お好きな方にはたまらない(?)「月光ソナタ第3楽章」の話のつづきです。
少し前のことになりますが、この曲(というより月光ソナタ全楽章)の公開講座があり、きいてまいりました。
ザラフィアンツ氏というピアニストが指導されたものですが、興味深いものでした。
この日のまな板の上のお魚といいますか、生徒として演奏された方は、非常に正統派で、模範的、そして若干おとなしめなベートーベンを弾かれたのですが、
ザラフィアンツ氏は「わたしのは伝統的解釈というよりは、私自身のもの。そして現在も模索しているもの」といったような前置きのもとに、個性的とも思える解釈を示されました。
1&2楽章まではそれほど驚くこともなったのですけど、第3楽章が遅い。
私の手元の楽譜によりますと<Presto agitato>となっているのですが、ちょっと<Presto>とは言いがたいテンポでもって、第2楽章の<Allegretto>よりはもちろん少し速いですけど、とくに血涌き肉踊るでもないテンポで始まる。
そして、通常は最初のアルペジオはノンペダルで駆け上がり、次のスフォルツァンドの和音でもってアクセントペダルっぽくペダルを入れることが多いと思うのですが、
氏は最初からペダルを入れて、ふくらみの頂点でもって、和音を打鍵する。
しかも、そのスフォルツァンドを「強く、フォルテもしくはそれ以上の音量弾く」ということではなく、音量でなくタイミングのずれでもって弾くということで、これは実際弾くとどういうことになるかというと、
ペダルつきのゆっくりめのアルペジオがふくらみきった瞬間にほんのわずかの<間>があり、和音が特に強打というわけでもなく打鍵されるということになります。
聴いていておもしろいなあ・・とは思いましたけど、さすがにそうやって弾く気にはなれませんでした。もちろん慣れの問題ではあると思いますけど、一気呵成なアルペジオ&スフォルツァンドのセットを期待しているところへ、
「ゆるゆるゆるゆる・・・」で始まってしかも「う?」という間があるのは、「注文したものと違うのきたよ~~(泣)」というオーダーの行き違いみたいな感じがしました。
ここ二日くらいで、ちびちびとまた弾いてみて思ったのですが、今までこの曲弾くのに、技術的に余裕がなかったこともあり、前に前に行き過ぎて、どうも自分でもいまひとつ面白くなかった。スピード感とかリズムとかは楽しかったですけど、ひとつひとつのフレーズを楽しむ余裕がありませんでした。
いや、この曲に限らず、録音を聴いてみると私のクセでもありますけど、フレーズのおわりなどを気持ち見切り発車してしまうところがあって、それがあるレッスンでは「せわしない」といわれ、あるレッスンでは「裏拍をきいてない」という表現でもって指摘されているのだと思います。
話は戻るのですけど・・・
たしかにゆるゆると立ち上るアルペジオはちょっと気分に合わないし、和音の前の<間>もびっくりなんですけど、
エネルギー的には、低音から始まるアルペジオの波が大きく大きくなり、その頂点で和音として爆発するわけでして、もちろん<間>の具合によりますけど、炸裂まえにある種の<タメ>みたいなのは当然あるわけです。
別に公開レッスンのことを思い出しながら弾いていたわけでもないのですけど、ふとよみがえってきて、どこか「おお、なるほどなるほど」と思う自分がいました。
一見極端とも思える解釈も、音の持つエネルギーだとか、方向性をたどっていくと、おもわぬ発見というか「かめばかむほど味のでる裏拍」に気付いたり、「サブリミナル的に挿入されていたあるコマ」の存在を見出したりするきっかけになるかもしれません。
こういうときに、「自分が日々弾いているのは、<よりよく聴くため>」だとあらためて思います。
少し前のことになりますが、この曲(というより月光ソナタ全楽章)の公開講座があり、きいてまいりました。
ザラフィアンツ氏というピアニストが指導されたものですが、興味深いものでした。
この日のまな板の上のお魚といいますか、生徒として演奏された方は、非常に正統派で、模範的、そして若干おとなしめなベートーベンを弾かれたのですが、
ザラフィアンツ氏は「わたしのは伝統的解釈というよりは、私自身のもの。そして現在も模索しているもの」といったような前置きのもとに、個性的とも思える解釈を示されました。
1&2楽章まではそれほど驚くこともなったのですけど、第3楽章が遅い。
私の手元の楽譜によりますと<Presto agitato>となっているのですが、ちょっと<Presto>とは言いがたいテンポでもって、第2楽章の<Allegretto>よりはもちろん少し速いですけど、とくに血涌き肉踊るでもないテンポで始まる。
そして、通常は最初のアルペジオはノンペダルで駆け上がり、次のスフォルツァンドの和音でもってアクセントペダルっぽくペダルを入れることが多いと思うのですが、
氏は最初からペダルを入れて、ふくらみの頂点でもって、和音を打鍵する。
しかも、そのスフォルツァンドを「強く、フォルテもしくはそれ以上の音量弾く」ということではなく、音量でなくタイミングのずれでもって弾くということで、これは実際弾くとどういうことになるかというと、
ペダルつきのゆっくりめのアルペジオがふくらみきった瞬間にほんのわずかの<間>があり、和音が特に強打というわけでもなく打鍵されるということになります。
聴いていておもしろいなあ・・とは思いましたけど、さすがにそうやって弾く気にはなれませんでした。もちろん慣れの問題ではあると思いますけど、一気呵成なアルペジオ&スフォルツァンドのセットを期待しているところへ、
「ゆるゆるゆるゆる・・・」で始まってしかも「う?」という間があるのは、「注文したものと違うのきたよ~~(泣)」というオーダーの行き違いみたいな感じがしました。
ここ二日くらいで、ちびちびとまた弾いてみて思ったのですが、今までこの曲弾くのに、技術的に余裕がなかったこともあり、前に前に行き過ぎて、どうも自分でもいまひとつ面白くなかった。スピード感とかリズムとかは楽しかったですけど、ひとつひとつのフレーズを楽しむ余裕がありませんでした。
いや、この曲に限らず、録音を聴いてみると私のクセでもありますけど、フレーズのおわりなどを気持ち見切り発車してしまうところがあって、それがあるレッスンでは「せわしない」といわれ、あるレッスンでは「裏拍をきいてない」という表現でもって指摘されているのだと思います。
話は戻るのですけど・・・
たしかにゆるゆると立ち上るアルペジオはちょっと気分に合わないし、和音の前の<間>もびっくりなんですけど、
エネルギー的には、低音から始まるアルペジオの波が大きく大きくなり、その頂点で和音として爆発するわけでして、もちろん<間>の具合によりますけど、炸裂まえにある種の<タメ>みたいなのは当然あるわけです。
別に公開レッスンのことを思い出しながら弾いていたわけでもないのですけど、ふとよみがえってきて、どこか「おお、なるほどなるほど」と思う自分がいました。
一見極端とも思える解釈も、音の持つエネルギーだとか、方向性をたどっていくと、おもわぬ発見というか「かめばかむほど味のでる裏拍」に気付いたり、「サブリミナル的に挿入されていたあるコマ」の存在を見出したりするきっかけになるかもしれません。
こういうときに、「自分が日々弾いているのは、<よりよく聴くため>」だとあらためて思います。