~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

じわっとキイテきました

2007年06月30日 03時37分07秒 | ピアノ
お好きな方にはたまらない(?)「月光ソナタ第3楽章」の話のつづきです。


少し前のことになりますが、この曲(というより月光ソナタ全楽章)の公開講座があり、きいてまいりました。
ザラフィアンツ氏というピアニストが指導されたものですが、興味深いものでした。
この日のまな板の上のお魚といいますか、生徒として演奏された方は、非常に正統派で、模範的、そして若干おとなしめなベートーベンを弾かれたのですが、
ザラフィアンツ氏は「わたしのは伝統的解釈というよりは、私自身のもの。そして現在も模索しているもの」といったような前置きのもとに、個性的とも思える解釈を示されました。

1&2楽章まではそれほど驚くこともなったのですけど、第3楽章が遅い。
私の手元の楽譜によりますと<Presto agitato>となっているのですが、ちょっと<Presto>とは言いがたいテンポでもって、第2楽章の<Allegretto>よりはもちろん少し速いですけど、とくに血涌き肉踊るでもないテンポで始まる。
そして、通常は最初のアルペジオはノンペダルで駆け上がり、次のスフォルツァンドの和音でもってアクセントペダルっぽくペダルを入れることが多いと思うのですが、
氏は最初からペダルを入れて、ふくらみの頂点でもって、和音を打鍵する。
しかも、そのスフォルツァンドを「強く、フォルテもしくはそれ以上の音量弾く」ということではなく、音量でなくタイミングのずれでもって弾くということで、これは実際弾くとどういうことになるかというと、
ペダルつきのゆっくりめのアルペジオがふくらみきった瞬間にほんのわずかの<間>があり、和音が特に強打というわけでもなく打鍵されるということになります。

聴いていておもしろいなあ・・とは思いましたけど、さすがにそうやって弾く気にはなれませんでした。もちろん慣れの問題ではあると思いますけど、一気呵成なアルペジオ&スフォルツァンドのセットを期待しているところへ、
「ゆるゆるゆるゆる・・・」で始まってしかも「う?」という間があるのは、「注文したものと違うのきたよ~~(泣)」というオーダーの行き違いみたいな感じがしました。

ここ二日くらいで、ちびちびとまた弾いてみて思ったのですが、今までこの曲弾くのに、技術的に余裕がなかったこともあり、前に前に行き過ぎて、どうも自分でもいまひとつ面白くなかった。スピード感とかリズムとかは楽しかったですけど、ひとつひとつのフレーズを楽しむ余裕がありませんでした。
いや、この曲に限らず、録音を聴いてみると私のクセでもありますけど、フレーズのおわりなどを気持ち見切り発車してしまうところがあって、それがあるレッスンでは「せわしない」といわれ、あるレッスンでは「裏拍をきいてない」という表現でもって指摘されているのだと思います。

話は戻るのですけど・・・

たしかにゆるゆると立ち上るアルペジオはちょっと気分に合わないし、和音の前の<間>もびっくりなんですけど、
エネルギー的には、低音から始まるアルペジオの波が大きく大きくなり、その頂点で和音として爆発するわけでして、もちろん<間>の具合によりますけど、炸裂まえにある種の<タメ>みたいなのは当然あるわけです。
別に公開レッスンのことを思い出しながら弾いていたわけでもないのですけど、ふとよみがえってきて、どこか「おお、なるほどなるほど」と思う自分がいました。

一見極端とも思える解釈も、音の持つエネルギーだとか、方向性をたどっていくと、おもわぬ発見というか「かめばかむほど味のでる裏拍」に気付いたり、「サブリミナル的に挿入されていたあるコマ」の存在を見出したりするきっかけになるかもしれません。

こういうときに、「自分が日々弾いているのは、<よりよく聴くため>」だとあらためて思います。



禁断症状だったのか?

2007年06月29日 00時54分26秒 | ピアノ
梅雨は別に嫌いではないのだけれど、体調のほうは絶好調というわけでもなく、
ピアノ弾いてても「・・・・うう・・」と思っていたところに、目にとまって譜棚からふらふら取り出したのがベートーベンの「月光ソナタ」。
これは、2月の自分のコンサートの前半プログラムの中の1曲だったのだが、脱力がいい加減だったことがステージではさらに増幅され、3楽章では死ぬ目に遭い、後半のプログラムはこの状態で弾き続けられるか・・・というくらい消耗した。

このまま脱力不完全のまま弾き続けると、これ以上難度があがったり、曲が長くなってしまったら絶対に弾けなくなる・・・という確信(?)を持ち、しばらくは自分の腕や身体の状態に意識を集中させることにしよう、とコンサート後に決意したのだった。

たまたまというか、やっぱりというか、その後受けたいくつかのレッスンで主に脱力関係の注意をされたこともあり、自分なりに弱い指の克服とか、余計な力を感じたらすぐストップして、その力が加わっている箇所を突き止めるとか、それなりの練習をしてきた。

まだまだ克服できたとは言い切れないのだけれど、右4の指に関しては、かなり力が安定して入るようになり、今までこっそり指使いを変えていた4がらみの場所もそのままの運指でなんとかなるようになり、なによりもあまり弾いていない曲でも「いちいち4の指でかくんと転んでしまい、笑っちゃうくらいヘタ」ということがなくなってきたように思う。

月光の3楽章もちょっと弾いてみたのだが、4ヶ月ぶりに弾いた割には、まあまあで、それなりのテンポで弾いても、最後にヘロヘロにはならなかった。ステージで弾いたらまた違うのは当然としても、ずいぶん楽になったよなあ・・という感じだ。

少しでも楽に弾ければ、これはもうアドレナリン全開(爆)でして、
そりゃ他人様にお聴かせできるようなシロモノではないにしても、ここんとこの体調のいまいちぶりは何が原因だったかというと、もしやベートーベン欠乏症だったのではないか(ヤク切れみたいなもんか?)というくらい、弾きましたよ。
ええ、もう鼻血寸前です。

こんな状態の私のところへ、本日遊びにきたKさん。
飛んで火にいるなんとやらで(笑)、今日は「ベートーベンの楽譜は持ってきていないから・・」としぶるのをムリヤリすわらせ、楽譜も立てて差し上げて、弾いていただきました、現在練習中のソナタ。
Kさんは、しっかりとしたタッチで堅実に弾かれるかたなので、いきなり鼻血噴くわけではないのですけど、
だんだん聴いてるとこっちのテンション上がってきてしまってですね、「ああ~~~~そこ、そこ、私にも弾かせてくれ~~」ってわけで、
・・すいません・・あやうく壊れるとこでした


例年今頃は、コンペでひーひー言ってるのですが、今年は平和というかなんというか・・・。



あらまほしきかな、先達

2007年06月27日 10時24分59秒 | ピアノ
ひさしぶりにピアニスト金子一朗氏のブログをのぞいてみました。

氏は2005年のコンクールの特級でグランプリをとられてから、ピアニストとしても大変ご多忙でいらっしゃるのですが、本業は数学の先生です。(有名なので皆さんご存知ですよね)

私は、個人的には2003年の暮れに某所のコンサートでご一緒させていただいて、ほんの一言か二言言葉をかわさせていただいたのですけど、あのとき氏の演奏を聴いていなかったら、ここまで真剣にピアノに取り組んでこられたかどうか・・・というほど、刺激というか衝撃を受けました。

のぞいてみてですが・・・・


相変わらずお忙しい。
8月のリサイタル(ドビュッシーチクルス)の準備に、弦楽器の伴奏(オケパート)、ステップのアドバイザーとしてのお仕事、そしてラフマニノフのピアノ協奏曲の3番の練習、そして雑誌の原稿執筆と、信じられないご多忙ぶり。
もちろん本業は続けておられるわけですし、家庭では二児の父(お子さんの年齢は上も下もうちと同じ)として、休日には得意なお料理をされたりもして、
あの静かな雰囲気からは想像つかないような八面六臂のご活躍ぶりです。

氏の文章は、それがたとえ音楽の話題であっても、料理の話であっても、知的で分析的な書かれ方をされていまして、「年中これ漫談」の私の文章とは同じ日本語と思えないくらいの品格の違いがあるのですけど
今日読んだなかで、ドビュッシーの「ベルガマスク」の<パスピエ>について書かれていた文章は、情緒的にも共感を覚えました。

いわく・・・
パスピエに表現されたものは極めて繊細な悲しみで、ベートーヴェンやブラームスの悲しみが偉大な人間の死と直面する感情を表すとすれば、ドビュッシーのそれは、子供の頃から好きでいつも抱いていたぬいぐるみを手放すときや、飼っていたペットと死別するときの感情に近い・・・・・
・・・・・そんなに崇高ではない大多数の死や別れに、パスピエはふさわしいのだ


原文はもっともっとすばらしいし、長いのですが、許可なく長々と引用するのもいかがなものかと思い、ほんの一部分だけ書かせていただきました。
ドビュッシーが遠くて遠くてならない私ですが、なんだか一歩を踏み出せそうな気がいたします。

結局は地味練

2007年06月26日 14時09分33秒 | ピアノ
こどもの時は、「バッハ大好き」という友人はあまりいなかったのですけど、
大人になってバッハの好きな人、ただ好きなだけでなく自分でもよく弾いている知り合いが増えました。

これはまあ、簡単にいうと年をとっていわゆる「良さ」がわかるようになったからなのでしょうけど、私は、バッハは好きでも嫌いでもないので、まだピンときていないところがあるのだと思います。

子どもころはもちろん2声と3声インベンションを1番から15番まで、何度も何度も弾かされて、これはもう好き嫌いの問題ではなく、漢字ドリル計算ドリルのような「基本」でした。
大人になって一人で平均律を弾き始めて、やっと1巻の22番(1番から順番にやりましたので)まできましたけど、相変わらずわかったようなわからないような感じです。

バッハを弾く時に子どもころからいつもいつもいわれてきたことは「テーマを出す」ということなんですけど、これが長い間ピンとこなかった。
というのは、フーガというのは、たしかにあるモチーフがいろいろな声部でそのままでてきたり、バリエーションが加わったり、それに対する旋律が登場するわけですけど、「テーマ」たって、「はいここからここまで」といって区切れるようなものではなく、ずーっとずーっと続いていて、その連綿たるところがフーガのいいところなんだし、テーマばっかりだしたってつまんないじゃん・・と、そう思い続けてきたわけです。もっとも、今考えると、技術的にテーマすらきちんと出せない状態なのになにをいう・・・なんですけどね。

その疑問がちょっとだけ解けたのはですね、ある天才少女が2~3年前にテレビでバッハのハ短調パルティータのシンフォニアを弾いてるのを聴いたときでした。
彼女、たぶんまだそのとき9歳だったんじゃないかな?
テーマとか、声部とかそんなケチ(?)なもんじゃなかったです。
別々の人間がそれぞれの歌を最後まで歌い続けてるように聴こえました。
これをもっと普通の言い方をすると、それぞれの声部でずーっとある旋律が続く時(かならずしもテーマとは限らない)、かならず、抑揚というか声をひそめたいところとか、盛り上げたいところがあるわけですが、これを10本の指の中で巧みにやるわけです。
さらに単純な言い方をすれば、右が盛り上がっても左のある指はひっそりとしてるとか、左手は興奮してても、右は落ち込んでるとか、まあそういうことが同時に一瞬にして出来てるわけです。

画像つきで見たこともよかったのかもしれませんけど、先生方から何年も教えられてもピンとこなかったことが、彼女の演奏で「おおっ!」ときました。
だからといってそれが出来るようになったかといわれれば、それはまだまだというか(・・・永遠にというか・・・)とてもとてもなんですけど、
少なくとも、機械的に「これは主たるモチーフ、それが対旋律」みたいに考えることはしなくなりました。ほんとは、対位法というものは、それをきちんと分析しなければならないのでしょうけど、おそらくそういう学問的な演奏はたくさん聴いてきたはずなのに、9歳の少女の演奏ほど腑に落ちなかったので、たぶん私の理系全滅頭ではちょっと難しいのかもしれません。


譜面を読む努力もしていることはしているのですが、たとえ3声であっても内声を独立して弾けるようになる(あるいは、弾きながら真ん中の声部だけを歌う)ためには、ハンパな量の練習では不可能です、少なくとも私には。

・・・・というわけで、外面的には、「弾いて弾いて弾かされた」子どもの頃の練習光景とまったくなにも変わっていないのでした・・・

普通が普通でないらしい

2007年06月25日 22時44分06秒 | 家族・友人等
今日は小学校の参観&懇談だった。

下駄箱で、同じクラスの顔見知りお母さんと一緒に・・。

「仮装さんて、お肌きれいよね~~。
私とおない年なのよね~~。
今日も、お肌ツルツルじゃない~~~。
そういえば、前はスッピンで学校来てなかったっけ?
このごろお化粧してるわね。・・・何かあったの????
下が幼稚園入ったからかしらね、ってウワサしてたのよ」


・・・もしもし・・?
肌をほめていただくのは、悪くはないですけどね、
造作のほめようがないときに苦し紛れに出てくる方便ということもありますし(笑)。
ええ、たしかにスッピンで学校にきてましたし、今でもそういうこと結構ありますけど、
「何かあった」というほどの事件でつか?

そういえばですね、この前のサークル練習会でも
「どうしたの、そのカッコ?いつもそうしてればいいのに」というた方がおられましたですね・・・そう、そこのあなた、そしてあなたです(爆)。

・・う~ん・・下の子が幼稚園入って、いきなり化粧しだして、いきなりナリに構いだしたなどというのは・・
・・・・つ、つまりそれは・・・・
<昼下がりのイケナイ人妻>か!(←これで検索してこちらにこられても知りませんよ。ここはそーゆーブログではないですからっ)

たしかに、昨日書いたような「みっしつのこうい」は無いとはいいませんけどね、
私がいい年して狂ってるのは、
いいですかオトコではなくして、
オトですから。(←オットでもないところが困るが)

そこんとこ、誤解のないようにっ
・・・って誰も誤解してませんよね・・・
なんかそれもさびしい




みっしつのこうい

2007年06月24日 20時04分02秒 | ピアノ
先週というか今週というか、とにかく本日までの数日間、ピアノがらみで何人かの方においでいただきました。

連弾の練習で3人、個人的に遊びというかピアノを弾きにで2人、本番まえの強化練習のためグランドを弾きにで1人、・・ありがたいことです。

私は連弾が好きなので、たとえ初期の練習であれ、音とりであれ、その時その時で楽しく弾かせていただいてます。なんでそんなに好きなのか自分でもわからない(笑)。・・・・・・こうみえて結構いい人かもです、私(自分でいうか・・・逃)。

今抱えている連弾曲は4曲ありまして、
「G線上のアリア」
「パリは燃えているか」
「ハッピーバースディ変奏曲」
「ラプソディー・イン・ブルー」
です。

相手は3人ですが、それぞれいい味だしてます。
その中の二人は連弾初体験とかで、「えっ、初めてが私で、よ、よかったですか?」と一瞬ひきましたけどね(笑)、
まあ、あきらめてください。なにごとも初体験はハプニングです(逃)。
間近で見るとですね、遠くで聴いてたのとちょっと弾き方の印象が違ったり、このタッチからあの音がでるのかとか意外な発見があったり、こちらはこちらでいろいろ勉強させていただいてます。
この音は私にはない、というか出せてないとか、ほんとピアノを弾くすべての方、私参考にさせていただいているというか、みな師匠と思っています。

ふだんから、そう静かなクチではないですけどね、
だいたい音楽の話というか、ピアノのそばにいくと、興奮するタチですので、
鼻血寸前状態になったり、ちとトランスがかったりするのですけど、どうかお許しくださいませ。
決して、危害は加えませんので(爆)。

ちなみにうちのマンションは「○○教室」は禁止されてまして、
うちはもちろん教えてはいませんし、あくまでも個人的楽しみのみで楽器を演奏しているのですが、
人の出入り率とみなさんの姿(ほぼ楽譜を下げてくる)に関する限り、状況証拠は真っ黒でして
防音室だし、密室でなにが行われているかは当事者しかわからないのでございます。

・・・あやしいですね・・・ええ、トランスですし・・・・

クソマス

2007年06月22日 23時33分57秒 | 家族・友人等
先日書いた「がみ道」だが、
実は最後のトドメがあった。

♪あるこう あるこう あたしは げんき
あるくのだいすき どんどんいこう
さかみち とんでる クソっかな 
にっぽんばしの でこぼこ がみみち

クソマス くぐって くごみ みち

クソマスってなんですか?
これは娘もわからないらしい。
「『クモの巣』ならわかるんだけど、みんなが『クソマスだ』っていうし・・」とのお返事。
「『くごみ道』もわからんのんよ。トトロのお歌はナゾだらけ」

・・・・・・ナゾだらけなんは、君ら園児の頭の中じゃ・・・・


元の歌までわからなくなってきたので、復習。
♪・・・・ さかみち とんでる(→トンネル) くそっかな(→くさっぱら)
にっぽんばしの(→いっぽんばしに) でこぼこがみ道(→でこぼこジャリ道)
クソマスくぐって(→くものすくぐって) くごみ道(→くだり道)♪


なんともサバイバルで3Kなおさんぽ・・・・

娘のピアノ

2007年06月20日 00時33分47秒 | 家族・友人等
ひさびさに娘のピアノのことでも書こうかと思います。

前回いつ書いたのか忘れましたけど、とりあえず続いてまして、
なんとか両手の簡単なユニゾンに入ってまいりました。

今のところ、毎日弾いてます。
私がついて30分はやってます。多いのか少ないのかわかりませんが・・・。

ここのところ結構根性がでてきまして、
「上手になりたい」とか
「先生がハナマルくれたけど、いつでも弾けるようにしておきたいから、この曲毎日弾く」とかいいまして、
これなら少しはしつこくやっても大丈夫か?・・と思い、
ええ、やってますよ、粘着(爆)。

スタカートが続いているなかで、くっついてしまうところがあったりとか、
スラーが逆っぽくなってたりとか、
空振りの打鍵とか、があった場合、
やさしく、たまにはふざけて・・・・だが・・・・しつこく、できるまで
やり直しでございます。
そうすると、自分でもうまくいった時にはわかるらしく
「今いい音がでた」といいます。

もちろん先生のところには週一回行ってます。
昨年9月には、ピアノにすわることすらしなかった娘がこうして、ちゃんと毎日練習するのは、先生のおかげでありまして、
ここまで、習慣がついたのなら、私もそれにこたえてきちんと毎日みてやらなきゃな(・・・って、あまりにも放置プレイだったもんで、先生にもちょっと言われたりなんかしたもんで・・・)と、ここ2ヶ月ほどなんとか続いてます。
・・・それにしても、上の子に関してはピアノにかけては放置のまま終わってしまったような気が・・・・・猛省。


私の練習は、子どものいない時間帯なのですが、
たまにそうでない時に練習することもあって、でも基本的には、練習中は子どもはピアノ部屋には入れません。
でも、娘は時々遠慮なく入ってくる。
そして何をしているかというとですね、
10-1を弾いてる時に、最高音のところでずっといたずら弾きをしていて、
アルペジオが高音に迫ってくると「キタ~!!」といって逃げる。
まあ、「そういえばこの曲お母さんが弾いてたな」と思うこともあるでしょうから、あまり邪険にしないようにしてます。
絵本もろくに読んでやってないので(逆に上の子の時は、毎日10冊は軽く読んでましたが・・・)、これくらいしか「きかせてやる」ものもないんで・・・・(逃)。



ブラームスのレッスン

2007年06月18日 17時45分25秒 | レッスン&セミナー
本日まとめ撃ち、二つ目です。

10日に、H先生にレッスンを受けました。
受ける受けるといっていたのに、その後なにも書いてないので、「いったい受けたのか?受けてないのか?」と思われた方もいらっしゃるかもしれませんが、たしかに受けました。
これが、ものすごく内容が濃いというか深かったので、その後1週間考え続けていました。

曲はブラームスの「主題と変奏 ニ短調(弦楽六重奏第1番第2楽章のピアノ編曲版)」

私以前、H先生のブラームスを聴いたことがあります。
たしか作品10のバラードだったと思いますが、自然界のいろいろな音(海や風など)や人の声のようなものが聴こえてきたように思えて、戦慄が走りました。
そういう深いブラームスを弾かれる先生に、私のようなド素人がブラームスをのこのこ持参するのは、身のほど知らずと思っていましたけど、どうしても先生に聴いていただきたかった。

この曲、技術的にも易しくはないです。音域は広いし、和音は厚いし、譜読みの段階でまず相当苦労しました。
練習もしましたし、考えつくしましたけど、私のオツムの限界に達してまして、もうこれ以上の知恵は浮かばない。
H先生、技術的な面では、
ハーフペダルを使いながら音を切れないように続ける方法とか、
低音を維持する方法とか、
弦楽器の弾き方をそのままピアノで真似するのではまずい部分の処理の仕方とか、
私にとっては高度なテクニックを教えてくださいましたけど、
それは、ここ1週間で、練習したり、納得したりして、なんとなく身につきつつあるような気がします。

問題はですね・・・

精神面の話でして、私が今まで考えたことも試みたこともない<次元>での指導を受けたわけです。
私の演奏がこれまで「感情」とか「心理」そういうものに支配されていたとしたら、さらに深部というか高次というかの「不変なるもの」とか「真理」とかの領域の話だったような気がするわけです。
正直いいまして、私は「不変」とか「真理」が苦手でして、よってなんとなく哲学とか物理とかそういうものに見向きもしないし、同じ理由でバッハは恐ろしいです。

古くヨーロッパでは「宇宙の真理」として、数学や音楽が同列の学問として扱われていた時期もあるようで、そういうことは聞き知っていましたけど、そういう領域のことはなるべく考えないようにしていました。
が、今回のレッスンでそれに直面させられた気がします。

もちろんH先生は、そういう「用語」でもってレッスンを進められたわけではないのですが、総合すると
・・・私の演奏は、強弱にしても表現にしてもどうもすべて「外に向かって放出」されていて、どっしりと存在する自己の内面深くに取り込まれた末に、自然と醸し出されているようなものではない・・・・・・というようなことになるようです。
先生は「強弱を外に向かって出している」とか「あなたはまだ鍵盤を弾いています」とか「裏の拍をちゃんと聴いてません」とかおっしゃってましたけど、
これらは、最近、私がピアノに向かうときに感じていた違和感というか至らなさを言語化されてまして、これをなんとかするということは、弾くというより、自己改革に近いことでもあるので、時間をかけて考えていこうと思っています。

ブラームスもそうなんですが、最近バッハを少し弾いてまして、どうも曲の内容に自分がふさわしくもないし、弾けば弾くほど、自分の中身のなさを露呈するようで困ります。(ゲゲゲはまた別問題ですが・・・・・

すぐには無理だし、もしかすると一生無理かもしれませんけど、精神的にも少し高次を目指してやってみたいと思っています。


セレブ?なランチ

2007年06月18日 16時16分18秒 | 家族・友人等
またまた数日が飛んでしまいましたが、
先週金曜日には、うちにサークルの方が何人が来られ、
土曜日午前は、娘の造形教室の振り替え分に行き、
午後からはサークルの練習会&飲み会、
そして日曜はザラフィアンツのリサイタル、
今日は昼に小学校のクラス役員でランチ(茶話会の打ち合わせ)、
というそれなりにバタバタのスケジュール。
その間にピアノの時間も確保しているので、ブログが遅れる遅れる・・・


ランチたってですね、結局バカ話炸裂で、なにしてんだか・・といわれればそれまでなんですけど、実は子どもに手のかからなくなった奥様方は、結構こういう場で親交を深めているらしいということを、今更なんですが知った次第で、ちょびっとだけですがセレブのマネでもしてみようかと・・・・

私を含めた4人のうち3人はなんと、6年間のうち5年間は同じクラス、あとの一人はうちとは3年間一緒ということで、今まで特に親しかったというわけでもないけど、お互いよく知ってるわけです。
その一人がですね、
「仮装さんって、メールとかするんだ。なんかイメージじゃないよね」

・・・携帯メール、やりまくりですが、何か・・・・

「このまえ、FAXで長い文章を送ってきてくれたから、パソコンとかも打てるんだって思った」

・・・・HP持ってますけど、何か・・・・・

もうね、私どういう人間だと思われてるんだかなんですけど、
で、そのうちバカ話炸裂したあげくに、


「あ、仮装さんの携帯、あたしと同じ・・」

・・・・あのね、こういうピンクの携帯持ち始めたらオバサンっちゅうことなんですよ・・・

「そうなのよ、買ったあとで、ショップの人が<この色は若い人は買わないので、在庫がありまして>っていってた」

ちなみに彼女と私は生まれ年は一年違いの同学年ということがわかりまして、
しかも旦那もおない年ということがわかりまして、
しのびよる更年期に反比例するようにピンク指数も上がってくるよね、と意気投合。
彼女は服もピンク大好きみたいで、そのうち私も着るようになるんですかね?(・・どうぞ私のピンクのモーツァルトご想像ください)



一人は、下の子を別の受験で入る小学校に入れておられるのですけど、
ここが、まったく別世界らしく、ファッションから物腰から変わったよねえ・・と巷の評判。
なんでも、「まずは親から」みたいな雰囲気で、お母様同士相互のチェックも厳しいらしく、気が抜けないらしいです。

・・・・そんな学校に子どもをいれたら、私も生まれ変われるのか・・・・・



で、だいたいこういうとこで言われるのは
「タキオン君はピアノ弾く(今はやってませんけど)ってきくけど、お母さんのほうが一生懸命弾いてるの?」

・・・・・かなり一生懸命ですが・・・・何か・・・・