来月の10日ですが、ひさびさにレッスンを受けることにしました。
昨年一度お願いしたH先生です。
昨年はベートーベン=リストの「運命 第一楽章」をみていただきましたけど、今回はブラームス「主題と変奏 ニ短調」です。
この曲は「弦楽六重奏第1番 作品18」の第二楽章をブラームス自身がクララの41歳の誕生日プレゼントとしてピアノ用に書き換えたものです。
作品18ですから、まだ27~28歳の時の曲ということになります。
以前H先生のリサイタルでブラームスを聴きましたが、ずばり惚れこみました。
なので、大変レッスンも楽しみにしているのですが、そうであればあるほどレッスン時間を有意義に過ごしたい。自分でできるチェックをあらかじめやっておかなくてはなりません。
この曲は一昨年の夏のコンペで弾き、まあまあのコメントと結果をいただいたのですが、自分としては準備期間が短かったこともあり、まったく納得いっていませんでした。弾いた時の会場の「ウケ」というか空気もいまひとつだったように思い、今月に入ってから、まずは一昨年のレベルまで弾けるように、とりあえずテクニック面での強化を図ってきました。
実のところ、ブラームスのソロ曲はほとんど弾いたことないので比較できないのですが、たぶんこの曲はそう易しいほうではないんじゃないかと思います。
とにかく音域が広いし、音が厚いし、弦楽器6人分を一人でやるのだから、そう簡単であるわけもない。
弾くのに必死で、あまり客観的に聴く余裕もないです。
そこで、やってみました・・・録音。
一昨年は一度も録音をしていないので、いったいどんな演奏をしていたのかよくわからないのですが、できれば少しはマシになっていてほしい。
・・・がしかし・・・・
ううっ
こんなのブラームスじゃない・・・
他人が聴いてどうこうという以前に、自分のイメージがまったく表現されてません。なにがどう足りないかというと
ドスがたりない
タメがたりない
キワマリ方がたりない
・・・「またそんなこと言って」と大爆笑されそうなんですが、ほんとなんですよ。タメたいところでささっと駆け足しちゃうし、ここぞというところでスカっと音が落ちるし、感極まるべきところでトーンダウンする。
まったくもってイケテません。
ブラームスはただでさえコブシすれすれのタメがある上、特にこの曲は弦楽の曲なので、チェロのアルペジオやスケールのところなんか、ピアノの鍵盤のようにさっさといかないというか、いくはずがないんですよね。指いっぱい開かないと次の音に届かないような音階だってあるはずなんですから。
というわけで、「ドス・タメ・キワマリ」を中心に繰り返し部分的録音しアンバイをみてみたのですが、これがなかなか難しい。
自分ではこれでよかろうと思っても、録音するとあまりにあっさりだったり、
やりすぎか・・と思うくらいがちょうどよかったり、
ほんとに試行錯誤です。聴き手によっても好みは分かれるはずですが、まずは自分の思うことが表現できるようにしておきたい。
そんなこんなで結構時間かかりました。
その後友人に2月のリサイタルのDVDを送ろうと思って、ちょっとだけチェックがてら見てみたんですよ。
う・・・・・・・ん・・・・・・・
やっぱり緊張してまね、余裕がないです。
ミスがあるとかそういうことではなく、音のない時間を待てない。せっせせっせと弾いてます。
3月に、松本和将さんにレッスンを受けたとき「日常のさわしなさが演奏にでてる」と指摘されましたが、全体にまさにそんな感じです。
私はしゃべり方もやることもせわしない傾向があって、演奏もそうなんだろうな、とそのときは思ったのですが、よく考えてみるとそんなものでもない。
例のH先生はお話になられるときは早口ですけど、演奏の時は人が変わったように時間がゆっくり流れる。瞑想などをなさるときいてますけど、そういうことも関係あるのかもしれません。
日常生活や性格や少々の体調不調などによって左右されるような演奏は、まだまだ音楽の「震源」が浅いのかもしれません。
その曲そのものに入り込み、己を離れたところから表現できるようになれば、そういう表層的なことから解放されるはず・・と思います。
私の場合はまだまだそれ以前で、とりあえず、細かく録音や映像をチェックして、自分の表現したいものに近づけるのがまずは課題ですが、とにかく時間の感じ方には気を配っていきたいと思います。