の課題です」ということばかりでした(汗)。

それにしても、朝から聴き続けておられる上、一人あたりの演奏時間は正味6分程度だと思うのですが、審査員の先生方、「ちゃんと読める字で」「ポイントをとらえて」バシッと書かれるのはさすがです。

私かつて、某医学雑誌の編集者をやっていたことがありますが、手書きの原稿なんて、判読不能なものも多く、うちに持ち帰って古文書解読のごとく、徹夜で読んだりしたものです(単に医者に悪筆な人が多いだけかもしれませんが)。それと比べて、いや比較にならないほどこちらは読みやすい。読めなかった字はたった一字だけ。

課題は細かくはいろいろ書かれてましたけど、ひとつ「これは基本的なことなのか高度なことなのか?」と思ったのは、

<感性・知性・技術が融合するといいですね>ということ。

単に「まとまってない」ということなのかとも思うし、究極の目的という感じもするし・・・・・これはいったいどうすれば??うーん。。

音に関しては、

<太いいい響きで、ブラームスらしいですね>

<ブラームス独特の深いハーモニーがpianoを通してとても心に伝わってきました>

<あたたかみのあるタッチで(中略)、よかったと思います>

というコメントをいただき、このあたり最も気にしていたことでしたので、今回はとりあえず良かったかな、と。

少なくとも「叩いてしまったところがありましたね」「フォルテが硬い響きにならないように」と書かれ続けていたころよりは進歩です(笑)。

「あたたかみのあるタッチ」なんて、どう考えても先天性のものではないので(爆)、これらはひとえにご指導のタマモノであります。ありがとうございます。

・・・・・・さて、いろいろご注意いただいた点をもとに、また見直しですね。


ジソウ

2012年06月25日 17時31分44秒 | 家族・友人等

↑ キュウリらしいです。どれだけ酢の物作れるんだろう??冬瓜みたいに煮物にもできるってききましたけど・・・

 う~ん、どうしたもんか。。。

 

このキュウリなどなど買っての帰りのこと。携帯が鳴りました。

「もしもし、〇〇交番ですが・・」

「は?」

「いえ、あの、悪いことじゃないんです。息子さんが携帯を届けてくれたのですけど、未成年の場合は保護者の確認が要るもので・・・・・」

・・・以下どうでもいいんですけど(笑)、びっくりするじゃないですか、もう。

おまわりさんも、申し訳なさそうに「悪いことじゃないんです」とすぐおっしゃいましたけど、なぜか私の携帯にはその交番の電話番号が登録されており、着信と同時に「交番」と出ましたので、その時点で「バクッ」です。

その話を、ちょうど帰宅した娘としたのですが、

娘「交番とかから電話くるとすごくびっくりするよねえ。それよりもっとびっくりするのが、ほらあそこ、児童・・・・」

私「児童相談所??」

娘「そうそう」

・・・・・児相から電話くるなんて考えたこともないですけど、おかあさんは(汗)。

どういう発想というかどういう生活というか、どういう本読んでるんですかっ!?(・・・とあるマンガのせいだと発覚)

近頃は学校でも虐待についても話があるかもしれないし、通報についてもきいたことがあるのかもしれませんが。

ちなみに私の場合、電話がきてドキッとするのは、「学校」「病院」「警察」です。


予選

2012年06月24日 19時04分39秒 | ピアノ

コンペの予選を受けてきました。

おかげさまでどうやら通過のようです(・・・例によって自分は結果を見ずにすぐ帰ったもので)。

2010年以前は隔年でしたが、2010年からは今年で連続3回になります。

今年は先月末にリサイタルもどきもやったし、コンペはやめようかと思ったのですが、来年以降どうなるかわからないですし、出られそうなうちに出ておこうと思ってエントリーしました。

それにしても毎年書いてますけど、予選が一番キツイです。本選はダメもとなので、そこまで構えないのですけど、

予選はこれまで落ちたことがないので、通過しなければと思うし、でもそこはコンぺなので、万一でも事故があったら、いくら大人の部門でも基本的にアウトです。

長年コンペでご一緒している方にはいろいろな方がおられて、「ある年齢から急に緊張するようになって、それを解消しようと毎週ほどあちこちで機会を作っては弾きまくっている」という方もおられます。

私よりは少し年上の方で、以前は「へ~、そういうものなのか」と思っていましたけど、今は、ほんっとによくわかります。

ずっと出ているコンペなので、だいたいレベルはわかっていて、予選だったらこれくらい・・・いう心づもりはもちろんあるのですけど、おそろしいのは「万が一の事故」。

以前は「万が一」というか、自分の中では「百分の一」くらいの確率でしたけど、最近は「五十分の一」くらいに上がっているような気がして、それがなによりもオソロシイ。

直近で49回うちで弾いてほぼOKであったとしても、最後の1回のドボンが本番とかリハにあたる危険性もそれなりにあるような気がします。

伴奏やアンサンブルには責任に伴う緊張がありますけど、暗譜のソロは自己責任とはいえまた別の緊張が・・・・・・

そういうものは、厳しいトレーニングを積んでこられたプロの方々の領域であるなあ、と最近思うことが多くなりました。

 

今日弾いた曲は先月も人前で弾きましたし、7年前にも弾いているので、初めてではなかったわけですけど、

それでもどうにもちゃんと弾けず、ここ1か月はけっこう困ってました。

先月不足していた、技術的にできてなかったところはとにかく練習するべし・・ですけど、

それがクリアできたとしても、どうにものびのび弾ける感じがしなくて、呼吸と体の使い方を見直しました。

どうも日常的にも私は若干過呼吸の傾向があるので(倒れたりとかはしませんけど)、

「緊張による過呼吸が起こると、頭が白くなってしまうことがある」というコラムを何かで読み、

ちょっとでも暗譜が飛ばないようにするには、まずは過呼吸にならないようにしなければならないのか・・・と思いましたが、

なかなかそう簡単なものでもなく・・・。逆に息してないこともあるような気がするし(笑)。

 

ちょうど昨日でしたか、テレビを見ていたら、タレントのイモトがモンブランに登頂するドキュメントを放映していて、

「呼吸が乱れたら命にかかわる」という場面がありました。

高度4000メートルを超えていて、急斜面で気温も低く、ほぼ高山病状態のものにとっては、これは大変なことなのでしょう。

インストラクターが「呼吸は吐く方を十分に」「休憩は寝ころんだらあぶない、すわったままで」「<絶対登る>と声にして」と細かく指示してらっしゃいました。

別にピアノ弾いてて呼吸が乱れても、命にはかかわらないですけど、無意識に乱れてしまっているものは、意識的になんとかしなければならないです。

 

それと、昨日ふと「そういえば、片手練習はやったけど、(恒例の)真っ暗な中での練習はまだやってないな」と思いまして、やってみました。

けっこう広範囲に音域を使う曲で、3オクターブとかはふつうに飛ぶので、これをまったく手元見ずに弾くというのは無謀に近かったですけど、

外れるところは、ことごとく重心がぶれてしまっていることがあきらかでした。

そういうところは、目で修正しながら弾いたって外す確率が高いわけですし、目というものは意外に当てにならなくて、黒鍵で影ができたり、なにかのことで視線がずれたりすると、逆にそのせいで外すこともあります。

もう少し早くこの練習すれば良かったですけど(汗)。

音を外すなんて失敗は、運動神経の良い若い方がたにはあまり縁がないかもしれませんけど、

真っ暗にして(または目を閉じて)集中してみると、自分の重心・呼吸・音色よくわかります。やってみられても損はないかも。

いろいろな試みの途中なので、8月の上旬を目標にまたぼちぼちですね。

 

・・・・・・とかなんとか言って、どれだけピリピリしていたのかと思われるかもしれませんが、

今日の昼過ぎ、

息子「今日って、だれも予定ないよね?」

私 「いや、私コンペあるけど」

息子「それって、自分が弾くの?」

私 「そうだけど」

息子「へ~」

先月のリサイタルの時も、実は1週間前まで息子は知らなかったらしい(汗)。

たんに家族のコミュニケーション不足という話かも・・・orz


鏡よりもリアル

2012年06月22日 01時17分39秒 | ピアノ

5月26日分の録音を聴いてみました。

録画は会場後方で撮影したものでしたが、録音はステージ近くの3点釣りマイクで拾ったもの。

必要があって、フォーレのエレジーだけを聴いたのですが、おそろしいほどクリアに入ってました。

それだけに、ボロも自信のないところももろバレですけど、細かいニュアンスも拾ってくれてまして、

「そう弾いてたのか・・・」という発見が自分なりに。

本来は、失恋の痛みや、慟哭をチェロが切々と訴える曲なのではないかと思うのですが、

楽器が変わったということもあるのでしょうけど、

なんといいますか・・・・気だるい。ちょっとアンニュイな感じがします。

痛みも慟哭もリアルタイムではなく、古傷が梅雨時になると痛むといいますか、

「そんなこともこんなこともあったわね的」なところがありますか。

そのように弾いたつもりは全然ないですし、それなりに心情を表現できるのではと思ってましたけど、

う~ん、年は裏切れないというか、音は裏切らないというか、

まさに過ぎ去ったなんとか・・・・で、中年どまんなか・・・・orz

これがまた練習の時うちで録ったのとはかなり違うわけで(ピアノや会場の違い以外にも)、

本番は緊張してるとかなんとか言ったところで、ズバリ地がでますね。

演奏のデキがどうこうということよりも、こういうことの方が自分としてはびっくりします。

他人の演奏を聴いていて、「音にすべてが出るということがいかに恐ろしいことか」というのは常々感じるわけですが、

自分の演奏も客観的に聴いてみるもんですね(たとえ録音という形であれ)。

そして、ソロもたまには弾いてみるもんです(笑)。


世にもくだらない話

2012年06月20日 18時53分56秒 | 雑感

ピアノのレッスンにひとりで行った娘がなかなか帰ってこないなあ・・・と思っているうちに先生からメールが。

<今、帰られましたけど、テキスト忘れてます>

仕方がないので、娘を迎えがてら取りにいくか~と玄関を出たところ、もう娘がそこまで帰ってきてました。

「ピアノの楽譜忘れてきたでしょ?」

「え、そんなことないよ。ほら。・・・あれ、なんか少ない」

というわけで、ふたりで先生のところへ伺ったてみましたら、

なんと、今日弾いた楽譜5冊を置いてました(汗)。・・・・ふつう「あれ?軽い」とか気づきませんかねえ。

 

そういえば、先月、息子が学校に行ったかと思ったらしばらくして帰ってきまして、

「忘れ物」

「なにを?」

「一切合財」

なんとですね、試験というのに、筆記用具や教科書をカバンごとうちに置き忘れ、フルートだけ持って出ていたという・・・・

いや、ここまでくれば大物だ(笑)。ほめてやります。

 

さて、娘と楽譜を受けとりに行った帰り道に、「チカン出没地区」というノボリが出てました。

とりあえず、痴漢撃退法を伝授。

「これが効いた」という秘伝(?)のふたつを実技で教えました。

学生時代毎朝毎朝、だてに丸ノ内線乗ってないです(笑)。ただ、電車内での技ですから、道路で襲われたらこれは難しい。道路ではいまだかつて襲ったことも襲われたこともないですし・・・。

というより、まずは、娘がチカンに襲われないように、親がびしっと送り迎えしなければいけないですね(汗)。

そのあと、

<大学寮で、いたずら電話がかかってきたとき、先輩たちがびっくりするような返しをしていた>ハナシとか、

<大学寮にいたとき、公衆電話を抱きかかえてしゃべってたら(酔っ払っての仕業だったか)、ちょうどななめになった角度が絶妙だったのか、コインが落ちなくなって知らないうちに長時間たってた>ハナシとか、

<あるところで、カップ式の自動販売機が壊れて、ジャージャー出っ放しになったのを、次々カップについでみんなで飲みまくった>ハナシとか、

世にもくだらない話で娘とげらげら笑っていたなら、

「あ、〇〇のかあちゃんじゃ~」と、マンション手前でいきなり声をかけられました。

見覚えのない丸刈りの青年。むこうはすごく懐かしそうなんですけど、こっちは全然わからない。

「誰?だれだっけ?教えて」ときいてみたら、

「Iです!〇〇によろしく!」

いや~、びっくりしました。息子の小学校の時の同級生。もう高2ですから、これくらいの青年になってて当たり前なんですけど、ぜんっぜんわかりませんでした。

・・・・・あの、バカ話をきかれてたのか・・・・(大汗)


筒井筒

2012年06月19日 20時35分07秒 | 見る・読む

ご存じ、「伊勢物語」の中の第二十三段。

なんだ、古文か~と回れ右することなかれ(笑)。もちろん現代語訳でいきます。

 

【伊勢物語/筒井筒:第二十三段】(第二十二段のものもあります)
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昔、田舎回りの行商をしていた人の子供たちが、
井戸の周りに出て背を比べて遊んだりしていたが、
成人し大人になったので、
男も女も互いに顔を合わせるのが恥ずかしくなっていたけれど、
男は「彼女を是非妻にしたい」と思っていた。
そして女は、「彼と結婚したい」と心に決めていて、
親が見合いさせようとするけれど、耳を貸さなかった。
そして、この隣りの男のところから、こんな歌が送られてきた。

《筒井筒井筒にかけし まろがたけ過ぎにけらしな妹見ざるまに》

『筒井戸のその井戸枠と背丈比べをしたわたしの背丈も、
今では、その枠をすっかり越えてしまったようです。
あなたにお会いしないうちに。』

女も返しの歌を送った。

《くらべこし振り分け髪も肩すぎぬ君ならずしてたれかあぐべき》

『あなたと長さを比べてきました振り分け髪も、今では肩を過ぎてしまいました。
あなたのためでなくて誰のために髪上げをしましょうか。』

などと歌のやりとりを続けて、とうとう念願かなって結婚したのだった。*************************************

ここまではいいですか?うるわしい幼馴染同士の愛ですね。

次いきます。

 

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しかし、結婚して何年も経つと、妻の親が死に、生活が貧しくなった。
一緒に貧乏暮らしをしているわけにもいかないので、行商に出ているうちに、
男は河内の国、高安の郡に、通って行く女ができてしまった。**************************************

当時の生活形態なのでしょうけど、女の親が亡くなってしまって、

ようやく働きだした男です。なのに、ほかに女を作ってしまったという・・・

 

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そんな状態なのに、女は男の行動を憎んでいる様子もなく、
男の身支度をさせて「いってらっしゃい」と笑顔で送りだす。
こんなにされると、男は「妻は浮気心でもあって自分を送り出しているのだろうか」と不審に思い、
河内へ行ったフリをして庭の植え込みに隠れて様子を伺っていると、
妻は綺麗に化粧をし、もの思いにふけったように歌を詠んだ。

《風吹けば沖つ白波 たつた山夜半にや君がひとり越ゆらむ》

『風が吹くと沖に白い波が立つ、その立つという名を持った
龍田山を、夫は一人で越えているのでしょうか。』

それを聞いた男は、妻をこの上なく愛しく思い、河内へ行くのをやめてしまった。
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綺麗に化粧して歌を歌を詠むといいのか・・・・・

それも、自分のことは棚にあげて、妻の浮気を疑っていたわけで。

 

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たまに例の高安に来てみると、女は最初は奥ゆかしくつつしんで化粧もしていたが、
今は気を許して、垂れ髪もぞんざいに巻き上げ、面長の嫌な女の姿になって、
自分でしゃもじを手に取り、ご飯を盛っているのを見て、
男は嫌になってしまい、行かなくなってしまった。*****************************************

愛人のほうは、身なりかまわず、自らご飯を盛っていたので、

男は嫌になったらしい・・・・

 

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男がこんな感じなので、女は、男の住んでいる大和の方を遠く眺め、

《君があたり見つつを居らむ生駒山雲な隠しそ雨は降るとも》

『あなたがいらっしゃる辺りを見ながら、過ごしております。
どうか雲よ、あの生駒山を隠してくれませんように、
たとえ雨が降っても。』

と歌を詠んだ。
やっとのことで男の方から「行くつもりです」と言ってきた。
女は喜んで待っていたが、何度もすっぽかされてしまったので、

《君来むといひし夜ごとに過ぎぬれば頼まぬものの恋ひつつぞ経る》

『あなたが来ようとおっしゃった夜が来るたびにお待ちしますが
あなたは来ず、むなしく過ぎてしまうので、当てにはしないものの
恋しく月日を過ごしております。』

と健気なことを言ったが、
男は結局この女のところへは通わなくなってしまったのである。
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う~む・・・

結局、男は女にあきたというわけである。

ストーリー的には、「一時期愛人に走ったことにより、本妻の良さに目覚めて戻った」というめでたしなものですけど、

なんだか腹が立つのはなぜ・・・

当時は一夫一婦制ではないので、男の行動そのものはとくに咎められるものではないのだけれど、

古文の話って伊勢物語に限らず、突っ込みどころ満載で、「納得いかない」ことばかり。

納得いくわけもないんですけどね。

・・・・・オモテ出ろ、色男。 


梅雨真っただ中

2012年06月18日 17時30分40秒 | 家族・友人等

だれしも、自分にとって特別な季節というものがあると思うのですが、

私にはこの梅雨の時期、6月というのは、格別です。

一種独特の、若干自我の混乱をきたすような、困った風情がたまりません。

栗の花が咲き、降り続けた雨で土が匂い、ほたるが飛び交う・・・・・・人心を惑わすような要素が多々。

不惑40をはるかに超してますので、もはや惑いませんけど(笑)。

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土曜日は昨日も書いたように、一日動きまわった日でしたが、夜は友人家族と食事に行きました。

お互いの上の子同士が同い年(高2)で、たしか最初に会ったのは彼らが1歳半の時なので、16年くらいのおつきあいです。

もともと東京で知り合いましたが、ちょうど同じ時期に中国地方に越してきて、今もそのまま別の県に住んでいます。

かつては家がほんとに近かったので、お互い子供を預かりあい、夕飯を一緒に食べ、一緒にあちこち出かけてました。

今は年に1回会えるかどうかという程度のつきあいですし、その間子供はだいぶ成長して「おお~」って感じですけど、

親の方ははなんだか時が止まったような感じ(笑)。

あちらは若い夫婦でまだぎりぎり30代なので、考えてみれば、変わってなくても当然といえば当然かも・・・ですが。

こちらはどう考えても変わっているはずなんですけど、「仮装さん、なんか成長止まってるよね」って言われました。

成長止まってる・・・・って(汗)。

「年が止まったように見える」と同じ意味でとらえていいんですかね?(笑)

 

それにしても、お互いはそのままの気分で会いますけど、同席している子供らが、親よりデカいくらいになっており・・・・・

この人たちがこれだけ成長する間に、親の方はいくばくか成長・変化したのだろうか、と嫌でも考えざるを得ません。

それと私にも、8歳年上、10歳年上の親しい友人が何人かおりますけど、

彼女らがいつまでも元気ではつらつとしてくれていると、こちらまでうれしく、将来に希望を感じます。

同じようにやはり自分が年下の友人たちから、「あと8年後は」「あと10年後は」という目で見られていると思うと、

容姿はともかく、生き生きと暮らしていきたいな・・・・と考えるところであります。

「外見成長止まってるように見えて、中身は進化してるんだよ」といきたいところです(笑)。

 


過去記事リバイバル: ラヴェル

2012年06月17日 22時32分59秒 | 見る・読む

下の記事は2006年3月12日にこのブログに書いたものです。

今と違って、とてもマジメに書いてます。

暗い内容ではありますが、参考のために、今一度貼っておきます。

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録画していた「ラヴェル その病と苦悩」を見た。

ゴーゴリは叫びながら死んだ
ディアギレフは笑いながら死んだ
しかしラヴェルは生きながら死んでいった 最悪の死に方だ
               ------ストラヴィンスキー


という強烈なイントロで始まるこの番組は、
ラヴェルの晩年の病について、ドキュメンタリーと再現ドラマを織り交ぜて詳細に語る。

ラヴェルは57歳の時、タクシーに乗っていて交通事故に遭う。
その後、原因不明の脳の病に悩まされ、
62歳の時には当時ほとんど成功例のないような脳外科の手術を受ける。
が、9日後に死亡。

脳の病の主な症状は「他人の言っていることは理解できるし、自らの思考能力にも衰えはないものの、自分の意思は断片的にしか伝えられない」というものだったという。
これは作曲においても同じ症状となってあらわれ、「頭の中に曲はあるのだけれど、楽譜に表現できない」というまことに悲惨極まりない状況におかれた。

1930年代当時、脳外科手術はまだまだ発展の途上にあり、成功率は少なかった。
医者も「ラヴェルだからこそすすめる。万が一にでも奇跡が起これば・・」と弟子たちやラヴェルの弟に相談したそうだ。
一方ラヴェルも「音楽あってこその命」だったため、治療法という治療法を試し万策尽きたため、万が一にかけて手術台にのったのだという。

当時、全身麻酔は脳の手術には使われておらず、脳そのものは痛みを感じないというものの、その他の処置時に非常に苦痛を伴なったらしい。
しかし、それもむなしく・・・・・・・

ラヴェルは大変作曲に慎重で、残された作品は多いほうではない。
だが、しかし作曲した作品のすべてが今でも演奏されているのだという。
こういう作曲家は他に類をみないということだ。

そのラヴェルに弟子がたずねた。
「先生がもし亡くなった時には、どんな音楽をかけてほしいですか?」
「簡単な質問だ。ドビュッシーの『牧神の午後への前奏曲』にしてほしい。
あらゆる曲のなかで、もっとも完璧な曲だからね」

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