吉田秀和氏、新藤兼人氏の相次ぐご逝去で、一時代の終わりというものをどうしても感じてしまうここ数日。
新藤監督のお話・・・・
<第二次世界大戦末期に32歳で召集された。100人いた仲間はくじで次々に戦地に赴き戦死、「残った6人のうちの1人が私だった」。敗戦後は映画のシナリオを書く仕事に戻り「運がよかった、と片づけていた」。しかし、次第に「私の存在は、94人の犠牲の上に成り立っている」と重荷になっていた>
正直想像もつきません。ご本人も時がたつにつれ、少しずつ辛くなってこられたのかもしれません。
5月に入ってから、うちの中では、かつてNHKで放映された「映像の世紀」がなぜかたびたび流れていて、
回によっては、画面いっぱいにびっしり見えるものがなんなのか、大写しになっているものがなんなのか認識することすらも難しいような映像がありました(いずれも息のない人間。それもふつうの最期でない状態)。
あまりに悲惨で逆に現実感がない・・・・。
今も世界のなかのある国では、無辜の民に対して虐殺が行われていて、他国からの制裁も焼け石に水なのか、今後どうなってしまうのかわからない状態。
怒りとか悲しみよりも、こういう状況に対して自分はなにもできない、というところで思考がストップしてしまいます。
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「どうすることもできない」とは少し違っているのですが、予想外に進んでしまった現実のひとつとして、高齢化社会があります。
人口の動向として、おそらくあのバブルの真っただ中のころ、すでに今日のこの状況は予想できていたはず…と思うのですが。
私が就職したころ、つまり今から25年以上前、私のいた会社が言っていたことは「これからは通販の時代だ!」ということ。といっても、その頃の通販はテレビやカタログによる販売であり、今のようなネットでの販売はまだまだ先のことでした。
で、新入社員に「これからどういう販売を考えるか?」などという問いを投げかけられるわけですが、
当時、私は「これからは男性の下着が多様化してくると思う」「高齢者向けの売り場が必要になってくると思う」といったのですが、
相手にされなかったといいますか、とくに<高齢者向け>のほうは、「デパートのイメージに合わない」ということと「高齢者をビジネスの対象とするのは抵抗がある」ということで、ほぼ却下みたいな感じでした。
バブルど真ん中の頃ですからね・・・・たしかに現実感はなかったですね。100万くらいの輸入食器セットを、20代の若い娘がポンと買っていくような頃です。
最近たまに実家に帰ったりすると、子供のころに見知っていたのと別世界の、「大半がおじいさんおばあさん、まれに壮年、ちらっと子供」の町になっていて驚きます。県庁所在地にしてこうです。
で、ある年齢層の方がたがほんとうに一生懸命働いておられます。
たぶん東京等の大都市では、オモテに出ているのは若い方が多いと思うのですが、ほかの地域では似たような現実かと。。。
人口構成は代えられないにしても、仕事とか生きがいの点で今の閉塞した社会状況、なんとかならないもんか・・・・と切に思います。
次世代のためにも・・・・・。