~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

どうしても入ってます

2006年11月28日 12時55分51秒 | レッスン&セミナー
昨日のレッスンで、この期に及んで「べートーベンにみたいに弾かない」
というお言葉を賜ったのであるが、
これは実はこういうことなのだ。

なんとなく静かな曲に苦手意識のある私は、
「異国から」を全体に音量を抑えて弾いていた。
すると「カラオケをやらない」と注意され、
ならばくっきりメロディーラインをだしましょう、とはりきって(?)弾いたところ、写真の楽譜にあるところの右手メロディーの2番目の音、つまりGを思いっきり盛り上げてしまったのだった。
そこで
「ベートーベンみたいに弾かない」と言われたのだった。
要は、次のFisの音のアヤというかニュアンスをないがしろにしてしまって「抜けた音」にしてしまっていたのだった。
ちょっと試してみるとよくわかるのだが、このメロディーラインをG音強調で弾いてみるとなかなかさっぱりした潔い曲(笑)になるのだが、
次のFisをちょっと「タメて」みると、「おおこれぞロマン派」みたいになる。
このあたり、自分ではなんとなくわかってきたと思っているのだが、気を抜くとまだまだヤッてしまう。

これに類する話は実は2年くらい前にもあって、自分の進歩のなさを感じてしまうのだが・・・・・・。

コンチェルトのコンペでモーツァルトの20番の第1楽章を弾いた時のこと。
右手が同じ音型のまま、高音へ上っていくところがあったのだが、
雰囲気としてははるか天を仰ぐといった感じで、どちらかというとディミヌエンド気味に弾く場所であった。
ここをですね、やりました・・・・こぶしを突き上げる ように。
指揮者いわく「情熱的でいいんですが・・・ベートーベン入ってます


高みに登る時に、どうしても気合の入ってしまう性格は、治らないような気がする・・・


レッスン 「子供の情景」

2006年11月27日 14時49分01秒 | レッスン&セミナー
夏のコンペ以来、ひさしぶりに某大学までレッスンを受けに行ってまいりました。
先生はもちろん、K先生です。

本日は「子供の情景」。
全曲ではなく、
 1.異国から  2.珍しいお話  3.鬼ごっこ   5.みたされた幸福
 6.大変なこと 7.トロイメライ 9.木馬の騎士 12.眠る子供
13.詩人のお話
の以上9曲。

一通り弾き終え、師匠
「この曲はたくさんの曲からなりたっていますから、それぞれのキャラクターをもっと鮮明に出すことが大切です。そのためには、ペダル(リズム強調のために短く踏むところ逆に長く音を残すところ)、歌い方、ハーモーニーの弾き方をもっと工夫する必要があります」

では最初から・・というわけで、ご存知第1曲目<異国から>

「もっと、右手を出す必要があります。
ただし上からたたかず、置いたまま押し込むように。発音ははっきりさせなければならないので、それは打鍵時のスピードで調整する。
左手は全体に少し暗めの音色で。ただしバスはしっかりと感じて。
<右手のメロディー><内声の分散和音><バス>の3つの色合いを考えてハーモニーにする」


わ、わかりますわかります・・・が・・・難しいっ!
おそるおそる弾いてみる

「全体に静かな雰囲気はわかりますけど、なにをやっているのかが聴き手に伝わってきません。もっとメロディーをきちんと出してください。
カラオケをやらない

カラオケかも・・たしかに・・・BGMにはいいかもしれんが・・・
で、またおそるおそる

「リズムはリトミックではないですけど<1・2・1・2>腕のなかでとってください。体でとらない。
ベートベンみたいに弾かない
自分に酔わない


次、第2曲目<珍しいお話>

「アウフタクトは次の小節にはいるまえに、こう(ゼスチャーが入る)
ゴムをのばしているようなものなので、慌てて弾かない。」


第3曲目<鬼ごっこ>

「このペダルは短くシャープに。リズムをきかせるためのものですから。左手は置いたままできちんとつかみ、右手のスフォルツァンドは打ち込む。
右手の速い16分音符のスタカートは難しいですが、レガートでまずよく練習してそののち
熱いフライパンに触ってしまった時のように、指先だけを瞬時に離す練習をしたらいい
んじゃないでしょうか?」

第5曲目<みたされた幸福>

「この曲は反対にもっとペダルを長く使う。左右の対話を感じて。
全体に慌てて弾いてます。あまりよくない」
(↑実際、まだまだ全然弾けてません。ひどいです・・・)

第6曲目<大変なこと>

「もっと腕を使って弾いていいでしょう。輝かしい音、左のバス(小指)がもっと要る場所があります(と細かい箇所の指導)」

第7曲<トロイメライ>

「長い音符伸ばしすぎ。拍子がわからなくなるところがあります。
ゆったりとした4拍子をとり、ルバートしすぎない


とだいたいこういう指摘にそって、細かく「ペダルの踏み方」「打鍵の仕方」「内声の弾きかた」「ハーモニーのバランス」等々のチェックが入りました。
あと3曲を残して、時間切れ(講義がおありになるそう)となり、あとは次回へ。

「子供の情景」は譜面はやさしいですが、シューマンエキス満載で大変難しい曲だと思います。音が少ないだけにごまかしがきかないし・・・。
ホロヴィッツ、アルゲリッチといった巨匠の十八番だったことでもあり、ある種のインスピレーションみたいなものも必要かもしれません。

というわけで覚悟はしていましたが、やはりというか勉強どころたくさんで、この曲だけで2月になりそうです・・・

霜月末に思うこと

2006年11月26日 23時52分39秒 | 雑感
いつのまにか、11月も最終週に入ってしまった。
早すぎる・・・・
今週末はついに12月に突入というわけで、年賀状だ、大掃除だ、クリスマスだ、正月準備だ・・(実際そういったものをちゃんとこなすかどうかはまったく別問題として)、・・・と主婦にとっては恐怖に近い一か月が始まる。

というわけでいきなり次の日曜日にはピアノサークルのクリスマス会がある(笑)。
12月3日にすでに「クリスマス」を名乗るイベントがあるのだから、本番までには相当回数なにかとお楽しみがありそうだ。
このクリスマス会、会場は街のど真ん中、割合おしゃれなビルの最上階(だったかな?)が会場で、水出しコーヒーのカウンターあり絵画の展示あり、さらに外からの光が入って、なかなかリラックスできるスペースだ。

ここで、ほんとに「楽しむ」だけを目的として(そうでない人いたらごめんなさい・・)クラシック、ポピュラー、ソロ、デュオ、合奏などをやる予定。
昨晩プログラムを組んでみたら、30位の曲目が並んでいてなかなか壮観だった。
プログラムだけ見たら、立派なクリスマス会だ(笑)。
あとは、みなさん練習しましょう・・・って自分はまだ譜読みも終わってない曲があって・・・しかも明日は、全然別の曲のレッスンに行くし・・・


それと考えてみたら、私がブログを開設したのは昨年のたしか12月4日だかで、
もう1年もたつのか・・・と感慨深い。
そのころは、まだサークルには入ってなかったので、一日のアクセス数が1ケタというのも結構あった。
今でも、そうアクセス数の多いブログとも思えないけど、「読んでくれてそうな知り合い」をはるかに上回る数の方が、日々読んでくださっているようで、大変ありがたいことだと思っている。

まだ一年を振り返るには早いのだけれど、
いざ年末になったら一年を振り返る暇もなくなりそうな気がするので、
ちょっとだけ感慨にふけってみました。

さて、風邪などひかないように(すでに家庭内には侵入の模様)、頑張っていこうと思う。
みなさんも師走に向けてどうかご自愛を!!

ルイサダのハイドン

2006年11月24日 23時11分38秒 | ピアノ
ルイサダは、プログラム1曲目のベートーベンの「悲愴」を弾く前にハイドン(曲名は分からない)を弾いた。
しかも「扉が開いたら、それが閉じる前に」とでも言うように、立て続けに「悲愴」全楽章を弾いた。
隣席の友人に休憩の時「なんでハイドン弾いたのかしら?」ときくと「リラックスするのかも」と言っていたのだが、はたしてそれはその通りであったようなのだ。

リサイタルが終わって、私は会場でルイサダのハイドンばかりを収めたCDを買った。
もちろん、最初の曲の印象が良かったこともあるのだが、なかに「アンダンテと変奏曲」という私の今お気に入りの曲があったから。

ライナーノーツからはいかにルイサダがハイドンを大事に思っているかが伝わってくる。

<・・・・・・ハイドンの作品はピアニストである自分を原点に戻してくれる。精神的にも技術的にもね・・・

・・・・・・私の個人的な考えだけど、ハイドンのピアノ・ソナタにはモーツァルトより完成度が高いと思えるものがある。コンチェルトはもちろんモーツァルトにはかなわないけど、ソロ作品はハイドンはすばらしいものがたくさんあるんだよ。あまりみんな弾こうとしないけど、私は今後機会あるごとにハイドンの作品を積極的に弾いていこうと思っている。
演奏していると、すごく気持ちが解放される感じがするから。和声、強弱、ペダルにいたるまですごく遊べる。ハイドンは心に余裕を持たせてくれる作曲家なんだ。聴いてくれる人もきっと幸せな気分になれると思うよ・・・・・・・・>

ルイサダは、かなり上がり症のアーチストときく。
たしかにリラックスするために、大好きなハイドンを最初に弾いたのだろう。

このCDの収録曲は
1.ピアノ協奏曲(第11番)ニ長調
2.ピアノ・ソナタ第6番(旧13番)ト長調
3.ファンタジア(カプリッチョ)ハ長調
4.アンダンテと変奏曲 ヘ短調

生き生きと遊び心にあふれるハイドン、また静謐で神々しいようなハイドンを聞くことができる。

またしても、良い出会いに恵まれた。


ルイサダ リサイタル

2006年11月23日 01時49分16秒 | ピアノ
ルイサダの演奏会を初めて聴いてきた。
ひとことでいうと、大変楽しめた。

昨年放映されたテレビ番組を見ていて思ったのだが、ルイサダ氏は、見とれるような流麗な指さばきで弾かれるわけではない。むしろ弾きにくそうに見えることすらある。
若いころは、フォームもかなり独特だったときくが、実際はどうなのか、興味津々だった。

会場にはテレビの影響か、小さい子供も多かった。
前半は結構ヘビーなプログラムだ。おとなしくしてるといいのだが・・・。

さて登場したルイサダ氏。大変にこやか。
そして椅子にすわり聴衆に向かって挨拶され、おっと、鍵盤をごつん。
苦笑いしながら「<悲愴>の前にハイドンを弾きます」みたいなことおっしゃって、物悲しげな調べを奏で始めた。
その調べが終わって・・・いきなり
「ダ~ン、ダダ~ダ、・・・」
びっくりするじゃないですか。
それにしてもなぜ続けて演奏を?何か意図があるにしても、どういう?
よく弾いたり聴いたりする、ベートーベンの<悲愴>ソナタなのだが、時々耳慣れない音が・・・・内声や低音が強調されているのだった。
1~3楽章とアタッカ状態で続けて演奏されたが、和音がアルペジオ気味にされていたり、両手のタイミングを微妙にずらしたり、時々左手の単音ががオクターブにされて厚みを増していたり、ロマン派寄りな感じのベートーベンだった。
----子供たちの中には、初めて聴いた子もいるかもしれないが、いきなりマネしたら先生に叱られますよ(笑)------。
ことに2楽章冒頭はpで弾かれるのが一般的だと思うが、なかなかはっきりと厚みのある豊かな音量で弾かれていた。

でも私は楽しく聴いてました。
たしかによく耳にするべートーベンとは趣が違っていたのだが、テンポ等の大きな枠を維持しつつ、意図的に(もしかしたら即興的に)試みられていることが、ベートーベンの良さを損なう形ではなく、さらなる可能性を示したものと私には思われたからだ。

続くショパンのソナタ3番はさらにこの傾向が顕著な気がした。
ルイサダ氏は、かつてショパンコンクールの入賞者であり、テレビでも「ショパンを弾く」の講師で登場した方なので、ショパンはオーソドックスに弾かれるのかと思ったら、そうでもなかった(笑)。
時々浮上する内声や炸裂する低音のおかげで、聴きなれたはずのこの曲が、時々別の顔を見せた。
実はこのソナタ3番に関しては、某ピアニストが、内声強調、激遅の一途をたどっているということをしばしば耳にしているので、ルイサダ氏のこういった演奏の傾向を感じとった時は、「流行ってる?」と思わず思ってしまった(笑)。
それにしても、鳴ってました、ピアノ。
ホールとの関係なのか必ずしも美しい響きばかりでもなかったけど、「こんなに鳴るんだ、あのピアノ(9月のピアノ開きで、自分もこのピアノは弾いているので・・)」と思ったことだった。

後半プログラムはチャイコフスキー、グラナドス、ウェーバー、バルトーク、ショパンの舞曲(マズルカ、ワルツなど)を集めたプログラムで、おしゃれなサロン風のものあり、民族的リズムのものありで、ルイサダ氏の魅力一挙大公開状態。
ウェーバーの「舞踏への誘拐」はお得意のプログラムだそうだ。今まで発表会等で耳にしてもさほど心ひかれたことはなかったのだが、今日のはちょっと自分でも弾いてみたいと思うような、洒脱で魅力的演奏だった。
曲の途中でフライング拍手があったのだが、それも「お客さまとの対話」風に曲の中で、目配せと演奏でもってさばいて、さすがのエンターティナーぶり。

アンコールはショパンのマズルカ作品17-4と24-2が弾かれた。
吉田秀和氏がルイサダ氏のショパンのマズルカを絶賛していたのでぜひ生で聴いてみたかったので、うれしかった。
私は17-4は弾いたことがあるのだが、難しいのは、静かな部分ではなくむしろ中間部の激しいリズムのところのように思った。思い切って足を大地にたたきつけるくらいのノリはなかなか出せない。ちょっと荒いくらいかな・・と聴きながら思ったが、それがまた逆にいい味を出していた。・・・やはり私のような者にはマズルカはなかなか難しい。

ところで私は会場でハイドンのCDを買って帰ったが、これがなかなか良かった。
コンクール等で指回り滑らかに達者に弾かれることの多いハイドンなのだが、このCD誠実でシンとしたところもあって、かなり好きな演奏だった。

ルイサダ氏、またいつか聴いてみたい思う。
特に、ソナタ系がどう変化(進化?)していくのかを追ってみたい気がする。

ベートーベン講座 第3回

2006年11月21日 18時54分59秒 | レッスン&セミナー
11月20日、最後のベートーベン講座が開かれた。

前回21番「ワルトシュタイン」までだったので、最後までいくのかしら・・と思っていたのだが、「今日は32番まで必ずいきます」とおっしゃって開始。

楽譜にそって技術的や表現的に難しい箇所の解説ももちろんあったのだが、
今回は、H先生にとってのベートーベンの存在、ベートーベンの音楽を介して人と人が関わるということ、音楽に携わっていくということ、などのお話があった。

H先生がまだ20代終わりから30歳くらいの頃に「自分がもしピアノが弾けなくなるような状況に陥ろうと、ベートーベンの音楽と共にいればずっと生きていける」と思われたことがあったそうで、先生にとってベートーベンは特別な存在で、自宅レッスン室には肖像画をかけ(コーヒーを供えるとかおっしゃっていたような・・・)、常に存在を感じながら対話しながら曲にのぞまれているということだ。
そういう、好きでたまらず、また生きる力をもらっているベートーベンのことを、演奏やこうした講座を通じて広く人に知ってもらうことが、自分の喜びでもあるとおっしゃっていた。
また最後には、演奏をするということは自分を映して見ることでもあり、自分自身と対話することによって、演奏も自分も深めていきたい、
そして、教える立場としては、子供達がピアノを習うことによって傷ついたり、音楽が嫌いになったりすることのないよう、配慮していきたい、
と(きちんと要約できているといいのですが・・・)語りかけられた。

以前先生のリサイタルに伺ったことがあるのだが
実はその時の印象と、今回講座で話されるお姿とは若干のギャップがあった。
ステージ上で別人といってもいいほど変わるのは演奏家には珍しいことではないのだが、
そういうこととは少し違った。
ステージで拝見したときは(マナー・演奏を含めてなのだが)、ゆったりと時間を感じておられる方で、きっとお話し振りも一言一言考えながら言葉にされるかたなのだろう、という印象だった。
というのは音楽が大きく、また音と音の間が充実したものだったからだ(間延びといいうことではない)。
なのに、プロフィールを拝見すると、大変エネルギッシュでたたみかけるように海外へ勉強に行かれているように思ったので、ちょっと意外な気もしたのだ。

ところが、実は結構早口でお話になられるかたで、レッスンのときなどはアッチェレランドすらかかる感じがする。頭の回転が大変速く、むしろ言いたいことが追いつかないくらいの印象だ。

この文脈で、私自身のことを持ち出すのはおこがまし過ぎるのだが、私自身、口も行動も速い傾向にあり(頭は違うが・・・笑)、それだけならまだいいが、「音と音の間も待てない」傾向が顕著なので、音楽の上であんなにも時間をたっぷり感じられるというのは、訓練だけでなんとかなるものなのだろうか・・・と講座の間ずっと考え続けていたのだった。

今回いろいろご自身のことをお話されたなかで、印象に残ったことは
「人は、自然のなかで生かされている存在だということを意識しておられる」ということ、
「ご自身にも悩み深い時期が何回かあり、瞑想などにも通われた」ということ、
だった。
やはり演奏についても自分自身についても常に常にかえりみて、深みを増してこられたということなのではないだろうか。


少し前に見たテレビで、指揮者の大野氏が
「私が海外に行って、師事した巨匠たちを見て驚いたのは、みながみな、偉大な過去の音楽家の前に頭をたれ、音楽のしもべとなっていたことです。当時若くて自分を表現しようと思っていた自分は大変恥じ、完全に一から出直しました」といったことを語っておられた。

そういう、音楽のしもべとなり、日々努力を重ねておられる真の芸術家の姿を今回間近で拝見した気がする。
すばらしい出会いをさせていただいと音楽の神様に感謝せずにおられない気持ちだ。

神様もですが、この講座の企画・運営をされた方々、そしてなによりも先生にこの場を借りて厚く御礼申し上げます。


毛玉にとられてます

2006年11月20日 23時55分54秒 | 雑感
ほんとは、今日のべートーベン講座の内容をUPしたい。
ところが、非常に精神的に深い内容だったもので、まだうまく自分の中で表現がまとまってないということに加えて、
実は昨日から困った事態に陥っていて、時間がない。

・・毛糸がからまった・・・

別にどうということのないマフラー編みの最中に、「ずずっ」とイヤな引きを感じたと思ったら、毛糸の出が悪くなり、そこで注意すればいいものを、
浜コンのライブを見ながら、ただただ編み進めていたら、あっという間にどうにもならないことに
半玉ほどが、もうぐちゃぐちゃメチャメチャのくもの巣状態に。
あああああ・・・・
やめておけばいいのに、いじりだした。
なんの見通しもなくあっちやこっちを引っ張るから、ますます事態は悪化。
とけないルービックキューブよりさらに悪い。
早めに一番状態の悪い部分を切除すればまだよかったのに、どうしてもどうしてもなんとかしたくなって、ますます泥沼へ

これでは、夕飯もなにもできないので、物陰に隠したのだが、気になって仕方がない。
見るとおしまいなので、目をむけずにいたのだが「寝る前にちょっとだけ」と触ってしまったのが悪かった。
気づいたら、午前3時
なにやってんだろ・・・・
妖怪毛玉。。。。見ると触りたくなり、触ると離れられなくなる。。。
寝るぞ寝るぞ


朝になって、講座にいかねばならないし、洗濯はしてるし、忙しいのに、
妖怪毛玉。。。。見るものを惹きつけてやまない。。。


だれか助けてくれ~~~

ちなみに結構ほどけてきたのですが、
こう思ってからすでに数時間をムダにしており・・・・・
妖怪毛玉。。。。。



シゲルちゃん会

2006年11月18日 23時40分21秒 | ピアノ
今日は底冷えのする寒い日だったが、午後からは雨さえ降ってきて、大変さえない天気になってしまった。

午後からは、サークルのお友達の家でピアノを弾こうという集まりがあり、電車とバスを乗り継いで伺った。
全部で10名を超えるメンバーがお邪魔して、このお宅のピアノ、シゲルちゃんを弾かせていただこうというイベント。
私は以前弾かせていただいたことがあるのだが、いろいろな表現を可能にするピアノなので、再会の日を大変楽しみにしていた。

塾帰りの息子と合流し、昼食をすませていったので、着いたのは午後2時過ぎ。
すでにかなりの人数が弾き合いをしていた。
靴もいっぱい
お菓子もいっぱい
このお宅のピアノ室は独立していて、10人程度は収容可能なスペースがあるしロフトもついている。
うちの子供二人はすぐにロフトへ。

最初のうちはみなさん、今の「持ち曲」のようなものを弾かれていたが、そのうちその辺の楽譜を手にしては、弾き手の電池がなくなるまで(?)弾く・・という方も出てきた。それにしても、次々と繰り出される名曲の数々。まさにミュージックボックス状態。

私が今日弾いた曲。

連弾:バッハ BWV140  最初の1ページ
連弾:ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番 最初の方
連弾:ラフマニノフ パガニーニの主題によるラプソディー第18変奏曲
連弾:ブラームス ハンガリー舞曲第4番

ソロ:シベリウス 「フィンランディア」最初の方
ソロ:ドボルザーク 「新世界」最初の方

連弾はどれも楽しかった。最初の2曲は今日初あわせだったのだけれど、ぜひこのまま少しずつ進めていきたい。
バッハはほんとに(実は一年ぶりくらいかも)弾いたのだが、基本というか初心に戻った感じで新鮮な気持ちで弾けたように思う。ここのところ使っていなかったジャンルの神経が活性化されたようだ。いきなり数日前にお声かけたのに、セカンドの方もよく弾いてきてくださった。もっと弾きこんで多声的なかけあいができるようになると、さらに楽しめそうだ。

ラフマニノフの2番は、1回目はお互い興奮のあまり(爆)、怒涛の勢いで弾いてしまったが、3回目くらいになると、少し落ち着いてかみ合ってきたようだ。
連弾なので、原曲とくらべると中音部が薄くなり、かわりに高音部が出現していたりして、若干テイストの変化はあるが、弾いてるものとしてはなかなか楽しめる。

連弾、あとの2曲は何回か弾いてきたものだが、回を重ねて曲になってきた感じだ。ここからが連弾は楽しいところなので、ぜひここから先を楽しめたら・・と思う。

ソロは1週間も練習してない曲なので(笑)、どちらも最初の2ページ少しくらいしか弾いてないが、先の日曜日にH先生のレッスンを受けて、コントラバスやフルートの音色の工夫を少し教わったことで、オーケストラ曲を弾くことが格段に面白くなった。加えて、このお宅の楽器のポテンシャルが高いので、ピアノでいろいろな音を出すことが大変楽しかった。

4時間以上いた割りに子供たちは嫌がらず、実はそれなりにピアノも聴いていたようだ。

私としても、連弾&オーケストラ曲だけを弾けたというのは至福の時であり、願わくば、この先コンチェルトやオペラの練習伴奏なぞをして余生(←というにはまだ修行が足らないですけど)を送れたらどれだけ幸せかと思ったことであった。

というわけで、今日はお招きくださりありがとうございました。
そしてみなさんお疲れ様でした。


おそるべし、ブランク

2006年11月17日 18時46分26秒 | 雑感
こんなことをすると大雪とか降りそうだが、
編み物をした。

というのは、娘が「2本の棒でこうやるやつの編み物をやって」と以前せがんだからであって、すでに棒針と毛糸は買ってきてあったのだ。

編み物はやったことがないわけではないが、もっぱらかぎ針ばかりで、棒針を使うのは、もしかしたら中学の時以来かもしれなかった。

もちろん、やりかたなぞは忘れているわけで、これまた以前息子のために買ってあった「はじめての編み物」本をみながらごそごそやっていた。が・・・

どうもわからない。
もともと私は3次元になるといきなり思考がストップする人間で、矢印が毛糸の下をくぐって「---→」という指示がでるともうダメだ。
「作り目」をするだけで、数十分かかった。
さて、やっと2段目。
きつい・・・両手で無理やり毛糸をひろげてやっと針が通る。
ヘンだ。こんなはずはないし、昔、こんなことはなかった。
しかも、どうも毛糸を2回かけてくぐらせている・・長編みや長々編みじゃあるまいに、なぜ。2回かけても意味はなさそうだが・・・ただの裏編みなのに?

ひいひい言いつつ、2段目完了。
なぜか、l針2本ともぐるぐるまき

下(左)側の針を抜かず、そのまま右からせめていっていたので、刺し違えたような格好になって、2本とも毛糸に閉じ込められてニッチもサッチもいかなくなっていた。
きついわけだ


やり直し。
その前に、どう考えても、毛糸を2回かけるのはおかしい・・と思ってよくみたら、図は1回しかかかってなかった。
ああ、老眼・・・・

さて気をとりなおして、2回目。
作り目は自慢じゃないが、もうベテランだ。ワッハハ
で2段目。うまくいったじゃないか・・・

おかしい・・・
2段目で終わってしまっている。
つまり2段目の目は鎖状になって、完結した格好だ。しかも、なぜか、左側の針が残っている。

な、なんと、1段目の上に右側の針をかぎ針のように使ってくさり編みをしていたのだった。
これでは、メリヤス編みもなにもあったものではない。
左のものを徐々に右に移していかなくてどーする!!

やっとやっと、自分のやっていたことに気付いた私は、あまりの馬鹿さ加減に一人で不気味に笑うしかなかった。
娘は、けっこう珍しがって見守っていたのだが、ここへきてもう見放したらしい。
「お母さん、編み物は終わり!次は折り紙!」

いやいや、やっと悟りが開けたのだよ、そういうわけにはいかない。

というわけで、
やっとやっと30年近く前の記憶と感覚が蘇り、なんとか編み物すべり出しました。
もちろん、上手にというわけではないですけど。

この間、なんと2時間以上。
トホホな午後。

なにごとも長期間のブランク後の再開というのは試練です。
編み物で、これだけかかるのだから、
ましてピアノなんて・・・・。
私、今やっと、中1の時レベルに指が動くようになってきたように思います。
復帰後、苦節7年近く。

復帰後2~3年でぶつぶつ言っているそこのアナタ、
辛抱です、辛抱。

編曲のアタリ・ハズレ

2006年11月15日 12時57分42秒 | ピアノ
今週の土曜に、ピアノのお友達に集おうということになっていて、よんでくださったお友達がオーケストラ好きなこともあり、編曲ものを少し練習してみた。

1.連弾:ラフマ二ノフ 「ピアノ協奏曲2番」始めのほう
2.ソロ:シベリウス 「フィンランディア」の始めのほう
3.ソロ:ドボルザーク 「新世界」1楽章の始めのほう

最近こんなことばかりやってて(もちろん2月用のプログラムの練習もしてはいるのだが)、この前の練習会では「のだめ」にちなんで、
ベートーベンのシンフォニー7番のさわりと、プロコフィエフのロミオとジュリエットの「モンタギュー家とキャピュレット家」の一部を弾いてきた。
編曲ものを楽しみで弾くときは、私はあまり楽譜どおり弾かないので(殴)、結構遊べる。

さて、今日の上記の3曲だが、1のラフマニノフは原曲にくらべるとはるかに易しいバージョンになっているわりに、それなりに盛り上がれるいい編曲だと思う。
この楽譜でこれだけ聴こえてくるんなら、原曲ももう少し音抜いて弾いていいかも・・(殴)と思うくらいだ。
こういうのは「お得」だ。

2のフィンランディアは、シベリウス本人の編曲なので、なにもケチのつけようもないし、さすがというか、よくあんな金管バンバンの曲をピアノにするよなあ・・と恐れ入る。本人の編曲といえばブラームスも編曲好きで、彼の4つの交響曲はすべて本人自身によるピアノ版がある。それも、「あんなに音の厚みのあるものをよくぞ」と思ってしまう。

3の「新世界」だが・・・
弾いていてなんかおかしい。冒頭のリズムがとりにくいのは別問題として、リズムおかしくないか?・・とスコアをみたら、複付点の休符がただの付点になっていて非常にぬるいリズムになっていた。音もあちこちミスがある。
しかも・・・なんか足りない。なんだろ?
完全にティンパニーのパートが落ちていた。許せん!ティンパニーのない「新世界」なんてありえない。
・・・というわけで、ティンパニーを加え、いい加減なトレモロの輪郭をただし、抜け落ちた最高音を加えして、気が付いたら、自分で自分の首を絞める「難易度高め」バージョンに書き換えてしまっていた。

なにやってんだろ、私。。。。