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~Agiato で Agitato に~

再開後約20年になるピアノを通して、地域やほかの世代とつながっていきたいと考えています。

久しぶりのオーケストラコンサート

2009年09月30日 23時55分53秒 | 交響曲・管弦楽曲等
行ってまいりました。
アントルモン指揮・ピアノのニュルンベルク交響楽団演奏会。

プログラムは
ワグナー:<ニュルンベルクのマイスタージンガー>前奏曲
モーツァルト:ピアノ協奏曲第20番
ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」
(アンコール)
ブラームス:ハンガリー舞曲第1番
あかとんぼ

という、名曲ぞろい。
私の席は二階右側だったのですが、マイスタージンガーはホール(国際会議場)の音響の具合が気になっているうちに終了。いろいろなご意見はあると思いますが、どうもこのホールは響きにくいような気がします。そのせいなのかなんなのかわかりませんが、長い音符の時にピッチの違う音が妙に聴こえてきました。う~ん・・・

20番は、アントルモンの自家薬籠中の1曲とでもいいましょうか、ほんとに自在な演奏でした。ペダルを使ってバーンと弾いてもモーツァルト、涙が出るような美しい弱音で音を紡いでもモーツァルト。
「丁寧に粒をそろえて」とか「モーツァルトらしく」とかそういう作為的なものはいっさい感じさせない、「何をやってもモーツァルト」な演奏でした。オーケストラがもう少し第2楽章の「彼岸」のようなピアノの弱音に沿ってくれるとさらに良かったのですが、弾き振りなのでうかがい知ることのできない難しさもあったかもしれません。

「運命」は指揮もわかりやすく、きちんとした印象でした。よく聴き知った曲ではありますが、「あれ、こここんなにピチカート続いてたっけ?」とか、「ディナミークはこんなだったっけ?」とかいう疑問や発見もありまして、スコアを持ってこなかったことが悔やまれました。

アンコールは楽しかったです。ハンガリー1番、オケもいいですねえ。連弾もいいですけど。
「あかとんぼ」は、フレーズがわれわれがふつう歌うのとちょっと違った感じもあって新鮮でした。どう違うかというと
「♪ 追われーて 見たのーはー 」のところがスラーが細かく入っていて割りに切れ切れな感じで、なおかつ「見た のー はー」でデクレシェンドがかなり効いているようでした。・・なるほど・・・・


今日のお客さんはどういう方が多かったんでしょうか?
アマオケの方をひとりお見かけし、二人ピアノ関係の知人がいましたけど、あとは全然知らないお顔ばかり。
今週はけっこう演奏会が多くて、金曜も土曜も行きたいところなんですが、それは無理ですねえ、さすがに。




年のせいだけではないかも

2009年09月29日 22時55分42秒 | 雑感
またか、と我ながらイヤになってしまうんですが・・・

何回かここでもお話したように、うちは基本的に買いものは生協の宅配でまかなってまして、週1回の注文表がある意味ライフラインです。車を運転しない私にとっては労力&時間の節約になり大変便利です。
ええ、ほんとに便利なんですが、時々困ったことも起こります。

今日、山のような宅配物を収納してましたら、

海苔だらけ
コーンの缶詰だらけ
ツナ缶だらけ

なわけです。注文するときは毎週毎週フレッシュな気持ちで「そうだ、海苔全然なかったもんね」とか、「コーン缶切れてたなあ」とか思うのですが、切れてるどころかストックがすでにあるわけです。幸いなことに腐るものではないし、よく使うものだからいいんですけど、以前は3週連続チンゲンサイだかほうれん草だかを頼んで、しかもまったく消費してなかったことがあり、われながら参りました。
つまり私の記憶は1週間は持たないということになります(汗)。
では何日くらいで切れているのか・・そのあたりは検証してみる必要がありますが。

1週間というとだいたい子どもさん方の習いごとのサイクルになりますけど、子どもの記憶はどうなんでしょうね。
子ども次第といいますか熱意次第といいますか、復習次第ということになるでしょうか。
教えるほうはというと、ある弦楽器の先生は「教えるほうとしても2週間以上あくと、こっちも前言ったことを忘れてしまうので、ぎりぎり2週間」と言われてました。
ある先生に関しては、ほかのこと(たとえばレッスンの日時の変更)は忘れることがあっても、前回のレッスンの内容はすべて記憶していて「この前言ったでしょ」と言われドキッとする、という噂をきいたことがあります。
以前は「へえ~」と思っていたのですが、私このごろ友人その他にアドバイスさせていただいたりする機会がボチボチあるわけなんですが、なんとなくそれってわかるような気がします。
実はですね・・教えるほうは教えた内容について反芻というか反省というか、その後なんとなく振り返ってしまうので、記憶が定着されているのですよ(笑)。もしかしたら、教わったほうは教わりっぱなしということもあるかもしれませんが(特に子どもの場合)、教えたほうはなぜかぐるぐる反芻する・・で「あれも言えばよかったかな」とか「あれは余計だったかな」とかくよくよするわけです(爆)。
いや、もちろん個人差はあるでしょうし、そうでない先生も多数いらっしゃると思いますけど、たとえほかのことを忘れてもレッスン内容をバッチリ覚えていらっしゃるということは、プロ意識以外にもどこかそういうところがあるのだと思うんですよね。

私自身は教えられることと教えることが混在する日々ですが、どうも「教えた」記憶のほうが定着がいいような気がしてなりません。なので早い話、自分が「習った」次の日に、誰かにそれを教えるとバッチリなわけ(笑)ですが、まあそういうわけにもいきませんし。

ちょっと話がずれますけど、以前どなたでしたか有名なバレリーナさんが、「自分の公演は最初の出だしから最後の幕が下りるまで、すべて頭の中でリプレイできますし、そうやって反省してます」とおっしゃってました。
また、将棋の名手が、自分の戦った棋譜をすべて頭の中で再現できる、順を追うだけでなく、逆回しだろうが早送りだろうが自在にリプレイできるのも有名な話です。

この方々がいわゆる「天才」であることは置いといてですが、やはり受身でなく、能動的な場合のほうが記憶もいいということなんでしょうか?
そうだとするとレッスンを受ける際も、能動的仕掛けをたくさん用意していけば定着率もいいということになります。要は・・「質問せーよ」ということになってしまいますが・・。


つらつら考えるに、私が生協でオーダーミスが多発するということは、
・・注文を「反芻」しておらず、「受身」で、かつ「何も考えてない」から・・・
という結論になります。
・・そのとおりのような気がしてきました(泣)。





ランラン公開レッスン動画

2009年09月29日 21時59分11秒 | ピアノ
先日ランランが来日し、お台場で公開レッスンがありました。
見てみたかったなあ・・と思っていたら、動画が公開されました。

指導していることはきわめてベーシックかつシンプルで、なるほどなことばかりなんですけど、演奏を聴いている間の視線のさまよい方とか、ノッてきたときのアクションはやはりランランですねえ。

レッスンを受けた二人はよく笑わずに耐えた・・いや、笑ってたかもしれませんが。


基礎期の指導セミナー

2009年09月28日 23時46分27秒 | レッスン&セミナー
本日、S田先生によるセミナーの第2回「基礎固めの時期の指導」を受講して参りました。

6月末の第1回「導入期の指導」の時もたしか40人は超えていたと記憶していますが、今日はさらに多く50人くらい。私はちょくちょくいろんなセミナーに行っていますけど、これだけの人数が集まったものというのは過去にひとつあるかないか・・・。

「読譜力をつける」「指作り、手作り」「聴く耳を育てる」の3つについて資料を使いながら細かくお話がありました。
子どもに教える際のポイントというかコツみたいなものを、これまでS田先生が長年にわたって試みてこられた事例をもとに伝授(?)くださったわけですが、学習者としてもいろいろとタメになるお話が・・。

たとえば<『黒鍵のエチュード』であろうがなんであろうが、毎回これから弾く調のスケールを必ず弾かせる。それもあくまでも音楽的に>といったこと。
ある音楽コンクール(東のほうのF市でのものです)の本選では、これから自分が演奏する曲の調のスケールを弾くことが最初に課されるらしいのですが、このスケールを聴いた時点で、ほぼ実際に弾かれる本選曲のデキは想像がつくそうです。スケールをドタドタ弾く子は曲もそうだし、スケールを丁寧に美しく弾く子は曲もしかり。

・・・・いやあ、耳が痛いです・・

脱力のお話もありました。
腕の重さというのは大人だと5キロくらいはあるそうです(もちろん体重や体格で違ってくるでしょうけど)。子どもだと2キロくらいでしょうか。
実際、私がうちで測ってみたら腕は5キロ以上はありました。5キロったら、米一袋分ですよねえ。これをか弱い指で支えているという・・・エライことです。
「脱力」というからなんだかできそうな気がしますけど、「手の甲に5キロの重りのせて毎日指スクワットやれ」と言われたら、「指つぶす気ですか?!なんのプレイですかっ!」とキレそうです。
これは子どもの頃から少しずつやっていかないと無理がくるのは想像つきます。
小さいころから正しいフォームで正しく負荷をかけるべく導くのが指導者の役割なんでしょうね。

そのほか、ピアノのアクションの模型を示しながら、打鍵位置と力の伝わり方、それによって出る良い音との関係のお話などなど、あっという間の2時間。

自分で弾くのも難しいですが、これを多くの生徒さん方に指導する先生というお仕事はさらに大変だな、と思いました。

次回は12月、ブルグミュラーの指導ということだそうで、これまた楽しみにしております。

アリシア・デ・ラローチャさん

2009年09月27日 23時18分24秒 | ピアノ
スペインのピアニスト、アリシア・デ・ラローチャさんが25日亡くなられました。
86歳でいらしたそうです。
6歳で初リサイタル、11歳でオーケストラと共演を果たし神童と称されたとか。2003年の公演を最後に引退ということですので、70年以上ピアニストとしてご活躍だったということでしょうか。

録音はほんとに多数おありですが、ここでアルベニスの<タンゴ>をご紹介。

技術的にはそう難しい曲ではありませんが、絶妙の間、リズム、色彩感、とてもとても真似できるものではないように思います。

おそらくこれからも過去の録音をたくさん聴かせていただくことになると思いますので、お亡くなりになっても演奏は永遠の命ですね。



夏の音楽祭でブレイクの・・

2009年09月25日 17時09分01秒 | ピアノ
牛牛ほか、若い才能の目ざましい中国のピアニストたちですが、
本日はこの夏ヴェルビエ音楽祭で喝采を浴びた、ユジャ・ワンをご紹介。
(クリックしていただくとユジャ・ワンの演奏が聴けます)。

1987年生まれの22歳。
ぱさぱさっとした髪にあっさりしたメーク&衣装で、ふつうっぽい感じですが、いやどうしてどうして!
ヴェルビエの一週間後には、ルツェルン音楽祭のオープニングでプロコフィエフの3番コンチェルトを弾いたとか。

ランランと同じカーティス音楽院で同じ門下ということですが、弾き方は違いますねえ・・似ててもちょっとコワイですけど。





違いのわかる?男

2009年09月24日 21時36分07秒 | 雑感
さっきたまたまテレビをつけてみたら、演出家の蜷川氏が出ておられました。

途中からだったので、詳しいことよくわからないのだけれど、
「世界のニナガワということで、これだけ評価高いなかで、ずっと苦しみつつ前に進まれるのはなぜですか?」みたいな問いに対し
「海外で評価されたということはあまり関係ない。そりゃほっとするし、良かったとも思うのだけれど、ほんとに自分のやりたいことは伝わったのだろうか、これでいいんだろうか・・と思うことばかり。どこかで<いい気>になってしまうんじゃないかということが恥ずかしいんだね」と。

またこうもおっしゃってました。
「いつも胃が痛くて、演出の机のうえに胃薬おいてぼりぼり食べながらやってる。みんなビタミン剤だと思ってるんだけどね。ずっともの食べられない状態で血吐いて十二指腸潰瘍になったりするんだけど、だいたいどれくらい自分の体を痛めつければ、どういう空想が浮かんでくる・・というのもわかってるわけ」
「脳梗塞で24時間点滴打ってたときも、あそここうやったらいいかな・・とかずーっと考えてる。なんていうのかな、試験の前のざわめきみたいな・・あそこはこう解答してやろうか、みたいな感じ」


そういう方だと噂にはきいていましたけど、いやあ凄まじい。
インタビューの途中何度も「恥ずかしい。演出ってどこか恥ずかしい」といった表現が出てきて、実際恥ずかしそうな様子でいらっしゃったのですが、蜷川氏の演出は苛烈なことで昔から有名。
「今は穏やかな日々・・」とおっしゃっていた最近の演出の様子が出ていましたけど、これがまた・・・

「オイっ、なんだバカヤロウ。石ころくらい用意しとけってんだ、バカヤロウ。そうだ、お前だよ、この薄らバカっ!!・・謝るんじゃない、謝る必要はないんだ。オレの罵詈雑言にはあまり意味はないから(笑)」

恥ずかしいと罵詈雑言がでるんですかね(笑)。
「破壊と再生」を繰り返すのも「恥ずかしいから」と。

蜷川氏は俳優はされてないので、私が「おお・・」と思う落差は、こういう素に近いトークの様子と演出の様子を比べてのことなんですけど、それだけでも十分シビレます。

別に落差が大きいからいいとか悪いとかいうもんでもないのですけど、たとえばあるピアニストの「演奏するとき」と「指導のとき」と「素のとき」の違いが大きければ大きいほど、私にとっては興味深い(笑)。
それも自分の「演奏」ではやりたい放題なのに、指導では「こういうことはいけません」といい、素では「そんなことどっちだっていいじゃないですか」みたいなのだともうタマりません(爆)。・・実際に弟子だったらそれこそたまったもんじゃないでしょうけど。


・・・おそらく私自身がバランスのとれた冷静な人間なので、そういう人に憧れるのでありましょう・・(殴・逃)




本山麻優子 受賞記念ピアノリサイタル

2009年09月23日 21時14分46秒 | ピアノ
大変楽しみにしていた本山麻優子ちゃん(高1)のリサイタルに行って参りました。

麻優子ちゃんとは、彼女が小学校6年の時にあるご縁で知り合い、中1の時に演奏を聴きすっかりファンになりました。その後今に至るまでずっと応援させていただいています。
今回のリサイタルは私自身もちょっとお手伝いをさせていただいておりましたので、本人も世間もインフルエンザ等に負けずに健やかに、そしてなによりもいい演奏会になればいいなあ、と祈るような気持ちでおりました。
2007年4月29日に200席あまりの会場でリサイタルをされてますけど(このブログにもレヴューを書いております)、その後2年と少しの間に、師事関係、コンクール関係いろいろな変化がありました。また今年の1~3月にかけてふたつの国際コンクール1位を手にし、地元でコンチェルトも弾いていよいよというときに、成長に伴う手の故障で2ヶ月間ピアノを弾けない状態に。この期間のことは私もほぼ想像するのみなのですが、ほんとに苦しい時間であったことと思います。
そこを乗り越えての演奏、私自身もひさびさに彼女のピアノが聴けるということで楽しみにしておりました。

<プログラム>~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
徳山美奈子:ムジカ・ナラ~ピアノのために~
ショパン:ワルツ 第1番変ホ長調 Op.18「華麗なる大円舞曲」
     ノクターン 第5番 嬰ヘ長調 Op.15-2
マズルカ Op.6 第1番 嬰ヘ長調
             第2番 嬰ハ短調
     エチュード ハ短調 op.10-12「革命」
     バラード第4番 ヘ短調Op.52
         (休  憩)
リスト :愛の夢 第3番 変イ長調
     超絶技巧練習曲 第10番 ヘ短調
     2つの伝説より「波の上を渡るパウロの聖フランシス」
     ハンガリー狂詩曲 第12番 嬰ハ短調

(アンコール)
ショパン:エチュード「黒鍵」
バルトーク:オスティナート
三善 晃:「海の日記帳」より<あこや貝の秘密>
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


前半の衣装はパニエたっぷりのロングドレス。銀糸が輝く生地のうえにエメラルドグリーンの生地がさらに重なったスカート部分がなんとも美しい。
このドレスのイメージはバラード4番だという話でしたが、なるほど~という感じ。
指さばきの俊敏さ、リズムの良さは「ムジカ・ナラ」でも発揮されたとおりで、今さら言うまでもありません。マズルカ1&2番から「革命」に至る盛り上がりは、1830~1832年ごろのショパンの境遇がぐっと迫ってくるものがあり、胸が詰まりました。もの凄いスピードの「革命」でしたが、この速さに至ってこそ表現できるようなものも垣間見え、一気に会場をさらいました。思わずブラボーやスタンディングも出るという状態。
ちょっと間を置いてのバラード4番。やはりこれは大曲だなあ・・とあらためて感じました。書かれた時期も今日のショパンプログラムのなかでは10年以上離れており、ポリフォニー、ハーモニー、構成、なにから何まで大変な曲だ、と。これを16歳にしてこれだけ弾くというのは驚嘆なのですが、さらに年をとってショパンが作曲した30歳くらいになったときの麻優ちゃんの演奏もまた楽しみです。それまで私も元気でいないといけませんね・・・。

後半は、ボリュームのあるワインレッドのドレス。今度は金糸の下生地とのコントラストがすばらしい!
「愛の夢」はこのリサイタルに合わせて用意した曲ということで、私も一回も聴いたことがありませんでした。聴き手によってそれぞれの「愛の夢」のデフォルトがあるでしょうけど、私には実に好ましい演奏でした。ソットヴォーチェ(ひそやかな声)な雰囲気の音でテーマが自然に始まり、歌いまくるということでもなく淡々と流れるが熱っぽいところもあり・・という難しいセンで巧みに表現していたように私自身は思いました。
超絶10番と「波の上を渡る~」は何度か聴いたことがあるのですが、以前より音量が豊かになったなあ、と。後半これだけの難曲が並んでいるので、技術はともかくスタミナが持つんだろうか・・と思わず心配してしまっていたのですが、杞憂でした。
余裕でハンガリーラプソディー12番弾いてましたねえ。オルゴールのような音色で弾く(高い音)ところがあるのですけど、ここは本人「大好き」だそうで、聴いていても楽しかったです。それにしても、この曲、聴いていると軽々弾いてるようなんですけど、楽譜見ると「はあ???」という跳躍、重音、オクターブの連打、レジェーロの速いスケールのオンパレードなんですよね。私おそらく生涯縁のない曲ということで、楽譜すら持ってませんが、今回ちょっと友人から拝借してさっと見てみましたら、「あの速さで弾くのか、これを!?」と仰天でした。
技術に余裕がないとスケールの大きさなんか出せませんしね。ふだんしゃべってるときは、かわいいごく普通のお嬢さんなんですが、やってることは普通じゃないです、ほんと。

アンコールはお得意の「黒鍵」。それにしても速い。最後のオクターヴの下降大丈夫か?・・とこれまたいらん心配しましたが、楽勝でした。
バルトークはムジカ・ナラでも聴かせてくれたキレまくりのリズムを堪能。凄みのある音もでます。
最後の「あこや貝」はたくさん来場していた幼い子どもたちへのサービスもあったでしょうけど、私の大好きな「三善サウンド」を会場に残してくれてうれしかったです。たしか2007年のときもアンコールの最後は、湯山昭の「お菓子の世界」から1曲だったと思うので、最後を邦人曲でしめるというのは、これからも続くのかな・・とちょっと楽しみですね。考えてみれば今日の最初の曲も、現代日本の作曲家のものだったわけですし。


終了後、いろいろおしゃべりすることができました。
弾きはじめたら楽しかったらしいですが、それまでの時間、とくに1時間前くらいは相当緊張していたみたいです。そりゃそうでしょうねえ・・・。考えてみたら東京はじめとする各地からも地元からももの凄い数の専門家が聴きにこられているわけで、言ってみれば「審査員・・審査員・・審査員・・審査員・・審査員・・」の中で長時間一人で弾いている状況。怖くないほうがどうかしてます。しかも、「コンクール第1位受賞記念」の冠つき。しかも、555席ほぼ満員。
これからさらにソナタやコンチェルト等の、音楽的力はもちろん体力気力の要る長いレパートリーをものしていかねばならないことと思いますけど、どうか健やかに伸びていってほしいと心から思います。

今日は、いい演奏会をどうもありがとうございました。


何に前向きか

2009年09月22日 13時59分08秒 | 雑感
連休、みなさんいかがお過ごしでしょうか。
うちは土曜は息子は学校、主人は仕事、
日曜はみんなでダラダラ・・あまりの部屋の散らかりように、私、見ざる聞かざる言いまくり。

昨日は、私のみ午前ちょっと用事、夕方からは子どもらのバイオリンレッスン&回転寿司(←ひさしぶりに行きました、お〇〇く寿司。相変わらずの混みよう。そして相変わらず安い!)。
今日はこれから娘の七五三の前撮り。実は、ニ三日前にいきなり思い立ちまして、ヒマつぶしといってはなんですが、のんびり出かけることにいたしました。
明日は、M子ちゃんのリサイタル(チケットは完売。当日券もありません)


まあ、こんな感じです。
進んでいるのは、ベートーヴェンの練習と減量くらいか・・・模様替えも不用品整理も進まず。


ところで、先日小学校で懇談会があり、お母さん方に夏休みの話を一言ずつしていただくという時間がありました。
山へ行きました、海へ行きました、プールへ何回も通いました・・も、もちろんそれぞれすばらしいと思ったのですが、驚いたのはこれ。
「夏休み40日間、家族全員で毎朝ラジオの前で体操をしました」

・・・できないでしょ、ふつう(驚)。
ここのおたくはお母さんも働いておられるようで、そうなると朝の6時半って(ですよね?)「体操やってる場合かっ」な忙しさか、「たのむからあと5分寝かせて」の状態じゃないかと思うんですが、偉すぎます。それも40日間。
しかも習慣になって今でもやっておられるという・・・。
毎朝6時半からピアノ弾けと言われたら,、私おそらくやるんじゃなんか(家事はもちろんヌキということで・・・殴)と思うのですが、体操はやりそうにないですねえ。語学のラジオ講座だったらやるか?・・・う~ん、どうでしょう。
万一私がラジオ体操やったとして、うちのほかの家族が全員やるかどうか・・・やるわけありませんねえ(汗)。町内のラジオ体操も行かないのに・・・。


先日なにかで「ダイエットをやり続けるのは、<前向きな自分に酔っている>行為でもある」ようなことが書かれていました。そういうところもあるだろうし、「減ること」に快感を覚えてしまうので、適度なところで止められず、過剰なダイエットに陥ってしまうケースもあるのでしょうけど、もしそれがダイエットでなくて、スポーツのトレーニングとか何か楽器の練習ということであれば「過剰」ということはあまり責められないわけです。勉強しかり。
「お前やり過ぎだよ・・・そこまで依存症になるということは・・・・きっと何か心のキズが・・」みたいなことは少なくとも言われません。
もしかするとコンプレックスの種類が違うだけかもしれないのですけど、表現の方向(?)が違うと周りの反応は当然違ってきますね。


要は、エネルギーと習慣の方向性の問題なんでしょうね。
ピアノやブログなんかやらずに(笑)、朝6時から家事やりまくって料理や家計維持にハマればどれだけいいだろうか・・と私自身時々考えますから。
たとえ「酔っている」と言われようが、そういう「前向きな自分」だったらウエルカムだよなあと思うんですが・・・・
だって専業主婦がピアノに「打ち込む」というのは、客観的にみれば、ただの時間とお金の浪費ですからねえ。

・・・やはりこれはどこか「ビョーキ」であるという・・・・





されど見た目

2009年09月19日 21時44分21秒 | 雑感
事件そのものをどうこういう気はないのですけど、先日の某タレント夫婦の保釈中継を見てあらためて思ったこと・・・・「外見の印象」のおそろしさ。

同じ薬物で捕まっていたというのに、この保釈時の夫婦の印象はかなり違いました。
ダンナのほうは、まあ「やってただろうなあ・・それっぽい」という感じがなんとなくしてしまうわけです。どことなくしまらない動作とかしゃべり方とか、服装とかすべて外見からのことなんですが。
奥さんのほうは、ちゃんとメイクさんがついていたとかで、髪も化粧もばっちり(といってもどちらかというと清楚系)、言葉ははっきり、姿勢も正しく、思わず微笑まで浮かべてしまうという「デキ具合」。
もともと女優さんなのですから、当然予想されることではあったわけですが、これがどうも手ぐすねひいて待っていたマスコミには肩透かしだったようでもあります。
思うに、髪バサバサ、ノーメイク、表情暗く、言葉はぼそぼそ、服も逮捕時のまま・・みたいなもの、ある種「ざまあ・・」のひとつもいいたくなるようなものをどこか期待していたのかもしれませんね。
事実ワイドショーのコメントも「こういってはなんなんですが、どこか凛とした風情で」「復帰会見のような前向きな感じ」「セリフをしゃべっているようで本心が伝わらない」「まだ裁判も始まってないのに、こんな前向きな感じでいいのか」「ほんとに反省しているのなら、泣きながら土下座じゃないでしょうか」などと、どこか「ヤラレました。くやしいですっ!」っぽいニオイがつきまとっていました。

私は、本来どんなかっこうで保釈されるべきだったかなんて考えもしませんし、心からの反省なんてテレビの前で示せるものだろうか、と思っていますので、ワイドショーの反応はどうでもいいのですけど、別の意味でこれはすごいことだなあ、と変に感心してしまいました。
もちろん罪は罪だし、問題は大きいのですが、逮捕の前までとくにトラブルがあったわけでなし、ダンナが逮捕されて失踪している期間も「これはショックによる失踪であろう」と世間を心配させ、保釈時も外見だけだと「さすが女優さん!凛々しい」と思わせてしまうわけです。
まさに、世間で時々起こる「まさか、あの人が!信じられない」の典型。

これまでも女優さんが自分の子どもの不始末だとか犯罪だとかで、テレビカメラの前で謝罪したことは何回もありますが、もれなく泣き崩れ、憔悴し、痛々しい。「親の責任はあるだろうけど、自分が罪を犯したわけではないんだから、もういいじゃないですか」と思わず声をかけたくなるような風情がありました。もちろん計算とか演技がなかったわけではないでしょうが、それもこれも含めて世間との予定調和的な姿であったと思われます。

そういう意味で、今回の釈放会見は一種驚きを禁じえなかったわけです。規則正しい生活のためか以前よりも血色はいいし、オモテはしっかりあげているし、姿勢も語尾もぴっと決まっている。世間的「犯罪者」のイメージからかけ離れています。
こうしてみると、やはり自分はある一定の「犯罪者のイメージ」というものを持っていて、それに相当とらわれているんだなあ・・と思います。「人を見る目」というのは、案外いい加減なもんです。いつか裁判員を務める日がきたとして、見た目にとらわれないという保証はゼロに近いです。


「見た目」については、きっと逆もしかりなんでしょうね。
道を歩いていただけで「アヤシイ」のはやはり損だし、問題ですね(殴)。
私、このごろデパートを歩いても化粧品売場で声をかけられることはもはやありませんけど(<ナチュラル志向>と思うとあちらも声はかけません)、先日ヘアピースの売場前でいきなり「いかがですかあ~」とにこやかに声をかけられました。
アヤシかったかどうかはわかりませんけど、自分の姿は世間が教えてくれますので、ちょっと「う・・」と思いましたね。

まあ、思っただけですが・・・