~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

練習会

2010年01月31日 01時59分23秒 | ピアノ
30日(土)はサークル練習会の日(12月はなかったんですよね?たしか。なのでけっこう久しぶりだったのかも)。


なんだか娘の調子がもひとつで、練習会の間だけはぴんぴんしてましたけど、その前後はただの病人。基本、(胃腸関係にくる)風邪なのかなあ・・と。
そういえば、参加者も「今日は調子が・・」というもの数人。インフルエンザはまだまだ流行中ですけど加えてまた一難?練習もですけど体調管理がんばりましょう。

参加者は9人(アンサンブルがあるので正確には9組)。
240分を9人で割るので、いつもより一人当たりは長めでした。
2月28日(日)の福山リーデンローズ小ホールでのオールショパンプログラムのコンサートを控え、ショパンだらけ。
ショパン・ショパン・またショパン・・・できあがった状態ならまだいいのでしょうが、まだまだ練習段階なので、途中ですでに皆おなかいっぱい。「誰かほかの作曲家弾いて~~~」状態になったところにhiroさんがいらして、お口直しのシャーベットのごときさわやかなポピュラーを数曲弾いてくださり、心身ともにリラックス。
なにしろうちらの練習会というのは、もともとダラダラグダグダしているのが取り得(?)で、研ぎ澄まされたような作風のものが並ぶと、どこか休憩したくなってしまうんですね。

とはいえ、ひとりひとりはそれなりに練習の成果が滲み出ていて、あと1ヶ月先の本番が楽しみです。
今回はおそらくいつもの発表会よりはちょっとフォーマルで、できれば服装も演奏も「見ていただける、聴いていただける」レベルを素人集団なりに目指したいところです。
(・・あ、自分のクビが絞まる・・・・)
ショパン生誕200周年ということで、できればトータル感のある会がのぞましいのかな、と。
(・・だんだんと胸も締め付けられ・・・)

ということでですね、本番の会場、プログラム、あと主催の方の意向を3次元で(リアルにといいますか)想像してみて、これから追い込み頑張っていきましょう!


私の経験からいいますと、本番はどんな曲でも大変ですけど、ショパンは作風が作風だけに練習時は「絶対ミスを許さない」くらいの気合で精密にやっていって、本番はちょうどいいくらいかと。プロでも難しいモン、素人が「ミスなし」なんてあり得ない話ですけど、それくらい厳しくいかないと本番大変です。
いい演奏を聴くとこの上なく素敵なショパンなんですけど、いざ弾く側に回ると「ハンパは許しません」的な厳しいものをヒシヒシと感じる作曲家です。
(・・書きながら死にそーになってきた・・・)


ということで、あと4週間後めざして!
(そうそう、2月は13日が練習会です。あともしかすると小グループでの練習会もやるかもしれません)





メゾって・・・・

2010年01月30日 10時49分44秒 | その他音楽
ここのところちょくちょくお邪魔しているブログ「音の記録」に大変興味深い記事がありましたので、ご本人の承諾を得てここに貼らせていただきます。

内容を一部ご紹介しますと(以下引用)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
pp-p-mp-mf-f-ff
の順番で音は大きくなるということを教えられたし、どの楽典の参考書にもそう書いているので、今の今までmpに特に注目したことはありませんでした。

一回だけ、ショパンについて誰か(専門家)の書いた本の中で、
「ショパンにとって普通の音量はmpなので、彼の楽譜にはmpという指示は絶対に出てきません。」というのを読んで
「ふ~~ん、そうなんだ。」と思ったくらいです。

その私の固定観念が、アルトのパパさんのご著書を読んで完全に覆されました。

曰く、ブラームスが楽譜にmpという記号を書きこんだことが、当時の評論家によって
「許されざる革新」と批判されたというのです。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

ということなんです。
え~~~~そうなん、びっくり!
この記事を読んでいただければわかるのですけど、そこでこの方は楽譜(おそらく原典版)を片っ端から調べられたのだそうです。
するとほんとにブラームス以前にmpはない、といってもいい・・・・

私もちょっと検索してみたのですけど、たまたま、私もお名前は存知あげているこちら出身のピアニストさん(一度演奏会を拝聴して、馥郁としたモーツァルトに感銘を受けました)のavecpianoというブログにたどりつきました。
(・・・こちらはご本人にコンタクトをとっていないので直リンクはやめておきます)

これによると、メゾという単語は「半分」ということなので、「pのさらに半分の音量」ということで、ppとmpが混同される危険性があったといったことが書いてありました。
さらにそこのコメントをたどっていくと、「中心に寄せるという意味での、メゾ、つまりフォルテもメゾがつくと少しやわらぐ感じ、メゾピアノも<そこまで弱くないピアノ>」という意味になるのでは」という内容の意見もありました。

・・・なるほど、なるほど・・・・

結論が出たわけではないのですけど、長年のどこか「気持ち悪い感じ」の根拠が得られたようでうれしいこと限りなし(笑)。
というのは、mpが突如単独で出てくる場合はまあいいとして、mfとmpの両方がひとつの曲中に出てくる場合、どこか「イラっ」とするわけです。
もちろん私はイタリア語はさっぱりわかりませんので、日本語でいうところの「やや強く」「やや弱く」と考えるわけですけど、「やや」という場合はなにか基準があってそれに対しての「やや」であると思うのですが、その基準はどこにある?・・・
強弱の順番でいくと、「よわく、ややよわく、ややつよく、つよく」って、<やや>同士の違いっていかほどなんですか?ああ、感覚ですか、センスですか・・と開きなおるのはまだしも、指導者や聴き手に「だってそこはmfでしょ?そこはmpでしょ?」と言われると、「すみませんが、実演をお願いします(半ギレ)」みたいなことにもなりかねません。
これって、私がヘンなのか・・・中辛と辛口の順番がわからなかったり、準特急と快速急行の違いがわからなかったりするし(泣)。「なにか欠陥がありますか、私・・」と思っていたりもしたのですが、歴史からいうと、mpというのは、コンセンサスを得ていない時代がけっこう長いじゃありませんか?!

私、逃げも隠れもしない文系人間で、いろいろなことを数字化するのは大嫌いなんですけど、そのファジー礼賛の人間でさえ「イラっ」とくるこういう記号、きちっとシロクロつけたい性格の方々はガマンできておられるんでしょうか?

この前の「付点と三連符」ではないですけど、「音の長さや音量の大小の問題はあくまでも楽譜上のこと」といわれてしまえばそれまでですけど、なんか納得いかないです。


・・・・・ところで、中辛って辛口より「やや」甘いほうでしたっけ?(逃)

ショパンチェロソナタ 第4楽章

2010年01月28日 14時41分38秒 | レッスン&セミナー
昨夜は、チェロのM先生のレッスン(友人の伴奏者として)。


なんと20時半からで、終ったのは22時前。
私は夜寝るのは遅いほうですけど(というより一定していない・・0~3時の間)、夜ピアノを弾くのは苦手で、こんな遅い時間に弾くことはないです。集中続きません。プロの演奏家にはなれないですねえ(笑)。
朝はたぶん6時くらいからOKで、寝起きでも弾けるんですけど、午後すぎて一日のオリがたまってくると、接続が悪くなります。・・重たくなったパソコンかっ!?って話ですけど(笑)。

それはともかく、M先生のレッスンはひさしぶり・・・えっと10月以来くらいでした。
楽譜はヘンレ版なんですけど、どうもチェロパートとピアノパートの連絡が悪く、片方に書いてあることが一方にないのはよくあるとしても、片方と真逆のことが片方に書いてあることも。わざとそう書いてあるかもしれませんけど、それではどうもヘン・・な箇所が多数。
そういうところを詰めていく過程で、「私が弾くから、伴奏をまず楽譜どおりにクレッシェンドしてみてください」「・・なんかヘンなので、次はデクレシェンドにしてみてください」「・・やっぱり落ち着かないので、pのところをfにしてみてください」とさまざまなバージョンで伴奏をつけるよう指示され、夜ピアノの苦手な私には試練(笑)。
それでなくても、まだギリギリ状態で弾いているので、テンポ上げられたり揺らされたりするとアワアワ・・。そんなことでは伴奏者はいけないのですけど(汗)。

「ここの音はやわらかく、バスは出すぎず、ここはぺザンテで」と、一気にいろいろな注文がつきますので、それどおり弾くだけでも大変ですけど、全部覚えておかなければならないのがまた大変。チェロのほうはこれまでたぶん何回かレッスン受けてるはずですけど、伴奏はだいたい一発レッスンみたいなことが多いので、「たぶん練習すればできる・・と思います」ではダメなんですよね。このあたりが、何ヶ月もかけてソロ曲をピカピカに仕上げていくのと違うキツさです。
伴奏のレッスンを受けるたびに「もっとピアノ上手くなって、引き出しも増やしたい」と思います(笑)。まずは演奏に余裕がないと話にならないので。

M先生が弾かれると、有無を言わさず「ぐ~」っとこちらも引っ張っていかれ、合わせるとか合わないとかそういうことではなく、磁石のごとく「(伴奏)ピタッとつけさせられる」ので、この「音の力」ってなんなんだ・・といつもあっけにとられます。
友人も(私がいうのもなんなんですけど)ここのところ腕を上げてきて、「いい音だなあ」と思わず気をとられることも多くなってきてますし。・・・私もがんばろっと。


自分でもいったい何屋だよ・・・と思うのですけど、チェンバロ、ピアノ、アンサンブルとできるうちにやれたら、と。
練習しなければならないので楽しいばかりでもないのですけど、「こんなことをやる時間があるだけ幸せと思えっ!」ってことですね。



チェンバロレッスン

2010年01月26日 23時07分53秒 | レッスン&セミナー
今週は、合わせ&レッスン週間です(笑)。
本日はチェンバロ。

チェンバロは12月6日以降いっさい弾いていないもので、カンを取り戻すのにしばしかかりました。
・・ですが、以前に比べるとトリル入るようになったな~、鍵盤離れも良くなったかな~、と思います。今日はたまたま楽器の調子が良かっただけなのかもしれませんが。
今日みていただいたのは、クリスチャン・バッハの連弾曲。
「アーティキュレットを入れてきなさい」といわれてましたけど、これが自分としてはやったつもりでも、ぜーんぜんでした(汗)。
私が「これくらいでよかろう」と思っていたところは細かく細かく入れられ、「ここはチマチマ」と思っていたところは「いい加減な感じで」ということで。
これってチェンバロだからこうなのか、そもそもバロック曲についてわかってないのか・・・と疑問。
昨年はずーっとフランスものをやっていたので、その感覚の違いもあるのかな・・と思ったりもしました。

これをレッスンで1時間少しやったあと、宿題がソロ2曲、連弾がさらに2曲決まりました(締め切りは4月末・・大汗)。
そのうちのバッハの連弾曲のひとつ・・・・「付点のリズムは三連符で」と注釈あり。
・・・ヲイ・・昨日のショパンと同じ状態なのに、三連符でまとめてよい・・と。バッハ寛大なり(笑)。ショパンは・・ダメすか?


今日はこれで終わりかな?・・と思っていたら、「数字付きやってみましょう」とのこと。
よくバロックの楽譜にある、バスの上に6とか4とかちっちゃい数字が踊ってるアレですね。
実習自体は初回なのでそう難しくはなかったのですけど、「これを歌いながら数字みて伴奏してみて」と出された楽譜のタイトルが・・・Geld。
Geldは金、キンじゃなくてカネですね。キンはGoldですから。
さすがに「ドイツ語で歌いながら」ではなく、ラ~とかドレミでよかったのですけど、先生わかってて出されたのかな?・・突っ込もうにも突っ込めず。
帰ってからなんとなく歌詞を見てみたのですけど、どうも「お金を稼ぐのは大事だよ。お金があればなんとかなるもんです。仕事の技術を身に着けず、他人にものをねだってばかり・・こういう人間が一番困りもん」みたいなことが書いてあるような気がしてなりません(爆)。
原文をここに書くと、私のドイツ語力のひどさがバレバレなので、さすがにカンベンですけど(それと、ウムラウトが出せない・・)、どこから持ってきた歌ですか?これ。

ちなみに(数字付き)通奏低音の書きかたはドイツとフランスでは違うそうな・・。



4月末締め切りの宿題曲の演奏については、もう少したったら具体的にご案内できると思います。お楽しみに!
・・・(といちおう言っておいて)・・・・ショパンから2ヶ月しかないじゃないですかっ!そのほかにもいろいろ抱えてまして(ゼーゼー)・・・・








やってみて・・といわれると

2010年01月25日 17時15分23秒 | その他音楽
チェロと合わせ練習してきました。
ショパンチェロソナタ第4楽章。
私のほうで拍のカウントを2箇所ほど勘違いしていたにも関わらず、何事もなかったように最後までいくって、いったい・・・・(笑)。
どこかで帳尻合わせてくれてたんでしょうね、ありがたいことです。

それにしても、この曲、4分割と3分割(つまり付点8分音符+16分音符、8分音符の三連符)が交互に出てきたり、左手と右手で同時に出てきたりするんですけど、この速さでこれ弾き分けられるもんなんでしょうか?私なんか聞き分けることもできませんが(汗)。
ゆっくりの曲などだと厳密にやらないとバレバレなんですけど、速い曲でもこういうところを必死で練習すると美しくきこえるんでしょうかねえ?
よく「漢字の書き順って厳密に守ってなにかいいことあるの?」と言う人がいますし、私もそういう人を説得できる自信はないのですけど、このややこしいリズム、それ並の疑問です(殴)。
微妙な音符の長さの違いというのは、長さ(時間)の問題だけではなく、ニュアンスが違うのだ、もっというとタッチ等によって生まれる音そのものの問題になってくるのだ、ということはわかっていますけど、「それ実演してみてくださ~い、センセイ!!」ってなもんです(笑)。

よく娘にビブラートについて注意すると、「じゃあ、おかあさん、やってみてよっ。できないクセにっ」と逆ギレされますけど、大人でもまあそういうガキ並の反発はたまにありますね(殴)。
日本全国でばりばり演奏活動しているピアニストM氏でさえ、「セミナーやレッスンをやったあとの講師演奏は緊張する。生徒がきいているわけだし、それまで自分が指導してきたことがすべて自分に返ってくるわけで」と言われます。
先生というのは本来ご自分ができないことは生徒にはおっしゃらないはず(??)ですけど、まあそうもいかないことありますね。
私、実は大人になってからも、「大学でピアノを専攻した方々は、バッハ平均律集、ベートーヴェンのソナタ集、ショパンエチュード集は全曲弾けるんだろうなあ・・・すごい」とマジで信じておりまして(そういう方ももちろんおられるのですけど)、そうでもないらしい・・・と知ってからは20年たっていません(笑)。
考えてみれば、自分だって、源氏物語なんか10分の1も読んでいないわけだし、文法だってきれいさっぱりわすれているわけなんですけど・・(汗)。

親になると、常に子どもの視線は自覚せねばならず、「早起きしろ」と言った場合は親が昼まで寝てては話にならないし、「もっと計画的にやれ」と叱った一方で、自分が締切前にあたふたしていては、絶対言うこときかないというかきく気になれないと思いますね。まあ、「ああはなりたくない」と頑張るお子さんもおられるのかもしれませんけど。
以前息子が低学年時、担任から「親は親、子は子、子どもはこれから先の人ですから、親ができないことであっても子どもはできないといけないし、叱らないといけません」というお話がありまして、まあそれもごもっとも・・・とは思いましたけど、基本的にはそういうことには私は抵抗があるんですね。
なので、娘にバカにされようが、下手とそしられようが、ビブラートもやってみます。ただし「見本にはできないよ」ということで。
ただ娘の場合、さらにキレるのは、ピアノに関して私がテンポ通りさらさら弾いてみせた場合であり、「そんなに弾きたいけど弾けないからイヤなんじゃん」ということになります。「そういう風に弾きたいから」と奮起するということはまったくありません。困ったもんです。

それはさておき、しつけにしろ、他人になにか意見したことにしろ、結局はまわりまわって自分に返ってくるのは世の常です。
だからといって「何も言わない」というのもあまりよろしくない。
ようは言動に責任もって暮らしましょう、ということになるのでしょうね。


チェロソナタの話から大脱線です(汗)。
「それ実演してみてくださ~い、センセイ!!」と私自身が言われないという保証はありませんので、せいぜい頑張って練習しておこう・・という結論。



腕力でものする

2010年01月24日 22時06分01秒 | その他音楽
大学時代、師が講義やゼミ中におっしゃった言葉で今でも思い出すものがあります。


文学史の講義では、毎回数人の作家をとりあげておられましたけど、いつも始めに
「・・今日は、〇〇のお話でございます」とおっしゃる。
「今日は森鴎外をやります」でもかまわないと思うのですけど、「今日は明治の作家、森鷗外のお話でございます」という言い回しがなんともよくて、「今は昔」「むかしむかし」に似た、「まくら」としてわくわく感がありました。
卒業後、同じ講義(といっても明治から昭和までは2年がかり)を2年間聴講しにいきましたので、私もよほど好きだったんだなとは思いますが・・・(笑)。内容がどれほど身についたのかと言われると、「穴があったらなんとか」な心境です。

その師がよく言われていたことの中に、「腕力で書く論文がある」というのがありました。
その意味を私が取り違えていなければ・・ですが、緻密な検証や構成は別として、ぐぐーっと文章力で引き込み、思わず納得させられる論文がある、ということではないかと思います。
古典の文学だと、(楽譜でいう自筆譜、原典版ではないですけど)自筆といわれる書、〇〇定本・〇〇本、ときて、あと江戸期の国文学者等による手の加わった本などを丁寧に調べ比較し、自分なりのオチどころを探していくわけで(私は古典の研究には大変疎いので違っているかもしれませんが)、地道な作業が膨大なのだろうと思います。
近現代の文学についても、上級の専門家は似たような経過があるかもしれませんが、大学の卒論くらいだと、「長大な感想文」程度のもの(私もその一人でありましたが・・汗)を出す人間もいるわけです。それがまた妙に説得力があったりする場合もたまには、ある(笑)。

文章に限らず、しゃべりでも「よーく考えてみればたいしたこと言ってないのに、妙に感心感動してしまった」ということがあるわけで、良いとか悪いとかは別として、それは一種の「力」であろうと思います。

時間の芸術である音楽については、「ライブで聴いたときはつまんなくて寝てしまったけど、あとから録音をよーく聴いてみたら実は手堅くていい演奏だった」というのは本来困るわけで(繰り返しの視聴に耐えるもの・・CDとかDVDの場合はまた話が別)、やっぱり「今日は〇〇のお話でございます」で、身を乗り出してしまうがごとく、冒頭で「おおっ・・」と引きつけられ、楽譜をきちんと再現しているのかどうか確信はないけれど、とにかく最後まで耳が離せなかった・・という演奏が聴いていてうれしいものではないかと思います。
もちろん、研究に練習をかさね、突き抜けた境地に至った演奏というのが理想であることは言うまでもないのですけど、「腕力の演奏」というのもありかな・・・アマチュアだったらアリだろう・・と思うわけです。
じゃあ、その「腕力(説得力?)」はどこからくるかというと、これはまあいろいろなのであろうと。
仕事で培った人もいるだろうし、波乱万丈の人生経験からもくるものもあるでしょう。もちろん多ジャンルの音楽を聴きまくったりやりまくったりしてもそうかもしれません。


2月28日に、福山でオールショパンの5時間あまりのコンサート(ふたつのサークル合同)がありますけど、たぶんアマチュアならではの「腕力の」(笑)ショパンが聴けるのではないかと思います。
正直、プロでも難しい曲がずらーっと並んでいますので、CDのようにはいかないと思いますけど、いろいろな「思い」のショパンがあるはず。

今から諦めてかかるわけではないですけど(殴)、私自身、難しい曲を抱えて「せめて『腕力』だけでも」と思う今日このごろ。

・・ジャンルは違えど、「師」はありがたい存在です。







受験の時期に思いだすこと

2010年01月23日 22時50分53秒 | 雑感
某所で見かけた、「受験前にやりたくなることランキング」の5位まで。

1 部屋や机上の片づけ
2 マンガを読み始めてとまらない
3 仮眠して勉強を始めるつもりが目が覚めたら朝だった
4 一休みで始めたゲームがやめられない
5 毛抜きや枝毛処理をし始める

まあ、当たり前といえば当たり前、みんなやりますね、これ。
「毛抜きや枝毛処理」に並んで、爪もいじったりするんじゃないかと。
ちなみに私は、いつもガムを噛んでましたけど(なぜか母親がいつも買ってきてました。眠気防止?)、その包み紙を正方形に切り、さらにその余り部分も正方形に切り、ツルを折ってました。目は何か読んでいましたけど、手はそちらに集中(笑)。
なので、机の中には小さな折鶴と、さらに小さな折鶴がどんどんたまっていって、受験が終わる頃には千羽鶴状態。
現役で合格できたということで、まあ願いはかなったということなんでしょうかね。


私はやりませんでしたけど、よく勉強中、あるいは試験中に見かけたのが、いわゆる「駿台まわし」。
今はなんていうんですか、ペン回し?
それ用のペンすらも売っているようで、この前息子が買ってきてました。何するんでしょう、いったい。
で、「あ、それ、駿台まわしの?!」と言ったら、「ああ、昔そう言ったんだってね。江戸時代だっけ?なんとかいう学校の名前を取って」というんですね。
「え~~、駿台は駿台、予備校じゃないの?」と言ってみたのですけど、自信はないですね。江戸時代だと、いくらなんでも鉛筆は使ってないんじゃないかと。筆回してたの?墨バシバシ飛ばしながら?(笑)

その「ペン(鉛筆)回し」なんですけど、試験中に隣りでやられると猛烈に腹が立ったもんです。
特に数学の試験の時なんかに、くるくるくるくる回されて・・・。こっちはただでさえわからないので、イライラするばかり。
でもって、「おっ」とか言ってそいつがどーっと証明なんか書き始め、「ヨシっ」とニンマリ、消しカス「パンパンっ!」ですよ。
・・・・いー加減にせんかっ(コロス)・・・
その後、ストレートでT大、某省と行き、新人にして平気で上司にも逆らっていたという噂のツワモノでしたが。


今頃になるとやっぱり大学受験のことを思い出します。
東京方面大学の受験は、高校のほうでまとめて面倒を見てくれ、文京区関係はみんな同じ宿。
夜になると各大学の先輩が激励にきて、「赤門もち」「茶通」という和菓子をゲンかつぎに置いてきました(後者はダジャレみたいな名前でもありますけど)。
翌日、全員制服で受験しにいきましたけど、私の受けた学校では全員(20名弱)でスクラム組んで、高校の応援歌を熱唱したという(汗)。あとからクラスメート(東京出身)にきいたところによると、あれはスゴイ光景だったらしい。怖かった、と。もしTVカメラが入っていたなら間違いなく撮られたであろう・・・・。

・・・今、考えるとやっぱりスゴイですね。セーラー服でスクラム組んで応援歌かよ・・・(大汗)。



ユーランダーのカップ

2010年01月22日 13時37分58秒 | 雑感
昨日伺ったお宅で使わせていただいたカップ&ソーサーがこれ。

懐かしの、ウェッジウッド ユーランダーパウダーターコイズのピオニー(ちなみにターコイズは色、ピオニーは形状を表します)。
私、これ売り物としてはよーく知ってますけど、実際に使ったことはない、というか使っているお宅を拝見したのは生まれて初めて。

お値段を言っちゃうとアレなんですけど・・ええい、言ってしまおう。
今はどうか知りませんけど、20年くらい前、一客26000円でした。

食器愛好家にはタマラナイ一品なんですけど、やっぱりいいもんですね、実際使ってみると。手触り、質感、バツグンです。

奥様に伺ってみたところ、毎年1客ずつ大事に大事に集めてやっと6客になったそうです。
ところがそれを2001年の芸予地震でやられ・・・何客割れたのかはちょっと聞き忘れましたが・・・もう涙涙だと。
しかも、これってもう廃番商品なんですよね。お気の毒・・・


私かつて一万のラリックのグラスをうっかり割ったときはかなり痛かったですけど、ちょっと比較にならない損失ですね。地震で贅沢品が割れたくらいなんじゃ・・と言われちゃうとそれまでなんですけど。


地震には備えておかねば・・と思いつつもなかなかです。先日も阪神大震災のドキュメンタリーを見たりして、いざとなったらどうしよう、とは思うのですけど、何からやっていいかわからないのも現実で。

まずは、家具の固定と非常持ち出し袋・・かな?








ショパンプレリュード レッスン

2010年01月21日 20時45分50秒 | レッスン&セミナー
ピアノ(応用課程?)レッスンを受けてまいりました。

前回は11月にベートーヴェンをみていただいたのですが、これは珍しく9月10月11月と連続3回レッスンでした。
「仮装さん今日なに弾くの?」ときかれて「ショパンのプレリュード21~24です」と答えましたところ、なんだかもひとつな反応?・・と思っていましたら、はたして「ショパンはだいたい弾いてきているんだけど、プレリュードだけはなんだかよくわからない気がしてさけてきたんだよねえ」と。
・・・そうなのか・・よくわからないと言えばよくわからないが・・・
「12月まではベートーヴェンその他にかかりきりで、これを弾き始めたのは年明けてからなので、どうか忍耐で(笑)お願いします」とめったにしない言い訳してから弾き始めたのですけど、だってねえ・・24番の3度の下降がなんとか弾けるようになったの今日の午前ですよ(汗)。

24番の最後の「レ・レ・レ」の3個目をなぜか思いっきりはずしてしまい、先生も私も大笑い。
「・・惜しいっ(爆)。いや、でもこれ怖いよ。コンサートの最後にこれ弾いてはずしたくないよねえ。鍵盤に指置いたまま弾けば外れないだろうけど、やっぱりこういう音はアクションつくし、そしたら外れやすくなるし・・・コワイなあ、これ。
年明けてから弾いてこれくらいいけばいいじゃないですか?(・・そりゃもう手が震えるほど練習しましたから・・)で、本番は?来月末?すぐじゃないですか(笑)」

私としては「やっと音が並んで曲らしくなった」という段階だったのですけど、「なんだかベートーヴェンみたいだねえ。きちっと弾きすぎなんじゃない?」ということで、
テンポ上げて長いフレーズをスムーズにやわらかく歌えるようにとか、ペダルをじわっと踏むとかいう高等なことを指導されたあと、「24番は、アパッショナートだよね。いつものヤツはどこ行きました?(笑)」ということで、(細かいことは置いといて)通常のテンポでぐわ~っと弾かされました。いっぺんで髪バラバラ&汗ドッ~。・・・曲にしてから持ってこい、ということなんでしょうね、早い話。
でも、まあなんとかおっしゃることは理解できたし、なんとかついてはいけたと思うので、頑張って練習しててよかった(涙)。
あと3週間後にもう1回みてもらえると思うので、練習あるのみ。



来月弾くもう1曲、ショパンのチェロソナタ3&4楽章は今日はみてもらわなかったのですが、出かける前に師匠のCDを聴いてから行ったのです。
そしたら、4楽章が速いというか、鼻血でそうな興奮度というか(驚)。そのあとデュプレ&バレンボイムのを聴いたら、テンポ遅めで細かいニュアンスが聴こえていいことはいいのですが、何かをあきらめた夫婦みたいな(殴)テンションの低さも感じました。
で、師匠に「なんかすごく速くて興奮モノだったのですけど、あれはなぜ?」みたいなことを伺ってみたのです。するとどうも「2分の2拍子」という捉え方に関係あるようで、「ああそういわれればなるほど4拍子ではなかった・・」ということで、テンポを上げるかどうかはまた別問題として2拍子であるということについてはもう1回見直す必要がある・・と思いました。
チェロとはまだ合わせてないので(来週月曜に延期)、どんな感じかわかりませんが・・・。



来週はほとんど毎日なんらかの用事が入っているんですが、なんとか時間を作ってすすめていかねば(喝)。







日中少し暖かく

2010年01月19日 22時38分23秒 | 見る・読む
冬休みさぼったツケで、今かなりの時間を練習にあてなくてはならず、数時間集中してやると、ピアノ廃人か・・というくらい気力・思考力とも低下してしまうのですが、なんとか体力だけは残して家のことをやっています・・・ええ、いいご身分です(笑)。
ほんとは「練習なんかやらなくても弾けちゃいます」って言ってみたいもんです。何度も言いますけど、趣味なのに必死で練習してるってとてもカッコいいとは思えません。「ピアノなんか持ってもいないし週末だけちょちょっとスタジオ借りて、それでもって、こんくるなんか軽~く優勝です、ハハ・・」というのがアマチュア的には画になります。

それはともかく、今日は少しぬくかった。
こういう微妙に「ぬくい日」は苦手です。変に解凍かけられて「一部変色」みたいなむず痒さがあります。
この感覚、たぶん私に限らず・・と思いたい。ピアノ廃人状態だから・・とは思いたくない(殴)。


朔太郎の『月に吠える』には、春に関する詩がいくつかあるのですけど、これを受け入れられるかどうか、心底「おお・・」と思うかどうかは、必ずしも文学的センスの有無を問うものではないでしょうし、それどころかアブノーマル試験紙であるといえるかもしれません。
ふたつほどいきます。


<春夜>
浅利のやうなもの、
蛤のやうなもの、
みぢんこのやうなもの、
それら生物の身体は砂にうもれ、
どこからともなく、
絹いとのやうな手が無数に生え、
手のほそい毛が浪のまにまにうごいてゐる。
あはれこの生あたたかい春の夜に、そよそよと潮みづながれ、
生物の上にみづながれ、
貝るゐの舌も、ちらちらしてもえ哀しげなるに、
とほく渚の方を見わたせば、
ぬれた渚路には、
腰から下のない病人の列があるいてゐる、
ふらりふらりと歩いている。
ああ、それら人間の髪の毛にも、
春の夜のかすみいちめんふかくかけ、
よせくる、よせくる、
このしろき浪の列はさざなみです。


<春の実体>
かずかぎりもしれぬ虫けらの卵にて、
春がみつちりとふくれてしまつた、
げにげに眺めわたせば、
どこもかしこもこの類の卵にてぎつちりだ。
桜のはなをみてあれば、
桜のはなにもこの卵いちめんに透いてみえ、
やなぎの枝にも、もちろんなり、
たとへば蛾蝶のごときものさへ、
そのうすき羽は卵にてかたちづくられ、
それがあのやうに、ぴかぴか光るのだ。
ああ、瞳にもみえざる、
このかすかな卵のかたちは楕円形にして、
それがいたるところに押しあひへしあひ、
空気中いつぱいにひろがり、
ふくらみきつたごむまりのやうに固くなつてゐるのだ、
よくよく指のさきでつついてみたまへ、
春といふものの実体がおよそこのへんにある。



ひさしぶりに読んで、キました・・「もえ哀し」

・・・・はい、さっさと寝ます。